第100話 「ペトリーナVSグリミラズ」
『サンダー・ジャッジメント』。雷属性の上級魔術。父から教わった力を、ペトリーナは解き放つ。
太い閃光がペトリーナの手から走り出した。一直線に突き進むそれは、さながら電撃の槍。目にも留まらぬ速度でグリミラズに襲いかかる。
「!」
グリミラズは反射的に身を逸らした。しかし避けきれない。魔術消滅魔術を発動させていたが、ペトリーナの雷魔術は打ち消せなかった。
「初めて見ましたね、それ」
この世界に来てからグリミラズは、魔術の研究に打ち込んでいた。好奇心のままに新たな力を習得し、様々な魔術の知見を得た。だが、全ての魔術を知り尽くした訳ではない。
グリミラズの魔術消滅のメカニズムは、アレイヤが推理した通りだ。魔術の『効果ベクトル』を乗算し、0にする仕組み。どんな魔術であれ効果を0にされれば消えてしまうのは道理だ。
しかしそれは、対象の魔術のベクトルを完全に理解していなければ上手く発動しない。既知の魔術相手なら無効化出来るが、初見の魔術には通用しないのだ。
本来ならば、魔術師相手には圧倒的な有利を取れるグリミラズだった。しかし情報所有量の差が、グリミラズの優位性を揺るがす。
ペトリーナは続け様に『サンダー・ジャッジメント』を発射する。あまりにも素早い電撃は、人術で強化されたグリミラズと言えど易々と回避出来るものではなかった。
「ふふふ。危ない危ない。見た目よりずっとやんちゃなお嬢さんですね」
それでもグリミラズは余裕だった。既に何箇所か被弾し火傷を負っているが、それが死に繋がらないのだから恐るるに値しない。
「でも良いのですか? 上級魔術をそんなに乱発して。魔力が長持ちしませんよ?」
グリミラズは教師の口調で忠告した。実際、追い詰められているのはペトリーナの方だ。
上級魔術は強力だが、魔力消費が大きい。短時間で何度も撃てば、精神的体力が尽きてしまう。そうなってしまえば魔術師は戦えない。
「そんなの承知の上ですのよ」
ペトリーナは『サンダー・ジャッジメント』の発動を止めた。命中精度は段々落ちている。これ以上撃っても当たらないと判断した。
改めてペトリーナはグリミラズの力に背筋を凍らせた。『サンダー・ジャッジメント』を躱せる人間など初めて見た。いや、それ以上に……命中してもなお無事でいる人間が初めてだ。
ズォリア程の威力は無いにせよ、ペトリーナの雷魔術も相当だ。防護魔術で身を守った魔術師でさえ、直撃すれば戦闘不能になる。一撃必殺の切り札を、グリミラズは何度も受けて平気で立っていた。
これが最上位級の人術使い。あのアレイヤさえ敵わない存在が、今ここにいる。
「これならどうでしょう」
ペトリーナは再度『アイス・レストレイント』を使った。道を沿うように氷を生成して、対象を氷に閉じ込める魔術。床に触れたペトリーナの手から、一瞬にして凍り出す。
グリミラズは足を凍らされて動きを封じられた。しかし、この程度の拘束が大した時間稼ぎにもならないのは先程証明されたばかりだ。
「こんなもの」
グリミラズは嘲笑し、足元の氷を砕こうとする。その時、少しだけ意外な光景に目を奪われた。
ペトリーナがグリミラズへ向かって走り出したのだ。魔術の遠距離攻撃でリーチ差を維持していたのに、何故。
考えられるとしたら、肉弾戦を挑もうとしている可能性だ。無謀にも程があった。人術を極めたグリミラズに接近戦で勝てるはずがない。自暴自棄にでもなったのかと、グリミラズは少々困惑した。
「勇気と無謀を履き違えるのは、若さなんでしょうかね」
どうであれ、グリミラズにとって有利な間合いなのは間違いない。近付いてくるペトリーナを他愛なく握り潰してやろうと、グリミラズは手を伸ばした。
その瞬間、グリミラズは視界を奪われた。白く細い線が無数の模様を描き、グリミラズの目の前を覆う。
「!?」
何が起きたのか理解するのに1秒かかった。グリミラズの目の前に氷が生成されたのだ。『アイス・レストレイント』の真の狙いは、足元を凍らせるのではなくグリミラズの目の先を凍らせる事にあった。
ただの氷ではない。無数の結晶の集合体が光を反射し、景色を惑わせる。ほんの僅かな時間ではあれど、グリミラズはペトリーナを見失った。
その隙にペトリーナはグリミラズに触れる。
「『ストーリー・テラー』」
ペトリーナは魔術名を呟く。そしてグリミラズはぬるま湯に浸かっているような居心地に囚われた。
「これは……」
眼前の氷を払い除け、グリミラズは周囲を見渡す。そこには花畑が広がっていた。小動物がお茶会を開き、野菜達が踊り、太陽と月が共に笑い合っている。幻想的で狂気的な光景。幻術だとすぐに分かった。
「精神魔術ですか。随分と高度な。やられましたね」
冷静にグリミラズは現状を分析した。ペトリーナに触れられて発動した『ストーリー・テラー』は、人を穏やかな楽園の風景に強制的に連れ去る魔術。絵本の読み聞かせをされているうちにお伽話の世界に入り込んでしまったような感覚を再現する。
五感を支配する強力な精神魔術は、ハナミ料理長の『サーフェス・キッチン』と同格かそれ以上。コルティ家の神官だからこそ使える上級魔術だ。
「夢のようでしょう。そのまま白昼夢に落ちて下さいまし」
ペトリーナの声だけ聞こえる。彼女の姿はどこにも見えなかった。
「なるほどなるほど。少しはやるようですね」
グリミラズは興味深そうに言った。ペトリーナの実力は想定より僅かに上だったようだ。幻想の世界に閉じ込められたグリミラズは、最早戦う術を持たない。
「ですが、やはり僕には通じない」
グリミラズは自らの首を握り潰した。首と胴が離れ、血の雨が吹き出し、ファンシーな世界は一瞬にして凄惨な赤色に染まる。
「……ひっ!」
予想だにしないグリミラズの奇行に、ペトリーナは心底慄いた。顔が青ざめて鳥肌が立つ。あまりにもショッキングな光景だった。
自殺した? 唐突に? なんで。
意味不明すぎてペトリーナは頭がおかしくなりそうだった。鎮静化の魔術で自分を落ち着かせるが、やはり理解は出来ない。
そしてペトリーナはさらに理解不能な光景を目の当たりにした。グリミラズの死体が燃え始め、みるみるうちに再生したのだ。何事もなかったかのように、グリミラズは五体満足で立ち上がる。
これぞグリミラズの人術、《死食》。命を食らい、命を得る力。ペトリーナが目撃するのは初めてだった。
「……ふむ。幻術は治ったようですね」
グリミラズは辺りを見て、ここが古城であるのを再確認して呟いた。《死食》で蘇れば、怪我も病気もあらゆる不調が元に戻る。一人分の命をコストとして消費し、健康になる。最上位の幻術さえもグリミラズの前には無力だった。
「あなた……悪魔か何かですの?」
不死の力を持つグリミラズは、人の領域を超えていた。人ならざる存在に喩えなければ理解出来ないレベルだった。
「悪魔? あぁ、確か創世神話の登場キャラクターですね。神の敵だとかなんとか。貴方達宗教家にとっての最大の敵と同列に扱ってくれるとは……ふふっ、光栄に思っていいんですかね?」
茶化すようにグリミラズは笑う。この世界の『悪魔』は人類にとっての最大の災害だ。グリミラズは『悪魔』と呼ぶに相応しいように思える。
だが、彼は否定した。
「でも違います。僕が行き着く先があるならば、それはきっと『魔人』でしょう」
「魔人?」
「そう。魔にして人なる者。魔術と人術の両方を極めた最強の存在。僕は見てみたいんですよ。この世界……いや、『同軸』の異世界をも含めて頂点に座する、その遥かなる高みの光景を」
グリミラズは力を求めた。四色で魔人の実験を行ったのは、その準備だ。かつてこの世界に君臨したという『魔人』をも超える強者に、グリミラズはなりたかった。
「よく存じ上げませんが……そんなに強くなってどうするつもりですの? 人を苦しめて、暴虐の限りを尽くして、その先に何が得られるとお思いですか」
「どうするって、それはもちろん……」
グリミラズは即答しようとした。だが、言葉に詰まる。
「それは……」
答えは頭にあるつもりだった。なのにモヤがかかったように思い出せない。
生き延びたいのは何のため? 強くなりたいのは何のため?
「……?」
なんで、人を殺したんだろう。なんで人を食べているんだろう。
確かな渇望があるのは知っている。でも、その根源が思い出せない。手段ばかりが主張して、本懐が曖昧だ。
何がしたかったんだ、一体。
「……まぁ良いでしょう。そんなもの」
答えの出ない疑問から、グリミラズは逃げた。起源の分からない『本心』に、惰性で従ってしまう。
「そろそろ終わりにしましょう。お腹が減ってしまいました」
グリミラズは《疾》で素早く動き、ペトリーナの背後に忍び寄る。そして彼女のうなじに舌を這わせた。
「……っ!」
言い知れぬ気色悪さに体を震わせ、咄嗟にペトリーナは身を捩った。舐められた箇所に手を触れて、ベタリとした感触を確かめる。
「あなた、何を……」
「さようなら、ペトリーナさん」
グリミラズは頬を歪めた。
「《歯蝕》」
人術の名を告げる。その時、ペトリーナの太腿に巨大な歯が食らいついた。




