第108話 「君臨した、その名は」
神降玉の修繕はズォリアに任せて、ペトリーナは部屋で休む事になった。俺も付き添いでペトリーナの部屋にいる。
「お茶、飲むか?」
ペトリーナのお茶セットを借りて二人分を淹れる。ペトリーナは椅子に座りながら「ありがとうございますわ」とティーカップを手に取った。
神降宮にいた時より大分気分が良さそうだ。俺も、この部屋に来てから気怠さが消えた。あの重苦しい感覚は何だったんだろう。
「青い光……」
落ち着いたペトリーナが、ふと呟いた。
「私が神降玉を壊してしまった時、そこから青い光が空へ向かって行ったのです。天井をすり抜けて、まっすぐに……。お父様が見たという光は、きっとそれですわ」
「壊れた神降玉から、あの光が」
空高く伸びて雲を裂いた、青の閃光。あの妙な現象は神降玉と関係しているのか。
この現象の正体は、まだ分からない。得体の知れない不安だけがしつこく残っていた。
「それより、体調はどう?」
「えぇ。もう大丈夫ですわ。でも少しだけ、頭が上手く回らないような……眠たいような変な気分です」
「ショックが大きかったのかな。もう少し休もう」
「そうですわね」
ペトリーナは微笑んで背もたれに体を預けた。大切な神降玉が傷付いたのはショックだろうけど、ペトリーナが気に病みすぎるべきじゃない。ズォリアが大丈夫だって言ってたんだから、もっと安心していいはずだ。
そして夕方。コルティ家に来客が。またジェイルが来たのかと思いきや、今度は二人組の男女だった。
「お疲れ様であります! 本職は王国研究室所属、調査班班長のキトーであります!」
玄関先で敬礼したのは、メガネをかけた堅物そうな男だった。
「あ、あたすは調査班見習いのナナカです! よろしくだべ……です!」
キトーの隣で覚束なく敬礼するのは、小柄な女性だった。訛りの感じる口調だった。
二人とも制服を着ている。見慣れないデザインだけど、その洗練された雰囲気から国家魔術師の一員だと分かった。本人達も「王国研究室所属」と名乗っていたし。
「えっと……お疲れ様です。調査班? の人がどうしてここに」
「神降宮から発せられたとされる正体不明の青い閃光について、調査するよう上層部から指示があったのであります。令状はこちらに。失礼ながら、少々中にお邪魔させて頂いても宜しいでしょうか」
キトー調査員は一枚の紙を差し出した。どうやら家宅捜索の令状らしい。丁寧な口調でお願いされたけど、断る権利は無さそうな雰囲気だ。
でも勝手に上がらせて良いんだろうか。俺が迷っていると、ペトリーナがやって来て「まぁ、お久しぶりですわ。どうぞ上がって下さい」と二人を招いた。
どうやら調査員の二人とペトリーナは知り合いらしい。キトーとナナカは一礼してコルティ家に足を踏み入れた。
調査員が調べたい場所は神降宮だった。修復作業中のズォリアに話を通して、調査員の二人も神降宮に入れるようにして貰った。
「見ろペトリーナ! もう大分元に戻ったぞ!」
ズォリアは明るい口調で神降玉を掲げた。真っ二つになっていたそれは、くっ付いて元の形になっている。一体どのような手段を用いたのかは知らないけど、凄まじい修復技術だ。
「まぁ! 本当に良かった。ありがとうございますわ、お父様」
「当然の事をしたまでだ。ガハハハハッ!」
ペトリーナとズォリアは機嫌良く笑い合った。その間に、調査員は真面目な顔で神降宮を調べている。
「むむ。神降宮に異変は感じられないな。そっちはどうだ? ナナカ調査員」
「は、はい! こっちも異常無しです! キトー先輩、もしかして壊れたって言う神降玉の方に何か……」
壁を触ったり天井を観察している二人。順調に調査が進んでいるかと思えば、唐突にナナカ調査員が呻き声を上げた。
「あっ、がっ……うああ……!」
目を見開き、口を大きく開けて喘ぐナナカ調査員。彼女は首を押さえて、苦しげに暴れた。
「どうしたナナカ調査員!」
キトー調査員は慌ててナナカに声をかけた。返事は無い。ナナカ調査員は天井を見て、ブツブツと呟いている。
「入って来る……。やだ……気持ち悪い……。あたす、は……」
涎を垂らし、体を震わせる。ナナカの言動は先程のペトリーナみたいだった。
神降宮に入った途端、様子が明らかにおかしくなった。何が起きてるんだ。
「あああああああああああああああ!」
悲鳴を上げてナナカは倒れた。突如、静寂が訪れる。
「ナナカ調査員……? 返事をしてくれ。何があった」
キトーは倒れるナナカを起こそうとした。その時、ナナカは飛び上がった。キトーを跳ね除け、神降玉の置いてあった祭壇に立つ。
「ナナカ調査員!? どうしたのだ」
尻餅をついて、キトーはナナカを見上げた。ナナカはキトーを睨んで低い声で呟く。
「アガ オンキ アガ フルフ ラ」
意味不明な言語だった。人の言葉かどうかすら怪しい。ナナカの喉から出ているはずの声は、地獄の底から溢れ出たようなおどろおどろしさがあった。
「……あー、あー。そうか、なるほど。これか。これが今の言語なのね。文法が違いすぎて喋り辛いわ」
ナナカはすらすらと流れるように喋った。さっきまでの訛り混じりの口調とはかけ離れている。
「ナナカ調査員! 何を言っているのだ。体調が優れない訳でないのなら状況を説明してくれ!」
「ナナカ? もしや、この肉体の名前? ふふふ……この時代の人間は鈍いのね。まだ攻撃して来ないなんて、危機感が薄い事」
ナナカはキトーを見下ろして不敵に笑った。いや、この人は本当にナナカ調査員か? 声色や口調だけじゃなく、態度や所作まで別人のようだ。
「教えてあげる。妾の名はメリシアル。三千年の眠りから目覚めた六大悪魔が一人。敬服しなさい、人間」
ナナカはそう告げた。自分の名を、メリシアルだと。
「馬鹿な冗談はやめなさい。メリシアル神の名を騙るなんて、不敬にも限度がある! 今すぐ訂正すれば謝罪だけで済む。さぁ、早くコルティ家の人に頭を下げなさい!」
キトーは目を三角にして説教した。しかし自称メリシアルは動じない。
「神? 何よそれは。それに、其方の態度は気に食わないわ。人間が、妾を敬わず、恐れもしないとは……。長き時を経て人類は礼節を忘れたのかしら?」
自称メリシアルは不機嫌そうに目を細めた。
寒気に襲われた。あの目に睨まれただけで体が竦む。何だ、一体。
状況が掴めない。だけど、一つだけ確信している事がある。あれはもうナナカじゃない。人の形をした怪物だ。
「誠に申し訳ありません、コルティ家の方々。本職の部下が無礼を働いてしまい……。今すぐ謝らせますので」
キトー調査員は何も気付いていないようで、しかめっ面でナナカの頭を無理矢理下げさせようとした。
その時、ナナカは手で軽くキトーを払い退けた。それだけで、キトーの体は吹き飛ばされた。遅れて、突風が神降宮を駆け巡る。
「わっ!」
キトーは壁に叩きつけられた。俺もペトリーナもズォリアも、風に押されて倒れてしまう。
今のは風属性魔術か? それも、上級魔術の規模だ。目の前に台風が現れたのかと錯覚する程の威力だった。
「気に入らない。折角外に出られたと思えば、そこの娘の肉体は居心地が悪いし。乗り換えたと思えば、なんて貧弱な肉体と魔力。この程度の魔術しか使えないの? はぁ、早くあの頃の暮らしがしたいわ」
自称メリシアルはため息を吐いた。そして俺達を見ようともせず神降宮を出て行く。
「ま、待てっ……」
俺は嫌な予感がして彼女を追った。倒れた衝撃が体が痛いが、そんな弱音を吐いてる場合じゃない。ここで彼女を逃せばとんでもない事態になる気がした。
俺はナナカの肩に触れた。逃さないよう、強く握る。
「……何」
彼女は振り向いて俺を睨んだ。冷たい視線に射抜かれて、俺の体は凍りついたように動けない。
「……っ!」
慄いた、その一瞬の隙に。俺は彼女の攻撃を許してしまった。凄まじい速度で叩きつけられた彼女の拳が、俺の腹を打つ。
「『サンダー・グローブ』」
彼女は雷魔術の名を告げた。その瞬間、俺の全身を電撃が切り裂いた。
「がっ……!」
意識を失いそうな激痛だった。服の上からなのに、彼女の手に宿った電流が俺を貫いた。
焦げた匂いが鼻を撫でる。俺は死すら覚悟した。この一瞬で決着は付いてしまった。
「アレイヤさん!」
ペトリーナは俺の元へ駆け寄る。前のめりに倒れた俺は、何も出来なかった。自称メリシアルは、俺から視線を逸らして去っていく。
彼女は空を飛んだ。羽を持たない体で、暗い空へ逃げていく。あっという間に視界から消えてしまった。
夕日は雲に隠れ、ぽつりぽつりと雨が降り始めた。
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