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霧生凷河は認܉な〇➁

 ブレイクスルーという言葉がある。

 意味は困難や障害を超えることであり、よく突破口と訳される。


 例えば自転車があるとする。現代の自転車は、近い大きさの車輪を前後に二つ並べた構造で、乗り手が脚で漕ぎ駆動するものだ。今となっては当たり前のフォルムをした自転車も、誕生した西暦一八〇〇年代では、現在とはまるっきり異なる形をしていた。


 初期の自転車は前輪が異様に大きくて後輪が情けないくらい小さかった。

 現代の自転車に慣れ親しんだ人にはかなりヘンテコに見える。

 早さを追究するため車輪を大きくしていたわけだが……このアンバランスな自転車はチェーンによってより効率よく漕ぐ力を伝動できるまで約六〇年ほど続いた。

 長い間続いていたアンバランス自転車だったが、突如として進化を遂げる。

 六〇年経って、現代の自転車に近いものへと生まれ変わった。

 つまり技術のブレイクスルーが起きたわけだ。


 うんちくになったけれど、わたし霧生冷河もそういう場面を目の当たりにしているのだと思う。

 滝沢恵太という、甘ったれの軟弱者が、ブレイクスルーを起こしたのである。

 がんばって洗脳……いや教育した甲斐があったわ!


 翌日の学校で、滝沢は有言実行を果たした。

 とりあえず隣の席の女子からということだろう。

 言いつけを愚直に守り女子の前では爽やかな笑みを心がけ、褒めるべきときに持ち上げた。

 素晴らしいくらい王子様ムーブを決めているようだ。

 いくら顔が良くたって口下手な奴はモテないわよ、というわたしの忠告を何よりも守っているように思えた。


 そして、あっという間にクラスの中心的存在である女子(カースト上位のクソ生意気な子だ)と仲良くなったと思ったら、次から次へと……。

 滝沢の快進撃は留まることを知らない。

 一度モテだすとまるで導火線に火が付いたみたいに連鎖していく! モテがモテを呼ぶスパイラル!

 一月もするとクラス中の女子の注目を一身に受けるまでになっていた。


 本人の素材が良かったし、ある程度はいけるだろうと予想していたが、完全にそれ以上の成果だった。

 もはや一人でベソかいていた男の子とはまるっきり別人だ。

 滝沢のイジけた性格は直り、素敵なイケメン男子が生まれたんだからクラスの女子も大喜びだろう。


(どうだ見たか! 滝沢くんは、わたしが育てた……!)


 そう快哉を叫びたい気持ちでいっぱいだ。

 自分のことのように嬉しくってしかたないね!


 よくやったぞわたし!

 献身的で、クールビューティで、性格も良くて、面倒見なんて母親みたいに立派なもの。

 これ以上にないくらい良いことができて気分がいいな~。

 本当に心から良かったって思うわ!




◇ ◇ ◇




「ちっっっとも良くないわよ!」


 冷河はテーブルを手で叩いた。

 思ったより大きな音が鳴って、目の前の宝多仁美の肩がビクっと震えた。


 ここ最近、昼休みになると、滝沢にべったり張りつかれてご飯の味が落ちた気がしていたが、今日だけはご飯がおいしい。

 滝沢は、担任の冴子先生になにかの用事を言いつけられ、本日は不在である。

 だから、久々に、仁美とふたりだけで学食へ来たのだが……


「ご、ごめんなさい……。でも、滝沢くんが冷ちゃんに夢中なのはホントだと思うし、わ、わたしもふたりはお似合いだって思うし……」

「なにがお似合いよ! どうせすぐ目移りするに決まってるじゃない。知ってるわよ。中学も高校も、身近の女の子に近づいては侍らせてたって。見てないのにその様子がありありと浮かぶようだわ。おまけにセクハラまがいのことまでしてくるし、むしろ昔より悪化してるわね!」

「そ、それは……悪く言うとそうなんだけどね。滝沢くん、どちらかと言うと言い寄られるほうだと思うし……。あんまり断ったりする人でもないから……、とりあえず親密になっちゃうっていうか……」


 小さい頃気にかけてもらった恩があるためか、しどろもどろに仁美はフォローしていた。


「そ、それにね。冷ちゃんも覚えてるでしょ? 滝沢くんって女子人気すごくて、特定の子とばかりいるとそれはそれで火種になるから……」


 そういえば滝沢を巡って女子同士醜い言い争いをしてたこともあったっけ。

 あいつの家に何人も押しかけたりまでしたとか。

 そのため、のちに淑女協定を定めねばならなかったくらいだ。

 ちなみに淑女協定とは、滝沢を共有財産として扱う個人の独占禁止法である。

 アホみたいだが、こういうルールがないと余計な諍いが発生してしまうのだ。


「フン。どっちにしろ女をアクセ扱いなんでしょ。相も変わらずクズね」


 イケメンっぽいハッタリが昔より徹底していて、つまらないお世辞まで言えるようになったようだ。

 実際には可愛くなくたって可愛いと褒めちぎるし、真実は性格ブスなのに優しいと褒めたたえる。

 滝沢は、相手の気持ち良くなるツボを突くことばかりしてくる。

 天性の詐欺師なんじゃないかと思えてきた。


 いっそのこと、実はめちゃくちゃダサい性格してた男なんだって、ブチまけてやったほうがみんなのためなんじゃないかな。


 仁美が寂しげな目を向けてくる。


「ねえ、冷ちゃんは、滝沢くんのこと本当に嫌いになっちゃったの? 昔はわたしたち一緒によく遊んでたじゃない。覚えてる? 滝沢くん、人生ゲームやったことないっていうから、冷ちゃん一生懸命になって紙に書いてたよね。三人でマス目のイベント考えて、ルーレットも自作して……」

「やめてよ。そんな昔のこと」

「いつからだったかな……冷ちゃんがよそよそしくなっちゃったの」

「もう十分だから! それ以上言ったら本気で怒るわよ?」


 仁美は唇を噛みしめ言い淀んだ。


「やっほー、ヒットミ~。お隣失礼しまーすっ」


 クラスメイトの武村恵麻が、ストローでイチゴジュースを吸いながら席に座ってきた。


「……ありゃ? なーんか暗~いフンイキだね~。どしたん?」

「えっと……」


 恵麻ににっこりと尋ねられ、仁美はたじろいでいた。


「つまんないことよ。気にしないで」

「そっか~、つまんないことか~。でもさ~、そういうのって第三者にとってはオモシロかったりしない?」

「知らないわよそんなの」


 恵麻は、けらけらと笑った。

 いつもなら悪態をついてたかもしれないが、今は彼女のKYぶりに癒される。

 滝沢と親密な時期もあったようで、中学以降の彼の様子は恵麻を通して知ることができた。


「そういやキリリ、昨日滝沢くんとデートしたんでしょ? 楽しかった~?」

「どこから聞きつけてくんのよ……誰にも言ってないはずなのに」

「人の口に戸は立てられないっていうよ~。いや~、誰かさんは一回デートするだけでめちゃくちゃ遠回りしてたのに、さすがだね~」


 本人談によるとアシリアと親しいようだし、きっとそこから漏れたんだろう。とにかくバレてるんならしかたない……。


「ええ、行ったわよ。最高につまんなかったわ」

「ほうほう」


 恵麻は訝しむように口を尖らせた。


「綺麗だね、とか心にもないことを連発してくるわ、映画観ながら手を絡ませてくるわ、帰り際に道の真ん中で抱き着いてくるわ! サイッテーよ。あんまりストレスだったせいか変な幻覚まで見ちゃったし!」


 箸の手を止めて思い出す。

 横断歩道での光景には自分の目を疑った。

 道の向こうに、そのときの自分と同じ青いスカートを穿いた『自分』がいたように見えたのだ。

 ほんの一瞬目を離しただけで消えてしまったが、まるで鏡像を見ているようだった。


「拒否反応すごくて笑うしー。もー、そんなにヤならなんでデートしたん?」

「……イエスって言わないと、毎朝登校で迎えに来るって言われたんだからしょうがないでしょ」

「ちょ~熱烈やん。それだけ本気なんだよ。正直になってみ。イケメンに迫られて、実は嬉しかったりするっしょ?」

「ありえないわ。あの男は頭の天辺からつま先まで好みの範疇外ね。わたしはもっと自分でコントロールできる男子のほうがいい」

「……うーん、滝沢くん、強敵にぶつかっちゃったね~。いやはや」


 やれやれと恵麻は手を上げた。


「どう考えてもありえないでしょ。周知の事実として色んな女子に手を出しまくってるとか。滝沢くんも悪いし、ああいう男であることを許してる女子側の怠慢でもあるわね。誰かが諫めてやらないと、自分のやってることが破廉恥だってわかんないのよ」


 よりマクロ的に考えるなら、滝沢は周囲に悪影響を与えているのかもしれない。

 一人のモテ男性が多くの女性の関心を集めてしまうと、モテない男性が排除される。

 モテ男性ばかり恋愛に長けていき、モテない男性は恋愛スキルを磨けない。

 しかも女性は目が肥えてしまい、男性への理想が高くなって、足切りラインが高止まりしてしまう。


 仮に一人のモテ男性が生涯に一〇〇〇人の女性を虜にしたとして、その後どうなるか思案してみると……。


 恋愛格差が発生する→→→結婚するカップルが減る→→→生まれる子供が減る→→→さらに超々高齢化社会に突入して若い働き手が減る。需要と供給のバランスは崩れ、税収・給料ともに下がり続ける。なのに上がり続ける所得税、相続税、贈与税、消費税、酒税、たばこ税、自動車重量税その他諸々! 年金制度なんてもちろん崩壊するので、お年寄りで生き残れるのは元から金持ちのやつだけだ! なんて世知辛い世の中! 酷すぎるぞディストピア!!


 そして、滝沢はそんなディストピアの引き金になり得る男なのだ。

 

1.滝沢はモテる男である。

2.モテ男は恋愛格差の元凶である。

3.格差を産み出すものは悪である。

4.よって滝沢は悪の男である! 完璧なロジック!


 あの男は人類の敵なのかもしれない……。

 滝沢のような人間が男性人口の二パーセントも占めてしまえば人類はごっそり減ってしまうわ。

 さらに悪いことに、そんな滝沢に手を貸してしまった自分もまた人類の敵だ。某巨人漫画の壁の中の民のように。


「冷ちゃん……」


 仁美がなにか言いたそうに上目遣いで見つめてくる。

 冷河は昼食を再開してご飯を口に運んだ。

 アホな妄想をしてる間に、ご飯が砂利みたいにまずくなっていた。




 学校から帰り自室で数学の勉強をしているとドアがノックされた。


「どうぞ」

「冷河、今度の三者面談のことでね……」


 母が遠慮がちに入ってきた。


「それだったらさっき渡したプリントに書いてる通り、来月よ?」

「それはわかってる。確認したいのは冷河の進路のこと。あなた、本気で東大受験を考えてるの?」

「もちろん本気よ」

「考え直す……わけにはいかないかしら?」

「…………」


 またこれか、とウンザリな気分だった。

 両親とさんざん話し合って決めたことなのに、母はまた蒸し返す気なのだ。


「お母さんはね。あなたが努力してるのを否定するわけじゃないの。毎日欠かさず机にかじりついて勉強してる冷河は、本当に偉いと思うわ。でも、もし、それでも届かなかったら……」


 母はいつもこうだ。

 あなたは頑張り屋だ、あなたは偉い、と褒めておいて、実のところ娘をまったく信頼していない。


「もう少しランクを落とした大学なら、あなたの成績だったらぜったい受かるわ。お母さんね、昔、あなたが映画出演したときみたいに、悔しい想いをしてほしくないの……」


 頭の中でなにかが切れた気がした。

 信じていないだけならまだしも、さも娘のためを思って言ってるんだという口ぶりが許せなかった。


「もうほうっといてよ! お母さんが何と言おうとわたしはやる。わたしはぜったいに受かってみせるわ。いつまでもそんな昔の失敗を引きずってるのは、お母さんのほうじゃない!」


 怒りが収まらなくて、冷河は家を飛び出した。

 行く当てはなかったが、今は家に戻りたくない。

 胸の中のモヤモヤを吐き出すように、わき目もふらずに全力で走っていると、昨日滝沢と別れた交差点にたどり着いていた。


 まったく笑ってしまう。

 何も考えずに走った先が、滝沢に抱き着かれた場所とは……。

 冷河は電柱に手をつき、呼吸を整えるように胸を押さえた。


 信号は青から黄色に変わったとき、冷河は驚いて目を見開いた。

 まちがいなくいる……昨日見かけた青いスカートの女……セミロングの髪で……目が吊り上がってて……!


 いったいどうなってるんだ? 交差点の向こうに立っているのは、あれは昨日のわたしだ!


「通りの向こうにいる、老婦人を見ろ」


 いきなり背後から抑揚のない声をかけられ、冷河の背筋にびっしりと鳥肌が立った。

 いつの間にか青いスカートのわたしは消えて、そこには信号待ちのお婆さんがいた。

 息苦しいのか、自分と同じように胸を手で押さえている。


 冷河は声のするほうへゆっくりと振り返った。

 ……幻覚じゃない。後ろにいたのは、昨日のわたしだ。

 喜怒哀楽の感じられない能面のようなわたしが言う。


「間もなく死ぬ」

「……え?」


 その時、道向こうのお婆さんが脚から崩れ落ちた。

 意識を失ったようにアスファルトに寝転がり、後ろにいた一人の若者が「大丈夫ですか」と緊迫した様子で声をかけている。


 冷河は、凍りつきそうになる気持ちを奮い立たせて尋ねた。


「……な、なにしたの? あ、あのお婆さんに、あなた、なにかしたの?」


 脳の処理が追いつかず、当然の疑問を投げかけることしかできない。

 能面のわたしが反応した。


「わたしはなにもしていない。大動脈解離、ごくありふれた病だ。あの老婦人は、この時間、この場所で死ぬことになっていた。それがあの者の運命だった」

「なにが運命よ! あなた……、わたしなんでしょ? なんでそんなに冷静なの? 人が死ぬってわかってて、見殺しにした……っ!」


 能面のわたしが機械のような硬さで口角を上げる。


「この姿は仮のものだ。わたしの本体は、人の子には晒せない。お前にはわたしの言葉を聞いてほしかった。だから、お前の姿を投影した」


 能面のわたしがお婆さんのほうへ片手を掲げた。瞬間、青白い火花が散ったかと思うと、その手のひらにはうっすら光る糸の束があった。


「人の子にも視えるよう可視化した。この糸が、死んだ老婦人の運命の形だ。お前たちの言葉でいうなら、魂と呼ぶべきもの。糸には、あの者の生の足跡が刻まれている。生の記憶、生の感情。そして、何時、何処で死ぬ定めか」


 能面のわたしは、倒れたお婆ちゃんを祈るような眼差しで見つめ、ゆっくりと手を閉じた。

 すると糸の束は砂粒ほどの粒子となり空に昇って消えていった。


「……あなた、何なの?」

「質問に応えよう。わたしは、運命の女神だ」

「運命の、め、女神……?」

「人の意志にかかわらず、身に巡って来る吉凶禍福。巡り合わせ。寿命。天命。導きと過去、生と現在、死と未来。それらすべてを導くために存在する女神とされている」

「待ってよ……言ってる意味がわからないわ……」

「説明のため、この国の言葉で羅列する。運命の女神とは、変えるべからざるもの。死を告げるもの。運命の糸を紡ぐもの、計るもの、切るもの。先行した異次元世界を観察し、未来を見通すもの。わたしは、死と未来を司る運命。お前たち人間にとって、わたしはありがたくない存在。わたしは人の幸福のために存在している。それでも、わたしは好かれることはない。わたしは望まれることはない。わたしは忌避される。わたしは忌み嫌われる。わたしは、嫌われ者の女神。以上、説明を終了する」

 

 まるでボーカロイドのような不自然な喋り方だ。

 運命とか女神とか、笑っちゃいそうな単語をさらりと、まるで辞書を読むような調子で、こっちの戸惑いもお構いなしに並びたてる。

 しかし、目の前で人が亡くなり、ドッペルゲンガーさながらの異様で現れたのは事実。

 女神……もしくは化け物かもしれないが……、どちらにしろ人間じゃない。


 それとは別に、妙に自虐的なのが気になる。

 最後の嫌われ者というあたりが本気で悲しんでるように聞こえた。

 わずかに感じられる変な幼さが、不気味さを和らぐのだ。

 ほんの少し、幼いころの滝沢に重なるからだろうか……。


「あ、あなたのこと、なんて呼べばいいの? あなたには、名前ってあるの?」


 目的がなんであれ、こちらに危害を加える気はなさそうだ。

 話しをしたいというなら、好む好まざるに関係なく聞くしかないだろう。

 でもその前に、せめて能面のわたしの名前くらいは聞いておきたい。


「ある。わたしに授けられた名は、アトロポス。死と未来の運命、アトロポスだ」

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