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霧生冷河は見守りたい

 七月二十四日 土曜日


 山稜の起伏にあるテニスコートは肌寒い。おそらく山の頂上から冷えた空気が降りてきているせいだ。


 学校に集まって水城舟家貸し切りのバスで出発したのが朝の六時。そこから高速に乗り五時間ほど費やして到着したのが現在いる神楽高原リゾートである。名前の由来は、神様に捧げる歌や踊りを披露する土地だかららしい。


 事前に調べていた通り、やたらだだっ広い別荘地だった。少なくとも高校生の集団に縁のある場所じゃない。

 温泉があるのには心躍るけれど、野鳥公園、桜公園、梅公園、ゴルフ場と、若年層向けの施設は少ない。

 こんな場所で二週間もの間なにを楽しめばいいのか謎だ。


 今回のリゾートの発案者である穂高は、到着早々慣れた様子でメンバーをレストランに誘った。食事が終わるなり体を動かそうと提案し、用意周到に準備していたらしいテニスウェアに着替えさせて、みんなをテニスコートまで案内したのだった。


 四つあるコートには仲間内だけで他のお客はいなかった。

 滝沢と穂高、美夏と仁美がゲーム中で、アシリアが審判係り。余った冷河と遠山は、コート脇の休憩スペースで休んでいた。

 冷河はポーンと鳴るボールの音を聞きながら、滝沢のゲームを見ていた。


 軽快にステップを踏む仁美の動きを見ながら遠山が言った。


「なあ霧生、宝多のダチであるお前のアドバイスが聞きたい。美夏さんたちのゲームが終わったら、俺が宝多にゲームを持ち掛けて問題ないと思うか? 断られたりしないか?」


 深刻な顔して下らないこというのでため息が出た。


「普通に申し込めばいいでしょ。遠山くんって、普段はいい加減なくせに仁美のことになるととたんに消極的になるよね。もっと大胆に当たってみれば?」

「滝沢みたいにかぁ? やろうと思ってもできねえよ。俺はあいつとは違うんでね」

「違うって? 遠山くん、あいつが顔だけでモテてるって思ってるクチ?」


 男子の絶対外見主義はなんなんだろう。


「去年まではそう思ってた。が、最近になってそれだけじゃないとわかった」

「へえ。わかったことって?」

「あいつは、女に関しちゃ一切躊躇しねえってこと」

「……ま、そのとおりね」


 滝沢と付き合い長いだけのことはあるか。


 結局のところ必要なことは一つだけだ。やるかやらないか。行動できるかどうか。立ち止まってるだけの人は、理想に届かない。

 絵が上手くなりたければ一枚でも多く絵を描くしかないし、誰かに好かれたいなら恐れずに一歩踏み出す以外にない。

 欲しいものは待っていても勝手に転がってくることはないのだ。

 だからこそ、一歩先に踏み出せる者に人は惹きつけられ、また嫉妬したりもするんだろう。


「うふふ、恵太くんテニスお上手ですね」

「そ、そうですか? 穂高先輩こそ本当に上手です。もうついてくのがやっとで……」


 当の滝沢は、穂高相手のゲームを心から満喫してるように見えた。

 穂高を見ていると微妙にムカつく。余裕綽々な笑顔を振りまきながら、ムダなステップで大きな胸を揺らしまくり、男の気を引こうって態度が透けて見える。スポンサーだから文句も言えやしない。

 クーパー靭帯断裂しちゃえばいいのに。


「はーい、決着ー。仁美の勝ちでーすっ」


 審判台のアシリアが高らかにコールした。


「あーん、ひーちゃんすごっ。またやられたー」

「い、いえ、それほどじゃ……ないです」


 仁美が見事にスマッシュを決めてゲームセット。

 負けたのに美夏は満足げであった。


「ほら、選手交代のチャンスよ。1ゲーム取ったら即交代の緩いルールで遊んでるだけなんだから、いつもみたく傍若無人に行っちゃえばいいの」


 遠山の背中を押したがビクとも動かない。

 唾を呑み込んだかと思うと、ラケットを握りしめてガチガチに固まっていた。


 普段の遠山が絶対に見せないくらいの緊張ぶり……きっとアレだ。

 目立たなくて、でもよく見ると可愛くて、感情を表に出さない子に向けられがちな男子特有の劣情。

 あの子の良さは俺だけがわかってるんだ症候群。


 リアルで見ると気持ち悪いことこの上ないわね。

 勝手にこじらせて自縄自縛。失敗を過剰に恐れる現代っ子か。

 ふられたって他の子に前進したらいいんだから、もっと肩の力抜けばいいのに。


「俺は……ガキのころ、宇宙の絵本ってのを読んで、宇宙にも寿命ってのがあり、やがて熱的死するって知って、心底震えた。だって、宇宙の熱的死がなんかのまちがいで明日に起こるとしたら、どこに逃げたって死んじまうだろ? 自分の力じゃどうにもならないことがあるってのがたまらなく怖かったんだ。いま、そんなガキのころと同じくらい恐ろしい」

「そ、そうなんだ……。ま、まあ、遠山くんが絶望的な気持ちだってのはよくわかったわ」

「なんでもいいから、なにか宝多向けの攻略法があったら教えてくれ。一個、たった一個だけでいいんだ。ダチなんだろ? マジでどうすりゃいいのかわからん」

「そんなこと言われてもね……」


 こいつ頭だいじょうぶか?

 仁美にふられる=この世の終わり。

 なんで頭ん中でデッドオアアライブ繰り広げてんのよ。

 海の冒険家になろうって命知らずの発言とは思えないわね。


 それに友達とはいえなんでも知ってるわけじゃない。

 仲良くしてたといっても小学生のころの話で、今の仁美は口数少なくて内心どう思ってるんだか。

 今回の旅行についてきた理由も不明だ。

 いくら滝沢に誘われたからといっても、勉強会すら遠慮してた人間が数日泊りがけの旅行についてくるのも不可解だし。


「いまのわたしには、遠山くんのためになりそうな助言なんてできないわ。でも、きっと大丈夫よ。仁美がダメだったとしてもこの世の終わりにはならない。だって世の中の人口の半分は女性なんだから。どこかにいまのあなたが好きって人もいるかもしれないでしょ。ほら、案外近いところにいたりね」

「ちっ、誰かさんと似たようなこと言いやがって……」


 遠山が重い腰を上げてコートに入っていった。


「な、なあ宝多。次は俺と一緒に──」

「遠山くん、良かったらわたしと一試合しない? だいぶこう、テニスのコツってやつを掴みかけてきたところなの!」


 遠山の針の先みたいな声は、美夏のはつらつな声にかき消された。

 あの姉は見事なくらい空気読まないわね。


「あ、はい……俺で……良ければ……もちろんっす……」


 仁美がテニスボールを遠山に渡し、お辞儀してコートから出て行った。

 遠山の目がこの世の終わりみたいに光を無くしていた。


 滝沢たちのゲームも決着した。

 結果だけみれば穂高の圧勝で、見た目よりテニスに覚えがあったらしい。弱っちい滝沢の実力に合わせて戦ってたんだろう。


「仁美、次は審判お願い。アタシ、穂高先輩と戦ってみたいし」

「うん、いいよ」

「じゃあ、今度は俺が一回休むね」


 仁美が了承して、滝沢は冷河のいる休憩スペースに下がった。


 アシリアが審判台から飛び降りて手首のスナップを確かめていた。不敵な笑顔で穂高をにらんでいる。


「まあ、妙成寺さんったら、そんなにわたくしと戦いたかったなんて光栄だわ~。あなたの素敵な笑顔が屈辱で歪むよう全力でお相手いたしますね。中学女子テニス県大会ベスト8の実力を見せてあげますわ」

「いやだな~、ほんのお遊びじゃないですか。ガチでこないでお手柔らかにお願いしますよ、先輩~」


 入念なストレッチを行ったアシリアがコート入りした。

 横に座った滝沢が満足そうな笑顔で言う。


「来てよかったね。広いし、空気はきれいだし、みんな楽しそうだし。穂高先輩には感謝だよ」

「そう? テニスするだけなら学校でもできるじゃないの」


 温泉にでも入らないと旅行に来たという気がしないわ。


「ま、まあ、まだ一日目だし、他にも色々施設が充実してるって先輩言ってたから期待していいと思うよ」

「たしかに、物事を断ずるには時期尚早ってものね」


 アシリアの殺気のこもったサーブを穂高が苦もなく返す。

 アシリアは必死にボールへ追いつこうとしていたが、実力に差がありすぎた。

 隣のコートから美夏が「穂高ー、もっと手加減しなさいよっ」とヤジを飛ばす。

 遠山は、審判台の仁美に目がいって、試合に集中しきれていなかった。


「仁美さんとはどう? 仲直りできた?」


 滝沢が当たり前のように聞いた。


「仲直りって……べつにケンカしたわけじゃないわ」

「ごめん、言い方が良くなかったね。なんか少しギクシャクしてるかなって思ったから」

「女同士のことなんだから、滝沢くんが気にする必要なんてない」


 目聡いやつ。亀裂が入った原因はお前だってのに。


「せっかくの夏休みだから、みんなで楽しい思い出つくってほしいんだ。きっと仁美さんも冷ちゃんとの思い出作りたいって思ってるはずだよ。彼女、今回の旅行もずっと遠慮してたけど……、冷ちゃんも一緒に来てほしがってるって言ったらようやくオーケーもらえたんだから」

「はあ? あなたそんなこと言ったの?」

「内緒にしててね。俺、中学高校と仁美さんとはずっと同じクラスで、彼女よく言ってたよ。今ごろ冷ちゃんなにしてるかな、って。わたしにとって初めての友だちだからって、ずっと気にかけてた。冷ちゃんのことが大好きなんだよ」

「あの子が……?」


 もし滝沢の言うとおりなら、悪いことをしたかもしれない。

 転校初日、自分は仁美に声をかけられるまで彼女のことをすっかり忘れていたのだから。


「だからさ、ふたりにはもっと仲良く──」

「あれ? あなたたちどうしてこんなところに?」


 背後の金網から聞き覚えのある女性の声がした。

 日よけのストローハットをかぶり、フォックス型メガネの向こうの目が意外そうにこちらを見ていた。


「冴子先生! 先生こそなんでこんなとこに?」


 滝沢が立ち上がり、金網向こうの冴子のそばに駆け寄った。


「もちろん休暇のために決まってるじゃない。霧生さん、遠山くんに、宝多さん……、一人はわたしのクラスの子じゃないわね。向こうでテニスしてるのは滝沢くんのお姉さん? 大勢なのね」

「ええ、まあ……水城舟先輩のご厚意でみんなで遊びに。先生はお一人ですか」

「いいえ。わたしの姪、姉の子どもと一緒にね。ここに来るまで電車ではしゃいでたから、今はロッジで寝ちゃってるけれど」

「姪っ子さんとですか。本当すごい偶然ですよね。先生はしばらくここにいるんですか?」

「三日間だけよ。高校の教師に夏休みなんてないの。今日休みが取れたのだってすごく幸運なんだから」


 なごやかに談笑する滝沢たちを見て冷河は思った。

 学校では滝沢を問題児扱いして厳しい目を向ける先生なのに、まったく別人のようだ。

 働くときは働く、休むときは休む、公私混同しないまさに自分が理想とする大人の女性の姿だ。


「良かったら先生も一緒に遊びませんか。あとで姪っ子さんも連れて」


 先生の姪がどんな子どもなのか興味がわく。

 電車ではしゃぐぐらいならまだ小さそうだ。

 案外、両親が子どもの世話から解放されたくて、親戚に預けてるだけなのか。


「やめておくわ。せっかくのお休みに教師がいたら、あなたたちが楽しめないでしょうし。それにわたしの可愛い姪を滝沢くんみたいな悪い男の子に会わせられないしね」

「いつも思うんですけど、先生の中の俺って、どんな外道になってるのか気になります……」


 冴子は苦笑した。


「あなたたちもはめを外しすぎないようにしなさいね。特に滝沢くんは常習犯! いつもみたいに女子に絡んだりしないように」

「い、いやだなあ。そんなことしませんってば……」

「霧生さんもそれじゃあね」


 冷河が会釈すると冴子は立ち去っていった。




 レストラン兼インフォメーションセンターのホールで、一堂は思い思いにくつろいでいた。

 ウッドデッキ側にはソファー席が用意され、悠然とした新緑の山並みが広がっていた。


「いつ見てもいい景色だわ~。そう思わない恵太くん?」


 サングラスをかけサイドテーブルの飲み物を手に穂高が言った。

 穂高の目的は概ね滝沢なので、彼はほとんど穂高の話し相手に徹している。


「はい。街に住んでると中々見れない景色ですごく新鮮です。目の前の山なんてほら、まるで富士山みたい」

「あら、富士山見ながらゆっくり黄昏るのも悪くないですわね。だったらこの次は本物の富士山が見れるリゾートを期待しててください」

「え、ええ。つ、次があるなら……ぜひ」


 滝沢は歯切れ悪く返していた。


「クッソ~、いけると思ったのに~! 先輩、アタシのときだけガチるんだもんな~。今度はアタシの得意なバトミントンで勝負挑んでやる」

「懲りねえな、お前も。そんなに勝ちたきゃ、ハナから相手の土俵で勝負しなきゃいいんだよ」


 アシリアの愚痴を受けながら達也がトランプを切った。

 ホールに備え付けられた丸テーブルを囲み、冷河を含めた三人でゲーム中だった。

 美夏は探検と言って、仁美を連れて施設のどこかを回っているようだ。


「そういう遠山くんは、もっと相手の土俵に上がるべきだったんじゃない。こんなとこで駄弁ってないで、さっき美夏ちゃんが仁美を誘ったときに便乗すればよかったじゃない。せっかくのチャンスを見逃がしてたら、いつまで経っても進展なんてしないわよ」

「うう……いや、なんか……俺がついてっていいもんか迷ってるうちに行っちまって」


 遠山が動揺してトランプを床に落とした。アシリアが言う。


「ダッサ。ていうかまだ諦めてなかったの? しつこいし、キモいし」

「うっせぇ。お前に言われたくねえ」


 四点チャイムの音が鳴った。


『本日も神楽高原リゾートをご利用いただきまして誠にありがとうございます。お客様に迷子のお知らせをいたします。お名前、佐々木美冬ちゃんという女の子を保護者の方が探しています。年齢は五歳。服装は白いシャツに黒のジャンパースカート。保護者の方がインフォメーションセンター一階サービスカウンターでお待ちです。また、お気づきのお客様がいらっしゃいましたら、近くのスタッフまでご連絡くださいませ。繰り返します──』


 案内放送を聞いて、冷河はカードを取る手を止めた。


「ねえ、冴子先生の姓って、佐々木じゃなかったっけ?」


 クラスメイト全員親しみを込めて冴子呼びなので姓がうろ覚えだ。


「ああ、たしかそうだな。そういや先生もここに来てんのか」


 遠山が面倒そうに言う。

 穂高と話していた滝沢が素早く立ち上がり、一階フロアのサービスセンターに走っていった。

 カウンターの待合席には焦った様子の冴子先生がいた。

 滝沢がなだめすかすように話したあと、冴子を残してこちらに戻ってきた。


「やっぱり先生の姪だってさ。思いついたところをいくら探しても見つからないって。美冬ちゃんが戻ってくるかもしれないから先生はここを動けないし……。俺、外で探してくるよ」

「まだ明るいから大丈夫と思いたいわね。……しかたない、わたしも手伝う」


 冷河は賛成した。

 その辺を勝手に歩き回ってしまいそうな年頃だ。一人にしておけない。


「物好きだねお前ら。まあいいや。ヒマだから俺も探すか」

「じゃアタシも!」


 遠山がのっそり立ち上がり、アシリアは穂高に聞いた。


「先輩は心当たりありません? この別荘地で子どもが行きそうなところ」

「そうですね……子どもが遊べるアスレチック場がありますから、可能性が高そうな場所ならそこでしょうか」


 滝沢が柱に立てかけられた施設案内マップを見ながら。


「先生たちの泊まってる貸し別荘もアスレチック場に近いから、そのあたりかもしれないですね」

「雁首そろえて一か所を探すのもなんだ。全員別れて探そうぜ」


 遠山が提案した。


「それもそうね。ねえ滝沢くん、その美冬ちゃんがいなくなってどれくらい経つの?」

「ええと、先生が俺たちとテニスコートで会ったあとすぐ別荘に戻ったら美冬ちゃんがいなくなってたらしいから、大体一時間くらいかな」

「ならそれほど遠くには行ってなさそうよね。先生たちの別荘を中心に……そうね。半径500メートルくらいに絞っていいんじゃないかしら」


 別荘地の総面積は200万平方メートルを超える。予想した範囲でも大体三分の一に相当する広さだ。


「忌々しいことにその半径だと大体の施設が密集してやがんな。省いていいのは外縁部に近い桜公園と野鳥公園くらいか。どっかの建物にいるんだったらさすがにスタッフの人間が気づきそうなもんだし、外にいるものと仮定しよう。俺は三店舗あるコンビニ、水城舟嬢はアスレチック場、妙成寺はレストランエリア、霧生と滝沢は体育館、テニスコート、プールでどうだ?」

「「「意義なし!」」」


 全員即答だった。

 解散しようとして冷河はふと思った。


「ちょっと待って。滝沢くん、服装以外で特徴はないの? 髪型とか、先生みたいにメガネかけてるとかさ」

「髪は肩より長めで、メガネしてるとは言ってなかった。あとは……瞳の色が茶色だからすぐわかるらしいよ」

「茶色? それってあなたみたいに?」


 滝沢が一瞬引っかかったように考え込む。


「……たぶんね」


 遠山が滝沢の肩を叩いた。


「ま、それだけ特徴がわかってりゃ十分だろ。よし、全員解散だ!」




 冷河はインフォメーションセンターを出て、体育館を見て回った。

 学校より一回り広かったがざっと見ただけで全体は見渡せる。大人ばかりで子どもはいなかった。

 一応トイレの個室まで見て回ったが誰もいない。体育館は外れだろう。


 次は体育館から少し離れたテニスコート。さっきまでいた場所には、四人の若い女性がダブルスで試合をしていた。

 見たところ回りに子どもはいないが念のためだ。


「すみませーん! この近くで、五歳くらいの女の子を見かけませんでしたか。白のシャツに黒のジャンパースカートで……ちょうど学校の制服みたいな格好なんです」


 金網寄りの愛想のよい女性が答えてくれた。


「いいえ、見てないです。みんなもそうよね」


 他の三人の女性も首を振る。


「ごめんなさい。役に立てなくて」

「いいえ、どうもありがとうございました」


 他に行きそうな場所を思案していると、こちらに気付いた滝沢が駆け寄ってきた。


「プール近くにはいないみたい。お客さんにも聞いてみたけど誰も」

「そう。こっちも同じよ」


 スマホに発見報告がない以上、他のメンバーも同じでしょうね。


「迷子案内までしてるわけだし、子どもが一人でいたら回りの大人が気にかけそうなもんだよね」


 子どもが行きそうで回りに大人がいない場所……それってどこよ。

 捜索にもたついて万が一のことでもあったらシャレにならないのに。

 こういうトラブルのために、子どもにはGPS発信機を持たせるのを法律で義務化しとくべきじゃないかしら。


「……いま、なにか聞こえなかった?」


 滝沢が不思議そうに辺りを見渡していた。


「なにかって?」

「なんか……パパ助けてって……聞こえた気が」


 滝沢は苦しそうに顔を歪めて、膝をついた。


「ちょっと、どうしたの」

「パパ……? 森に落ちる? これってもしかして」


 頭を振って苦しそうに息を吐く。


「ここじゃないんだ……景色を見渡せて、下に木がたくさん生えてて……」


 滝沢は、そばにあった案内マップに見入っていた。


「あった。きっとここだ」

「ちょっとどういうこと。美冬ちゃんの目星でもついたの?」

「ごめん、もう時間がないんだ。冷ちゃんは先生のところに戻ってて」

「ちょっ」


 聞く耳を無くしたように滝沢は走り出した。

 冷河は滝沢のあとを追ったが、木の骨組みで作ったような子ども向けの立体アスレチックの辺りで彼を見失った。

 いつもながらわけがわからない。

 居場所に見当がついたなら教えてくれたっていいのに何をそんなに急ぐことがあるの?


「おい、こんなとこでどうした」


 後ろから、遠山の声がした。


「遠山くんこそどうして」

「ちょい離れたとこに最後のコンビニがあったんでな。お前んとこも外れか」

「それが……滝沢くんが慌ててどっか行っちゃって。時間がないって」

「時間?」


 遠山は悔しそうに舌打ちした。


「他になんか言ってなかったか」

「えっと、景色を見渡せるとか、森に落ちるとか口走ったと思ったら急に……」

「……ちっくしょう! またかよ! だから、先に俺に言えっつってんだろバカが!」


 罵倒しながら最寄りの案内マップとにらみ合う。


「なにかわかったの?」

「見渡しのいい高所……、森と呼べるほど植林されてる場所……」


 遠山の指が展望休憩所と書かれた位置で止まった。


「遊歩道を登ったとこにある展望台か。ここなら下に森があるってのもわかる」

「ちょっとあなたまでなんなの? 展望台だって根拠があるなら説明してよ」

「根拠は滝沢のうわ言だ。人手がいるから霧生も来い」


 滝沢を追って走る遠山の背中を見つめ、とあるロッジを通り過ぎようとしたとき、冷河は目の端で青いスカートの女を捉えていた。


 初めて会ったときとまったく同じ、マネキンみたいに佇んでいる自分の姿。

 ……アトロポス。

 でも、どうして? 数週間前にアホなメール出して音沙汰なかった女神がなんで?

 冷河は足を止めて、もう一人の自分を見つめていた。


「間もなく死ぬ」


 背後から聞こえた。

 瞬きする間に、女神はすぐそばまで近づいてきていた。


「し、死ぬって……まさか滝沢くんじゃ?」

「違う。ある者の死を止めようとしている」

「ある者って、わたしたちが探してる美冬ちゃん? 子どもが死ぬって?」

「そうだ」

「なんで滝沢くんにそんなことがわかるの? あなたが教えたの?」

「違う。少年が聞いてしまった。これから死にゆくものの声なき声。遠く過ぎ去りしもののエコーだ」

「なにそれ。亡くなった人の声でも聞いたっていうの?」

「端的に言えばそうだ」

「時系列がおかしいでしょ! これから亡くなるってことは、まだ亡くなってないじゃない。なのに、どうしてそんな幽霊の声みたいなものが聞こえるの?」


 滝沢に霊感でもあるのか。

 理由はともかく、彼のやろうとしてることはわかった。

 まだ間に合うのなら、亡くなろうとしてる人だって救えるかもしれないのだ。

 展望台を目指してる間、頭の中にアトロポスの声が響く。


「個人の才能や資質は関係ないし、この世界に生きていたものの声でもない。現在に当てはまらない過去や未来はすべて異界なのだ」

「ぜんっぜんわかんないわよ! わたしにわかるように言ってよ」

「この世界、言い換えれば宇宙は、水中の気泡のようなものだ。水底から立ち上る気泡はいくつもの泡となって別れ、その一つ一つの構成はどれも大きく変わることはない。すなわち、人が唯一無二だと思っている宇宙は一つではない。常にいくつもの宇宙が並行して、あるいはその上下に連なって無限ともいえる異界が存在しているのだ。どの宇宙にも太陽があり、光と闇に彩られた星々がある。その中には地球もあり、空気があって、水を取り込んで生きる生命がある。生命は太陽の恵みを受け、定められた進化を遂げていく」

「……つまり、わたしたちのいる世界とはまったく別個の、似たような世界があるって言いたいの?」


 平行世界、並行宇宙、パラレルワールド……とある映画の主題となっていたから概念は知っている。


「そういうことだ。そして、宇宙を構成している要素がまったく同じである以上、異界にも同じ個体の人間が発生する道理だ。少年は、別の宇宙で死んだものの声……生命の砕ける音を聞いた」

「でも、どうして、なんで滝沢くんにそんな声が聞こえたの。異世界で死んだ人の声なんて、普通の人に聞けるわけないじゃない」

「虫の知らせというやつだ。異界から伝わってくるエコーは、気脈の通じる者にしか届かない。友人、恋人、近親者、あるいは個人的な関心などだ」


 野鳥公園を抜け、木々に囲まれた遊歩道を進んでいくと、小山の中腹に展望台が見えた。

 展望台のウッドデッキは、神楽高原全体を見渡せる場所だ。


「あなた、ずいぶん久しぶりに出てきて……まさか邪魔しに来たわけじゃないわよね?」


 思い出したように死の女神として働くのはやめてほしい。


「わたしは動くつもりはない。しかし、少年を止めたほうがいいと忠告はする。本来の運命よりも先に死なせたくはあるまい」

「ちょっと! どういう意味? 滝沢くんはもう大丈夫だってあなたが言ったんじゃない!」

「前例があるのだ。あの少年が動くと、未来は歪んでいく」

「だったらその子を助けてあげてよ。そうすれば世は全てこともなしでしょ!」

「大事の前の小事。人間の運命への干渉は、弊害が大きい。わたしにできる譲歩はここまでだ」

「あなたねえっ!」


 なにしに出てきたのよ!

 止めろと言ったり、助けられないと言ったり。

 じゃあわたしにどうしろと?


「あの少年は、たとえ他人であろうと目の前の死を許容できない。そのためなら不安と恐怖を押し潰す。目の前の命を救うためなら自らの頭を撃ち抜く」

「なに言ってるの?」

「愚かな少年に調教してしまったのはお前だ。だから、お前が止めてやれ」

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