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もう一度リユニオン

 恵太は、なだらかな斜面に建てられた展望台のらせん階段を昇った。

 一、二、三と階層が分かれていて、塔の高さは六メートル程度だ。

 もし人が落ちたら無事ではすまないだろう。


 小さな女の子が高台から落ちていく光景……。まちがいであってほしいと願う。

 しかし、はっきり見えたのだ。

 聞いていた服装の女の子が、柵を乗り出していく様。

 父親に助けを求める声も聞こえた。


 長谷川慶太のケースとは状況が違うように思う。

 あの時は忘れていた前世の記憶を思い出したが、今回は自分ではない誰かの記憶に触れたのだ。


 吹く風が強くなってきた。


 母には、日頃から小言を言われて育った。

 困ってる人を助けられる人間になれ。正しいと思うことをしろ。みじめでぶざまで見苦しいマネだけはするな。

 できる限りそうあろうと努力はしたし、正しかったと思っている。


『どうして、こんなひどいこと、できるの?』


 幻影の言葉がフラッシュバックする。


 正しいと思っていた。今でもそうだ。未来に不幸が訪れる人を助けて何が悪いんだ、って思う。知っていて何もしないのは見殺しだ。お医者さんが末期患者に最善を尽くすのは良いことで、未来の不幸を知っていて防ぐのは悪いことだという。理由は運命に逆らってるから。ぜんぜん意味がわからない。


 正しいことってなんだ? 運命って何のためにあるんだ? 切り開こうともせず、ただ黙って従うのが運命だって?


 一歩進むごとに木製の階段が軋む。底が抜けそうなくらい頼りない踏み板だった。


 運命に逆らった末路はわかってる。異世界で作られたという女神が教えてくれた。それはカタストロフィであり、地球全土から生物が消滅する。老若男女関係なく誰も生き残らない。どこもかしこもゴーストタウンになって終わる。


 小学生のときにやった演劇を思い出す。ハッピーエンドに書き換えたロミオとジュリエットの台本。クラスの女子の推薦を受けてロミオ役を演じさせてもらえた。入念な練習の甲斐あって劇は大成功だったが、もし失敗していたらどうなったか。たった一人でも台詞を忘れたり、まちがえたりしたら作り手の意図に反してしまう。そうなったら演劇はご破算だったと思う。


 運命と似ている。この場合、台本が運命で、演劇が人生か。決められた台本に沿わなかったら演劇は破綻する。その代償は個人じゃなく、登場人物全員が払わなきゃいけない。ハッピーエンドの前に、演劇を中止するという形で……。


 そう考えると、女神の言うとおり運命に逆らうことは、悪だという論理になるかもしれない。


 らせん階段を登りきって高原を一望すると白く反射するインフォメーションセンターが見えた。

 反対側には黒い服の女の子がぴょんぴょんとジャンプしながら、身長よりも高い鉄柵の向こうを見ようとしていた。

 ジャンプでは届かないと思ったようで、斜めに固定された案内板を足場にして登り始めた。


「佐々木美冬ちゃん? きみが美冬ちゃんでしょ?」

「……パパ?」


 女の子が振り返った。柔らかな黒髪が風にあおられて顔は見えない。


「危ないから、冴子先生のところに帰ろ。ね、そこを降りて」

「パパもみてー、お家がみんなちっちゃいよー」


 身を砕きそうなほど強い風が吹いた。

 美冬が台の上でバランスを崩し、鉄柵の向こうへ飲み込まれようとする。

 恵太は瞬間に駆け出して、美冬の腕を掴んだ。重いっ。重いが、なんとか支えられる。柵の縁が胸に食い込んで苦しくても離すわけにいかない。地面までは五、六メートルちかくある。落ちたらまず助からない。


 運が良ければ下の木に引っかかるかもしれない、頭から落ちなければ骨折程度ですむかもしれない、という楽観論も使えない。だって俺は、美冬ちゃんの運命を知ってしまったんだ。


 引き上げようと力を込めながら、脳裏に浮かんでくる。

 どうして、こんなひどいこと、できるの。

 非難する声ばかり耳の奥で木霊する。


 やめて。

 あなたはまちがってる。

 その子はここで死ななきゃいけないの。

 可哀想だからと憐れんではだめ。

 無責任に助けたりしないで。

 運命の力に逆らったらどうなるか。

 あなたはすでに知っているでしょう。


 ……演劇の中止。

 みんな一生懸命生きていたのに。


 ……人類の消滅。

 すべて水の泡となる。


 ……荒廃した街。

 あなたのつまらない自己満足のせいで。


 ……焼け焦げた影。

 もうやめて。この苦しみに耐えられない!


 ……大好きな人の冷ややかで愛しいつり目。

 だから、お前は愚かなのだ。

 まちがいだと知りながら、反省もせず再び過ちを犯す。

 自らの終局は受け入れるくせに、それ以外はかたくなに否定するか。

 滅亡の未来を押し付けられた者たちの嘆きと慟哭が想像できないのか。

 お前が善だと信じているものは、やってはならない悪だ。

 人はいずれ死ぬという条理がわかっていない。

 ようは早いか遅いかというだけなのだ。

 人が人の運命を選んではいけない。

 それは神の領分なのだから。

 お前がその幼子を救いたい理由はなんだ。

 ちっぽけで儚い命に、世界を破壊するほどの価値があるというのか。


 ……迷ってる場合じゃない! この子の命は、俺の腕力にかかってるのに!


 死を意識した甲高い叫びが山麓の空気を震わせた。


「パパぁ、たすけてぇ!」

「絶対に助ける! 死なない……きみは生きるんだ!」


 なにが正しくて、なにがまちがいなのか。自分の頭じゃいくら考えてもわかりそうにない。

 美冬ちゃんを救うことは、運命に逆らうこと。

 それは未来に対して大きな代償を払うことになるのかもしれない。

 もし、助けてはいけない理由があるのだとしても……。


 美冬ちゃんは、お父さんを呼んでいた。遥か遠い彼方から、気の遠くなるほど長い間、ずっと叫んでいたんだ。生きたいという願いに善も悪もあるもんか。

 だから、お願いだ。苦しいかもしれないけど、辛いことがあるかもしれないけれど、なにがなんでも生き抜いてくれ!


「愚かでもいい! それでも、これは絶対に……絶対にまちがいなんかじゃない!」


 パニックになった美冬が暴れてしまって、思うように引き上げられない。


「滝沢くんッ!」


 冷河の声が響いた。


「しっかりして! すぐに遠山くんがそこに行くから、それまで頑張って!」


 地上から叫んでいるようだ。援軍が来てくれるならなんとかなる。

 そう思ったとき、恵太の掴んでいた鉄柵が枯れた柳のようにあっけなく折れた。


「ウソ!?」


 ダメだ、落ちる!

 恵太は、美冬を掴んだまま、空中へ放り出された。これが運命なのか。人間って、何メートルの高さまでなら無事でいられるんだ。一メートルなら大事に至ることはなさそうだ。でも、世の中には二メートルの段差から落ちて運悪く亡くなった人もいる。三メートルでほぼビル一階分の高さ。それ以上は重力の衝撃に耐えられない。


 落ちていく光景が垣間見た未来の映像とダブる。スローの走馬灯のように感じた。この瞬間、風は吹きやみ、緑の木々から鳥が飛び立った。逆光でよく見えない建物から視線を外す。そして、階下の展望台には達也が柵の外に立ち、身を乗り出した姿が──


「手を伸ばせ!」


 恵太は反射的に空いた手を伸ばした。阿吽の呼吸で見事、お互いに前腕を掴むことができた。


「ぐおっ! ちくしょう! お前は、俺の腕を、引っこ抜きたいのか……!」


 達也の腕は、二人分の体重プラス落下速度の衝撃に耐えてくれた。


「本当にごめん。なんとか耐えて。俺にできることなら一生分のお願いでもなんでも聞くから、絶対に引き上げてほしい」

「当たり前だ! これで落とそうもんなら、今度こそ美夏さんにぶっ殺されるわ。自慢じゃねえが、俺は生まれてこの方同じ問題を二度間違えたことはねえんだ」


 階下から冷河が来た。


「信じられない……落ちてる途中でキャッチするなんて……。ねえ、平気なの?」

「いいとこにきた。引き上げるから霧生も手伝え」


 恵太は、二人の力を借りて引き上げられた。掴んだままの美冬は首をだらんと垂らして気を失っている。


「よく……ここがわかったね。しかも、ちょうど下にいてくれたなんて」

「お前さんのヒントがわかりやすかった。それに前回で学習したからな。物事は起こるべくして起こってる。未然に防ぐことはできなくても、直後に対処する余地は残されてるらしい。霧生に地上から見張らせて、俺が真下で待ってたのが功を奏したってとこだ。滝沢まで落ちてくんのは想定外だったがよ」

「本当、よく耐えてくれた……この運命の重みにさ」

「運命の重みか。お前にしちゃあ洒落たこというもんだ。いっててて……、腕が脱臼したみてーにダルくてしかたねえ。お嬢ちゃん、しっかり息はしてるよな。そこのベンチに寝かせといてやれ」


 達也は柵を背もたれにして座り込んだ。美冬に怪我はなさそうだった。恵太は、美冬を仰向けに寝かせてあげた。


「ねえ……なんかこの子……似てない?」


 冷河がぽつりと漏らした。


「た、確かに……」


 美冬の顔を見て驚いた。似てるどころじゃない。目鼻立ちの整った顔立ちに抜けるような白い肌。オルタネイトに来てから毎日のように眺めていたフォトアルバムに写っていた顔と瓜二つ。子供のころは西洋人形のようだった人が黒髪に染め上げたみたいだ。まさか別世界の同一人物だったりするのかな。


 件の人物が肩で息をしながら慌ただしく駆け込んできた。


「ガッデーーームッ! やっと使いこなしたと思ったのにぃ、すでに終わってたぁー! わたしの役立たずぅぅぅっ」

「……あなたたち姉弟って、もう一人妹がいたんじゃないの?」


 疑心めいた確信を得た冷河のツッコミは、頭を掻きむしりながら嘆く声にかき消された。

 美夏は、展望台の柱へ八つ当たりし終わると、ぐったりしていた達也に抱き着いた。


「うおっ、どど、どうしたんすか」

「ありがとう……ホントにありがと。恵太を守ってくれて……」

「い、いや、当然のことをしただけっすから……」


 達也は、ガラにもなく顔を赤くしていた。


「それから……」


 達也から離れると、美夏は恵太の胸ぐらをつかんだ。


「あんたは何べんおんなじこと言わせんねん! 危ないことすんなって、わたしもママもさんざん口酸っぱくして言うとったやろがいっ」


 ガクガクと頭を揺らされて戻しそうな気分になってきた。


「すいません! 本当にすいません! 猛省してます! ……でも、なんとかこうして無事だったんだからいいじゃん、ってことで」

「いいわけあるかあっ!」


 やめて。痛いから加減無しの往復ビンタやめて。

 しばらくして、気を失っていた美冬が目を覚ました。


「美冬ちゃん? 気がついた? もう大丈夫だからね」


 声に反応して、あどけない茶色の瞳が恵太を見ていた。

 そして、唐突に恵太の顎をペタペタと触ってきた。


「み、美冬ちゃん?」

「パパ、お髭なくなった。すべすべー」

「……おひげ?」


 ずっとパパ、パパと呼んでたのは、もしかしてずっと俺に言ってたの?

 美冬の笑い声の影で、美夏の表情がみるみる般若の形相へ変わった。


「……ああん? 恵太、どういうこと? あなたをパパって言ってるみたいだけど」


 神拳を繰り出す前の指慣らしが始まった。

 いかん、またわけのわからん誤解をされてる!


「ちょっと待って! 知らないよ! この子はうちの学校の先生の姪っ子で、今日たまたま遊びに来てたんだよ」

「ふうん。それにしちゃあ、あんたの小さいころに超ソックリじゃない?」

「いや違うよ! 逆、逆! 俺じゃなくて、昔の姉さんにそっくりなんだよ! なんでそこで俺を引き合いに出すの?」


 恵太は、展望台中央の柱を盾にして、険しい目つきの美夏から逃げた。美冬は「キャー」と歓喜の声をあげながら、なぜか美夏と一緒に恵太を追い回していた。


「元気だよなあ。今しがた死にかけたってのに、マジ元気だよなあ……」


 達也は不機嫌そうにつぶやいていた。


「ああ~、なんてこと、完全に誤算! 監督不行き届きだわ! クズの英才教育なんてしてないのに! すでにだらしない遺伝子が目覚めてしまってたなんて。しかも、実の姉の目をかいくぐって子どもまで作るとか! ママに知られたらまちがいなくあなた……殺されるわよ? 怒らないから、わたしには正直に言いなさい。この子の母親とはいつ、どこで知り会ったの? 相手の名前は?」

「あいてのなまえはー?」


 美冬が面白がってマネしてた。


「だから、違うって。先生の姉のお子さんなんだから、詳しくは知らないよ!」

「なんてこと! よく知りもしない人と関係を持つなんて、あんたって子は……!」

「あんたってこはー」

「お願いだから、スキャンダラスなほうへ話しを持ってくのやめて。美冬ちゃんのお父さんは、たぶん俺たちのお父さんみたいにヨーロッパ系の人なんだよ。たまたまその人と俺が似てるってだけだよきっと」


 お父さんがたまたま似てる人だから、美冬ちゃんもたまたま俺たち姉弟と似てるだけ。

 それ以外考えられないってのに。

 美夏は美冬の前でにっこり笑った。


「美冬ちゃんっていうの? お姉さんに教えてくれるかなあ。あなたのパパはだあれ?」


 美冬はうなずき、小さな指でまっすぐに恵太を指した。


「みふゆのパパー」

「ほら、見なさい! 純真な子どもの前では下手なウソなんて通用しないの!」

「違うってさあああ、もおぉぉぉ! なんでいっつも俺の言うこと信じてくれないの」

「前例があるからよおぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

「前例ってなに?」

「あんたは知らんでいいぃぃぃぃぃぃぃ!」


 これ以上、美夏姉さんのヒステリックな追及に耐えられない!


「ちょ、なになに、コラッ」


 恵太は、戸惑った様子の冷河の背中へ逃げ込むしかなかった。

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[一言] もし季節シリーズが増えると、美春まではいいが美秋だと見飽きにつながるからゴロが悪い……秋美でアケミになるだろうか。
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