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運命を超えるもの

 奇跡。

 そう呼ばれる現象を、滝沢恵太は起こしている。

 運命に逆らって冷河を救い、憎悪の塊となったレイカを癒し、深淵に堕ちた冷河を再び救った。

 しかし、いくら奇跡を起こそうと変えられないこともある。


 滝沢恵太が生き残るためには、レイカの提案を受け入れるべきだった。

 彼女が創造した運命のない深淵を住処とする以外になかったのだ。

 だが、彼はそれを拒否した。

 心の奥底では理解していたのだろう。

 迫りくる死の運命を逃れてはならないと……。


 ゲートを潜り抜けた先は一般道路の上であった。

 ひし形の白いマーク、一定間隔で描かれた長方形の線は、そこが横断歩道であることを示している。

 皮肉のように感じられた。

 人が生存可能な空間にたどり着く、そんな僥倖を引き寄せながら、たどり着いた場所は彼らにとって始まりの場所。

 生と死の交わる特異点だ。


 デッドエンド。


 ゲートに入った際の光に目がくらみ、恵太と冷河は、道の途中でうずくまっていた。

 自分たちがいる場所を把握できていないのだ。


 3メートル先の角から青い乗用車が現れると同時に、道の向こう側に白いドアが出現した。

 勢いよく開け放たれたドアから美夏が飛び出して叫んだ。


「恵太、逃げてーーーっ」


 邪魔はさせない。アトロポスは、美夏に足もとにキネシスを仕掛けた。


「あっ」


 脚を取られた美夏は前のめりに倒れた。


「あなた、まだっ」


 美夏は、冷河を模したアトロポスを睨みつけた。


(あきらめろ。これは彼らが選択したことだ。両者の死によって、止まった時間は動き出す。我々がやるべきは、魂の安息を祈ることだけだ)


 恵太が視力を取り戻したときには遅かった。

 彼は目前に迫った車を見て、次の瞬間起こることを理解したように、冷河に覆いかぶさった。


 そして、恵太にぶつかる数センチというところで、タイヤの擦れる音を響かせながら、車は急停止したのだった。


「……あ、あ、あ…………あれ?」


 恵太は、鼻先で止まった車のバンパーを見て石像のように固まった。

 自分自身、なぜ助かったのか理解できていないだろう。


 アトロポスにもわからなかった。

 なぜだ。助かるはずはない。

 なぜ彼らはまだ生きていられる?


 塀の影から男が出てきた。


「よし、完璧に止めてやった」


 個体識別名、遠山達也であった。右手にはスマートキーのようなものが握られている。

 押し倒された冷河が、起き上がろうと恵太の肩を叩いていた。


「ど、どうなったの? わたしたち、いま……」

「よお、危なかったなお前ら。もうちょっとでお陀仏だったぜ」

「と、遠山くんがやったの? どうやって」

「大したことじゃない。ただの遠隔操作だ」


 達也はスマートキーをひらひらと振った。


「いいからとにかく来いよ。危ねえぞ」


 遠山に促され、恵太と冷河は素早くその場を離れた。

 青い車の運転手は、わけがわからないといった顔で車を降りてきていた。


 恵太が口を開いた。


「タツの言ってた魔法って……これ? で、でも……車って遠隔操作で止められるもんなの?」

「走行中の車はムリだ。だから事前に細工しといた」


 冷河が口を挟んだ。


「事前にってどういうこと? わたしたちが、どこで何時何分何秒、あの車に轢かれかけるなんてわかるわけないじゃない」


 達也はちっちと指をふる。


「わかってたんだよなぁこれが。魔法を準備する期間は一年もあったしよ。交通量が少ない道とはいえ苦労はしたぜぇ。お前らにダイレクトアタックする車両を特定するために交差点に隠しカメラしかけて、統計とって、可能性の高い車種を四台まで絞り込んだ。大変なのはその後だよ。ナンバープレートから持ち主を特定し、それぞれの自宅や職場を突き止めて、不法侵入と不法改造をバレないようにだな……」

「もういいよ。そんな嬉々として犯罪行為を語られても複雑な気分になる……。でも……、本当にありがとう……!!」


 恵太は、命の恩人と固く握手を交わした。


「遠山くん!」


 美夏が道を渡って達也に抱き着いた。

 感極まり過ぎて頬にキスした。


「あなたが止めてくれたのね。ありがとう! 本当にありがとうね! むちゅ~」

「あ、美夏さん、ちょ、わかりましたから、キ、キスは、勘弁してください……。俺には心に決めたひとがいてですね……」


 達也は顔を赤くしていた。

 滝沢恵太と霧生冷河の両名が生き残っている。

 予想外の事態だ。


(これで一件落着とでもいうのか。ばかな。少年が生き残れるはずはないのだ!)


 達也を解放すると、美夏はアトロポスに向き直った。


「ちゃんと聞いてなかったの。ここにいる遠山達也くんが、車を止めたって言ってるじゃない」

(そんな些末な問題ではない! 運命なのだ。少年の運命の糸は、このわたしが切断した。この時刻、この場所で死を迎えるように細工を施していた。事故、病気、災害……あらゆる死の災厄に追いつかれるはず)

「あ~、あの毛糸玉、運命の糸っていうんだ。ほうほう、なるほどなるほど……つまりこういうことね? 糸っていうのは魂みたいなもので、恵太は魂をハーフカットされてたからダメだって、そういうこと?」


 美夏は勝ち誇ったように鼻で笑う。


「ふっふっふっふ……」

(なにがおかしい?)

「アーッハッハッハッハー、してやったりよ! わたしの弟を全然まったくこれっぽっちも理解していなかったようね。……ちょっと恵太~、こっちに来なさい」

「な、なに?」


 美夏は恵太に向かって手招きする。

 恵太は、冷河の介抱を達也に任せて、アトロポスの正面に立った。

 彼の耳元でささやく。


「いまね、あなたの目の前に冷ちゃんの顔した暴れん坊女神がいるわ。あなたがなぜ生き残れたのか理解不能だってめっちゃ怒ってんの」

「暴れん坊って……アトロさんがここに?」


 恵太は目の前の空間に手をかざしていた。


「さあ、目の玉ひんむいてよ~く見てみなさいな。集中したら見えるはずよ。わたしの弟の糸がいまどうなっているのか」

(なんだと)


 糸は運命で付与される不変の物質。

 変化は、神器を使用した場合のみもたらされる。

 今のバカ姉は紡ぎの神器の本領を知らない。

 変わっているはずがないのだ。


 アトロポスは、憤慨する気持ちを抑えつつ、恵太の糸を可視化した。


(なんだこれは……そんなはずはない。切れた糸が再生するわけはない!)


 滝沢恵太の糸は、通常の長さに戻り、束ねられた球状を保っていた。

 彼をエラーと呼ぶ所以であった糸のもつれもなくなっている。


(いったい、なぜ……)


 滝沢恵太の頭上に浮かぶ糸に触れてわかった。

 これは彼自身のものだけではない。

 持ち主の異なる糸を継ぎ足して編み込まれている。


 ……親の用意した将来を脱却し、本物の愛を追求する少女の記憶。


 ……快活な少女の内に秘められた恋慕の情。


 ……球技一筋の少女が燃える新たな炎。


 ……想い人を取り合うライバルであり友人でもある少女の心。


 女だ。

 滝沢恵太と交流のあった少女たちの想いがエンコードされている。

 何人もの女たちが少量ずつ糸を与えたのか。

 異次元世界のタキザワケイタが、キリウレイカに糸を与えたように……。


 だが、なぜ今なのだ?


 運命の糸は、宇宙の構造であり、たとえるなら母屋を支える柱のようなもの。

 柱を傷つければ宇宙全体の存続を揺るがす事態になりかねない。

 タキザケイタとキリウレイカの引き起こした災厄が、それを証明している。


 剪刃で滝沢恵太の糸を切断したのは、やむを得ない措置だった。

 滝沢恵太からエラーとしての性質を奪い、霧生冷河に力を与えさせないために。


(きっかけはわたしか。わたしが切断したことが原因なのか)


 損傷したDNAが突然変異を誘発するように、切断された糸が突然変異を起こしたとしか考えられない。

 恵太は、所在なさげに視線を泳がせていた。


「あの、姉さん……。俺、いつまでこうしてればいいのかな……」

「もうちょっとガマンして。この石頭女神がみじめに這いつくばって、ぶざまに泣き喚きながら、見苦しく謝罪するまでだから」

「それだと姉さんが悪役みたいじゃん……」


 美夏は編み物をするようにジェスチャーした。


「よ~く見ると、切られた糸の先に、少しずつ別の糸が結ばれてるのよね。髪の毛結わえるみたいに何本も何本も……。ビミョ~に細い気がするし、桜みたいな色してるし、なんだか女子っぽいのよねぇ。足りないものを補ったってことなんでしょうねぇ。……正直、パパのろくでもない遺伝子が役に立ったみたいで素直に喜べない部分もあるのかなぁ…………ま、結果オーライでしょう!」

「……糸? 俺の頭に何か見えてるの? それに父さんの遺伝子ってなんのこと?」

「あなたは知らなくていいから黙ってて」


 美夏は、指で恵太の鼻をピンと弾いた。


(なにがオーライだ! 欠損した糸を奪って修復するなど許されるわけがない)

「失礼ね。奪ったんじゃなくて、感謝のおすそ分けよ。恵太は日頃から、人に親切を心掛けてたみたいだし、めぐり巡って善いことが返ってきたっていう、ごく当たり前のこと。覚えときなさい。こういうのを因果応報っていうんだから」

(親切を心掛けたから……? ばかな。そんなことで運命を変えられるのなら、この世から寿命以外で死ぬことなどなくなってしまうぞ)

「知らんわそんなん。じゃあ他にも色々細かい条件があるんじゃない。たとえば……『ただし心がイケメンに限る』とか……」

(やめろ。バカなお前がバカなことを発言するとわたしにまでバカが伝染する。なんということだ……こんなくだらないことで運命が……こんなことで……!)

「バカっていうほうがバカなんですー! それにぜんぜんくだらなくなんかないわよ。そもそもあなたが絶対視するような運命が無かったってことなんじゃないの~」

(そんなはずがあるか。運命が存在しないというのなら、運命の女神を創り出した者たちは、いったい何を恐れたというのだ)


 女神を創った人間たちは、自らの科学力によって死を克服しようとした。だが、肉体や遺伝子を改造しても死を克服することは叶わなかった。病気、事故、災害……、神の怒りに触れたかのごとく当事者には次々と死の災いが降りかかった。


 彼らは運命の存在を確信し、心の底から恐れた。

 自分たちの力で支配することのできない強大な闇に屈服した。

 運命の囚人であることに絶望し、運命を切り開こうとする気概すら無くしていた。

 自分たちの手で創り出した女神の庇護下でしか生きられない軟弱な存在だったのだ。


 それなのに──

 それなのに、この少年が──

 エラーの力をはく奪され、それでも抗い続けたこのちっぽけな少年が強大な闇を……運命を超えてしまったというのか。


 美夏は口をへの字にして首を傾げた。


「さあ? 夜中トイレにいって背後に幽霊の気配を感じて鳥肌が立つみたいな……たぶんそのくらいのことだったんじゃない? きっと勇気をもって立ち向かえばパッと晴れちゃう程度の闇なのよ。恵太がそうしたみたいにね。だいたいさ~、こんなちっぽけな糸なんかで、わたしたちの未来を決めつけられてたまるもんですか。未来は自分たちでつかみ取っていくものよ」

(運命の女神が、運命を否定するなあっーーー! くうぅ……自分の存在意義すら揺るがすようなバカと会話していると、わたしの処理能力に尋常じゃない負荷がかかる!)


 美夏は手で口を隠して嘲るように笑った。


「プー、クスクス。怒った? ねえ怒っちゃった? 今どんな気持ちなん? 超ドヤ顔で『あきらめろ。これは彼らが選択したことだ』とか悪の女幹部っぽいことのたまってたくせに、うちの弟に速攻で覆されてどんな気持ちになったの? 恥ずかしくて死にそうにならない? あ、ならないか。死と未来を司るんだっけ? 女神が死んじゃったらカッコつかないもんね」


 オーバーロードで熔解した紡ぎの神器を差し向けてきた。

 マイクのつもりらしい。


「えー、なにかコメントを! 穴があったら埋まりたいとか、いっそ介錯してくれとか。尻尾巻いて逃げ出しもせずプルプル震えて耐えてるその胆力は女神随一だと思うよ! ねぇねぇ、本当はどんな気持ちなのか聞かせて? ねえねえねえ、ねえったら~」

(うざったいぞ! くだらないことをやってないでそいつをよこせ)


 アトロポスは、美夏の手から紡ぎの神器を奪いとった。


「あっ、それわたしのだから。返しなさいよ!」

(雑に扱いおって。創造主より賜った神聖な神器をスクラップにしておくつもりか。わたしの砕かれた剪刃も含めて修理が必要だ)

「直してくれるの? じゃあ預けとこっかな~。修理ついでにさあ、飾り気のないデザインなんとかならない? マジキュアの武器みたいに可愛い感じに改良してほしいのよ」

(うるさい。そんなことよりフェイトへ帰還するぞ)


 予想外はあったが、目的は果たしたといえる。

 滝沢恵太と霧生冷河の死ではなく、生という形で。

 宇宙の終焉は回避された。

 明日もまた太陽は昇るのだろう。

 ここでなすべきことはもうない。


「もう帰っちゃうんだ。あなたとは色々あった……………………っていうか、わたしめっちゃ殺されかけたわよね? 髪の毛一本残さない勢いで消そうとしてたわよね? とても爽やかに送り出してやろうって気にはなれない感じなのよねぇ……」

(なにをブツブツ言っている。お前も一緒に帰るんだぞ)

「はあ?」


 気の抜けきった返事。


(別れの挨拶を済ますのだな。少年が死なずに済んだのだから、お前の目的も果たされたはずだ)

「なに言ってんの。わたしが何の目的を果たしたって?」

(レイカの脅威は去った。消えていった異次元世界もいずれ復活する日が来るだろう。だが、物事はプラス面だけではない。急激な変化が起こるときは、マイナス面も必ずついて回る。だからこそ運命の女神が必要なのだ。異次元世界間のバランスを取るものとして。お前のような史上類を見ないバカ姉であってもいないよりはいたほうが役に立つのだよ)

「はあ~~~?」


 美夏は激しく唇を尖らせていた。

 只事ではない雰囲気を感じ取ったのか恵太が尋ねた。


「どうしたの姉さん? アトロさんに何を言われたの?」


 美夏は一瞬考えたように目を伏せると、恵太の肩を掴んで言った。


「バカ言ってんじゃないわよ。たった一人の弟のことですら手に余るのに、他のことまで構ってられないでしょ! わたしはねぇ、女神である以前に滝沢美夏で、滝沢家の長女なの! わけわかんないトコに帰ってるヒマはないの。わたしの目的は弟の命を助けることじゃなくて、弟をどこに出しても恥ずかしくないいっぱしの男性に育て上げることなんだから!!」

「あの、話しの流れがよくわからなくて……つまるところ俺は、どこに出しても恥ずかしいダメな男ってこと?」


 恵太のツッコミは受け流されていた。


(まったく、このバカ姉は……)


 肉体が死ぬまで人の世に居座るつもりか。

 これではクロトを連れ戻せない。

 無理やり連れ帰っても仕事をしてくれるとはとても思えないのだ。

 忌々しいが本人が納得するまで好きにさせておくしかないか。


 最後の気がかりは冷河のことだ。

 彼女は気分が優れないのか先ほどからガードレールにもたれかかって介抱されていた。


 冷河もまた運命による死を免れたひとり。

 このまま平穏無事で生きられるかは神のみぞ知るというところだ。

 これより先の未来は白紙となる。

 未来次元が消失している今、死と未来の運命であっても先を知ることは叶わないだろう。


 女神としてできることは、彼らの幸福を祈ることだけだ。

 そのために必要な最後のメッセージは……


(少年に伝えておいてくれ)

「なんて?」

(わたしの指示を忘れるな、とな)

「指示?」

(言えば通じる)


 運命を変えようと足掻いた少年、滝沢恵太。

 レイカによって消滅させられた無数の世界は、少年が渡り続けた世界の数に等しい。

 今回の出来事は始まりに過ぎないのかもしれない。

 いつの日かすべての人間が運命を超えるための新たなる始まりなのかもしれない。

 そのために必要なものはなにか。

 求められるのは技術や力ではない。

 人が誰かのために真実の愛を尽くせるか。

 すべてはそこにかかっているのかもしれない。


 美夏は通訳した。


「負け犬女神が撤退するみたい。わたしの指示を忘れるな、て言ってるわよ」

「指示……? アトロさんが帰ってしまうの?」


 恵太は、すがるような目で、アトロポスの幻影を探していた。

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