もう一度アイデンティティ
「なんでリアと別れたんですか? ていうかぶっちゃけ、リアのこと本気だったんですか~?」
「もし遊びとか言っちゃうと、あたしらもさすがに怒りますからね」
「別れたというか、今は距離を置くほうがいいよねって話し合って決めたんだよ。もちろん遊びだなんて、そんなこと思ってないし」
知り合って間もない女子たちの追究は遠慮がない。
文科系らしいメガネをかけているのが佐野雪絵、汗だくで肌が焼けているのが塚本明乃である。
このふたりはアシリアの中学時代の友人であり、アシリアを振った憎き男、滝沢恵太を断罪しに現れたのだ。
恵太は、テーブルの向こうから身を乗り出さんばかりに問い詰めるふたりに答えた。
取調室で犯人を問い詰めるようにキツイ言い方じゃなく、ほんの少し困らせてやろうという悪戯のようなニュアンスなのは、笑いを堪えてるふたりの様子からもわかる。
美夏の言いつけを守り買い物に出かけたところ、ひょんなことからふたりの女子に呼び止められ、問い詰められる事態になってしまった。
彼女たちにとって、滝沢恵太という男子は色んな意味で注目の的だったようだ。
去年の夏休みに、アシリアに彼氏ができたとは聞いていたけれど、誰かまではわからなかったという。
恵太のことを知ったのは、完全に偶然だったそうだ。
きっかけは、女子高ゆえに男子との接点が少ないことを嘆くグループとの駄弁りであった。
「あ~、彼氏作りて~」
「ムリムリ。うちの学校、不純異性交遊禁止になってんもん」
「品行方正ちゃんかい。ンなもん守ってたら、華の十代終わっちゃうよ?」
「じゃ、マッチングアプリとかやってみる?」
「う~ん、あたしはちょっと抵抗あるかな~。ぜったいヘンな人いるっしょ? プロフィ詐欺、写真詐欺、趣味詐欺、性格詐欺……いろんな詐欺横行してそうでなんにも信用できないよ」
「あのさあ、それ言い出したら直に会ってたって一緒じゃん。あたしだって男の子に会うんなら、ばっちりメイクするし、ドカ食いやめるし、全力で良い子ちゃんぶるわ。自分を良く見せるためのウソだったら、まず許すって覚悟じゃないと恋愛なんてできなくない?」
「一理ある……のかな? あ~、マジでリアのこと羨ましいわ~。共学行ったとたん、ちゃっかり彼氏作ってて先越されちゃったし」
「それそれ。あたしいまだに信じられないもん。リアって超美人だけど、けっこう気難しいとこあったし。相手の子、すっごい気になるよね~。並の男子じゃムリでしょ」
「そういやリアに写真見せてって言ったら、断られた代わりにちょっとだけ情報くれたよ。相手の子のお父さん、ドイツ人なんだって~」
「ドイツ? てことはハーフなん? それって確定で絞れるっていうか。あの子が通ってるの宮央北高でしょ? あたしらと同学年でハーフだったら伝説のナンパ師しかいなくない?」
「伝説のナンパ師って……例の超イケメンで有名な人? ウソくせ~、ホントにいるの?」
「写真あるよ。中学の友だちが付き合ったことあるって自慢してた」
「どれどれ……うわっ、たしかにめっちゃキレイな顔しとる!」
そんなわけで、恵太は、「発見! 伝説のナンパ師!」と指差してきた女子高生ふたりに、近くにあるカフェに連行されていた。
「ところで伝説のナンパ師さんは……」
頬杖をついた佐野雪絵が、微妙にウェーブした黒髪をいじりながら言った。
「あの、なんか恥ずかしいんで、その伝説っていうのやめません?」
「そんなことよりナンパ師さん、有名ですよ。やたら女の子に手をつけまくりだって! なんですか! ふざけてるんですか! リアのこと弄んだんですかっ!」
部活の練習帰りらしい塚本明乃の額には、玉のような汗が浮かんでいた。
とにかくナンパ師というのは譲れないようだ。
「弄んでないから! アシリアは大切な友だちだし。それにね、女子に手をつけまくりっていうのが事実と異なるっていうか」
そう。そこははっきりさせたい。そんなちぎっては投げみたいな節操のないマネをした覚えはないんだ。ちょっとだけ女子とのコミュニケーションを重視してるだけで、それ以外はいたって普通だと思う。
「でもナンパ師さん、すっごいイケメンですよね? きっと子供のうちからさぞモテたんでしょうし、女の子に不自由したことなんてないでしょう?」
雪江は注文したジュースに手をつけた。
「ありがとう。でも、誰かとお付き合いしてて楽だと思ったことはないかなぁ」
「え~。そんなの信じられません」
「いや、本当に。それどころか、精一杯がんばってるつもりでも、うまくいった試しがないし、なんだか苦労の連続ばかりで……」
女子とお付き合いさせてもらって思い知ったのは、相手の理想に合わせるのがとんでもなく大変だということだ。肩肘張らずに付き合うというわけにもいかない。
人間だれしも個性ってものがある。怒りっぽい子もいれば泣き虫な子もいる。強気な男が好き、礼儀正しい人が好き、話を聞いてくれる人が好き……、と様々だ。
女性の期待に応えるには、自分の素なんか見せてるようでは到底無理。ある時はキザったらしく、またある時はおしゃべりな奴になりきるのだ。常に相手が期待するキャラを演じ続けると喜ばれる。すごく疲れるが……。
雪江は、その甘いマスクなら女を手玉に取れるんでしょ、とでも言いたいのかもしれない。たしかに自分のルックスが恵まれてるのは認める。そこは親にも感謝してるし、見た目は大事だ。でも、ルックスさえよければ人生全てうまくいくのかというと、そんなわけないのだ。
男子には「顔の良い奴は性格破綻者」と陰口叩かれてヘコむし、女子には「イケメンなんだからスポーツ万能で高身長で高収入で高学歴であってほしい」と期待値がヤバいことになってるし。実は世の中イケメンに対して厳しくない?
「でもでも……リアだけじゃなくて、たくさんの女の子と付き合ってたんですよね?」
「たくさん付き合ってるってことは、たくさん別れてもいるってことなので……」
「でも、それは、ナンパ師さんがフってるからでしょう?」
「まさか! 俺のほうからそんなことするわけないよ」
よく誤解されるけど、俺は付き合った人数が多いんじゃない。振られた人数が多いんだ!
初めはすんなりとお付き合いできるのに、なぜか三週間もたないうちに「ごめんなさい」と断られる……。
中学の頃付き合ったことのある武村恵麻に、涙を呑んで理由を尋ねたら「滝沢くんってマジ良い人だし文句はないんだよ。ちょい重いだけで……」とバッサリだった。
重い? ヘビィ? 重力増すの? どゆこと?
俺がことごとく振られてきた理由ってぜんぶそれなのか?
女子の間で示し合わせたように2~3週間後に振られる呪いじゃなかったのか。
ああ……なんだか思い出すだけでまたヘコんでくるなあ。
ポジティブを心がけるべきとわかってても限度があるんだ。
冷ちゃんのこともあるし、正体不明の闇属性女神はどうすればいいかさっぱりだし、今年の夏をサバイバルできるかも怪しいし。
頭を抱えたくなるような悩みが次から次へと押し寄せてくる。
「でも、リアをフったのは事実ですよね? それはナンパ師さんから言い出したんですよね? ウソはダメですよ? ちゃんと本人から確認取ってますから」
きっちり証拠を見せつけるように、雪江は、自らのスマホを見せてきた。
アシリアとの会話文、ギャン泣きのアイコンとともに「フられました」と書かれていた。
「それは……やむにやまれぬ事情がありまして……」
「どんな事情なんですか!」
明乃がおしぼりを丸めてマイクのように向けた。
「……とても個人的なことなので言えません。でも、決してアシリアが嫌いになったわけじゃないんだ。今でも大好きなのは変わらないよ」
疑われるのが嫌で、雪江と明乃を交互に見つめた。
信じてほしいときは、相手の目をまっすぐにだ。
「うう……」
「ひえぇぇ……」
根負けしたようで、雪江たちは顔を赤くして目をそらした。
雪江がコホンと咳払いして。
「……まあ、ナンパ師さんがいい加減じゃなさそうだというのはわかりました。最後に一つ質問があります」
「なんでしょう?」
「ナンパ師さんの好みのタイプを教えてください」
「好みっていうと、女子の?」
「そうです」
恵太は腕を組んで、宙に目をやった。
好みのタイプ……あんまり考えたことがない。
「やっぱりリアみたいにキレイな子がいいんですか?」
「う~ん、たしかにキレイな子を見て見惚れることはあるんだけど、それで好きになるっていうのは違うかなぁ。やっぱり、お互いの気が合うかって大事だと思うし」
「じゃあ、性格さえ合えば、わたしみたいな色気のない伊達メガネでもいいんですか?」
「色気よりも、佐野さんが可愛くて良い人なのはわかるよ。そちらさえ良ければぜひ!」
誰かのために怒れる人って羨ましい。
他人に怒れない性分なので尚更そう思える。
雪江は一瞬黙って、明乃を指さした。
「……ナンパ師さんは、この子でもいけますか? 見ての通りガサツで、超汗臭くて、バレー部で筋トレしまくって腹筋・太もも・脳ミソまでバッキバキのゴリラ女でも?」
「ユッキー、ヒドすぎる!」
明乃が全力で雪江の肩を揺らす。
「スポーツとかに集中できる人ってスゴイと思うよ。俺にはなかなかできないから尊敬するなあ。よければぜひ仲良くなってほしいです」
職人気質とでもいえばいいのか。何かを真剣に打ち込む人は、真っ白な気持ちで尊敬する。勉強もスポーツも、自分はなにやってもパッとしないので。
明乃が恥ずかしそうに頭を掻いた。
「そ、そっすか~。照れるな~」
「なるほど……この人はたしかに伝説ね……!」
伝説って?
ツッコミどころしかない変なあだ名はやめてくれ。
雪江が蕩けた顔の明乃を腕をとって立ち上がった。
「どうも、お手間取らせました。これからもリアのことよろしくお願いします。あの子、けっこう寂しがりやなんで」
雪江が頭を下げた。
「いや、むしろ俺のほうがお世話になりっぱなしで……。あ、ここの支払いは俺やっておくよ」
「そうですか? ありがとうございます。ではご馳走様でした。伝説のナンパ師さん」
「あの、俺の名前、滝沢恵太だから。そのあだ名はどうかやめていただけると……」
「わかりました。じゃあナンパ師の滝沢恵太さんで」
「ナンパ師は外そうね!?」
半笑いしながら、雪江たちはカフェを出て行った。
わかってもらえたんだろうか。
彼女たちは、アシリアを傷つけられたと思ったから、直談判しに来た。
要するに自分の曖昧な態度が招いたことでもあるのだ。
現実と非現実のあいだに放り込まれて、なにから手をつけていいかわからない。
ただの男子高校生が頭を抱えるのは、学校の成績と気になる女子のことだけでいいと思うのに。
頭がぐちゃぐちゃになる前に、これだけははっきりさせとこう。
俺はアシリアのことが好きだ。この気持ちはまちがいない。
冷ちゃんのことも好きだ。この気持ちは昔から変わらない。
姉の美夏も好きだ。アナザー恵太みたいにインモラルに突っ走ってるわけじゃないが。
オルタネイトで知り合った穂高先輩も好きだし、仁美さんも、恵麻さんも、悠紀さんも日菜さんも亜里沙さんも胡玖葉さんもみんな好きだ。さっき知り合った雪江さんと明乃さんもいいよね! まだまだいるけどみんな好き!
……ってよく考えたら俺好きな人多くない?
もしかして俺っておかしいのか?
う~ん、しかしねぇ。
誰かを好きだという気持ちに大きな差があると思えないんだよなぁ。
誰にだって良いところもあれば悪いところもあるけれど、両方含めて好きになるんだからしかたないと思う。
素直で正直な気持ちがこれなんだ。
でも、この性分を曖昧だと言われたら反論できないし、常識としておかしいのもわかるし、人によっては最低と罵られそうだ。
改めたほうがいいかもしれない。実際に改められるかは置いといて。
「あ……なんてこった」
財布を開いて気づいた。美夏に頼まれた買い物分しかお金がない。
くっ、つい見栄を張っちゃうクセのせいで!
しかも雪江さんたちのアカウントも聞き忘れたぞ。
初歩的で致命的なミスだ。相手に興味がないみたいで最悪だし、挨拶できない人間も同然じゃないか。
レジ後ろにあるガラスをコンコンと叩く音がして振り返ってみると。
「ゴチになりましたー! 伝説の恵太くーんっ!」
明乃がキャーと叫びながら、雪江の手を引いて走り去っていった。
「伝説も外してね!?」