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さよならとはじめましてをもう一度

 恵太はすがるような思いでアトロポスに訊いた。

 ほかに答えてくれそうな人がいないのだ。


「帰る前に答えてください。この世界に……ここにいた滝沢恵太はどこにいったのか、あなたなら知ってるんでしょう? 問題が解決できたんなら、俺は借りていたものを返さなきゃいけない」


 今日までずっと悩んでいた。

 運命の日を生き延びたとして、それから先があるのか。

 今の俺は、よその世界から来た滝沢恵太。しかもとっくに死んでいたはずなんだ。

 アナザー恵太の体を借り受けて、もう一度やり直す機会を得た。

 ここからの未来を生きるのはアナザー恵太であるべきなんだ。


 美夏が眉をひそめた。


「なんの話し? この世界のあなたって、いったい何のこと?」

「お願い姉さん。アトロさんが何て言ってるのか教えて」

「あとで説明しなさいよね。……退散する前に、恵太の質問答えてくれる?」


 まるで目の前の電柱に話してるように見える。

 美夏はふんふんとうなづきながら通訳した。


「こう言ってるわよ。『まだ勘違いしているのか』って」

「勘違い?」

「『借りていたわけではない。今の少年が少年自身だ』」

「そうじゃなくて……俺は別の世界から来て……」

「『それが勘違いだと言っている』」

「そんなはずないです! だって、アナザー恵太と話したこともあるのに……」

「『エコーを受けて記憶が混濁しているだけだ』……ねえ、やっぱり今すぐちゃんと説明してくれない?」


 美夏の疑問は後回しした。


「俺は、最初から俺のまま……?」


 もし、それが本当だとしたら、俺はどうしていまだに以前の美夏姉さんやアシリアのことを思い出せない?


「『記憶とは情報だ。数十テラの容量しかない脳に大量の情報が入力されると、元の情報は上書きされてしまう。別の少年の声を聞いたというのなら、それはかすかな記憶の残滓だけを拾っていたのだろう』……だからさあっ、わたしにも詳しく!」


 美夏がライオンのように唸る。


「ということは、俺はもう……」


 魂だけ過去に戻ったわけでも、異世界に転移したわけでもなく、ただ記憶を受け取っただけ?

 別の世界で生きてきた人生を何重にも叩きつけられて、本来の記憶が吹き飛んだ?

 それで納得しろというの?

 ……無理だよ。

 自分が自分じゃないように思える葛藤を抱えたまま生きていかなくちゃならないなんて……。


 美夏は肩を怒らせながら通訳を続けた。


「『人間は完璧を目指しすぎると自己否定に走るものだ。できないから恥じる。できないから許せない。できないから消えてしまいたい』」

「…………」

「『しかし、不完全だからという理由で生命は停止できない。不完全は悪ではなく善なのだ。ときに想像もしないような未知の力を生み出す原動力となる。それは少年自身が示してくれたはずだ』」


 奇妙な気持ちだった。

 殺そうとした相手に励まされているようで乾いた笑いが出そうだ。

 思い出はこれから先の人生で作ればいい。


「ありがとうござい……」

「もういないよ。消えちゃったわ」


 ワゴン車が通り過ぎ、想像していた女神の姿も消えた気がした。


「……んで、結局なんだったのよ。記憶がどうとかナントカカントカ。あいつ何を言ってたの?」

「いや、大したことじゃなかったよ。ただのわがままだったんだ。思い出が完璧じゃなければ許せないっていう、俺のわがまま……」

「なにそれ」


 心のモヤが完全に晴れたわけじゃない。

 オルタネイト……、自分が生きてきた世界での思い出を忘れてしまったのは事実。

 それでも、このまま行くしかないんだ。

 そんな自分を許せるのは大きな一歩だと信じて。


 しいて問題があるとしたら……昔の俺が秘めていたらしい姉さんへの恋心が完全消滅したくらいか。

 こればっかりはどうにもならない。

 今の俺は姉さんをヤラシイ目で見る日は永遠に来ないと思う。

 まあ来なくて当然。

 むしろ来ないほうがいい。


「おい滝沢。ちょっと来てくれ。霧生の様子がおかしい」


 達也に呼ばれ、恵太は冷河に声をかけた。


「冷ちゃん、どうしたの」


 冷河は息切れを起こしていた。

 めまいを耐えるように顔を隠している。

 死にかけた恐怖がぶり返したんだろうか。


「もう大丈夫だから。安心して」

「いえ……大丈夫じゃなかったのよ。そういう記憶が、わたしにはあるの」


 冷河は恵太の手をとって立ち上がった。


「悪い夢を……見ていたみたい。わたしの目の前でたしかに滝沢くんが命を落とした。数年後には滝沢くんのお母さんも……。まちがいなくそういう世界があったの。何十年も、真っ暗闇で凍てつくような人生を生きたわたしがいたのよ」

「もしかしてもう一人の……?」

「ようやく……一番だって言ってくれたよね」


 アナザーレイカに伝えることができた、途方もなく遠回りな特別宣言。


「うん……たしかに言った」

「長い間、分裂してたわたしが元通りになったような……心が二重にあるみたい。滝沢くんと一緒に光の門を通ったとき、もう一人のわたしがここに導いてくれたのも覚えてる。だから元の世界に帰ってこれたんだと思う」

「そっか……」


 アナザーレイカの闇がどれほど深かったのかはよくわかっている。

 記憶を無くした恵太とは対照的に、冷河は記憶が戻ったせいでとまどっていた。


「月並みなことしか言えないけど……ひとりで抱え込まないで。一緒にやり直すんだよ」

「……ええ、そうね。一緒に」


 冷河の震えは止まっていた。

 やり直すチャンスを得て良かった。

 アナザーレイカは今も冷ちゃんの中で生きている。


 同じ高校生徒の往来が増えてきて移動しようとしたときに、恵太はふと気づいた。


「そういえば……アシリアは?」


 迂闊だった。

 異世界に行ったり死にかけたりで気が回らなかった。

 美夏は戻ったのにアシリアだけいなくなっている。


「あ、あれ……? てっきり一緒に扉を通ってきたものとばっかり……」


 美夏も困り顔だった。

 恵太はアシリアにもらった指輪に呼びかけた。


「アシリア? いるの? いたら返事して」


 またトラブル?

 返事はすぐにあった。


「聞こえてるよ~。あーあー、オーバー」

「よかった。まだあのプラネタリウムみたいな……フェイトって場所にいるの? おかげさまでみんな無事で済んだよ。アシリアはいつ戻れる?」

「それなんだけどさあ~……ゴメン。アタシ、帰れないや」

「か、帰れないってどういうこと!?」


 聞き耳を立てていた仲間にも焦りが見られた。


「いやいや、そんな深刻なことじゃないから! 心配いらないし。アタシが自主的に帰れないって言ってるだけ」

「どうして」

「アタシもさあ~、いちおー異次元世界間のバランスを保つ女神さまなわけよ。事の顛末を見届けようと、今日までクロトにくっついてきて、もう目的は果たせたし。そろそろちゃんと本業に戻んなきゃな~って。これからは消えた宇宙の再編という大仕事が待ってるし、いつまでもアトロに負担押し付けられないしね」

「本業……? 本当に帰ってくるつもりがないの?」


 イラついた達也が指輪に叫ぶ。


「ふざけんなコラ! 妙な電波受信したみてーなこと言いやがって。ぜんぜんワケわかんねーぞ!」

「あんまカリカリすんなし。そんなんじゃますます仁美に振り向いてもらえなくなるぞ~?」

「うるせえ。せっかく窮地を凌いで大団円ってときに、これっきりでいなくなるなんざそんなビターエンドがあるか。お前の帰りを待ってる人間だっているんだぞ」

「その辺は適当に帳尻合わせとくよ。もともとアタシは本に挟まれた栞みたいなモンだしね。いないほうが当たり前だったし、退出の影響も小さいはずだから」

「そんなことない! アシリアにはいてもらわないと困るよ。突然いなくなるなんて……そんなのないよ!」


 とにかく考え直してほしかった。


「ありがと。そう言ってくれて嬉しいや。でもね、人にはそれぞれの道ってのがあるんだ。ケーくんにはケーくんの、達也には達也の、アタシにはアタシの道がね。たま~に重なることもあるけれど、それでもいつかは別々の道を行くもんなんだよ」

「そんなこと言われても……」

「ダイジョウブイよ! ケーくんたちには、新しい未来を創ってく力があるんだから。アタシがいなくもじゅうぶんやっていける」

「前に約束したじゃないか。初詣のデートをするって……」

「おやおや~、レイカの前で他の女に気を取られちゃっていいのかな~? ……でもま、確かにそういう約束もしてたし。じゃあこうしよっか。その約束は、新しいアタシのためにとっとくってことで」

「新しい?」

「アタシは過去のことならわかっても、未来のことはサッパリわからない。だから、新しいアタシが生まれる可能性はゼロじゃない。想像してみてよ。ケーくんが生まれる前にだって多くの生命があった。ケーくんのお母さんとお父さん、お爺ちゃんにお祖母ちゃん、曾祖父曾祖母と……遡ったら人類の祖先まで行き着くでしょ。そういう祖先から見たら、ケーくんは奇跡そのものなんだよ。ううん、ケーくんだけじゃない。レイカも達也もついでに穂高先輩も、誰もが皆そうなんだ。生命という連綿と続く輪から生まれてきて、これからも途切れることはない。新しい『妙成寺アシリア』を乞うご期待ってわけ!」

「完全に運任せだよね……。俺が白髪だらけのお爺さんになってからしか会えないかもしれないし……」

「それちょっと見てみたいかも」


 本当に楽しみみたいに笑い出した。


「ケーくんはもう気づいてるよね。キミは入れ替わったわけじゃなくて、その世界を生きてきた本人だって」

「うん……」

「納得できるか半々ってところかな。これから先、時が経つにつれ何度も悩むかもしれないね。よその家に上がり込んだ居候みたいな感じが一生ついてまわるかもしれない。いたたまれないような気持ちが死ぬまで続くかもしれない」

「…………………」

「でも、これだけは忘れないで。人は決して過去を生きてるわけじゃない。無限の未来へ繋がる現在を生きてるんだ。それを支えてくれる人たちがキミの周りにはいるはずだよ」


 そのとき指輪が割れた。


「指輪が……」

「もうお役御免だね。アタシらの技術はそっちに残せないんだ」


 授業中先生に当てられたくないような面持ちで美夏がいった。


「あ、あのねリア。わたし……」

「みなまで言わなくてダイジョウブイだし。ミカはミカの道を行くだけだって、アタシやアトロは納得してるから」


 通信に別の声が混じった。抑揚のない風紀委員みたいな声音で「いつまで長話しているのだサボリ魔め。お前には放浪してるバカ姉の分も粉骨砕身身を粉にして働いてもらわねばならん」。


「ああもう、しょうがないなあ。それじゃあまたね! 達也! フられてもめげんなよ~。新しい恋はアンタが思ってるよりすっごい近いトコにあるからさ」

「うるせえよ。なんだ新しい恋ってのは」

「レイカは恵太のことヨロシクね。ほっとくと超危なっかしいし」

「手綱はしっかり握っておくわ。元気で」

「恵太は、新しいアタシのこと頼んだよ。きっと生意気で高飛車で世間知らずで、ナンパ野郎を毛嫌いするタイプだと思うから苦労するかも」

「任せて。女子と仲良くなれることしか取り柄がないから」

「なら安心だし。あ、それと」


 指輪が割れて地面に落ちると同時に。


「気づいてないみたいだから今のうち言っとくね。ミカにカレシできても凹むなよ~」


 そして、指輪は細かい粒子まで分解されて消えた。


「まったく……最初から最後まで勝手なことばかり言いやがって」


 達也の強がりが虚しく聞こえた。

 大事な友だちとの別れで空気が重くなる前に、恵太は話題を変える。


「ところで姉さん……、カレシってなんのこと?」

「さあ? リアもなに言ってんのかな。今のところまったくアテはないわよ」

「だよね~」

「そうあっさり納得されるとムカつく!」


 腹いせに頭をグリグリ。

 達也にも尋ねた。


「タツは? 他に好きな人でもできた?」

「知らん。俺はずっと宝多の顔と胸とケツしか興味がない」

「だよね……っていうか最低すぎて恋ですらなくなってるよ……」

「立ち話もなんだし行きましょうよ。長らくやって来なかった登校日なんだから」


 校門に入るまでの道中、達也が矢継ぎ早に質問してきた。


「結局よお、この一年の滝沢の行動に意味があったのかは、神の視点からしかわかんねえんだよな。俺が言い出しといてなんだが、女子友増やして生存ルート突入作戦は効果あったと思うか」

「う~ん、どうだろ。俺はあんまり関係なかったかなと……」


 美夏が達也の肩をバンバン叩く。


「めっちゃ効果あったわよ! おかげで恵太の命が繋がったといっても過言じゃないくらいっ」

「そ、そっスか。役に立ったなら良かった。ところで美夏さん、なんで俺らの作戦知ってるんですか」

「ギク……」

「いま、ギクって口で言った……?」

「なんでもないから! 役に立ったと思ってるだけだから!! ホントにそれだけだから!!!」


 校舎に入る直前で再度質問。


「ところで、例の交差点についてから何が起こったのか教えてくれねえか。途中、滝沢と霧生がいきなり道路の真ん中に瞬間移動したように見えたんだが。おかげで緊急停止するタイミングがギリギリになっちまった」

「ああ、そっか。タツにはそう見えてたんだ」


 質問の答えは冷河だ。


「いろいろあったのよ。遠山くんにとっての刹那の間に、永遠にも思えるくらいの長くて濃密な刹那がね」

「時間の最小単位とは面白そうだな。その最小単位の間とやらを詳しく聞かせてくれ」


 知識欲を刺激されたように達也の目が輝きだした。

 長い話になりそうだった。

 今日一日だけではとても語り切れないくらいの、長い話に……。




 ロバが目の前にぶら下がったニンジンにありつけないように、永遠に来ないと思われた学校の登校日はあっけなく終わった。

 帰り際、恵太は冷河に明日からの予定を尋ねられた。


「明日はわたしの家で勉強会しましょうか」

「ごめん、冷ちゃん。実は明日から──」


 恵太は、母親の提案で北海道旅行へ行くことを説明した。


「また突然ね。昨日旅行から帰ったばかりなのに。今度はいつまで?」

「まだ詳しい日程聞いてなくて……たぶん三、四日くらいかな」

「まあいいわ。じゃあこれ渡しておくから、空いた時間にしっかり目を通しておくのよ」


 それは冷河の愛用していた東大の赤本だった。


「こんな難しいのを俺に!?」

「解けとは言ってないわ。目を通しておいてって言ったの。返事は?」

「…………………はい。やります」

「だいじょうぶ。わたしの見込んだ滝沢くんならできるから」


 怖いくらい上機嫌だ。

 それから美夏と一緒に自宅へ戻ると、恵太は忙しそうにしている母親に咎められた。


「ふたりとも帰るのが遅い!」


 母の慌てぶりが尋常じゃないように思えた。

 借金取りからの夜逃げ説がにわかに信憑性を増したようだ。


「え~……、でも出発は夜なんでしょ? そんなに慌てなくても……」

「口答えしない! さっさと荷物をまとめるのよ」


 恵太は、目頭が熱くなって目を伏せた。

 母の顔を見てたら悲しくなってきた。

 こんなに元気な母さんなのに、俺が死んでしまったために心を壊してしまった世界もあったのだ。

 普段は子供への関心が低そうだったのに、母の本音はぜんぜん違っていた。


「恵太……なにしてるの?」


 今にも切腹するようなたたずまいで、恵太は母の前で土下座した。


「……ごめんなさい! 俺が勝手なことばかりしたせいで、母さんには多大なご迷惑をおかけました。だから……その……絶対に早まったことだけはしないでくださいっ!!」

「……なにこれ」


 涙と鼻水と涎が床に広がった。

 どういう心境の変化だと母は美夏に。


「今度はなに? いつにもまして意味不明よ。学校でなにかあった?」

「ん~、なにかあったかといえば言葉にできないようなすんごい出来事があったんだけどさあ……。ここまで恵太が泣く理由はわたしにもよくわかんない。でも、この際だから……」


 丁寧にスカートを払い、美夏も土下座を始めた。


「わたしもスミマセンでしたーっ。子供のころからワガママいってママを困らせて、めちゃくちゃ苦労をかけまして! 恵太の世話係言いつけ通りできてなかったかもしれないけど……! これからも一生懸命ガンバるから滝沢家の娘でいさせてくださいぃっ」

「ええい、ふたりともわけわかんないから! そんなに泣きたきゃ向こうに着いてからにするの!!」


 涙と鼻水と涎の量が倍になった。

次回最終回です。

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