うちの弟がバカすぎる
滝沢美夏にとって、恵太は愚弟であった。
へりくだっているのではなく、本当に愚かな弟としか思えないのだ。
恵太の成績は可もなく不可もなく。
理数系教科が苦手なやつでテストはいつも苦戦している。
運動だってパッとしない。
体を動かすのは好きみたいだけど、学校のバスケやサッカーでヒーローになるようなタイプじゃない。
しかし誰にでも一つくらいは秀でたところがあったりするわけで。
神様仏様創造主様は何を考えたのか……たぶん適当に才能のタネをバラまいてしまった結果なのだろうが、恵太にある才能を与えてしまった。
生粋の女たらしという才能だ。
恵太が女の子のいない世界にいったなら、陸で生きられない魚のごとくのたうち回って死ぬに違いない。死因はきっと女日照り症とかだろう。
恵太が子供のころから、ろくでもない片鱗は現れていたのだ。
恵太が小学一年生のとき、初めて家に連れてきたお友達は女の子だった。
目元が凛々しい感じの可愛い子で、美夏も含めて三人とも仲良くなれた。
それから数日後、恵太が連れてきたお友達は女の子だった。別の子だ。
弟にとても懐いてる様子で、そんな二人をママが微笑ましく眺めていたのを覚えている。
それからも数日、また数日が経ち、恵太は何日かおきにお友達を連れてくる。
なのにいくら経っても連れてくるお友達が女の子ばかり。
おまけに連れてくる子も毎回別人……。
それが十人目を超えたあたりで、美夏とママはただならぬ異常に気が付いたのだ。
いや、あなた、男の子のお友達はどうした?
ひょっとして苛められてるの?
髪の色が違うとかの理由で、ハブられるのはじゅうぶんあり得る。
男の子の輪に入れないために、お友達が女の子ばかりなのかと思っていたが、ママが担当教師に相談したところ、そうではないことが分かった。
同級生の男の子たちは恵太をサッカーやドッジボールで遊ぼうと誘っていたのに、女子グループに誘われると恵太がそっちへ行ってしまうらしい。
何度もこうしたことが起こってしまい、ついには男子グループから誘われなくなったのだ。
「ねえ恵太。どうして男の子と遊ばないの?」
ママが恵太に問うと。
「だってお姉ちゃんが、女の子には尽くせって」
恵太は当たり前のような顔でそう言ったらしい。
その日の夕方、学校を終えてわたしが家に帰宅すると。
「美夏ーーーーーーーーーっ!」
生まれて初めてママにめちゃくちゃ怒鳴られた。
女にだらしない男は大成しないだの、女第一な考え方では学業に身が入らなくなるだの、将来いかがわしい人間になったらどうするだの、ガミガミガミガミネチネチネチネチ、それはもうこんこんと説かれた。
でも、ちょっと待って。これってわたしが悪いの?
たしかに恵太には尽くせって言ったけど、わたしは悪くない。全然悪くないよ!
だって弟がいたら誰だってアドバイスぐらいするでしょう。
ちょっとくらい女の子にモテるようにって親切心でしょう。
弟を想う姉心ってやつでしょう。
齢七歳にしてすべてを捨てる勢いで女子一辺倒の恵太がおかしいんだよ!
ママは本当に融通の利かない性格で、勤勉かつ生真面目な人だ。似たような国民性といわれるドイツ人のパパと結婚したのも納得できる。
恵太がこのまま成長して大人になると、よくて女をとっかえひっかえするヒモ。
悪ければ女性トラブルを起こした末に──(これは詳細を省くが)──紆余曲折を経て刺されて死ぬ。
そんな未来が想像に難くない。
ママは恵太を品行方正な人間にしたかったのだろう。
この世のあらゆる誘惑をはね返すようないっぱしの男性に育て上げたかったのだろう。
男性が注意すべき三大誘惑、金・ギャンブル・女……!
とくに女はヤバイ。それがママの口癖だ。
女は男が積み重ねたモノを一瞬でご破算にしかねない力を持っている。
心の行き違い、痴情のもつれ……男女間のトラブルは世の中に溢れている。
女に弱いというのは弱点の中の弱点、まさに致命的!
恵太の性格は、堅物のママにとって由々しき事態だった。
結局、一つ年上の美夏が可能な限り恵太の行動を見張って馬鹿なことをしないよう(されないよう)面倒をみることになった。
「恵太がまともになるまでお願いね……」
あなたにも責任があるからね。憔悴しきったママに冷ややかな眼で見られて、背筋の凍るような思いがしたことは忘れられない思い出だ。
イヤだなんて言おうもんなら、きっとお尻が真っ赤になるまで引っ叩かれたことだろう。
あれから八年……恵太は十五歳になった。どんな女子の前でも爽やかな笑みを崩さず、フラットな接し方をする弟は実によくモテる。大のつくくらいバカなのに。
登校日の今日も何を思ったのか二年生の教室に顔を出し、口を半開きにした馬鹿面を晒していったのだ。
恥ずかしくていたたまれない~!
女子が騒ぐからぜったい来んなと言うとったやろがい!
まわりの友人たちがキャアキャアとやかましくなってきた。
「あの子、美夏の弟くんよね?」「そっくりでカワイイ~」「美少年がすぎる」「うちのクソ生意気弟と交換して!」「インスタにあげてもいい?」
女子数人に見られていることに気付いてはっとした様子で、恵太は退散していった。
「ど、どうかなぁ」
曖昧に返事をしながら思った。
うるっさいなぁ、あいつはただのバカよ。
頭ん中、女のことばっかり!
わたしと似たような顔した弟が褒められたってイライラする!
こっちの苦労の十分の一でも教えてやりたい。
したくもない弟の監視の為に、スマホのGPS機能(恵太の所在)をまめに見張らなければならない姉の気持ちがわかる?
だいたいいつまでこんなストーカーの真似事しなきゃいけないのか。先が思いやられて憂鬱になってくる。
いっそ恵太の評判を下げてやるか。
SNS全盛の世の中だ。コミュニティ内で悪い噂など簡単に流せる。
あいつは一週間に一度しか風呂に入らないとか、いまだにママにくっついてべたべた甘えているとか。
浮ついた女がいなくなればわたしもきっとママの命令から解放されるにちがいない。
(ふふふふ……)
美夏は不敵な笑みを浮かべた。
恵太が女がらみで死ぬような目にあわない限り、無意味な妄想は続きそうだった。