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健一郎の目が覚めるか分からない今、真実を知るために私は自分の手で調べることにした。
不倫の謎。戸籍の謎。
こういうときって探偵事務所とかを使うイメージがある。けれどもネットで調べてみたらものすごい金額の依頼料がかかることがわかった。
(……この先どうなるか分からないんだもの。貯金を切り崩すわけにはいかない)
あったか亭の給料だけでもやっていけないことはないけれど、それはあくまで贅沢をしない最低限の生活だ。お金がないことで聡太に苦労をかけたくなかったから、私の中で外注という選択肢は早々に消えた。
一度寝室に行って聡太がすやすや寝ていることを確認すると、リビングに戻ってパソコンに向き直る。
(戸籍のほうは……弁護士なら代理で請求できるって書いてある)
ネット検索で出てきた法律事務所のコラム記事によると、正当な理由があれば弁護士が代理で戸籍謄本を請求できるらしい。
(これはさすがに必要経費よね)
お金をかけずにできる方法が他になさそうだったので、戸籍のほうはいったん弁護士に相談するのがよさそうだ。
区でやっている無料相談というものが出てきたので、ひとまずそれに申し込むことにする。
(問題は不倫のほうだけど……)
状況を考えると、健一郎の戸籍謄本の配偶者欄に書かれているであろう女が一番怪しいはずだ。
そこに私ではない名前が書かれていたから、事故の連絡が別の『奥様』にいったわけだから。
仮に名前がわかったとして、それからどうするかだ。
(……あー、眠い……)
目をこすりながら時計を見上げると深夜の二時である。
今から布団に入っても三時間しか寝られない。明日というか今日は聡太の遠足があるからお弁当も必要だ。
(今日はもう寝よう。続きはまた明日……)
ぱたんとノートパソコンを閉じる。
健一郎は育児の面ではほぼ役に立っていなかったけれど、収入という面では安定して稼いできてくれた。
シングルマザーになったら両方自分が頑張らなければいけない。
その責任を実感しつつ、私は聡太の小さな身体を抱きしめながら夢の中に落ちていった。
◇
次の土曜日。
実家の両親に頭を下げて聡太を預かってもらい、私は弁護士の無料相談に向かった。
両親には「健一郎が事故で入院した」ことしか話していない。両親はなかなか子供ができなくて、ようやく授かったのが私だという。よその家より年をとった親だったのが昔はちょっと嫌だったけど、自分が親になってからどれだけ愛情を注いでもらっていたのか自然と理解できた。
穏やかに老後を過ごしている両親。余計な心配をかけるのはすべてが明らかになったあとでいい。
無料相談の会場である区役所の会議室は思ったよりにぎやかだった。事務テーブルをはさんでスーツ姿の弁護士さんと相談者が対面で腰掛けている。そんなブロックがいくつかあって、一人あたり三十分間話すことができるとのことだ。
順番が回ってくると、私は時計を気にしつつも事のあらましをすべて説明した。
話を聞き終えた弁護士さんの表情に、ふっと嫌な予感が胸をかすめる。
「結論から申し上げますと、当職が健一郎さんの戸籍謄本を取得することは難しいです」
「えっと……。弁護士さんならできるとネットで見たんですけれども」
「それは訴訟等に伴って職務遂行上の事由がある時に限られるんです」
弁護士さんは椅子に座り直し、タヌキに似た顔を私に向けた。
「……状況を整理しますと、今現在綾乃さんと健一郎さんの籍は入っていないと思われます。婚姻届を提出したのか、それともそれ自体出してないのかわかりませんが、現在ベースでは婚姻関係にないことが推測されますね。つまり離婚もしようがないし、不貞行為の追求も法的には権利がないということになるんです。その、言いにくいことではありますが、その権利を持っているのは戸籍上の妻のほうということになるので……」
「……私は、その権利さえも奪われているということなんですね」
こみ上げる怒りを押さえるのに必死だった。
「複雑な状況で心中はお察しします……」
弁護士さんは気の毒そうな顔を浮かべた。
こういうところに来る弁護士だからか穏やかで気の良さそうな人だ。けれど、その口から出てくる言葉はあまりに残酷で。
「別の方向性から攻めるとなると、たとえば結婚詐欺という形で訴訟はできるかもしれないですが……。なにぶん健一郎さんの意識がない状態ではやりようがないというか、意味があまりないので、弁護士的には引き受けが難しいかと」
「……お話は、わかりました」
「お力になれずすみません。健一郎さんと綾乃さんの関係性を調べるだけであれば、ご自身の戸籍謄本を請求されてみてください。入籍があったかなかったかという点は、それで分かると思いますので」
その足で私は窓口に向かい、自分の戸籍謄本を出してもらった。
そこから分かったのは、私と健一郎は『離婚』していたという初耳の事実だった。
見に覚えがない離婚した日は、一年前の一月二十五日だった。
(なんなのよ、これ……)
衝撃で言葉を失った私を職員さんが変な顔で見ているのがわかる。促されるようにして窓口をあとにした。
――何もかもが一筋縄ではいかない。
区役所から出ると倒れ込むようにベンチに腰掛ける。頭が痛くて割れそうだった。
ほんやりと天を仰ぐと、空は曇り、今にも雨が降り出しそうだった。
見知らぬ世界に一人で放り出されたような感覚に包まれていた。
法律だ何だって自分には縁のない世界だと思っていた。そうやって生きてこられたことがいかに幸せだったのかも、同時に痛いほど感じていた。
(――大丈夫。これくらいで諦めたりしない。時間はかかるかもしれないけど、自力で調べればいいだけだもの)
こうなったら頼れるのは自分しかいない。私は自分に言い聞かせるように心を奮い立たせた。そうするしかなかった。
その晩、健一郎と不倫相手のやりとりをスクショしたものを改めて確認することにした。今ある中で一番大きな手がかりだと思ったからだ。
そして、私はある重大なヒントを見つけることになる――。




