うちの弟の父がダメ人間すぎる
二〇二一年三月三十日 火曜日
怒りが収まらなくて困る。
恵太が退院してからというもの、姉弟間での会話がめっきり減った。
最近は「おはよう」「おやすみ」「ただいま」「おかえり」くらいしか交わしていない。
もはや冷戦状態だ。
原因はすべて恵太にある。美人で優しくてわたしの大好きなアシリアを振った理由を言わないばかりか、「俺には俺の考えがあるんだからほっといて!」と逆ギレされる始末だ。
今までこんなにも反発されることはなかったのに……。
去年から続いて反抗期が終わってない。
恵太に説明してやれないのはもどかしいが、弟の身に想像を超えたことが起きたのはたしかなのだ。
しかも現在進行形で危機が迫っている予感もする。
姉弟間で争ってる場合ではないというのに。
親の心子知らずっていうけれど、この場合、姉の心弟知らずね。
もうすぐ新学期になるし、このままではいけないのはわかっている。
恵太のことで頭を悩ませていると自室のドアがノックされた。
「美夏」
開いたドアの隙間から顔を見せたのはママだった。
「なあんだ、ママかあ」
「なんだとはなに。……ちょっと話があるから、下まで来てちょうだい」
いったいなんだろう。
ママが呼び出しする理由なんてたいてい恵太がらみだ。
階下のリビングで机をはさんで座り、神妙な面持ちのママと向き合った。
こほんと咳払いしてママが口を開く。
「さて、今日はあなたのことで大切なお話があります」
「え、わたし?」
予想が外れた。
「ずばり進路についてよ」
「そんなの月一で恵太と一緒に聞いてるじゃない」
ママには経験にもとづく教育理念があるらしく、子供たちに将来のプランを考えさせ発表させようとするのだ。
我が家では小学生のころから継続して行っている。
「そうね。たしかにいつもやっているけれど、あなたももうすぐ高校三年生。現実的な進路を決めるときが来たの」
「現実的な進路……?」
「ちなみにあなた、九歳のとき、自分がなにになりたいって言ったか覚えてる?」
「……ええっと」
うーん覚えてない。たしかに小学生の頃からプチ発表会をやってはいたけど、肝心の中身は行方不明。
「九歳のとき、あなたはケーキ屋さんになりたいといったのよ」
「あ、カワイ~。そうだったんだ」
懐かしい。言われてみればそうだった気がする。
「十歳のときは学校の先生。十一は看護師で、十二だと保育士。それから毎年ごとに移り変わって漫画家、モデル、新聞記者、ダンサー、アイスクリーム屋。だいたい四~五ケ月くらいの周期で変わるみたい。去年はスマホ販売員とまあ色とりどりのお仕事がいっぱい。YouTuberって出てこなくてなによりだわ」
「……へえ~。ママよくそんなこと覚えてたね」
なんでや。去年スマホ販売員と答えたことしか覚えてないよ!
忘れっぽすぎやろわたし。
腕組んで指でトントンと叩くママ。
これってもしかして怒られるパターンなのでは?
「今思い描いてる進路を尋ねてもいい?」
「ええっとぉ……人相占い師?」
特技的な意味で。
バンと机を叩いて一喝された。
「ごめんなさい! 冗談だから!」
「……美夏、ママはね、べつにあなたの将来プランが定まってないのを怒ってるわけじゃないの。むしろ美夏の年齢だと決まってないのって普通だからね」
「そうなの? じゃあわたしたちに発表会させてるのって?」
「もちろん将来のことをより具体的に考えてもらうためよ。やりたいことがわからなくて悩んでいても、子供の頃の夢を考えることで前向きに挑戦できたりもするわ」
「へえ~なるほど」
「それよりもママが気になってることがあってね……。あなた、将来結婚する気はないの?」
「け、結婚!」
なんでいきなり。今どき十代で結婚なんて穂高みたいな上流階級の人間だけじゃないんかい。
「美夏の口から一度もお嫁さんって聞いたことがないのよね。パパがいてくれたらそんな時期もあったのかしらね」
うちのパパは恵太が生まれる前に亡くなったらしいからね……。いやそんなことより。
「いや~さすがにまだ結婚する気はないかな~。正直、就職か進学かもはっきり決まってないけど……もちろん今年中には決めるから!」
「就職も進学も人生の過程に過ぎないのよ。社会に出たら色んな人と出会って、嫌でも関わっていかなきゃいけない。中にはあなたが若い女性だからって理由で近づいてくる悪い虫だってたくさんいるの。あなたが望まなくたって、男性というのは向こうからどんどん来るのよ。だから、真剣に考えておかないと、いざって時に慌てることになるわ」
「そういわれても……今まで男の人と付き合ったこともないし。ほら、女性の社会進出が盛んだっていわれてるじゃん。結婚だけが人生ってわけでもなし。そもそも恵太の面倒を……」
「恵太のことも重要だけれど、いつかは家族の手を離れて独り立ちしていく。あの子はそういう子よ。そうなると残る問題は美夏のほうね」
「えーっ!」
なんたる心外。なんたる理不尽。わたしに何の問題があるというんだ! 恵太と違って親の頭を悩ませた覚えなんてないというのに。
ママは額に手を当て渋い顔をする。
「子供のころはヘンなことばっかりいって、ワガママ放題。恵太の面倒みるようになってからようやく落ち着いたとはいえ、今の美夏ってスキだらけな気がするのよね。男性を見る目が養われてなくて、ちょっと甘い言葉をかけられたら疑いもせずコロっと落ちそうで……。今のままじゃあ全然ダメね」
「し、失礼な、そこまで抜けてないし! ……ていうかこれ、何の話なの?」
そんなにダメな子だったかな。問題児扱いで地味にショックだ。しかも男性遍歴なんて生々しい話をするとか。
「もちろん美夏の将来の話よ。いい? パートナーにするべき男性をきちんと見定められないとエライ目に遭うわよ。例えばの話、この先大学へ進学したとして、そこに素敵な男性がいたとする。相手は欧州からの留学生だったとしましょう。映画タイタニックの主人公を彷彿とさせるルックス。笑顔がまぶしくて、流暢に日本語を操るところがとってもスマート。会話もユーモアに富んでて知性の高さまで感じさせる正真正銘の人気者よ。そんな素敵な人とたまたま隣の席になって声をかけられたら、ろくに免疫のない小娘だと一発で舞い上がっちゃうわね。恋の麻薬にどっぷり浸かった状態じゃ正常な判断なんてできやしないもの。あれよあれよと流されるまま付き合いだしてやがて妊娠! からのできちゃった婚!! 夢見心地の幸せだったのも束の間、二人目仕込まれた後になって旦那の浮気が発覚! それも何人も何人も何人もッ! 問いただしたプロポーズのことばだってみんな一緒で『きみを心から愛してるよ』だってさ。……ふざけんじゃないわよ! どんだけそこらじゅうに愛をバラまきまくれば気が済むの!! 愛の伝道師で通ってる詐欺師だってもうちょっと加減するっつーのッ!!!」
ママの活火山のような怒りが噴火し終えたころ、美夏はヒッジョーに気になっていたことを言ってみた。
「ねえママ……いまの例え話って……もしかしてママとパパの」
「断じて違います」
めっちゃ食い気味じゃん。
「でも、ものすご~~~く実感がこもって」
「ません」
「それにその旦那って……やってることが恵太に似てる……ような」
「いやあねえ。全然似てないでしょう。例え話の旦那はクズを超えたクズ、『自分の家系はアインシュタインの遠い親戚にあたる』だの恥ずかしげもなく吹聴する大ボラ吹き、好色まみれで義務も責任も放り出すゴミ! 清々しいまでのドクズと、とっても良い子の恵太が似てるわけないでしょ?」
「あ、はい……。そのとおりです……」
ニッコリ微笑むママ。反論は一切許さない感じで頑なに口は割らない。いや割ってるようなもんだけど。
なんとなくパパのことを聞きづらくて、今日まで尋ねられずにいた。
おかげで姉弟ふたりともパパのことはなにも知らない。
ママは名前も教えてくれないし、家には写真の一枚だって残ってないのだ。
パパにつながるものはママが徹底的に排除したんだろう。不名誉な旦那の痕跡など残す価値無しだと。
だからだったのか。ママの姉弟への接し方にエコ贔屓を感じたのも。恵太の動向に目を光らせ、交友関係に潔癖だったのも。すべてはパパみたいな男性にさせたくない一心だったのか。
テレビの某俳優が妻子を捨てて別の女優に入れ込んだと報道されたとき、無関係なはずの人たちから猛烈な批判が飛び交ったのだ。それぐらい不倫は倫理的にアウトなことで、旦那に裏切られた当事者であるママの憤りは凄まじかったんだろう。
……でもとても残念なことに、パパのDNAってどう考えてもばっちり恵太が受け継いでんじゃん? ってのはママ的に認められないんだろうなきっと。
……………………………………………………。
これアレだな。我が家のパンドラの箱だよ。災厄だけ入ってて希望が残ってなさそう。開けちゃあかんやつや。これはママが娘を信頼して明かしてくれた家族の秘密なのだ。恵太には伝えないほうがいいような気がするし、自分の胸にしまったまま墓場まで持っていくべきだろう!
「わかったわママ! 将来結婚するかはさておき、とにかく恵太みたいな男には気をつけろってことね」
ママの目つきが射殺してきそうなくらい鋭くなった。
「……例えが正しくないわね」
「ごめんなさい、まちがえました! 男の人の甘い言葉は信じないようにします!」
「よろしい」
「ところでね、さっきの例え話はぜんぜんまったくこれっぽっちも関係ないんだけど、急にママを労いたい気持ちがあふれ出してきたから、肩を揉ませてほしいの」
「あら気が利くわね。そうね、さっきの例え話はとうぜん無関係でしょうが、急に肩を揉みたくなったならしかたない。せっかくの娘からの親孝行、ありがたく受けようかしら」
「うん。まかせて」
よく考えたら、母子家庭で働きながら子供二人の世話も休み無しでやっていくのは、ブラック企業も真っ青の重労働だ。今日までのママの苦労を想像するだけで涙が出そうになる。長年バディを組んできた熟練兵士のように多くは語らず、美夏はママの肩を揉みつづけた。
「あ~効く効くぅ……。この瞬間のためにがんばってきたといっても過言じゃないわぁ。そういえば恵太のガールフレンドの妙成寺さん、病院のお見舞い以来遊びに来ていないけれど、元気にしてる? あの子たちちゃんとうまくいってるの?」
「それはその……なんかケンカしちゃったらしくて、今はあんまり」
「ケンカ? 恵太が? 女の子と? まあ、珍しい」
「ママも知ってるでしょ。あんだけ親身になってくれた子なのに、突き放すとかアホじゃん。ホントなに考えてんだか」
「ふ~ん。まあでも、ある意味良い兆候かもしれないわね」
「え、なんで?」
「ケンカって子供の成長でとっても大切な段階なの。たいていの人はケンカして、互いの気持ちのすり合わせを経て、人との関わり方を学んでいくもの。後々のこと考えたらまったくケンカしないのも不健康よ」
言われてみれば恵太は少し大人しすぎたかもしれない。テレビのチャンネル争いやお菓子の取り合いなど、ちょっとでも揉め事に発展しそうになればたいてい恵太のほうから譲ってくれたからだ。
「昔からこうもいうじゃない。ケンカするほど仲がいいって」
「そういうもんかなあ」
ママの理論だと今までの姉弟仲が不健康扱いになるのでちょっとモヤる……。最近の恵太は姉すらウザがってる感じがしてけっこう寂しいのだ。
「そっかそっか。ついにあの子も女の子とケンカするようになったかあ。小さい頃からワガママ一つ言わなかったから逆に心配だったけど、これで一安心ってとこかしら」
「そんな悠長なこといってていいのかなぁ。それで仲直りしないままだったらリアが可哀そうじゃん」
「だったら美夏が教えてあげればいいの。上手な仲直りのしかたをね」
「わたしだけで? そういうのはママの得意分野じゃ……」
「大人としてあなたたちに教えてあげられることは教えてきたつもりよ。あとはその応用編。美夏の将来の勉強も兼ねて、あなたがやってみなさい。姉としてなにができるか、よく考えてみて」
まるで夏休みの自由研究発表会のノリでママが念を押す。
「恵太をいっぱしの男性にできるかは、美夏の腕にかかってるわ。男って繊細で面倒な生き物だから、手間暇愛情全部かけなきゃダメだからね。もうひと踏ん張りよ。これさえ越えたら、恵太の子守り役も卒業かもしれないから」
「……わかった。できるだけガンバってみる」
卒業、ということばにまたモヤる。ちょっと前まで恵太の面倒を見るばかりでうんざりしていたのに、どうして素直に喜べないのかわからなかった。ママの勅命を受けた以上、とにかくやるしかない。
そう決意したとき肩を揉む手により一層力が入った。




