霧生冷河はうろたえない①
できればずっーと東京に住んでいたかった!
なんで高二の進級を控えたこの時期に転校になるんだと悔やまれる!
仲の良い友だちだってできたし、なんでもいうことを聞いてくれる都合のいいアシ……もとい彼氏だってできたのに。
父親の転勤の都合で仕方ないとはいえ、昔住んでた地方都市に出戻りだ。
「家族なんだから一蓮托生よ」
父は単身赴任でも構わないといってくれたのに、母はぜったいについていくといって聞かなかった。
必然的に娘であるわたし、霧生冷河も父母に連れられかつて住んでいた街に戻ることになった。
帰りたくもないあの街へ。
あの街にはあまりいい思い出がない。
昔好きだった男の子のことを思い出すからだ。
髪がきれいなブラウンで、笑顔が素敵で、いつもわたしを元気づけてくれた人。
でも、その子はだれにでもそんな感じだったので。
いやはっきり言っちゃうと女の子なら誰彼構わずって子だったので。
思い出すだけで自分がみじめに思えてくるのだ。
願わくば、あの男の子にだけは。
あの滝沢恵太にだけは! ぜったいに出会いませんように!!
二〇二一年四月五日 月曜日
「霧生冷河です。父親の仕事の都合で東京から引っ越してきました。今日からお世話になりますので、よろしくお願いします」
教壇での挨拶はよどみなくこなせた。
東京、という単語に生徒たちから感嘆の声が上がる。ここは市の中心地とはいえ都会と呼ぶには苦しい街なので憧れられるのは気分がいい。本当は出戻りなのは秘密だ。
高二からの新天地。転入試験は余裕で通過できたが、正直この学校の偏差値が知れる。将来の夢のため、何より箔をつけるために東大合格を目指す身としては、あまり温い環境だと自分の学力が下がらないか心配だ。
その心配を後押しするようにバカ男子のひそひそ話まで聞こえてきた。「けっこう可愛い」だの「目つきキツくねえ?」だの「罵ってほしい」だのと。好き放題いってくれたヤツらの顔は憶えたから後できっちり教育してやる。
……でも今は! そんなことよりも!
「それでは霧生さんは、二列目の四番目……そこで元気に手を挙げてる彼の隣の席へ」
生徒たちに冴子先生と呼ばれているインテリっぽい女性教師が茶髪の男子生徒を指した。
神様……どうして、どうしてわたしの願いを無視したんですか? 会いたくないって言ったのにいぃーーーっ!
自分の席までの歩みが重い……教室に入った瞬間に気付いてしまった。滝沢恵太は遠目でも目立つのだ。生来の茶髪だからというより、優れた絵画がオーラを放つように、彼もなにかが光ってるように感じられる。小学生のころは女の子みたいに可愛らしい少年だったのに、成長し高校生となった今は漏れだす男の色気が半端じゃない。
ファック! 同じ学校ならまだしも何で同じ教室になるんだ。頼むからわたしのことは忘れていて……。最後に会ったのは小四だったから七年ぶりくらいか。だったら諦めるのはまだ早いかな。わたしはあなたを覚えてても逆は必要ないの。わたしとあなたは今日が初対面でお互いに不干渉、それがベスト。
できるだけ視線を向けずに着席。特に声はかけられなかった。朝のホームルームが始まる。滝沢恵太は自分を見て、どう思っただろうか。なにも思わなかったならそれでよし。
気になって顔は正面に向けたまま目を動かす。隣の滝沢を確認したいのだがいまいち見えない。
さりげなく、さりげなく横を向いてみよう。ちょっと窓の外を見るだけだから、と自分に言い訳をしていたら。
……ばっちり滝沢恵太と目が合ってしまった。
「冷ちゃん、久しぶり。綺麗になったね~。また会えて嬉しいです」
柔和な微笑を浮かべてそう言った。お世辞でなく本当に嬉しそうに見えた。
体操のお兄さんもびっくりの爽やかな笑顔で見惚れそうになる……。
ファッキン! 不意打ちをかまされるとは不覚……!
忘れてりゃいいのにまったくこの男は。自分の顔は目力が強いらしいので、印象深いのかもしれないが。
「……ごめんなさい。どなたでしたっけ?」
ムカつくのでしらばっくれてやる。
「滝沢くん、女子が隣に来て心底嬉しそうね。話を続けていいかしら?」
いまにもチョークをぶん投げそうな苛立ちもあらわに、冴子先生が言った。
教室中からクスクスと含み笑いが漏れていた。
特に女子にはけっこう受けている。さもいつも通りで安心だという感じだ。なんとなく滝沢の立ち位置がわかった気がする。
「ごめんなさい先生。気をつけます」
滝沢が素直に頭を下げた。
ナイスフォローです先生! あなたは優秀な人です。その調子で、滝沢くんの関心がこっちに向くたびにさえぎってください!
ホームルームを再開した冴子先生が背中を向けた瞬間に。
「たしかに久しぶりすぎてほとんど初対面に近いもんね。次からはその設定でやってみるよ。またあとでね」
滝沢が小声(声変わりして好みのイケボになってる……どんだけ)で囁いてウインクした。
なにが初対面だ、小芝居してるわけじゃないよこのおバカ。口ききたくない雰囲気醸し出してるんだから空気読め!
転校初日から憂鬱だ。まさかまた滝沢恵太に近づかれてしまうなんて。
今日ほど神様殺したいと思ったことはない。
またあとで、と言われたがあととは何時になるのか気がかりだ。
授業後の休み時間になるたび新入りである自分の回りに女子が集まってくる。東京のどこから来たか、部活は何をやってたか、なぜ滝沢と知り合いなのか、と予想通り質問攻めにされた。
うっとうしいとはいえ卒業までは嫌でも在学しなきゃいけないので、当たり障りのないように答えて波風は立てないようにしておく。転校生でちやほやされるのは最初だけなので我慢だ。それよりも今のうちに女友達をキープしておきたい。
だって独りのままだと精神的にキツイし、なにより女が独りでいると確実にあの男が寄ってくる……獲物を見つけたハイエナのごとく狙ってくる。自分は滝沢恵太の生態には詳しいのだ。
女友達はめちゃくちゃ重要。滝沢恵太から身を護る防護壁として必要な存在だ。さすがの彼も女同士で楽しく談笑してるところに割って入るほど無粋じゃないでしょう。
いいぞあなたたち。その調子でわたしを囲んで、滝沢くんから身を守る肉の盾になっててちょうだい。
「あの……冷ちゃん久しぶりだね。わたしのこと、覚えてる?」
昼休みに入ってすぐ、教室で見慣れない女子に呼び止められた。
美少女といっていいのだけれども、声が小さくて幸の薄そうな子だ。久しぶりと言われても誰だったかな……。覚えてるかと問いかけられて正直に覚えてないっていうと角が立ちそうだからなんとか思い出したい。小四の途中で転校して以来この街には戻ってなかったので、小学校時代の知り合いのはずだ。
「……ご、ごめんなさい。宝多仁美です。あの、小学校でずっと同じクラスだった……」
「……仁美? ああ~! もちろん覚えてたよ~。久しぶり~」
言われて思い出した。いつも図書室で本ばかり読んでいた気弱な子だったと思う。あまり友達の輪に入っていこうしないのを見かねたのか、滝沢がよく話しかけていたを憶えている。彼女の様子からして、性格は変わってなさそうだ。
「冷ちゃんの知ってる人って、このクラスだと滝沢くんとわたしだけかな……」
「そ、そうなんだ……」
絶望的な情報をありがとうというべきか。
「霧生さん、一緒に昼ごはん食べませんか? 仁美さんも良かったら一緒に」
そして絶望的なタイミングで滝沢からお声がかかった。
「わたしはもちろん……、冷ちゃんもいいよね?」
「……………………」
なんで二人とも期待を込めた目で見つめてくるんだ。
そこにまた一人の男子が割って入ってきた。
「よお。懐かしの再会のとこワリぃが、俺も一緒にいいか?」
「ああ。霧生さん、紹介するね。友だちの遠山達也」
滝沢がぶっきらぼうな喋り方の男子の相席を求めてきた。
「遠山? ……もしかしてあなた、中三のとき全国模試で一位になってた人?」
「うん? ああ……たしかにそんなこともあったな」
「やっぱり! 塾で聞いたことあるの。地元の中学出身で頭一つ抜けてる子がいるって。わたし霧生冷河、よろしく」
まさかこんなに早く目標の人物に会えるなんて!
「タツって有名人だったんだ?」
「ンなわけねえだろ。歴代の一位に一人でも有名なやついたか?」
よくわかってない調子で滝沢が言う。
「なに言ってるの滝沢くん! この人スゴイんだって。灘・桜蔭・開成とかの常連校抑えていきなり一位なんて、誰でもできることじゃないよ」
「そうなんだ! 初めて知ったな~。冷ちゃん、物知りだね」
興奮冷めやらぬ冷河に、滝沢は自分のことのように嬉しそうな顔だった。
思わずテンションが上がって普通に応答してしまったのを恥じたい。
顔と声しか取り柄のない女たらしはほっといて、ボーイフレンドにするなら遠山のほうが最適だろう。
モデルケースにすべき頭脳明晰な人が身近にいるというのは、目標を高く持つ自分にはとてもありがたい。
どんな勉強法をしているのか聞き出す絶好のチャンスだ。
滝沢たちに食堂に案内され、冷河の隣に仁美、向かい席に滝沢と遠山が着いた。
「冷ちゃん、なにか食べたいものある? 今日はおごるよ」
「いーえ結構! お気遣いなく」
滝沢の提案は丁寧にお断りさせてもらう。
「わたし、冷ちゃんの分も注文してくるね。日替わり定食でいい?」
仁美が席を立った。
「それだったらわたしも」
「冷ちゃんは座ってて。滝沢くんと話したいでしょ」
「え?」
なんでそう思った? そういう余計な気遣いいらないよ!
「待ってて」
「じゃあ俺も。滝沢は座っとけ。お前の分も適当に頼んどいてやらあ」
仁美と一緒に遠山まで注文の列に並んで行ってしまった。
滝沢とふたりきりで向き合うかたちになった。周りには昼食を食べる女子らが談笑しており、非常にやかましい。なにが面白いのか人目もはばからずキャハハと下品で甲高い笑い声が響いている。
落ち着かない。滝沢は多くを語らずニコニコ微笑んだままだ。これがとにかく落ち着かない。なにか言えよって思うのに、彼はこの向かい合ってる時間がまるで百年ぶりの再会であるかのように嬉しそうなのだ。
滝沢は腹に一物隠すような性格じゃなかったから、嬉しいという感情に嘘はないのだろう。
そんなに自分に会えたのが嬉しいんだろうか。もし本当にそうだったら悪い気はしないけれど……。
でもなぁ、こいつの場合、いつだってこの調子だろうなということを嫌というほど知っているので。
相手が自分だろうが別の子だろうが。ブスだろうが美人だろうが。下はロリから上は八〇越えのお婆さんだろうが大喜びしそうだ。
「滝沢くん……なんでそんなに嬉しそうなの?」
「だって冷ちゃんにまた会えたから」
「さっきからそればっか。それにその冷ちゃんって呼び方やめてほしいのよね」
「わかった。じゃあ希望通りに呼ぶよ。なんて呼べばいい?」
二度とわたしの名を呼ぶなといってやりたいが、さすがに感じが悪い。もっとオブラートに包んでみよう。
「滝沢くんさ、わたしたちが友だちだったのって、けっこう昔のことだと思わない?」
「そうかな」
「小学校の低学年くらいまでだったよね。お互いのお家行ったり来たりで遊んでたの。はっきりいって、あんまり憶えてないんだよね。昔仲が良かったからって、高校生になった今もまったく同じって、そんなわけはないよね?」
「たしかにそうだね」
滝沢がうなずいた。
「子供の頃とは違うんだよ。わたしさ、頭の良い人が好きなの。たとえば遠山くんみたいな。それに引き換え……滝沢くんってあんまり知的には見えないし」
「……ああ~そうだったんだ!」
納得したように手を打ち声を上げた。
「気が付かなくて本当にごめん。冷ちゃんはタツと仲良くなりたかったんだね。だったらタツに冷ちゃんと仲良くするようそれとなく伝えてみるから。任せて!」
「いや、そんな得意げに親指立てられても」
シット! プライドねえなこいつ。悩みすら無さそうな頭の悪い男はこれだから。
「けーーーいーーーたーーーっ」
いきなり滝沢の名前を呼びながら一人の女子が駆けよってきた。
馴れ馴れしく滝沢の肩に腕を回して詰め寄っている。
「この! 別のクラスになったとたんアタシを無視するとかひどくない?」
「ご、ごめんアシリア……でもね、決して無視してるわけじゃなくて、お互い少し距離を置きましょうってことで。こないだも話したでしょ?」
「そんなコト記憶にございませんー」
「ええ……」
仁美が謙虚な青いスミレなら、現れた女子は黄色いひまわりのような笑顔の持ち主だった。まるで遠慮のない感じで、狼狽した滝沢にヘッドロックをかけていた。
冷河は驚いた。その女子の顔と名前に覚えがあったから。決して忘れられない昔の敗北感が呼び起こされてくる……!
まちがいない。髪型は変わっても昔の面影がある。なんでこの子が? どうして子役やってたあの芦莉愛が田舎の県立高校に通ってんの!?




