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ラヴ・アンダーウェイ(LOVE UИDERW∀Y)  作者: 囘囘靑
第4章:チカラアリ少女行(В Чикараари)
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075_世界は君を過たない(Мир не ошибается с вами)

 それからのことを、クニカは断片的にしか覚えていない。


 あのあと、泣きじゃくっていたクニカの下に、“黒い雨(ドーシチ)”が押し寄せてきた。雨は、チカラアリ新市街を覆う煤を押し流し、街で流れた血を、その暗さで塗りつぶした。


 崩落した礼拝堂の、まだわずかに屋根の残る部分で、クニカたちはミカイアの亡骸を囲むようにして、雨が止むのを待った。その間じゅう、クニカは固くなったミカイアの手を握り締め、みずからのぬくもりをミカイアに伝えるように、その手を包み込んだ。


 白い息を吐きながら、みなが押し黙っていた。出て行ってしまったフランチェスカの行方を尋ねる者はいなかった。


 次にクニカが目を開けたとき、クニカの身体は、旧市街の公会堂の中にあった。知らず知らずのうちにクニカは眠っていて、誰かが――きっとリンが――クニカを公会堂まで運び込んだようだった。


 そこには、カイもニコルもいた。ニフリートに操られたミカイアに、あれほど追いつめられていたというのに、そのときにはもう、ふたりとも元気になっていた。


 ミカイアのことは、カイもニコルも話さなかった。二人はその話を回避しようとしていて――しかもそれは、自分のためにそのようにしているのだということを察知して――クニカは傷ついた。ミカイアの話をしなければならない。それはミカイアのためでもあり、自分のためでもある。しかし、もしミカイアのことが話題になったら? そのときに自分が一番困ることを、クニカは分かっていた。罪悪感と、やりきれなさとで、クニカの心は宙づりになっていた。まだまだ眠り続けなくてはならない――心のどこかにいるもうひとりの自分が、小さな声でそう叫んでいるのを、クニカは感じ取っていた。


 すっかり夜になっていたというのに、公会堂の人の出入りは止まなかった。自由チカラアリの兵士たちは、みなミカイアのいる部屋へと入るときには青ざめていて、出たときには泣いていた。


 ニキータは、部屋から出た後にむせび泣きながら、うずくまっていたクニカのところにやって来て、その身体を抱きしめた。ニキータの身体から伝わってくる心臓の鼓動を感じ、クニカはどうしていいのか分からず、心が騒ぐに任せるしかなかった。


 それから、何人かの男たちが、まるで自分たちを磔にするための十字架を背負っているかのような神妙な面持ちで、ミカイアの眠る部屋へと入っていった。ほどなくして部屋からは、鋸の音、鉋の音が聞こえ始めた。


(ヴィーシニャ)の木だよ」


 部屋の入口にたたずみ、腕を組んでいたリンが、隣にいたニコルにそう囁くのを、クニカは聞いた。


「湿気に強いんだよ。乾きやすくて、丈夫だから――」


 棺桶が造られていたのだと、クニカが気付いたとき、作業を終えた男たちが、一斉に部屋から出てきた。仕事をし終えた後の職人に特徴的な、あの満足げな表情をしている者は、だれもいなかった。最後に部屋を出た、頭にバンダナを巻いた、固太りの小男が、右手に握り締めていたおがくずを、開け放たれた窓から捨て、目をこすり、鼻をすすり、去っていった。その様子が、ぽっかりと開いていたクニカの心を埋め尽くし、クニカはなぜか、その様子を忘れ去りがたく思った。


 そして、クニカはまた夢を見た。



   ◇◇◇



 目を覚ましたクニカは、自分がぬかるみの中に膝をつき、地面の泥を掴んでいることに気付いた。ウルトラにいたときに何度も見ていた“うすあかり”の世界の夢であると思い出すのに、クニカは時間がかかった。


 立ち上がったクニカは、胸の前で両手を合わせ、周囲の様子をうかがった。大地はなめらかで、遮るものは何もなく、地平線までを見晴るかすことができる。足元は、くるぶしまでが浸かるほどの水に覆われていて、水は透明で、暖かかった。空は明るかったが、光源がどこにあるのか、クニカには分からなかった。赤、紫、金色(こんじき)の雲がまだらになって、空に浮かんでいる。


 ニフリートがやって来る――その不安におののいたクニカは、ほどなくして、ニフリートはすでに死んでいること、それを成し遂げたのは、ほかならぬ自分であることを思い出した。だとすれば、クニカを待ち受けているものは、ひとつしかない。クニカをこの世界に誘い、“竜”の魔法を授けた、黒い巨人である。


 吹き寄せる湿った風に、みずからの身体を預けると、クニカは跳躍して、魔力を解き放った。現実とは異なり、夢の中では、クニカの魔力は無限大だった。


 やがて地平線の向こう側に現れるであろう黒い巨人に近付くために、クニカは空を飛ぶ。これまでと異なり、クニカの心に、はやる気持ちはなかった。――なぜかクニカは、今回だけは、自分の気持ちに、黒い巨人が応えてくれるであろうと、確信できていた。


 そして――黒い巨人の輪郭が、青い空の青さの中に描き出される。輪郭を埋め尽くすようにして、クニカの眼前に、巨人の実像が浮かび上がる。世界中の影をかき集めたかのような巨人の黒さを前にして、クニカはニフリートの闇を錯覚し、心がひるむ。しかし、すぐに気を取り直すと、クニカは飛び続ける。


 黒い巨人が身じろぎをした。自分に背を向けるものと考えていた巨人が、クニカに向かって、その右手を伸ばした。巨人の手は大きく、つま先だけでも、クニカの姿をすっぽりと包みこんでしまうほどだった。


 だが、クニカは飛び続けた。巨人の指先が、クニカに迫る。クニカは自然と左手を伸ばし、巨人の伸ばした指先に触れようとする。


 クニカの手が、巨人の指先に触れる。次の瞬間、巨人の全身が世界全体に広がったかと思うと、クニカの身体を呑み込んだ。


 津波のような“黒さ”に全身を包まれ、クニカは声を上げた。しかしクニカは、その“黒さ”が怖れるべきものではないことを感じ取っていた。むしろ、母の胎に包まれ、その羊水の中を泳ぐかのような心地よさに、身も心も浸かっていた。


 このときにはもう、クニカは飛ぶのをやめていた。月面を跳躍するかのようなゆっくりしたリズムで、クニカは暗さの中を歩き続ける。クニカの前方から、一条の光が差し込んできた。光の向こう側には、何かがある。


 光に手を振れた瞬間、クニカの視界が開けた。眩しさにクニカは目をつぶり、前によろけて跪いた。暖かい水に、膝まで包みこまれる。


 光源を間近に感じ、クニカは目を開ける。クニカの見上げる先、太陽があるであろう高みに、光を背負った影が見えた。光の中心にはひとりの人影があり、その周囲を、大きな翼を持ち、長い首を備えた生物が、円を描くように飛んでいた。


 “霊長”と“竜”――。大瑠璃宮殿ラズール・ドヴァリエーツで、チャイハネが話していた太古の物語を思い出し、クニカの心は震えた。かれらは何者で、自分に何を伝えたいのか。クニカはそれを知りたいと思ったが、心は畏敬の感情に打ちのめされ、ただ霊長と竜を見上げることしかできなかった。


 太古の物語を、みずからは目の当たりにしている。そしてクニカは、“竜”の魔法を背負っている。――そこまで考えたとき、みずからの心に差す感情が、畏敬の感情だけではない、ということに、クニカは気付いた。それは親しみの感情であり、懐かしさの感情であり、新しさと同時に、その新しさをみずからが作り出していくのだという、まさにその感情だった。

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