もう一度リスタート
別れを告げられたアシリアが言葉を失って、逃げるように個室から出て行った。
女子と付き合ってはお断りされるを繰り返してきたが、逆に自分からお断りするはめになるとは……。
これが最善なんだと思いたかった。
元の世界から持ち越した記憶は、不完全な部分があって役に立たない。
自分と一緒にいたら不幸に巻き込んでしまう可能性がある。
長谷川母子のときのように、無関係な人を破滅に引き込むよりはずっといいんだから。
さらに厄介なのは、運命という曖昧な概念ではなく、裏で糸を引いてるかもしれない謎の存在もある。
あの、去年の火事のとき聞いた女性の声。
死神といわれればきっとそうだろうし、まちがっても良い存在だとは考えにくい。
もう一つの世界と同じように人を死なせろなんて、とんでもないことを平気でいう存在……まるで悪魔だ。
少なくとも自分は、死神の思惑を妨害してしまった。処されるまでの執行猶予はたぶん取り消される。
運命の日まで無事でいられる保証なんてなくなった。
「ういっす。入るぜ」
個室の引き戸が開き、達也がのっそりと姿を見せた。
「いっぺん死にかけたにしちゃ元気そうだな」
タイミングの良い親友で本当にありがたい。色々と相談したいことが山積みだ。
「恵太……」
背筋が凍るような低い声で呼ばれた。
「ね、姉さん……どしたの?」
戸の隙間から、充血しきった目で顔の半分だけ覗かせたさまがまるで怨霊。
「あとでお話があります……。遠山くんのお話が終わったら……わかってるわね?」
「あ、はい……」
だいぶ怒ってるなあ。まちがいなくアシリアの件だ。
断罪する気満々でぴしゃりと戸が閉められた。
「重要なニュースが二つある」
「なに?」
「お前は死ななくて済むかもしれん」
「それが本当なら泣きたいくらいうれしい。で、もう一つは?」
「お前はこの後、美夏さんに殺されるぞ」
「相殺するの早くない?」
だっはっはと達也が笑った。
「さっき廊下で妙成寺の泣きっツラ見たから想像はつく。あいつを巻き込みたくなくてフったんだろ。お前なりに精一杯考えて……。だが諦めろ。仮にも役者としていいとこまで昇った人間なんだ。負けん気は相当強い。一度執着したことにはピラニアみてーに食らいつく」
「肉食獣みたいにいうとアシリア怒るぞ?」
「勝手に怒らせとけ。それにな、お前が死なずに済むには妙成寺の力が必要なんだよ。あの火の海の中……お前と子供が助かる可能性なんてなかった。なのに九死に一生を得たんだ。あいつが手を貸したからだ」
「なんでそんなことわかるの。それじゃ魔法使いだ。俺にとっては、アシリアは普通の子だよ」
「何度も言ってるが普通じゃない。あっち側にいないからってだけじゃないぞ。お前が助かったあと、あいつは来るべきお前の死の状況を言い当ててみせた。八ケ月後に迫った運命の日だ。普通のやつには言い当てられねーだろ」
「タツの言う通りだとしても、俺に関わってたらアシリアまで危ない目にあうかもしれないだろ」
「ガンコだなお前も」
どうしたもんかと言いたげに達也はソファに深く腰を沈めた。
「それに……声も聞いた」
「声?」
「タツもいってたろ。死神から逃げ切るゲームだって。その死神が話しかけてきたんだ」
「それ、マジモンか。いつ? どこで?」
「去年の火事のとき。火に囲まれてタツに声かけられるまでの間に」
「絶体絶命のときじゃねえか。死神は死に際に現れて傍らに立つっていうが……。で、なにを言われたか覚えてるか?」
「一言一句ぜんぶ」
忘れられない。耳を通さず頭の中に言葉が叩きつけられるような感覚。テレパシーというものがあるならきっとあんな感じなんだろう。
未来を垣間見た────まずはその幼子から────定められた運命────泡沫の世────お前も連れていく…………。
覚えてるだけの言葉を話し終えると、達也はしばらくの間押し黙った。
「滝沢の死に際に浮かんだ幻聴ってほうがよかったかもなあ」
両世界のバランス……、死の予定がずれこむ……、達也の口から独りごとが漏れた。
「女の声、ねえ。今度また声を聞いたら命を保証してもらえ。女にお願いすんのは得意だろ?」
「そんなアホな」
「しかし考えようによっては希望も出てきた」
「なんで? 俺は不安しかないよ」
「考えてもみろよ。妙成寺一人に覆されるような力しかない死神様だぜ? あいつがスゲーのか敵がショボいのか、どっちにしろ対抗可能だってことだ」
「そう言われてみればそうかもしれないけど……」
「だいたいその死神も人間ってもんがわかってねえな。あの世行きを命じられて喜べるのは殉教者ぐれーだっつーの。人間は森羅万象ありとあらゆるもんに逆らいたくなる生き物なのに」
授業中に先生の話の腰を折りまくってる男がいうと説得力がある。
「ほかに思い出したことはないか? ほかにも事件や事故が起こるってなら今のうちさ」
「いや……特には」
「そうか。交通事故だけに限れば、一年の間に五十万人以上遭遇するらしいからなあ。それでも日本人口の一パーセントにも満たないんだから、大多数の人間には何も起こらない。滝沢が見知った情報かつ俺達の周囲って条件なら、去年の火災はレア中のレアだと思いたいね」
「ごめん。役に立たなくて」
「いいさ。それよりも俺には今、無性に知りたいことがある」
「なに?」
「お前が今際に言ってた霧生冷河って、美人か?」
ソファから身を乗り出して、真剣な顔だった。
「それ今関係ある?」
「大いに関係ある」
「……はあ。一応答えとくと美人だし優しいし、本当に可愛いと思う」
「妙成寺を十とするなら、その女はどれくらいだ?」
「そんなの比べられるわけないって」
「いいからいえよ。ホレいえ」
「ていうかアシリアに辛辣なわりにキレイだってのは認めるんだ?」
「いくらツラが良かろうがオッパイでかかろうがピクリとも反応できない女もいるんだよ」
最低だコイツ。
「なんにしろ、滝沢にとって霧生冷河は元カノってことでいいんだよな?」
「なんでそうなるんだ。小学生の頃の友だちだよ」
「そうかそうか。かつての幼馴染と高校で再会して昔話に花が咲き、気持ちが盛り上がった弾みで付き合って、最後には恋人を守って玉砕したってことだな。有終の美極まれりだ。今すぐそのネタで悲恋の物語が創れるぞ」
「なんかもう、それでいいや……」
悪ノリしだすと止まらない。
肩で笑っていた達也が立ち上がり向き直った。
「これだけは言っておきたい。今回みたいに事故や災害の記憶を思い出したとしても、単独でなんとかしようとするなよ。少なくとも俺には知らせろ。競馬と同じで、無計画で行動してると破滅の坂道転がり落ちちまうぞ」
「計画さえあれば転がり落ちずにすむと思う?」
「やりようによってはたぶんな。死神が仕事してるとして、その目的が一方の世界と同じように人を死なすことであるなら、生かすか死なすかの線引きはかなり甘いように思う。問答無用で死なす気なら、俺たちが助けた長谷川慶太が今も無事でいられるわけがない。実際にはもう少し先で死ぬ予定だった滝沢も巻き込もうとしていたわけだし。いつどこで死なすかは拘ってねえみたいだ。生き残ったならそれでも良いかって思ってるのか、それとも喉元過ぎたころにかっさらう気なのか」
油断したころを狙われたら本当にどうしようもないから困る。
明日も命があるようにと本物の神様に祈りながら、終わりのない防衛戦なんて気が滅入る。
「これからどうしたもんかな」
「べつに。今までと変わらないさ。お前はお前で新しい人間関係の構築に専念して、前回と違う道をひたすら進めばいい」
「……こんなことに意味なんてあるのかな」
「あるかないかでいえば、今回は意味があったさ。結果をみてみろ。美夏さん、妙成寺、水城舟のお嬢様。新しい縁を繋げていった結果、忘れていたはずの事件に結び付き一人の子供を救うことができた。死神がいうところの定められた運命とやらを覆したんだよ」
人一人助けることができた。だったら続ける意味は十分にある。
「人を助けるついでに、妙成寺のフォローもしっかりやってくれ。フるフらないはお前らの間の問題だからとやかく言うつもりはねえが、またグジグジとイジけられると面倒なんだよ」
「またグジグジと? アシリアって、そういう時期でもあったの?」
いつも笑顔で陰を感じさせなかったので、イジけてる姿が想像できなかった。
「今の滝沢は知らないんだったか。かいつまんでいうと、高校に入る直前にあいつの両親が離婚して相当堪えたみたいでな。入学式のときなんか呪い殺すときの貞子みてーだった」
「それは……お気の毒に」
達也が腕時計に目をやった。
「おっともう五分過ぎたか。とにかくダウナーな女を慰めるのはプロに限ると思って滝沢に……もといアナザー滝沢に頼もうかと思ってたら、俺が言うまでもなく妙成寺に接近してたな。さすがだったよ」
「なるほど。そんなことがあったんだ」
そういう大切で重要な話は最初のうちに教えてほしかった!
アナザー恵太がやっていることは、後釜に収まってる自分が知るべきことなのに。
達也がそのまま戸の方へ向かっていった。
「もう帰る?」
「いったろ。今日は様子見に来ただけだ。必要なことは聞けたし、なにより」
さも可笑しそうに達也が笑う。
「滝沢の姉ちゃんが今か今かと待ってるんだ。噴火に巻き込まれる前に俺は逃げるぜ」
すっかり忘れていた。アシリアの件で間違いなく説教されるのだ。
なんとか姉を納得させて怒りを鎮めるだけの言い訳を考えなくては。
こればっかりは神様に祈っても避けられそうにない。