第104話 「感情と信念」
単なる勘で、妄言と呼べばそれだけの話だった。でも、戯言と切り捨てられない程に頷ける話でもあった。
憎悪の呪縛から逃れた今でも、グリミラズの底知れない恐ろしさは覚えている。あれは勘違いでも何でもない。あの血塗れの教室に入った時、俺は怒るより先に怯えたんだ。
「グリミラズの情報を知って……どうするつもりだ」
「オレの邪魔になる前にぶっ殺す。……ってのは贅沢かもな。無理なら無理で、弱点の一つくらい調べときたいもんだ。交渉の材料になるような弱点なら尚良し。どんな化け物でも飼い慣らせるなら怖くねぇ」
フォクセルは未来の危険性を考慮しているようだった。乱暴な言動の裏には、冷静なリスク管理……あるいは、怯えが隠れている。
自称『凡人』のフォクセルが世界の強豪達と渡り合えている理由は、この臆病な性格も関わっているかもしれない。フォクセルの話を聞いてると、俺も何とかしなくちゃと思えてくる。
「交渉って、グリミラズと話し合うのか? 危害を加えないで下さいって」
「まぁそんなもんだ。オレは化け物みたいに強ぇ人間を何人も知ってる。五つ星賞金首のフルムーンとかリンネブラストとかな。あいつらだって、その気になれば国の一つや二つは軽く潰せる力がある。でもそうしねぇのは、出来ねぇ理由があるからだ。『ブレーキ』があれば化け物も止まる。オレはそれが知りてぇ。というか、情報が無きゃオレみたいな凡人は奴らと渡り合えねぇ」
交渉のための情報。それがフォクセルの自己防衛手段という訳だ。情報の力は馬鹿に出来ない。どの国の魔術師も、魔術の知識をフォクセルに知られているがために対策され、歯が立たない。魔術師に対する『ブレーキ』を、フォクセルは持っている。
「でも知らないぞ俺。グリミラズを倒す方法なんて」
そんな便利な情報知ってたら俺は負けなかっただろう。グリミラズは教え子の俺にすら手の内を隠していた。今もまだ奥の手を隠しているはずだ。フォクセルに教えてやれる事があるとは思えない。
「何でもいい。お前の人術の情報でも構わねぇぜ。グリミラズも人術使いなんだろ? 対策を練るには、お前から聞くのが一番だ」
「…………」
そんなの言われても、易々と教えてあげたくない。俺はフォクセルを完全に信用しきった訳じゃない。
フォクセルの主張に嘘は無いように見える。俺を出し抜こうとしているようには思えない。世間の評判の割には人間らしい性格しているのも知っている。
でも、こいつはペトリーナを誘拐した。目的はどうであれ、犯罪組織のリーダーなのは間違いないんだ。警戒するなという方が無理だ。
「まぁ怪しむよな。もちろんタダで教えろとは言わねぇ。こっちも情報を出すし、協力だってしてやる。コルクマンから聞いたぜ。お前、グリミラズに復讐したいんだろ? だったらオレが、あの野郎を殺す手伝いしてやるよ」
早速フォクセルは交渉を試みてきた。俺とグリミラズの関係も、フォクセルは知っている。その上で力を貸してくれるという。願ったり叶ったりの条件だ。ただし、今までの俺だったならの話だ。
「……手助けなんて必要無い。だって、俺はもう復讐者じゃないんだ」
力の抜けた声で、俺は言った。俺の心で燃え続けてきた憎悪の炎は、とっくに鎮火されてしまっている。
「あぁん? 何だよ。話が違うぜ」
フォクセルは怪訝そうにコルクマンを見た。コルクマンは首を傾げている。
「どうしたのだアレイヤ君。君はグリミラズを殺し、友や恋人の仇を討ちたかった……そうではないのか?」
そうだった。『だった』。過去形なんだよ、コルクマン。
「まさか……洗脳が解けて怒りが収まったからか。いやしかし……だとしても。冷静になったとして、それで許せるものなのか。いや、人の感情はそれぞれだ。オイラが決めつける事ではないのだ。だが……不思議に思わざるを得ないぞ、それは」
コルクマンは戸惑った様子で俺を見た。本当にその通りだと思う。俺自身も、俺の心を不思議に思っている。
俺の本心は、怒っていなかった。親友や恋人を奪われて、それでも皆のために怒ってやれなかった。
グリミラズの言い分を信じれば、皆はまだ『グリミラズの中で生きている』し、それが理由の一つかもしれない。でも、ここまで自分が他人に対して負の感情を抱けずにいるのが違和感すらあった。
怒りよりもむしろ、自責の念が大きい。無力だった自分、ミリーナを殺してしまった自分が、唯一憎い。それは復讐という行動に繋がる憎悪ではなく、じわじわと禍根の念を強めて自分を蝕むだけの毒のような感情だ。
消えてしまいたい。自分に対する失望が、俺の情熱を殺す。もう何もしたくなかった。復讐なんてどうでもいい。
心が空っぽになるようだった。俺の『本心』なんてどこにあるんだろう。そんなもの実在するんだろうか。それすら疑いたくなる。
「かかかっ。モチベーションが無くなったか。まぁそういう時もあるよな。勝手にすりゃいいぜ。いやーしっかし……テメェは本当に馬鹿なガキだな」
フォクセルは目を細めて俺を見下ろした。ニタニタと下品な笑みを浮かべて嘲ける。
「……え?」
「だってそうだろ。グリミラズに操られてギャーギャー騒いだ挙句、好きな女を手にかけてよ。全部あの野郎の思い通りじゃねぇか。そんなテメェが馬鹿じゃねぇなら誰が馬鹿なんだよ。なぁ? 頭の軽いガキんちょがよぉ」
フォクセルは俺の頭に拳を乗せてグリグリと回した。俺はフォクセルの腕を跳ね除ける。
「何だよ! そんな言わなくてもいいだろ!」
安い挑発のような台詞だけど、無視する余裕は無かった。正鵠を射た発言が、本質的だからこそ腹立たしい。
フォクセルは尚も罵倒を繰り返すかと思いきや、「そう、それ」と言って嘲笑をやめた。
「お前怒ったろ? 今。怒りたくもないくらい意気消沈してたのによ。オレが馬鹿にした途端これだ」
「あ……」
唐突に冷静な解析をされて、俺も冷静に戻されてしまう。確かに、俺は何故怒れたんだろう。怒りを失ったんじゃなかったのか?
「そういうもんなんだ。感情ってのは。一時的なものであるべきなんだ。すぐに生まれて、すぐに消える。心がコロコロ変わるのが人間だ。でもよ、今までのお前は違った。怒りを継続させられていた。だろ?」
真面目な顔で言うフォクセルから、目を離せない。あの嘲笑が演技だったと、今頃気付いた。俺を怒らせるために、わざと大袈裟に馬鹿にしたんだ。
俺の虚無感さえも、『一時的な感情』に過ぎなかった。言葉一つで、失われたはずの怒りは復活する。
「支配者共の常套手段だ。民衆の怒りを煽って、都合のいいように動かすのは。被害者面をして、誰かを悪者にして、無理矢理一致団結させる。そうやって操られてる側は、その怒りが自分の本心だと思い込む。怒りっぽい愚民程操り人形にしやすい奴はいねぇぜ。どいつもこいつも、冷静に判断する頭が無ぇからな」
支配者や権力者と戦ってきたフォクセルは、そう語った。敵の手法は知り尽くしている。フォクセルの言う『操り人形』に、俺もなっていたのだ。
『一時的でない感情』という、異常。俺はそれに気付けなかった。
「……そうだ。俺は大馬鹿だ。憎悪しなきゃと思い込んで……取り返しの付かない事をしてしまった」
「自覚したんならまだ間に合うだろ。お前はもうグリミラズの操り人形じゃねぇ。お前は自由だ。それで、どうする。自由になったお前は何を選ぶんだよ」
フォクセルは問いかける。俺は……何と答える。
自由な心を持った俺は、どうしたい。
「憎悪は……復讐は……間違いだったんだよな」
「そうとは限らねぇぜ? その場の感情に振り回されるのは論外だが、冷静に考えてもやっぱ許せねぇってんなら、それがお前の『正解』だ。寝ても覚めても消えねぇ怒り……それをオレは『信念』と呼んでいる」
「信念……」
「あぁ。オレは何年経っても権力者共を許せねぇ。弱者から搾取する連中を消し去って、誰も理不尽に苦しめられねぇ世界を作りてぇ。それがオレの『信念』だ。オレの根底にある怒りの行く先だ。お前はどうだ、アレイヤ」
革命家『サブヴァータ』の行動は、彼らの信念そのものだ。戦うための理由が、そこにはある。
「……ごめん。まだ、分からないんだ。俺がどうしたいのか」
正直迷っていた。俺が身を委ねていた渇望は、グリミラズに用意された偽物だった。今の俺が何を目標にするのか、曖昧になってしまった。
「そうかよ。まぁゆっくり考えな。でも少しだけお節介をかけさせろ」
フォクセルは一呼吸置いて、言った。
「自分を責めるな。ウジウジしたって、自分を馬鹿にしたって、何も変わりゃしねぇ。時間の無駄だ」
思いがけない優しい言葉が飛んできたので、俺は戸惑ってしまった。まさかフォクセルが、俺を気遣っている? なんで。
「責めるなって……そんなの無理だろ。どうしろって言うんだ。泣きたいくらい辛いのに!」
「だったら泣けよ。思いっきり泣いて、心の内を吐き出せ。そしたらスッキリする。オレはいつもそうしてる」
フォクセルは眩しい笑顔で俺の背中を叩いた。兄のような親のような、優しい手だった。
「感情に振り回されるのは馬鹿だが、感情を誤魔化すのも馬鹿だ。自分の心と上手く付き合っていけ。全身全霊で感情表現して、それで済むなら安いだろ? 泣いたら結構スッキリするぜ」
「もう泣くような歳でもないよ」
「バーカ。涙に年齢なんざ関係あるか。子供だろうが大人だろうが泣けばいいだろ。変に気取った大人が泣くのをやめるから精神衛生が悪化するんだ」
泣いてもいい。フォクセルはそう言ってくれた。すっと、心の枷が外れていく気がする。
俺はいつから泣き方を忘れてしまったんだろう。いつから我慢に慣れてしまったんだろう。
「…………」
「お、考えだしたな。いい傾向だ。じゃ、オレは一旦お暇させて貰うぜ。結論が出たらまた会おうか。オレはしばらくこの国をブラブラしてるからよ」
フォクセルは、さっと身を翻して俺の元を去った。躊躇の無い行動だった。
「いい返事、期待してるぜ」
フォクセルは背中で語った。コルクマンは俺とフォクセルを交互に見た後、フォクセルの方について行った。
俺は……ここからどこへ行く。
道を見失ってしまった。新たな目標は、俺自身が掴まないといけない。
暗い丘の上で、ポツンと佇む墓が一つ。今の俺と同じだ。暗闇の中で、俺は一人だ。
「俺はなんで、この世界に来たんだ?」
分からなくなった。孤独と不安ばかりが募っていく。
慟哭が、崩れた廃墟に響き渡った。




