第二話:マダム・ローズの登場
カイルに手首を掴まれたまま、リオナは自分の足で立つことしかできなかった。全身の倦怠感と、能力を強制的に鎮静させられた後の独特な脱力感が、彼女の意識を支配している。
「いいか、リオナ。今後、貴様は俺の監視下に置かれる。能力の暴走を避け、貴様を正式な『精霊の守り手』として覚醒させるのが俺の任務だ。拒絶は無駄だ」
カイルはリオナの籠を乱暴に蹴り飛ばした。中から、五感を鈍らせるための薬草が辺りに散らばる。
「その愚かな薬草も今日で終わりだ。精霊の力を拒むことは、死を意味する」
リオナは屈辱に顔を歪ませたが、反抗する力は残っていなかった。カイルは冷酷な眼差しをリオナに向けたまま、懐から通信用の魔導具を取り出し、冷淡な声で指示を出す。
「隊に連絡。対象を確保した。これから『拠点』へ移送する。この辺境の調査は完了だ」
リオナは静かに抵抗の炎を燃やす。
「いやよ、私はここを離れない。ここは私の家だもの」
「家? 『無才の民』の粗末な隠れ家が?」カイルは鼻で笑った。
その時だった。
辺りの木々が、不自然なほど静まり返る。まるで、精霊の息が止まったかのように。
「傲慢な聖護隊の貴族よ。その高慢な鼻をへし折られないよう、せいぜい気をつけなさい」
声は木々の奥から響いたが、姿は見えない。カイルは反射的にリオナを庇うように一歩前に出た。
「誰だ! 姿を見せろ!」
鋼の瞳が警戒心から光を帯びる。
木々の影から現れたのは、質素なローブを纏い、古びた杖を持った人物だった。
リオナが隠遁生活で世話になっていた、薬草の知識を持つマダム・ローズである。
深く被ったフードから除く瞳には、鋭い知性と力強い光が宿っていた。
「久しぶりだね、カイル。……いや、魂の共鳴者というべきか。貴様がこの娘を探していたとは、なんと哀れな運命なことか」
カイルは驚きで目を見開いた。
彼女を遠い日に神殿にいた。神殿の頂点に立つ神官長の衣を纏い、全てを従えていたのだ。
しかし、今はローズは神殿の記録から消されている。
ある事件をきっかけに彼女は神殿から姿を消した。
そのような人物が、なぜここにいる?
「マダム・ローズ……なぜ貴殿がここに?」
「この娘の魂の共鳴者が、なぜ自分の力を否定しているのか、知らないわけではあるまい?」
ローズはカイルを睨んだ。
「貴様の愛する『神殿』と『聖護隊』が、この娘の両親にした仕打ちを」
彼女の言葉は、リオナの胸の奥底を深く抉った。同時に、カイルの冷徹な仮面の下に、一瞬だけ苦痛と動揺の色が走るのを、リオナははっきりと見て取った。
「その傲慢な共鳴の儀式で、この娘の魂を二度殺すつもりか、カイル」
ローズは、リオナの両親の死の真実という最大の爆弾を、リオナとカイルの間に静かに投下したのだった。
ローズの鋭い声は、リオナの耳の奥にまで響いた。それは単なる老婆の声ではなく、最高位|共鳴者との共鳴を帯びた、魂を揺さぶる響きだった。
カイルは動揺を隠すように、掴んだリオナの手首にさらに力を込めた。彼は自身の感情の乱れがリオナに伝わることを恐れ、瞬時に冷徹な防壁を張る。
「黙れ、ローズ。貴殿が神殿を裏切り、身を消したことは知っている。だが、貴殿の身勝手な行動は、この娘の『魔物化』のリスクを高めているだけではないのか」
カイルの瞳は冷たい鋼のままだが、その声は微かに震えていた。リオナは、掴まれた手首を通して、カイルの内心の焦燥を感じ取る。
(それは、嘘だ……この人は、動揺している。私の両親のことに、何か知っている。そして……私の拒絶以上に、マダム・ローズの言葉に怯えている……?)
ローズは、蹴散らされた薬草の籠を一瞥し、静かにリオナへ視線を向けた。
「リオナ。あなたは正しい。この男の共鳴の儀式は、あなたの魂を支配し、飼い慣らそうとする傲慢さに満ちている。そして、この男が信じる『聖護隊』こそが、あなたの両親の命を奪った張本人よ」
「それは……」リオナは声が出ない。
「貴族の義務だ、ノブレス・オブリージュだ、と吠えるが、カイルよ。貴様は己の誇りと、過去に失った相方の影を、この娘に押し付けているにすぎない」
マダム・ローズの言葉は、カイルの最大のトラウマを的確に突いた。
彼のプラチナブロンドの髪がわずかに乱れ、瞳の光が揺らぐ。
「やめろ!」
カイルは怒鳴った。怒りの波動が繋がりを通してリオナに流れ込む。
リオナは再度、強い頭痛に襲われた。
「……っ!」
カイルは、己の怒りがリオナを再び苦しめていることに気づき、掴んでいた手首を反射的に離した。
その一瞬の解放が、リオナの意識をクリアにする。彼女は、ふらつきながらもカイルとローズの間に立ち、ローズを庇うように見上げた。
「マダム・ローズ……もう、やめて。私は……私は、この人に連れて行かれるわ」
リオナは、カイルの顔を見上げ、その冷たい瞳に毅然として睨みつける。
「わかったわ、貴族様。あんたの『任務』とやらにつき従ってあげる。だけど、勘違いしないで。これは、あんたなんかに魂を支配される前に、私が自分の力で真実を確かめるためよ。あんたの言う『聖護隊の義務』が、私の両親を殺したのなら、この手でそれを暴いてやるわ」
それは、カイルのガイディングから解放された、リオナの初めての能動的な拒絶だった。
彼女の瞳には、拒絶の色と、復讐にも似た決意の光が宿っていた。
カイルは、初めて自分から手を離したという事実に内心動揺しながらも、リオナの覚悟の言葉に、共鳴者としての新たな「相棒」の誕生を予感した。
「よろしい。その意気だ、俺の未覚醒者。だが、貴様の真実とやらは、俺の計画通りに動いてもらってからでなければ、達成できんぞ」
カイルは、傲慢な勝利者の顔を取り戻し、リオナを連行すべく、彼女の前に背を向けて立ち去り始めた。
リオナはローズに目で別れを告げ、自分の足でカイルの後に続いた。




