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ラヴ・アンダーウェイ(LOVE UИDERW∀Y)  作者: 囘囘靑
第4章:チカラアリ少女行(В Чикараари)

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074_福音(евангелие)

「ハァ……ハァ……」


 首筋を押さえながら、クニカはニフリートの“残骸”を凝視する。ニフリートは、両手両足を投げ出しており、全身は、つぶれたトマトのように、真っ赤に飛散していた。


 ニフリートが立ち上がることは、二度とないだろう。


「フラン!」


 ジイクの声が聞こえてくる。ニフリートの死により、ジイクとアアリは呪縛から解き放たれたようだった。


 ニフリートの長剣に貫かれ、地面に横たわっているフランチェスカの下まで、ジイクは滑り込む。紺色のローブを素早く脱ぐと、ジイクはそれを、フランチェスカの傷口に当てがう。ローブは瞬く間にフランチェスカの血を吸い、黒ずんでいく。


「ハァ、ハァ……」

「リン?!」


 クニカの背後から、浅い吐息が聞こえてきた。横倒しになった柱に手をつきながら、リンは立ち上がろうとしていた。リンを証人とするべく、ニフリートは“天雷”を加減した。おかげで、リンは助かった。


「しっかり」

「お前、何やったんだ?」


 リンは、ニフリートの残骸を凝視している。


「粉々じゃないか」

「首を噛まれて、その」


 自分のやったことを、クニカは説明しようとする。しかし、クニカにとってもとっさのひらめきだったために、説明は自然としどろもどろになる。


「血を吸うんだろうな、って思ったから、吸血鬼だろうし。それで、そのタイミングで祈れば、何か起きるんじゃないかって――」

「血を沸騰させた。そうよね?」


 クニカの説明に、アアリが割って入る。アアリは脇腹を押さえ、肩で息をしていたが、命に別状はないようだった。


「血を沸騰?」

“鬼(ヂェーモン)”の魔法属性よ、ニフリートは」


 リンの言葉に、アアリが答える。


「影を操るのがもっぱらの能力だけれど、吸血した人間を眷属にして操るのも、能力のひとつ。才能があったから、ニフリートは影の逆を操ることもできた」

「影の逆?」

「闇よ。闇そのものを、ニフリートは操れる」


 (チェムノータ)の単語に、クニカは自然と、背筋が寒くなる。ニフリートの闇は、クニカが想像していたのとは別種の闇だった。暗くて、冷たくて――そんな単純なものではない。あの“青い光”でさえも、正真正銘の闇であるように、クニカには思えてならなかった。


「逆転の発想ね、ホント」


 横倒しになった柱の一本に腰を下ろすと、アアリは深々と息を吐いた。


「アアリ……その……腹の傷……」


 アアリの脇腹の傷を見ながら、リンが苦虫を嚙み潰したような表情で言った。


「悪かった……軽率だった……」

「結構効いたわよ、あなたの一撃」


 アアリが咳払いする。


「才能あるんじゃない? 騎士団に入ったら……。いや、いいわ。それより、フランを――」

「う……っ……」


 そのとき、クニカのすぐ隣からうめき声が上がった。ミカイアの声だった。仰向けになったまま、ミカイアは咳き込んで、血の混じった泡が、口元からこぼれた。


「ミカ!」


 駆け寄ると、アアリはみずからの膝に、ミカイアの頭を乗せる。クニカとリンも、ミカイアの側で膝をついた。


「しっかりして!」

「アアリ……クニカは……?」

「ここだよ!」


 クニカの声の方向に、ミカイアが頭を動かした。青かったはずのミカイアの瞳が、少しずつ曇っていくのが、クニカにも分かった。ミカイアはもう、クニカの姿は、はっきりとは見えていないのだろう。


「フランは?」

「フランは……」


 アアリが言いよどんだことから、ミカイアは何かを察したらしい。


「早くしろ」


 その言葉が自分に向けられたものであると、クニカは察知した。


「でも……」


 クニカは逡巡する。クニカの身体には、アアリから託された魔力が残っている。これを解き放てば、“救済の光”を使って、フランチェスカを救うことができるだろう。


 だが、ミカイアはどうなる? フランチェスカとミカイアを同時に救えるだけの魔力が、自分の中にないことを、クニカは感じていた。ジイクもアアリも、すでに魔力は尽きている。助けられるのは、ひとりだけだった。


「急ぐんだ」


 ミカイアの言葉ははっきりとしていた。ミカイアからの強いまなざしを、クニカは感じ取る。


「フランを選ぶんだ、クニカ」


 その言葉に背中を押されたようになって、クニカは立ち上がる。リンも、アアリも、フランチェスカを見守り、クニカを迎え入れたジイクも、何も言わなかった。


 心の中で、クニカはみずからに問う。自分は今、フランチェスカを選んでいる。ミカイアは選ばなかった。それはなぜ? ――ミカイアが、フランチェスカを選ぶよう、自分に言ったからだ。


 しかし、フランチェスカを選ばずに、ミカイアを選ぶことだって、クニカにはできる。そのような選択を採ったとき、クニカはきっと、自由であっただろう。と同時に、それは間違った選択なのだ。なぜならばフランチェスカは、チカラアリ巫皇の後継者であり、クニカの使命は、フランチェスカをシャンタイアクティまで連れ出し、即位灌頂(バプテスマ)の儀礼を遂行することで、南大陸の結界を張り直し、“黒い雨”の脅威を取り除くことにあるのだから。


 だから、クニカがやっていることは正しい。ミカイアが死ぬのは正しい。だれかが、自分ではないだれかがそう言ってくれるのを、心のどこかで、クニカは待っていた。


 そして、気付くのだった。――そんなことを教えてくれる人は、世界のどこにもいないということ、ミカイアが死ぬことの正しさなど、どこにもないということに、クニカは気付くのだった。


 フランチェスカに向かって、クニカは手のひらを差し出す。陽射しのように穏やかな光があふれ、フランチェスカの身体を包む。おびただしいフランチェスカの血が、まるで潮が引くようにして、フランチェスカの身体に戻っていく。時間の流れが、フランチェスカのところだけ逆行しているかのようだった。


「オレはいま、幸せなんだ」


 ミカイアの言葉に、クニカは耳を傾ける。声はか細かったが、クニカは、言葉が自分の心に、じかに響いてくるように感じていた。


「希望がある。伝えないと……」


 救済の光が、周囲に発散する。まぶしさに目を閉じたクニカが、再び目を開けたときには、フランチェスカは元どおりになっていた。刺さっていたはずの長剣は、ジイクの手に納まっている。フランチェスカの身体には、傷ひとつなかった。


 フランチェスカが、目を開ける。


「フラン、分かるかい?」

「あ……?」


 ジイクの呼びかけに、フランチェスカが声を出す。フランチェスカはまだ、状況が呑み込めていないようだった。


「クニカ……?」


 ゆっくりと身を起こしたフランチェスカが、クニカを見て、眉をひそめる。


「どうして泣いているの?」

「え……?」


 言われて初めて、クニカも自分が泣いていることに気付いた。


 フランチェスカの関心が、クニカの後方に向けられる。立ち上がると、フランチェスカは歩いて、アアリと、ミカイアのところにたどり着く。


 アアリの膝を枕にして、ミカイアは身を横たえ、目を閉じていた。もう二度と、ミカイアが目を開けることはないだろう。このミカイアが、ほんの少し前までは生きていて、喜んだり、怒ったり、だれかを愛したりしていたのだ――そう考えるうちに、クニカはどうしようもなく悲しくなって、涙をこらえることができなくなっていた。


「もういいんだ、クニカ」


 居ても立ってもいられず、ミカイアに手を差し伸べようとしたクニカのことを、ジイクが制止する。


「キミの身体が()たなくなる」

「だって……!」

「ありがとう、クニカ」


 ミカイアの頭をいたわるように撫でながら、アアリが言った。


「幸せだ、って言ってたわ。ミカは希望を持っていた。あなたにしかできないことよ。私たちも、ちゃんとミカを送り出すことができた――」


 クニカは何も言えなくなって、あふれてくる涙を、ただ手で押さえていた。ミカイアは死んでしまった。もしクニカがもっと強ければ、フランチェスカもミカイアも、クニカは救うことができただろう。しかしクニカに、そのような力はない。ジイクとアアリから魔力を借りなければ、ニフリートに操られたミカイアを止めることはおろか、瀕死の仲間を救うことさえできなかった。にもかかわらず、ジイクもアアリも、クニカのことをとがめなかった。その優しさが、クニカには辛かった。


「何だって言うんだ」


 フランチェスカの震える声が、クニカの隣から響いてくる。ミカイアの亡骸を前にして、フランチェスカは何度も、眉間にしわを寄せるような動作を繰り返していた。


「フラン……胸を張るんだ」


 フランチェスカの肩に、ジイクが手を添えた。


「帝国軍は去った。チカラアリは解放されたんだ。ミカもそれを望んでいた。故郷だったからさ。キミは勝って、希望を与えた」

「――勝ったから何だって言うんだ!」


 ジイクの手を払いのけると、フランチェスカは叫んだ。フランチェスカの目から、大粒の涙がこぼれ落ちる。


「フラン」


 そんなフランチェスカを見て、クニカはその名を呼んだ。フランチェスカは、涙を振り払うようにして首を振ると、不機嫌そうな顔のまま、踵を返した。


「どこに行くの?!」


 アアリが尋ねたが、フランチェスカは答えず、つむじ風のようにしてその場を去っていった。


 空のうねる音が、クニカの耳に届く。


「雨雲だ……」


 先ほどからずっと押し黙っていたリンが、声を上げた。ニフリートが死んで、日食のうすあかりから解放された、そのつかの間のことだった。

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