堂々巡りの思考
ガンガンと肉ダネをこねながら考える。
私、チョロくないか?
橘と一緒に暮らし始めて、すでに二週間が過ぎようとしていた。キッチンの食器棚には可愛らしいマグカップが鎮座し、引き出しにはピンク色の箸が収まっている。間違っても私の趣味ではない。彼が内緒で買って来たのだ。プレゼントと称して。
綺麗にラッピングされた箱を受け取り、嫌な予感がしたのは言うまでもない。橘には色々と悪戯を仕掛けられている身としては警戒して当たり前だ。
ニッコニコ顔でこちらを見つめる彼の圧力に負け開封したが、パステルピンクにハートのイラストが飛ぶマグカップと、お揃いの箸が出てきた時にドン引きしたのは不可抗力だと思う。
部屋の中に増えていく私物を見つめ、ため息が溢れる。結局、嫌だ嫌だと言いつつ彼に流されてしまう。
本当、何やってるんだろう。
橘に振り回されるのが嫌で、辛くて、苦しくて恋愛契約を解消したのに、結局関係を続けている。もちろん強要されてはいない。
会社では先輩と後輩の立場を崩さないし、必要以上の接触もない。同居している事を知る人間はいないだろう。たまに仕事帰りに外食もするが、はたから見れば、ちょっと仲の良い同僚と仕事帰りにご飯くらいにしか思われない距離感だ。
不満がある訳ではない。
私の予定を優先してくれるし、嫌がる事を無理強いされることもない。
ただ、あの日以来必要以上に触れて来なくなった。
抱き締められたり、悪戯にキスされたりは日常茶飯事となりつつある。ただ、それ以上はしてこない。いい雰囲気になろうともキス以上に進むことはなかった。
ただの同居人である私にとって、身体の関係を求められないのは良い事だ。橘と同棲しているのだって元彼のストーカー対策であって、家に帰れない私を親切心で置いてくれているだけ。それ以上でもそれ以下でもないと理解している。理解はしているのだ。ただ、釈然としない。
ただの同居人なら、なぜキスするのだろうか?
優しく抱き締めたり、甘い言葉をささやいたり、悪戯にキスしたりしないで欲しい。
結局、橘の言動に振り回されているのに、それを嫌だと感じていない自分が一番不可解だった。
私は橘にキス以上のことを求めているのだろうか? いいや決して違う。
私は好きでもない男とsexしたいと思うほど、欲求不満でも淫乱でもない。断じてない……
じゃあ、好きなのか? よくわからない。
堂々巡りの思考を持て余し、目の前の肉ダネに八つ当たりする。ガンガンとボールに打ちつけられる肉ダネもいい迷惑だろう。
橘の気持ちもよく分からないのだ。元彼に襲われた夜、彼が言った『今でも好きなんだ。愛している……』と言う言葉が本心であれば、あんな悪戯に煽ってキス止まりなんて、あり得るのだろうか?
やっぱり好きだと言った言葉は嘘で、私を揶揄って遊んでいるだけなのだろう。
七歳も年上のオバさんに、あんなイケメンが本気になるはずがないのだ。性格は最悪でも顔が良ければ、寄ってくる女は星の数ほどいるだろう。わざわざ、ハズレを引く必要はない。
ただ、気まぐれに遊んでいるだけ……
ズキっと痛む胸を無視し、肉ダネをグチャッと握り潰した。
「ただいまぁ~」
「……おかえり」
扉を開けリビングへと入ってきた橘の顔も見ずに、おざなりな返事を返す。
「何作っているの?」
「ハンバーグ……」
キッチンへと入ってきた橘が背後から手元を覗き込む。さり気なく腰に回された腕に気づいたが解くことはしなかった。
丸く成型した肉ダネをフライパンへと放り込んでいく。
「火を使うから離れて」
「ダメだよ。まだ、お帰りのチューもらってない。ほらっ……」
身体を反転させられ橘と向き合っても、目を合わすことすら出来ない。
これも揶揄って遊んでいるだけ。
不意に込み上げてきた涙に、慌てて俯いた私の頭に大きな手が乗せられポンポンとあやされる。
「何、一人でグルグルしてるの?」
「……別に」
素っ気ない態度しか、取れない私の身体が宙に浮く。
「……っ、ちょっ、待って!!」
「待たない。ご機嫌ナナメな鈴香ちゃんのお話を聞かなきゃね。さぁ~て、明日は休みだし時間はたっぷりある。持久戦と行きますか。話すまで離さないからな」
ソファに座った彼の膝の上に乗っけられ、腰をガッシリとホールドされる。
「離してって!!」
「やっとコッチ見たな。やっぱり泣いてた」
「えっ!?」
少し冷たい指先が頬を撫でていく。
泣くつもりなんて無かったのに……
「橘のせいなのに! 私の気持ち弄んで、揶揄って何が楽しいのよ!! 悪戯に抱き締めたり、キスしたり、何がしたいの……」
目の前の胸をポカポカと力任せに叩く。
「もう私の心を惑わせないで……」
涙はもう止まらなかった。自分が何でこんなに泣くほど苦しいかもわからない。ただ、彼の言動が許せない。
橘の気持ちが見えず怖い。
力任せに叩き続ける手が捕らわれ、引き寄せられる。
「好きだからに決まってるだろ。何で俺の気持ち信じないんだよ。前から言っているよな! 好きだ、愛しているって何度も。だから、抱き締めたいし、キスだってしたい。気まぐれで手を出している訳でも、揶揄っている訳でもない。確かに、俺の言動に振り回された鈴香に信じろって言ったて難しいと思う。ただ、今は本気なんだよ。どうして信じてくれない」
「信じられる訳ないじゃない! 貴方と私は七歳も年が離れているのよ。こんなオバさんに本気になるなんてあり得ない。そんな事、自分だって分かっている。だからこれ以上、私の心を乱すのはやめて。もう期待させないで……」
口走った言葉に慌てて口を塞ぐ。
私は何を期待しているの?
明確な答えが脳裏を過り、それを否定するように頭を振る。
どうして揶揄われるのが嫌だったの?
戯れに抱き寄せられ、悪戯に落とされるキスに、心の奥底で喜びを感じていた。
確かに感じていた愉悦を認めるのが怖かった。このまま自分の気持ちを認めてしまえば、裏切られた時の代償は計り知れない。
恋愛契約を交わしていた時とは違う。あの時は『脅迫』という免罪符を持っていた。脅されていた、仕方なかった、彼を恨む事で自我を保てていた。橘へと傾きかけた心を律することが出来た。
それが全て消え去った今、橘への気持ちを認めて仕舞えば、裏切られた時、裸の心を守るものは何もない。橘にのめり込み、雁字搦めに囚われた私は壊れてしまう。だから認めるのが怖い。
橘に惹かれている心を……
「よし! 分かった。今のまま、話していても鈴香は俺を信じられないようだし、まずはお互い分かり合う所から始めてみよう」
「はっ!? なんで?」
「だって、鈴香は俺の愛が信じられないだろう? だったらお互いに理解する所から始めるしかないじゃん。という訳で、明日デート行こう」
「えっ!? デート??」
「プランは俺任せでお願いします。じゃ、ご飯ご飯。あと作るから座ってて」
私を膝から下ろすと、背を向け歩き出した橘がキッチンへと消えていく。
なぜあの言い合いで、デートという流れになるのかさっぱりわからない。
やっぱり振り回されている感が否めない。
若い子の考えはサッパリよ……
ひとつ大きなため息を吐き、近くにあったクッションに顔を埋め、膝を抱えた。




