第99話 「人工的な復讐者」
無茶だ、と思った。
グリミラズに勝てるはずがない。ペトリーナであっても歯が立たない強敵だ。覚悟とか根性とか、そんなもので埋まるような浅い実力差じゃないんだ。
「駄目だペトリーナ……お前は逃げろ」
俺のためなんかに戦うな。俺はもういいんだ。
心の支えにしていた復讐は、成し遂げる事なく終わってしまう。死なない奴をどうやって殺せって言うんだ。どうしようもない。こんな俺は、生きる意味を見出せない。
ここで終わらせてくれ。俺の絶望に、お前まで付いて来ようとしないでくれ。
「いいえ。今度は私がアレイヤさんを助ける番です。せめて、あなたが無事に帰る時間稼ぎくらいは」
「無理だ。やめろペトリーナ! あいつは……そこらの魔術師とは格が違う!」
「でしょうね。私にも分かりますわ。悪魔をも凌駕するような、恐ろしい魔力が」
ペトリーナは冷や汗を掻いていた。決してグリミラズを舐めている訳じゃない。威風堂々としているが、本当は彼女も逃げ出したいはずだ。
それなのに、何故。
「だったら……」
「でも、それは理由になりませんの。アレイヤさんの悲しい顔が見えてしまったのですから」
ペトリーナは俺を見た。慈愛に満ちたその表情が、ミリーナによく似ていた。
ミリーナはずっと俺の事を思ってくれていた。グリミラズと一緒に異世界に来てしまって、孤独に苛まれていても、俺のために……憎悪に囚われた俺を正気に戻すために……。
なのに俺が、殺してしまった。彼女を信じてやれず、優しさを踏みにじって、裏切った。
「俺が……俺がミリーナを……!」
心臓が激しく脈を打つ。頭に血が上って、何を考えればいいのかも分からない。認めたくない現実と、罪の意識に挟まれて、今にも体が崩れてしまいそうだった。
呼吸。呼吸。息を吸う。壊れた機械のように激しく。俺の全身が高速で生を継続し、死へ急ぐかのように。
俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。
無際限の糾弾の声が、俺の頭を埋め尽くす!
「大丈夫ですよ」
その声が、俺の時を止めた。
さっきまで熱く燃え滾っていた自責の炎が、急に消え失せる。呼吸の頻度が正常に戻っていく。
「私がいますから。アレイヤさんはゆっくり休んでいて下さい」
ペトリーナが俺を抱きしめる。柔らかな手が俺に触れ、途端に眠たくなる。
静かな海の中にいるみたいだった。体を預けても俺は存在を許されて、自由でいられる。とてもとても、心地良い。瞳を閉じて、揺蕩うがままに、俺はペトリーナの胸に全てを委ねた。
この瞬間、慟哭していた心は眠った。
* * *
アレイヤが微睡に落ちた後、ペトリーナは彼の体をそっと横たわらせた。
「何をしたんです?」
グリミラズは眉をひそめて言った。興奮状態にあったアレイヤが急に沈静化したのが不可解だった。
「『ホーム・フォー・ユー』。コルティ家の精神魔術です。人に安らぎを与える魔術。この国では有名なのですが、あなたはご存知ないのですね」
「僕、異世界人ですから」
「そうでしたわね。聞いておりますわ。こことは違う世界で、アレイヤさんの先生をやっておられたとか。人に教える立場のあなたが、何故アレイヤさんを追い詰めるような事をしたのですか?」
「精神魔術を扱う貴方なら理解出来るのでは? 魔術は人の心により強くなる。僕への憎悪に駆られたアレイヤ君は、その強い思いで魔力を急速に高めました。えぇ、実に立派に成長してくれた。今やアレイヤ君の生命エネルギーは計り知れない。貴方が邪魔しなければ、食べ頃のアレイヤ君を頂けたというのに」
アレイヤの急な成長は、ペトリーナも間近で見ていた。この世界に来た当初は一切魔力を持っていなかったアレイヤが、あっという間に魔術体育祭で優勝する程の実力ある魔術師へと成り上がった。類稀なる才能だ。それには確固たる原因があった。
人術使いは魔術への適性を持つ。だが、精神の屈強さが無ければ魔術の才能もたかが知れている。アレイヤは憎悪に取り憑かれ、復讐者となったからこそ急激に魔力を高められた。
全てグリミラズの計画通りだったのだ。アレイヤの日々の努力を思い出し、ペトリーナは歯痒さを覚える。
「アレイヤさんは……あなたの道具ではありません! 人を何だと思っているのですか!」
「人聞きの悪い。僕は他人を大切にしていますよ。誰も彼も等しく……僕の大切な食料ですから」
誠実そうな笑顔でグリミラズは答えた。嘘の混じらない言葉が、むしろ邪悪に映った。
ペトリーナは戦慄した。目の前の男が、人のフリをした化け物にしか見えなかった。
「アレイヤさんは、とっても優しい殿方です。本当は、望んで人を殺すような方じゃありません。あなたさえいなければ、アレイヤさんは誰も恨まずに平和に暮らせていたのに!」
「はははははは! 面白い事をおっしゃいますね。えっと……ペトリーナさん、でしたっけ? アレイヤ君はこの世界に来る前、戦争中の国で生まれたんですよ。平和だなんてとんでもない。むしろ僕が彼を助けていなかったら、血で血を洗う毎日だったでしょう」
「……!」
ペトリーナは返す言葉を失った。彼女が知っているアレイヤは、この世界に来てからのアレイヤだけだ。元の世界のアレイヤを、彼女は知らない。
「まぁでも、アレイヤ君が優しいのは事実ですよ。僕の教室で一番成績が良かったのに、それをひけらかさず、クラスメイトに隔てなく接していました。人術は誰かを守るための力だと、彼はそう言っていました。いい子ですよね」
グリミラズは顎に手を添えて、教師時代の日々を脳裏に浮かべた。
「しかし……それでは困るのですよ。アレイヤ君が僕に殺意を抱かなかったら。この世界に飛ばされる僕を追わなかったら。僕は彼を食べ損ねてしまう。戦いの無い平穏な日々なんて以ての外だ。彼の屈強な精神と肉体が、衰えてしまうでしょう。それでは一級品の『食材』も味が落ちて台無しだ」
「何を……仰っていますの?」
グリミラズの目的など、ペトリーナには理解出来なかった。だがグリミラズはお構いなし。彼の欲望は彼だけが理解していればいい。
そうやって百年近く生きてきた。人間を育成して、より大きな生命エネルギーを得られるようにして、食らい続ける。その繰り返しが、グリミラズに永遠の命と若さを与えたのだから。
「だから僕は、アレイヤ君に人術を仕掛けておきました。ちょっとした隠し味ですよ。貴方の使う、精神魔術のようなものなんですがね」
グリミラズが強制異世界転移をさせられる直前。アレイヤが巻き込まれて異世界転移するその時に、グリミラズは人術を発動した。それは、人の心を操る人術。「心を動かす」という、言葉の機能を過大解釈した『洗脳の人術』。
「『心奪』。僕の言葉を聞いた者に、特定の感情を強制させます。今回はアレイヤ君に無理矢理『憎悪』を抱いてもらいました。僕を恨まないといけない、僕を殺さないといけない……そう思い込むようにね」
アレイヤが復讐者になった本当の理由。それは、アレイヤの自由意志によるものではない。アレイヤは本来は優しい性格だ。過激な感情を避け、人との衝突を避け、自らの力を暴力に変えるのを嫌った。憎しみに囚われて殺人を起こすような人間じゃない。
だからグリミラズはアレイヤを洗脳した。
アレイヤに告げたあの一言が、彼の心から理性を奪う。
『君は、僕が憎くてたまらないはずだ』。
「……そんな」
真相を知って、ペトリーナは動揺を隠せなかった。アレイヤの心がアレイヤのものではなかったと知ってしまったのだから。
アレイヤが殺人で復讐を遂げたいと言った時、ペトリーナは己の価値観と葛藤しながらもアレイヤの意思を尊重しようと決めた。その決意が今、揺らぐ。
アレイヤは本当は復讐なんて望んでいなかった。殺意なんて抱いていなかった。それを、グリミラズがねじ曲げた。全て、グリミラズの都合のために。
「純粋なアレイヤ君は、いい操り人形になってくれましたよ。ねぇ、貴方から見たアレイヤ君はどうでした? 焦っていたでしょう。怒っていたでしょう。そんな人間ほど、操られやすい人間はいない。愛する人を殺してしまうくらいに、彼は狂っていた! はははははは!」
復讐という、呪いの言葉。
アレイヤはずっと呪われていた。自らの奥底から生まれる、偽りの感情に。
だから本物のミリーナを偽物だと思わざるを得ない。性格も思考も乱暴にならざるを得ない。狂ったアレイヤを止めてくれる人はいなかった。
同類の効果を持つ精神魔術が、四色のネックレスには付与されていた。あれに触れた時に気付ければ、未来は変わっていたかもしれない。
だが何もかも後の祭りだ。
「狂っているのは……あなたの方です。グリミラズ・バーハウベルゲ」
ペトリーナは怒った。だが心は静かだ。自らの精神魔術で冷静さを保ちつつ、それでもなおグリミラズを許さないと決めた。
これは単なる感情じゃない。鬱憤を晴らすためだけの行為じゃない。言わばこれは『信念』だ。
「アレイヤさんは毎日、家に帰ると学校の事を話して下さいました。御学友と勉強するのが楽しいと、笑顔で語っていました。大切な人を亡くされた失意から立ち直ろうとしていたんです。それをあなたは、何度踏みにじれば気が済むのですか!」
アレイヤにこれ以上絶望を味わせたくない。ペトリーナの思いが強く強く結びつき、信念となる。
ペトリーナは今のアレイヤしか知らない。アレイヤと共に過ごした時間は、グリミラズより圧倒的に少ない。それでも、アレイヤを守るために戦えるのはペトリーナの方だ。
「分かったような口を利きますね。貴方は一体アレイヤ君とどんな関係なのですか?」
「それは……」
一瞬ペトリーナは考えて、答える。
「アレイヤさんは私の騎士です。同じ屋根の下で共に笑い、共に泣き、共に生きる! 私達はもう、家族なんです!」
宮守の騎士指定制度に基づき、アレイヤは正式にペトリーナの騎士に選ばれた。それはつまり、運命を分かち合うと同じ。たとえ過ごした年月が少なくとも、家族のような絆があるとペトリーナは信じていた。
「家族……家族、ね。思い上がりましたね。アレイヤ君は僕の所有物なのに。奪おうと言うのですか」
「いいえ違います。アレイヤさんは誰のものでもありません。あなたのものでも、私のものでも」
これはアレイヤを取り戻すための戦いではない。アレイヤが独立するための防衛戦だ。
「だから? 僕を倒してアレイヤ君を守るとでも? 無理ですね。貴方の実力は先程の氷魔術で計り知れました。貴方程度では僕の足元にも及ばない」
「承知の上ですわ。だとしても私は逃げませんの。私はペトリーナ・コルティ! メリシアル教神降宮の跡取り! その矜恃、お見せしますわ!」
ペトリーナはメリシアル神に祈った。
神よ、お許し下さい。人を癒すためにあるコルティ家の魔術を、今から戦いに使います。争いを忌み嫌う、貴方様の教義に逆らいます。
私は神のためではなく、好きな人のために戦います。




