もう一度ダブルネス
二〇二一年五月一日 土曜日
「恵太ーっ、晩御飯用のお惣菜、適当に買ってきてー。わたし、掃除で忙しいからーっ」
長年使いこまれて騒音発生器と化した掃除機に負けない大声で、美夏が言った。
「わかったよ」
指示はそっちのけで、次はどうやって冷河を誘おうかと考えながら、恵太が玄関を出ると。
「……あれ? 冷ちゃん?」
「……どうも」
いくら家に招こうとしても来たがらなかった冷河が、凛とした顔立ちにムッとした仏頂面を浮かべて立っていた。
「あ、あのね……少しだけお話が……」
「話し? そっか。まあ、ここじゃなんだから、どうぞ家に上がって」
「いえ、べつにここで結構……へ? いや、話なんてどこでもいいじゃない。は、ダメ? ちょっと待ちなさいよ。……わかった、わかったから! わかったから耳元で囁くのやめなさい! お邪魔すりゃいいんでしょお邪魔すりゃあ!」
なにやら耳元で飛び回るハエを払うような動きで耳を抑えていた。
「あのー、冷ちゃん? どうかした?」
「……なんでもないから気にしないで。そうね。お言葉に甘えて、少しだけお邪魔しようかしら」
明らかに乗り気じゃなさそうな顔だ。
それでも向こうから家に出向いてくれたのだから、このチャンスを活かさない手はない!
「姉さーん、買い物はちょっと待ってくれる? お客様がいらしたからー!」
美夏は、二階に繋がる階段でガーガーと掃除機をかけていた。
「お客様? まったく誰よ、この忙しいときに……」
降りてきた美夏は、冷河の顔を見たとたんぱっと明るい笑顔を見せた。
「冷ちゃんだーっ。キャー、めっちゃ久しぶりだね~。もー、相変わらず可愛いから、一目でわかったよーっ」
ものすごい豹変ぶりで冷河にすり寄っていった。
「あはは……み、美夏ちゃんも変わらずウザ……じゃなくて、元気そうでなにより……」
「ツイッターでDM送っても反応ないから忘れられちゃったかと思ったよ~」
「ツイッターで? そ、そうだったかな……?」
「うん。これがわたしのアカウント!」
嬉しそうに見せたスマホの画面には、美夏のアカウント"びゅーてぃー☆さまー♪"が表示されていた。
……これじゃ誰かわかんなくて当たり前だ。
「ママー、こっち来てーっ。すっごいビッグなお客様来たよー」
リビングでゴロ寝していた母が出てきた。
「あらまあ、霧生さんとこの娘さんじゃない。本当にお久しぶりねえ。ささ、どうぞどうぞ。上がってってくださいな」
「お、お邪魔します……」
恵太は、さきほどまで母がゴロゴロしてたリビングに冷河を招いた。
スマホで済ませず、わざわざ滝沢家に出向くくらいの要件だ。きっと個人的な話しだろうし、あまり聞かれたくもないだろう。話したそうにうずうずしてた美夏と母には退席してもらった。
「それで、今日はどうしたの?」
「いや、そんな大したことじゃなくて……、あなた結局、進学はどうするつもりなのかなって」
「ああ、こないだの?」
「そう。……あなたもわかってるわよね? 大卒と高卒じゃ生涯年収違うし、日本だとほぼ例外なく大卒が有利。例の女にお金を返すにしたって、時間をかけてしっかり勉強して、少しでもいい大学出たほうが正解よ」
「たしかに、冷ちゃんの言う通りだと思う」
「そこで提案だけど、これからわたしと一緒に勉強していかない? こないだの実力テストの点数見るに、あなたよりわたしのほうがだいぶ先いってるし、教えるだけなら不足はないはずよ」
とてもありがたい申し出だったが、一つ心配がある……
「冷ちゃんはそれでいいの? 冷ちゃんのほうが頭良いし、俺、足引っ張っちゃうんじゃあ……」
「問題ないわ。人に教えるのも、自分が正しく理解しきれているかの確認になるし、塾のない火・木・日なら時間も取れ……へ? 毎日? ムリに決まってるでしょ、わたしだってそんなヒマじゃないんだからっ」
冷河は、またも耳元で飛び交うハエを叩き落とす勢いで手を振り始めた。
「あ、あの、冷ちゃん……、どうかした? だいじょうぶ?」
「ぜんっぜん、だいじょうぶよ! ここんとこ根詰め気味なせいか、ヘンな耳鳴りがして困ってるのよね! じゃあ、土日除いて可能な限りってことで……、は? 抱き着け? アンタ頭おかしいんじゃないの! どこの世界にこのタイミングで発情するビッチがいるのよ!」
今度は髪が逆立つような勢いで、頭を振り始めた。
……さすがにただ事じゃないような気がする。
「冷ちゃん、疲れてるようなら、少し休んでく?」
「まっっったく問題ないから! ノープロブレム! わたしは至って正常なのに、耳鳴りがヘンなことばっかりいうだけだから!」
耳鳴りの時点で異状なのでは? なんて言っても一蹴されるんだろうなぁ。
冷河は、げっそりした様子で自分の耳を押さえていた。
「まったく……どこがシノメガミよ……やってることは恋のキューピットじゃないの……!」
「え? いまなんて?」
「……わたし、なにかヘンなこと言った?」
「なんか……メガミがどうとか」
一応、一般的に知られたワードとはいえ、中々口に出すこともないワードだと思う。
美夏の件がなければスルーしてただろう。
「メガミ? メガ……めが……眼がね! なんかもー痛くって。ドライアイなのかな。目薬があったら少し貰えないかしら?」
「う、うん。ちょっと待ってて」
恵太は、自室にある目薬を取りにリビングを離れた。
どんなに鈍い人だっておかしいと思うだろう。
そもそも冷河が今日家に来たのだって不可解なくらいなのに。
勉強を教えたいからなんてのは、さすがにこじつけ臭すぎる。
だって悲しいことに彼女の嫌いっぷりは筋金入りなのだ。
今日までどれほど辛抱強く遊びに誘っても「死んでもイヤだ」「明日地球が滅びるとしても行かないから」の一点張りだった彼女が!
前世から全身全霊で拒否ってた冷河が!
突然何の理由もなく急に方針転換するとでも?
九十九パーセントありえないんだ。
たしかに、自分の熱い想いに気づいてくれたんなら嬉しい。ワンチャン残り一パーセントがきたのかもしれない。むしろ残り一パーセントに賭けたいのは山々さ。そうであったら最高だし。ていうかそうであって!
幼いころ、冷河に与えられた試練を完璧にこなした。
厳密にいうと前世の冷河にだが、いっぱしの男として相応しい態度や振舞いを磨いてきた。
とても嬉しいことに努力は実を結び、多くの女子には認められ、受け入れられた自信もある……それなのに!
なぜか冷河にだけは認められず、受け入れてもらえなかった。
きっと自分には、まだ肝心なものが足りてないんだと思う。
それが何なのか今になってもわからないけれど……。
冷河ははじめての友だちであり、先生であり、はっきり言っちゃえば初恋の人でもある。
彼女の期待(今も期待されてるならだが)には、完璧に応えたい。たとえどれほど厳しくても全力で。
その上で冷河を救い、未来を変えてやる!
決意表明は置いといて、冷河が呟いたメガミが問題なんだ。
もしかして彼女には何かの声が聞こえてるんじゃないのか?
去年の火事で、死神の声を聞いた自分のように。
頭にシノってつけてたよね? シノ……市の……士の……死の?
語感的に死の女神っていうのがしっくりくる。
なにやら物騒な属性の女神様だ。
考えろ、考えるんだ。情報が足りないなら想像力で補うんだ。
普段だったら眉唾過ぎるが、それを言ったら別世界から来た自分はどうなんだ。
まずは疑うのをやめてみろ。
達也も言ってたじゃないか。常識の枠を取っ払わないと、自分たちに降りかかった災厄を乗り越えることができないんだ。
仮に冷河が死の女神の声を聞いている(または憑りつかれてる)として、それは自分に語りかけた死神と同じ奴なのか?
あれは死神じゃなくて女神だったのか? そして、冷河に憑りついた理由はなんなんだ?
さらに仮定を進めて……アナザー恵太の言ってたことが事実なら、姉の美夏も女神だという。
正確には生まれ変わりだったかな。
理由をつけて美夏も連れてきたほうが良くないか?
相手は正体不明の女神で、超能力や霊能力もない普通の人間に太刀打ちできるわけがない。
しかもタチ悪いことに「これがわたしのお仕事だ!」と人を死なせようとする迷惑極まりない存在だ。
自分はなんやかんやあって助かったけれど、第一波を越えただけで、第二波の襲来は目前なのだ。
なんとかして死の女神を冷河から離さなくては……。
憑りつかれた状態では、彼女に自由はないと思う。
誰かに助けを求めたらしょうちしないぞ、と口止めされてるかもしれない。
女神の生まれ変わりだと豪語していた美夏姉さんだったら、状況を打破できるのか?
目には目を、女神には女神をだ。
相手が底なし沼のような闇属性であれば、美夏は常夏の光属性で、磁石みたいに反発作用がありそうだ。
普段はスマホがなければ生きていけない現代の女子高生を体現したような姉だが、頼りにしていいんだろうか。
目からビーム! 手からエネルギー波! 全身から迸る女神パワー! ……さすがにどっかのアニメみたいな期待はしないけど、冷ちゃんの憑き物を祓えたら素晴らしい!
まずは美夏姉さんを呼んでみよう!
さあ、どうなる?
「はふ~ん。ういうい~。あ~、冷ちゃんってホントカワイイし、ほっぺもモチモチだよね~。きもち~」
「美夏ちゃんさ……ちょっと近すぎ……ああもう、コイツの万倍うっとうしい!」
特にどうもなりませんでした。
美夏は、冷河の顔を見たとたん、目をギラギラと光らせ理性をなくしたみたいにすり寄って、頬擦りしていた。
冷河は心の底から嫌そうな顔である。
少なくともこっちに助けを求めてるような感じはないな。
ズモモモモと闇のオーラが迸ってる気さえする。
例えるなら一方的に猫を愛でているが、猫からはウザがられる飼い主の図。
なんだろう、けっこうシリアスな状況なのに力が抜けそうだ。
恵太は美夏に耳打ちした。
「ねえ、姉さん。冷ちゃんを見てみて、なんというかこう……感想とかはない?」
「感想? 昔と変わらないわよね。控えめで慎ましやかでとっても可愛いっ」
「冷ちゃんを見てて背筋がゾワゾワするとか、鳥肌が立ったりは……」
「なによそれ。そんなゴキブリを見たときみたいな反応するわけないでしょうが」
……………………。
あの、死の女神は? 闇に対抗するための光属性は?
退魔魔法を期待してたわけじゃありませんが、せめて仇敵として対立してるっぽい感じはないんですか?
はっきり申しまして、酔っぱらいのように絡みまくる美夏姉さんのほうがタチ悪いように思えるんですよ。
アシリアの比じゃないくらい懐いてるし。
「そういや冷ちゃん、恵太の勉強見てくれるって? ありがとう~。だったら毎回うちに来なよ~。和室が空いてるからそこ使って」
「え? いや、だってこの家は身の危険が……」
「ぜひ使って?」
「図書館とかのほうが断然……」
「ぜひ」
「一万歩くらいゆずってわたしの家でも……」
「……うちじゃイヤ?」
美夏の哀しみ圧がすごい。
泣きそう。今にも滝のように泣き出しそう。
美夏の瞳には透明の液体がみるみる溜まっていき、決壊しそうなあたりで冷河が折れた。
「……わかりました。じゃあ来週の月曜日から、滝沢くんのおうちで」
すると美夏はパッと笑顔になって、また頬擦りしだした。
帰り際、恵太は冷河に宣言した。
「冷ちゃん、俺、絶対期待に応えて見せるから。どんなに厳しくたって、絶対に冷ちゃんの助けになるから!」
気休めにならないハッタリでも伝えておきたかった。
達也のように秘策を思いついたり、美夏のように変わった出自があるわけでもないけれど。
自分はただの人間だ。何の変哲もない普通の人に過ぎない。
それでも、言葉に起こせばハッタリがホントになることもあると信じたい。
「あ~、そういうのはいいから。滝沢くんは、わたしのことより自分の心配だけしてなさい。……あなたに何かあったほうが寝覚めが悪いんだからね」
思ってたよりずっと軽い調子で、冷河はため息を吐いていた。




