もう一度ウォームネス
なぜあんなことを言ってしまったんだろう。
恵太は自問していた。
自分は本当に穂高のためを思っていたのだろうか。
女性が嫌がってる見合い話なんて、その時点で論外だったはずだ。
あそこではこういうべきだったのだ。
嫌だというのをお父さんに伝えてはどうですか、と。
それなのに、なぜか相手の男性に肩入れしてしまった。
理由はなんとなく分析できる。
会う機会すら与えられずに、A4用紙一枚にも満たないようなプロフィールだけ読んで断られるのは、あまりに救いがなさすぎる。
身分違いだろうと、同性愛者だろうと、絶対結ばれない仲だろうと関係ない。
恋愛はすべての人に平等にチャンスが与えられるべきだと思うのだ。
一度会ってみた結果断られるのなら、まだ納得できるかもしれないのだから。
最初からチャンス自体がないなんて、自分なら絶対に耐えられなかっただろう。
◇ ◇ ◇
十一月二十六日 木曜日
クリスマスまで残り一ヶ月を切った。
夜になって雨脚が強くなり、恵太はカーテンを閉めた。
来るべきクリスマスに向けてすべきことは多い。
この時期、前世では誰とも付き合ってなかったので、クリスマスは家で過ごした。
オルタネイトではアシリアと付き合っているのだから、どこかに誘うなり、プレゼントを贈るなり必要だ。
ただ、具体的にどうしようかまったく決まらなかった。
中学の頃、付き合っていた子と同じ感じでいいのかな~…。
母の目もあって自宅は無理だったものの(何を言われるかわかったもんじゃない)、イルミネーションで飾られたショッピングモールを見て回って、カラオケで時間いっぱい粘って……。
よく思い返してみたら普段とあまり変わらない。
これじゃいけない。こんなローテーション染みたデートでいいはずがない。
アシリアのことはもちろん好きだし、なにより彼女との付き合いは元々アナザー恵太が掴んだチャンスだ。
だからこそ手を抜くわけにいかなかった。
仮に一年後、自分が生き残れたとして、その後も《自分》のままでいられるのかわからない。
ひょっとしたらアナザー恵太が戻ってきて、今の《自分》はいなくなるのかもしれない。
ちょっと寂しい気はしても、それは仕方ないことだ。
本来なら死んで終わりだったところに敗者復活の権利をもらったようなものなんだから。
いざという時のために、できるだけのことはしておきたい。
明日死ぬかもしれない。そう思うと悔いを残せない。
一日一日、一瞬一瞬を精一杯生きようと思えた。
こんなふうに思うのも、秋から冬に移り変わる季節、木枯らしが吹いてもの寂しさを感じたせいかもしれない。
実際問題、デートコースを変えるのはちょっと難しい。
お金のこともあり遠出自体が厳しいのだ。
そもそもまだアシリアを誘ってもいないから、時期尚早か。
せめて彼女の承諾を得てからだし、どこでもいいというのならその時に考えよう。
考えておくとしたら、プレゼントのほうだろう。
よく考えてみたら、アシリアが喜びそうなものがわからない。
たいていはアクセサリー、ペンや財布などの日用品が鉄板だが、いまいち自信が持てない。
アシリアの家は裕福なようだったし、安物だと気に入らないかもしれない。
多少強引にでも欲しいものを聞いておけばよかった。
頭を掻きながら部屋を出て、テレビのあるリビングに向かった。
いくら考えてもまとまらないし、とりあえずテレビでも見るか。
都合よくクリスマスに向けた特集なんかがやってないかなと期待しながら。
リビングでは、美夏がなぜか顔パックを付け、微動だにしない南極のアザラシのようにソファに寝転んでテレビを見ていた。
「ね、姉さん。なんで顔パックなんてしてるの?」
姉と暮らし始めて三ヶ月ほど経つが、これまで念の入った美容をしたところを見たことがなかった。
美夏が寝転んだまま真っ白の顔を向けた。
「それがね、聞いてよ恵太。さっきテレビのバラエティーで、『ハーフは劣化が早い』なんて言ってたのよ。ヒドくない?」
「……なにそれ」
だから即顔パックなのかと納得。
真に受けるなよ、そんなこと。
テレビには大阪出身のファッションモデルでありハーフタレントの女性が映っていた。
小顔で細めの体形が美夏と似ていて、この人が話の流れでイジられたのに共感したらしい。
『あの人は今』という番組で、現在は引退したタレントのその後を追ったものだった。
「なんか三、四年前も似たような発言で炎上してたように思うんだけど。とにかく、姉さんはまだ十代なんだし、じゅうぶんきれいなんだから気にしなくていいって」
「そういうお世辞はいらないわ。テレビに出てる人なら信憑性あるし、今から対策しておけばきっと予防できるはず!」
「いやいやいや」
どういえばいいんだ。
うちの姉はなんでも額面通りに受け取りすぎる。
むしろ十代の若いうちから顔パックするのは肌に悪いというデータを見たことがあるからそう言おうかな。
あれ? これもテレビの情報だったか?
「こういう時、槍玉にあげられるのはいつも女よ。男の恵太は得でいいわよね。歳とったって貫禄が増したねって良いことのように言われるの。わたしは歳とるたびに劣化とか顔がクドいとか散々罵られる運命なのよ。そういえば小学生のとき、隣の席の男子からワキガって決めつけられもしたわね。悔しい! 違うならワキみせて証明しろってしつこく迫られたし。あー、思い出したらムカっ腹立ってきた。理不尽! ヒドすぎるわ!!」
「ええ……」
どうしてこんなになるまで放っといたんだ!
ワキを所望とかレベル高いな……じゃなくて。
外国人的な特徴をツッコまれるなんてハーフあるあるなんだから適当に流せばいいのに。
だいたいその子は美夏姉さんに気があっただけだな、きっと。
一度いじけると関係ない過去までほじくり返して際限なく病んでくんだよなあ、この人。
無責任な発言をしたコメンテーターには、うちの姉の機嫌を損ねた責任を取ってほしい。
「ほ、本当にヒドいね。でもね、そういう裏付けのない話はあんまり本気で聞かなくていいんじゃない……?」
「そうとも限らないわ」
母が話に割り込んできた。なぜか美夏と同じく顔パックをして。
「恵太はまだ子供だから知らないでしょう。女性の老化はゆっくりくるものじゃないの。突然足元の床が抜けるように一気にくるのよ」
「なにその持論……」
そういえばうちの母はこういう人だった。真面目で一度思い込むとテコでも動かない。
アラフォーでいうほど老化なんてしてないのに。
「美夏は私の失敗を繰り返してはダメよ。私は若いうちの美容に無頓着だったけど、あなたはお肌のケアを怠らないようにね」
「うん、わかったわママ!」
美夏は素早く起き上がり、母と娘が熱く手を握り合っていた。
ホッケーマスクのジェイソンっぽい二人が次の獲物を狙ってるように見えて不気味だ。
我が家の女性陣には、できればはやく目を覚ましてほしい。
「恵太も少しは肌を気にしておきなさいね。あなたたちのお父さんもよく皮膚被れ起こしてたから」
「はいはい」
自分はとくにアレルギーの類はないので大丈夫だと思う。
父は日本の日照が肌に合わなかったんだろう。
母がリビングから去ると、美夏は再度ソファに寝転んでテレビ視聴を再開した。
寝るにはまだ早かったので、恵太も床にあぐらをかいてじっくり考えることにした。
……アシリアへのプレゼント……プレゼント……予算は限られている。安物は論外。ならばアウトレット品を狙うか。モノはどうする? アクセサリーにしても種類は? ネックレスか、ピアスか。財布、ブランケット。あるいはお菓子。香水なんかも悪くないかもしれない。でも、アシリアの好みを完全に把握できてないぞ。好みの香りは? ああ、わからん。いっそ本人に聞くか。ただ、聞かれたものをハイと渡すのもサプライズ感に欠けるんだよね。
「さっきから難しい顔してなに考えてるの?」
美夏がいった。顔パックをまだつけてる。
「いや、ちょっと彼女に渡すプレゼントが決まらなくて。というか、もう三十分くらい経つから、いいかげんそれ剥がせば?」
「おお、そうだったわ」
美夏はいわれて思い出したように、顔パックをゆっくり外した。
「どうよ!」
「あ、ああ。すごく良くなったと思うよ」
元々きれいな肌だったので、悪くはなってないとしか。
「そういえばそろそろクリスマスか。いいわね~青春って感じで」
「姉さんだったら、プレゼント、どういうのがうれしい?」
「そうねえ。……あれ? 前も聞かれた気がするわね。わたしだったら、やっぱりウエストウッドのアクセかなあ」
「アクセって、もしかしてブレスレット?」
まさか今も机の奥に封印している税込み四九八〇〇円のアレか!
「そうそう、それそれ。なになに。今年こそくれるの?」
美夏は寝ころんだまま足をバタバタさせていた。
どうしよう。あれはアナザー恵太が用意していたものだし、美夏へのプレゼントなのか確証もないし、おいそれと渡せない。
「なに固まってるのよ。冗談に決まってるでしょ。わたしはいつも通りお花とかでいいからね」
美夏はそれきり会話に興味を失って、テレビに視線を戻してしまった。
美夏が見ている番組は相変わらず『あの人は今』だ。最後の一人はある子役タレントだった。
日曜朝のヒーロー番組でヒロイン役を務めていた女の子で、恵太も見たことがあるヒーロー番組の一部映像が流れていた。
この子役については、現在の消息が不明もしくは本人の了承が得られなかったらしく、過去の映像紹介だけで終わっていた。
「この番組懐かしい~。『ソルスペクター』だっけ? 恵太も小さいころ見てたでしょ」
特警装着ソルスペクターは、現在も続くリブートメタルヒーローシリーズの第十二弾にあたる。
九年近く前の作品で、恵太は物語の内容をあまり覚えていなかった。
主人公が装着するソリッドスーツがカッコよくて毎週かかさず見ていたのだけは覚えている。
(ん~?)
恵太はテレビ画面を食い入るように見つめた。
どうもおかしい。前世で見ていたソルスペクターの子役タレントと違うように思うのだが──
「どうしたの? ああ、その子役? 笑ってるところ、めっちゃ可愛いよね~」
「うん。まあ、そうだよね……」
どうしても気になってしかたない。
計算してみたら現在の年齢は自分と近いはずだし、この子役の笑い方も彼女に似ているような。
名前を見逃してしまったので、恵太はスマホで『ソルスペクター』を検索した。
Wikipedia──特警装着ソルスペクター──毎週日曜日テレビ旭日系列で放映──概要あらすじ登場人物──キャストはこれか。
恵太はキャストのリンクをタップした。
表示された一覧、ヒロインの箇所には『芦莉愛』の名前があった。
十一月二十七日 金曜日
数学の授業中、恵太は片手でほおづえをついて、窓際の最前列で熱心に授業を聞きノートをとるアシリアの後ろ姿を見ていた。
芦莉愛──Wikipediaによると子役出身の日本の女優・タレント。出身地は東京都になっている。芸能事務所シルバー・シー所属。主にドラマ・教育バラエティ・CMなどを中心に活躍。当時は『小さな舞台派』という触れ込みで人気が出ていた子で、代表作のソルスペクターをのぞくと教育系のチャンネルに数年間出ずっぱりだったようだ。その後は中学入学と同時に学業を優先して芸能活動引退とあった。
当時の芦莉愛の画像と見比べてみても、達也の歯切れが悪かったことも、アシリアが昔のことを教えたがらなかったことも、すべてがつながったようだ。
子役タレント『芦莉愛』は、妙成寺アシリア本人で間違いなさそうだ。
彼女が昔のことを教えたがらない理由はわからない。
人に話したくないということは、あまりいい思い出がないのかもしれない。
気づいたからといって触れないほうがよさそうだ。
さらに気になるのは、アナザー恵太はこのことを知った上でアシリアに近づいたんだろうか。
「滝沢くん……、滝沢くん。後ろ後ろっ」
隣の宝多仁美があたふたしながら、虫の音くらいの声でいった。
なんのことだろうと考えていると、教室の後ろに控えていた副担の冴子先生が恵太の横に立って、小さなメモ紙を差し出した。
『女子の背中ばかり注目してないで ちゃんと黒板に集中しなさい』
額に脂汗がにじみ出てきた。
メモ紙を読んだ恵太は、ファイルボードを抱えて凍てつくくらい無表情の冴子先生を、ぎこちない動きで仰ぎ見た。
しっかりばれてた。
冴子先生がさっとメモ紙を回収するとにっこり笑った。
「いてっ」
とどめとばかりにファイルボードで頭を小突かれた。
きらりと光った眼鏡の奥には、「女の敵め」という軽蔑の色が浮かんでいた。
やってしまった!
どうして冴子先生はタイミングの悪い時に限って俺を見張ってるんですか。
いつもはちゃんとしてるんです。
ほんの十分くらい考え事してただけなんです!
周囲の生徒からくすくすと小さな笑いが起こった。
「滝沢、またかよ~」と一人の男子がいうと、教室の生徒たちに注目され、最前列にいたアシリアもこぼれるような笑顔を見せた。
「ごめんなさい……、もっと早く言ってればよかった……」
仁美は元から引っ込み思案な人だ。知らせようとしてくれただけでもありがたかった。
「いや、仁美さんはぜんぜん悪くないよ。俺の不注意なので。本当、ありがとう」
都合の悪いことは起こりうるというマーフィーの法則が恨めしい。
教壇の数学教師が慣れた様子でパンと手拍子を打って授業を再開するまで、小さな笑いが教室中を和ませていた。
数学の授業が終了して休み時間に入り、恵太は、筆記用具をしまっているアシリアに声をかけた。
「ちょっといい?」
アシリアは、くつくつと笑いながら顔を向けた。
「いいよー。さっきはお疲れ。恵太、冴子先生に超好かれててウケるー」
恵太が冴子先生に注意されるのは、入学時の染髪問題から慣れっこだった。
「あれは好かれてるんじゃなくて、目の敵にされてるんだ。みんないってるよ。滝沢が避雷針になってくれるおかげで、俺らに雷が落ちなくて助かるって」
「それ、いえてるし」
そういうとアシリアは楽しそうに笑った。
髪型が違うとはいえ、こうしてみると幼い『芦莉愛』時代の笑顔と変わらないのがよくわかる。
「どうかした?」
「あ、いや、なんでもない。それでクリスマス空いてるかな~と思って」
「お~、めずらしくストレートに来た。うーん、どうしよっかなあ」
アシリアが芝居がかった動きで腕を組んで、しばらくすると優しい笑みを浮かべた。
「オッケー」
「よかった。場所はあとで知らせるから。ついでに、欲しいもののリクエストがあれば聞きたいんだ」
「う~ん、とくにこれといってはないかな。恵太の選んだものなら、なんでもいいし」
……かなり難しいな。
「たださ、お金はかけないで。恵太が散財しそうだから念を押すけど、本当、安いものでいいから。なんならなくてもいいし。これ、振りじゃないから! いつもみたく景気よくおごってくれなくていいから! てかさ、ぶっちゃけ恵太よりアタシのが預金いっぱいあると思うし。だから、今度のクリスマスはいままでのぶんアタシにおごらせて。ね?」
調べ上げたアシリアのプロフィールに間違いがなければ、預金がいっぱいあるというのはたぶん本当だろう。
ヒーロー番組のヒロイン役を一年、その後複数の番組やCMで引っ張りだこで三年とちょっと。
自分とちがって社会経験のある立派なヘビーワーカー。
だからといって付き合ってる女の子にたかる気なんかさらさらないが。
(二重に厳しいな。前振りを超えた前振りだぞ。お金をかけたように見せずに、最大の効果を上げてみろってなんという無理難題。ふふふふ……。やる気がわいてきた!)
「わかった。雑なサプライズにならないようにするから、期待してて」
「なにその得意げな顔。本当にわかった? 男ならお金に糸目をつけない、とか思ってない? そういうのマジでちがうからね!」
アシリアは恵太の肩を強く揺さぶり続けたが、その忠告は彼の耳には届かなかった。