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デイ・ウォーク  作者: たかや もとひこ
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解き放たれたもの

               37

 子孫の(むくろ)に潜んでいたその存在は待ち望んでいた一言を耳にして喜びに身をうち震わせた。生きた人間の口から発せられた嘘偽りのない予期せぬ招待の言葉。魂のない身に染み渡った気の遠くなるほど待ち望んだ一言。その存在は大声で叫び出したくなるくらい狂喜した。そして興奮冷めやらぬままに人間からの招待を快く受け取るや、巨大な結界に開いた目に見えぬ小さな穴を素早く(くぐ)り抜けると招待者の人間には礼を失せぬように感謝の一撃を見舞った。一撃をまともに受けた招待者は甲冑を半ば断ち割られ、それに守られていたはずの背中は切り裂かれた。彼の背中一面は雪の上に倒れ込む時には真っ赤に染まっていた。それは世界の全てが余すところなく、その存在に開かれたことを高らかに(うた)いあげる血で書かれた宣言文であり、今まで手出しが叶わなかった一握りの高慢(こうまん)な人間どもの終焉(しゅうえん)の始まりを示す真紅の戦旗でもあった。

「さてさて。最初の出し物が始める前に何をしようか?……」

 子孫の身体を支配しているその存在は今では黒く汚らわしい蠅の大群のような渦巻状に広がる外観を人間の目から隠そうともしなかった。それは幼子が絨毯(じゅうたん)の上で遊ぶようにブンブン(うな)りながら広大な城塞都市(カム・アー)の中空を楽しげに転げまわった。そして建物の間を意志を持った矢のように()いながら飛び回ると、爆撃機が腹の中の爆弾を投下するかのように必要のなくなった(むくろ)を地上目がけて捨て去った。

 数瞬後、子孫の(むくろ)は雪煙を巻き上げて街区にある大通りの真ん中に深々とクレーターを穿(うが)った。(むくろ)の中では地上への落着と同時に時限装置を思わせる新たな脈動がゆっくりと、しかも着実に刻まれはじめていた。都市ではまたいつもの一日が始まる。だが、それは今までの一日とは全く異なったものになるはずだ。その脈動はまるでそう告げるかのように周りの雪を震わせはじめた。

 身軽になった黒い渦巻は曇った中空のキャンバスにゆったりと浮遊していた。自身が一番望んでいたこと。恐怖の果ての無残な死を。またそこからもたらされる避け(がた)い絶望と苦痛をここにいる人間たちから広く収穫するにはどうすればいいのかはもう既に知っていたので風の流れに身を(ゆだ)ねて漂っていた。今までの運命を(いきどお)る必要はもうない。あとはわくわくしてお楽しみを待つだけなのだ。

 ただただ新たな一日の始まりを。


               *

 広大な城砦(カム・アー)内に横たわる様々な形状の建築群。強化セラミックとローマ式(ローマン)コンクリートで形作られた文明の残滓(ざんし)。住居棟とそれに隣接する食糧の自動生産施設。その片隅で一部が細々と稼動している工場。半壊した医療施設。空っぽの学校。そして自然公園になるはずだった手付かずの広大な更地。二十万人を越える人間が自給自足の生活ができるように設計されたこの城塞都市(カム・アー)は、今となっては当初の計画の十三パーセントに満たない人口しか養ってはいなかった。その文明の残滓(ざんし)を黒い渦巻きは観光旅行者がするように無遠慮に、しかも興味深げに見聞しはじめた。もしガイドがいればその説明にいちいち(うなず)いたり、大げさに首を振って感嘆することもあったろう。しかし城砦(カム・アー)内の四分の一も観終わらないうちに街区の一角に最初の変化が現れた。

「これはこれは……もうはじまってしまったか」

 その声ならぬ声は観光を中断された残念さよりも、膨らむ期待を抑えるかのようにうち震えていた。


               *

 目覚めた都市が動き出す頃、建物群の一角にある大きな十字路の一つから苦痛に満ちた断末魔の合唱が途切れることなく流れはじめた。


               38

 不安は恐怖を産み、その恐怖は容易に恐慌(パニック)を育て上げる。しかも自分の手には負えないほどに。しかしジョウシは幼い頃からそうであったように、それらが自分の手に負えなくなる前に根元からごっそりとそれを刈り取ってやろうと決意していた。そのために必要なのは不安と恐怖とは反対の方向へ向かう論理の力だ。だが、その力を呼び起こすには強い自制心しかない。落ち着くのだ。考えろ。今の理解しがたい状況から分析されたものを素直に受け止めて、それを充分に咀嚼(そしゃく)してから対処法を探す。幼い頃に村のイジメっ子どもを何度も出し抜いたようにすればいいのだ。ジョウシは自分にそう言い聞かせると目の前の荷台に横たわる傷ついた人間の戦士に静かに語りかけた。

「お前は自分を襲ったモノを見たか?」

「いや、見てない」苦痛にエイブの顔が(ゆが)んだ。

「以前はどうじゃ。突然、お前のように瞬時に深手を負わされた者を見たことは?」

「いいや、それもない」

「聞いたこともないか?」

「あぁ、ないな」

「左様か……」

「何か答えを知ってそうな口調だな」エイブは痛みに耐えながら疑いの眼差しを質問者に向けた。「この期に及んで、まだ何か隠し事をしようってのか?」

「あの時のことね」ファニュが心配そうにジョウシの顔を(うかが)った。

「そうじゃ……」

 ファニュに(こた)えるジョウシの顔は負傷したエイブとは違った苦痛を耐え忍んでいるようだった。

「だから、それはなんだって聞いてんだ」

「隠し事などではないが」ジョウシは観念したようにエイブに口を開いた。「ただ似たような力の発現に我れらは遭遇したことがある」

 ジョウシはヴァンパイアの力を覚醒させた仲間のミソカが見せた超能力をかいつまんでエイブに説明した。

「やっぱりか……俺はヴァンパイアにやられたってことなんだな」

「おそらくは……」

「何が『おそらくは』だ!」エイブは痛みも忘れてジョウシにくってかかった。「お前らは危険だった。お前らを信じた俺が馬鹿だったんだ」

「エイブ、落ち着いて。何もヴァンパイアが犯人だなんて決まってないわよ」

「これが黙っていられるか。今の話を聞いて、こいつらヴァンパイア以外に犯人は考えられねぇだろ。くそ。しかも俺はこいつらを都市内に呼び込んじまったんだぞ」

「そうじゃな……ヴァンパイアの他に犯人はおるまいな。しかし、それだけでは正鵠(せいこく)を射てはおらぬ。問題はお主がヴァンパイアの誰を呼び込んだのかということじゃ」

「お前らの他にもいるってことか?……」

 エイブはジョウシを。次に(そり)を走らせている馭者(ぎょしゃ)台のタンゴの背中に視線を走らせたが沈黙に(むく)いられただけだった。次に彼は問うような眼差しをファニュに向けた。しかしファニュも既に沈黙の仲間になっていた。

「いったい、どういうことだ?……」

 答えを得られないままのエイブは大きな溜息(ためいき)をつくと視線を(そり)の床に落とした。視線の先には自分の血で新たに赤黒くペイントされたキャンバスが敷かれていた。彼の目はそれに釘付けになった。ほんの少し前まで何かが包まれていたはずのキャンバス。そのとき彼は自分を襲ったモノが何だったのかを(にわ)かに悟った。

「いま気づいたんだが。もしかしてここに乗っていた奴が……もしかして、お前たちが番を頼んだ死体が……」

「違うよ!」

 振り向きもせずに即座にタンゴが否定した

「されど、それしか納得のゆく答えはあるまい」

「チョウヨウはそんなことはしない。君だってそれくらい知ってるだろ」

「そうよ」ファニュもタンゴの反論に賛同した。「あのチョウヨウが理由もなく人を傷つけるわけない。それにタンゴだって一度死んで(よみがえ)ったことがあったんでしょ。あなたたちが話してくれたことが本当ならタンゴだって変になってるはずじゃない。でも優しくて良い人のままなのよね」

「確かにそうじゃな」ジョウシの声は冷たかった。「ならば聞くが、なぜ荷台に無いのじゃ、チョウヨウの遺体が?」

 (そり)を重苦しい沈黙が支配した。聞こえてくるのは雪走り烏賊(スノー・スクィード)が雪を蹴立てる音だけだった。

 ジョウシが再び口を開いた。口調は(おだ)やかではあったが、それは残酷な現実を彼女なりに分析しようとするものだった。

(よみがえ)ったとすればタンゴの例があっただけに合点(がてん)がいく。間違いなくチョウヨウは(かえ)ってきたのじゃ」自分の言葉が皆の心に浸透するのをジョウシは待った。「じゃが、あ奴が突然の乱心に(およ)んだことだけは合点(がてん)がゆかぬ」

「タンゴと比べて(よみがえ)りまで時間がかかったのなら。それが問題かも」

 事実を受け入れたファニュも(しばら)くしてそんな推測を口にした。

「そうかもしれぬし、違うておるやもしれぬ。まさかとは思うが、御力水(おちからみず)そのものが原因だったやもしれんしのぅ。分量の問題であったか……それともタンゴに使ったものとチョウヨウのとでは成分が違うておったのか……されどタナバタもミソカも正気を(うしの)うた……」

「きっと成分よ。だってタナバタさんは正気を取り戻して、あたしとナナクサを助けてくれたわ。あなたも知ってるでしょ」

 ジョウシは天を仰いだ。

「左様であったな。されどミソカは最後まで狂うたままじゃった……」

「それはわからないわ」ファニュは(あきら)めずにまくしたてた。「あの時の戦士たちは凄く残酷で凶暴だったから……あんな性質(たち)の悪い連中の血だもの。チョウヨウだっておかしくなるわ。それにミソカの時のだって戦士の死体があったわ。彼女はきっとそれを飲んだのよ」

「少し飛躍しすぎではあるまいか」

 チョウヨウに対するファニュの思い入れを知っているだけにジョウシの口調は柔らかかった。

「ううん。ぜんぜん飛躍なんかしてないよ。だってあんなに優しくて意志の強かったチョウヨウが理由もなく人間を襲うなんて考えられない。ねぇそうでしょう。もしかしたら(よみがえ)ったショックで混乱してるだけかもしれない。どう考えたって、やっぱり原因は奴らのあの残忍な血よ」

「おい。一体全体お前らは何の話をしてるんだ?」

 エイブの質問は二人から完全に無視された。そしてジョウシは戦士たちの凶暴さを思い出すと床に目を落として悔しそうに唇を噛んだ。

「確かにのぅ。ただでさえ劇薬であったものを……いや。じゃが、真相はやはりわからぬ。えぇい。かような折に薬師(くすし)のナナクサが()ってくれれば他に知恵も働こうに……」

「忘れるな、みんな」今まで黙って話を聞いていたタンゴが(ごう)を煮やして言い放った。「僕らはナナクサを助けに来たんだ。そして行方不明のチョウヨウも必ず探し出す。絶対だ。もし君らが嫌だって言うんなら構わない。その時は僕だけでもチョウヨウを……」

「嫌と言うわけがなかろう」

「もちろんよ。二人とも必ず助ける」ジョウシに続いてファニュも()かさず返事を返した。

「だから無視すんなよ」苛立(いらだ)ったエイブは再び口を開いた。「いったい何なんだ『残虐な血』って。一番の被害者には秘密かよ」

 (そり)が街路の十字路にさしかかった丁度そのとき、エイブの質問は壊れた人形のように人間の身体が放物線を描いて(そり)の進路に飛び込んできたことで中断された。それは重武装した女戦士の身体だった。

 タンゴは急制動を掛けたが(そり)は女戦士の身体を車体の下に巻き込んで、その身体に乗り上げると骨と内臓を修復不能なまでに粉砕して停まった。二人のヴァンパイアと二人の人間が事態を充分に理解する間もなく今度は戦士の身体に混じって労働者の身体が大きな放物線を描いて投げつけられ、それを皮切りに次々と人体が十字路に降り注ぎはじめた。

 まるで乱射される矢を思わせるその光景は(そり)の若者たちをたじろがせはしたが、身体に染み付いた生存本能までたじろがせはしなかった。タンゴとジョウシは反射的にエイブを両側から抱きかかえると既に行動を起こしたファニュに続いて(そり)から雪上に素早く飛び退いた。ヴァンパイアと人間の二組は車体の陰に身を(ひそ)めた。それが伝染したのか、雪走り烏賊(スノー・スクィード)も積もった雪の中に(もぐ)り込んで早くも身を硬く縮こまらせた。一瞬後、人体と(そり)の車体が太鼓を乱打するかのような不協和音をか(かな)ではじめた。人体豪雨の中、彼らが戦士や労働者の身体が飛んできた方向を眺めると、今まさに人間の集団を()ぎ払おうとする一人のシルエットが目に留まった。折り重なった戦士の身体の上に仁王立ちしているその姿。必ずしも大きいとはいえないが、無駄なところが一片もない引き締まった体躯(たいく)は遠目からでも十分にそれと確認することができた。

「チョウヨウ!」

 タンゴの喜びと混乱が入り混じった叫びは、引き絞られた弩弓(どきゅう)のように力を()めこんだシルエットの動きをピタリと止めた。それは人体の丘の上でおもむろに振り向くと、禍々(まがまが)しさの中にも快活さを秘めた笑顔を四人に向けた。

「みんなやっと来たね。遅いよ。ねぇタンゴも早くおいで。スカッとして本当に面白いんだから!」

 チョウヨウは、そう叫び返すと真っ赤に染まった目を細めた。


               39

「これで死んでしまうのかな」という思いが頭をもたげることすら難しくなるほど衰弱しきったナナクサは、鼻にツンとした刺激臭を(かす)かに感じたような気がして震える(まぶた)をおもむろに開いた。彼女の目の前には幻があった。折り重なるように床に(たお)れた六人の戦士。その身体の下に広がる血溜(ちだ)まり。その血溜(ちだ)まりから出現したように(たたず)む黒い人影。ナナクサを見下ろすその黒い人影はおもむろに口を開いた。いや開いたように感じた。声がナナクサの頭の(しん)をノックした。()みとおるような低くて静かな、それでいて全てを(ゆだ)ねたくなるような声の響き。

「長らく待たせたな」

 誰かがいるのは現実なのだろうか。しかしナナクサの瞳は震える(まぶた)の隙間から黒い影をうつろに眺めているだけだった。いや。眺めるというよりは上下左右に激しくぶれるカメラの焦点を必死に被写体に合わせようとする作業に近かった。

「誰?……」と苦しい息の中からナナクサは幻かもしれないものに、やっと小さな声をかけた。その瞬間、幻が動いたように見えた。首と四肢を拘束する磔刑台(たっけいだい)の銀の呪縛(じゅばく)が一斉に解けて身体が自由になった。前のめりにくずおれる身体を力強い両腕が(かか)え上げた。だがその腕はさっきの声のように彼女に身を(ゆだ)ねるに足る安堵(あんど)をもたらす以上に、言い知れない不安を()きたてる何かを感じさせた。

「誰なの?……」

 再度の呼び掛けにも(こた)えなかった影が、ナナクサの瞳に漆黒の装束に身を包んだ、ほっそりした紳士の姿に像を結んだ。誰かがいることが確信に変わった。

「さあ」静かで低い声とともに鼻を()く刺激臭がナナクサの頭に降り注いだ。「ほんのひと(すす)り。いや、ひと()めでよいから口にしなさい」

「口に……何を?……」

 この刺激臭はやはり……。聞かなくてもわかっていることをナナクサは()えて口にした。それは間違っていてくれたらという淡い期待から出た言葉にすぎない。だが期待は往々(おうおう)にして裏切られる。特にそれが淡いものならなおさらだ。

「これはこれは」

 楽しげな声は、その凍った吐息に刺激臭をまとわせた。もちろんナナクサの問いに(こた)える気などないらしい。根負けしたように彼女は自分の解答を吐き出した。

「人間の血ね……」

「わかっているならすぐ口にしなさい。それだけ早く活力も戻るのだから。ほら。早くしないとせっかく(たお)した人間どもの血が寒さで固まってしまう。味も落ちてしまうよ」

 銀の苦しみから解き放たれた時からヴァンパイアの治癒(ちゆ)力はナナクサの身体と意識の回復にフル活動を開始していたが、意識に比べて身体の自由はまだきかなかった。彼女は紳士の腕の中、思うようにならない身体を強張(こわば)らせた。それは子供をあやすように悪へと誘う声に対して、彼女が今できる最大の意思表示でもあった。

「なぜ、ここまできて(あらが)うのだ?」

「あなたは、いったい誰なの?」

 ナナクサはまた誰何(すいか)した。しかし聞かなくても、これもわかっていた。正確には彼女の本能が既に目の前の存在に激しく反応して自分と深い部分で強い繋がりがある存在だと告げていたのだ。この悪へと誘う声が私の……遠い伝説であったはずの始祖(ごせんぞ)。ナナクサはその声が頭に染み透れば透るほど、父母に(いだ)かれた幼き日の安堵(あんど)と満足にも似た感情に支配されていくのを感じ、そんな自分自身に恐怖さえ覚えた。全てを包み込んでもらえる安心感。それゆえに、その存在に自分というものが溶かされて吸収されつくしてしまうのではないかという恐ろしさ。始祖(ごせんぞ)はそんなナナクサの考えを読み取ったかのように、そうだと(うなず)くと、魅力的だがぞっとする微笑を彼女に向けた。ナナクサは(あらが)うようにその赤い目をひたと見据(みす)えた。

「わたしは御免だわ」ナナクサは(いま)だ浅くて荒い息を必死に整えた。「耐えられないから……」

「何にだね。血を飲むことかね?」

「悪に染まること」

「悪……これはこれは。では一つ質問をさせてくれるか。何をもってお前は悪と言うのだね?」

「命を奪うこと」ナナクサは戦士たちの死体に目を泳がせた。「それは一族の道に反してる」

「お前は、それが悪だと?」

 ナナクサは力なく(うまず)いた。

「だが、それが我れらヴァンパイアの習性。運命づけられた定めだ」

「違う。わたしたちヴァンパイアは他の生き物の命に依存せず、静かに平和に暮らしてきたの。それは変わらない。過去もこれから未来も、ずっと」

「命を奪わぬ者など、この地上に一人たりとも()りはせんのだ」

「いいえ。わたしたち一族がそうよ。わたしたちはそんなことはしてこなかった」

「お前は真のヴァンパイアを知らぬようだ。我れらは古来より人間どもに(さげす)まれ、()み嫌われ、恐れられてきた存在。そして奪う者なのだ」

「わたしたちは奪わない」

「少なくとも我れは違う」

 始祖(ごせんぞ)はナナクサの言葉を(さえぎ)った。そして戦士たちの死体を眺め渡すとなおも(さと)すように語り続けた。その染み透る声はいかにも静かで自信に満ちていた。しかしその古風な言い回しは信頼をもたらすジョウシのそれとは違い、より一層の禍々(まがまが)しさをナナクサに植え付けた。

「我れもこの人間どもも、食べるために命を奪う。未来永劫それに変わりはない。しかし、こ(やつ)らは食べもせんのに他の命を奪うことがある。お前は信じられぬであろうがな。さて、お前はこの事実をどう思う?」

「悪よ。わかりきった事を聞かないで」

「そうか。わかりきっておるか」始祖(ごせんぞ)は面白そうに口の端を上げた。「ならば、お前自身はどうなのだ。お前と仲間はここへ来る前に多くの人間どもを(あや)めた。食いもせんのに(あや)めたのではなかったか?」

「それは……」お前も(あや)めたという言葉に(きょ)()かれたナナクサは言いよどんだ。「仕方がなかったのよ。でも命を奪うことが目的じゃない。あれは身を守るために必要だった」

「ほう。身を守る……か。これはこれは」始祖(ごせんぞ)口角(こうかく)が再び上がった。「身を守るためなら仕方はないのか。ではもう一つ聞こう。こ(やつ)ら人間どもは仲間同士ですら楽しみのために殺しあう。確か……あの折にはお前も楽しんでいたろう。身を守るために仕方なくすることになっても、それを楽しんでしまうのはどう説明するのだ?」

「楽しんでないわ」

「果たして本当にそうだったかな。自分自身に聞いてみるがいい」

「馬鹿なこと言わないで。何が言いたいの?!」

「誰に習わずとも殺し方は身体に宿った狩人(かりゅうど)の血が教えてくれるということだ。そしてそれが芸術的であればあるほど、楽しく、身体は喜びにうち震える。お前は命を奪うことをあのとき楽しんだのだ。戦士の大集団に対峙(たいじ)したとき心の底から楽しんだのだ」

「わたしは楽しんでない。狩人(かりゅうど)なんかでもない……」

 ナナクサは初めて聞く狩人(かりゅうど)という単語が意味するところを本能で知っている自分自身に驚きながらもそんな自分を嫌悪した。

「あのときの高揚感を思い出すのだ、我が子孫よ」

「やめて!」

「思い出すのだ。獲物を切り伏せた時の快感を。血煙の中を走り抜ける喜びを。身体の隅々まで。細胞の一片に至るまで稲妻のように広がり渡った充実感を。お前は奪う者。まぎれもない狩人(かりゅうど)。それが本来のお前自身なのだ」

 ナナクサは(ひる)んだ。そして目の前の始祖(ごせんぞ)の言葉に心底恐れおののいた。ナナクサはぎゅっと両目をつむって悪鬼のようになった自分や仲間たちの姿を頭から懸命に追い払おうとした。だが目の前にいる始祖(ごせんぞ)の声は彼女の血の中に眠るの記憶をなおも執拗(しつよう)に掘り起こしてくる。ナナクサは何かにすがりつくように必死に(あらが)った。(あらが)った先には小さな違和感しかなかった。それは自分というものが崩れ去ってしまうことに対する違和感だろうか。それとも自分が目の前の始祖(ごせんぞ)と同じく、本当は悪の化身(けしん)であると信じ始めていることに対する嫌悪感を伴ったそれだろうか。

「お前は狩人(かりゅうど)。ヴァンパイアは狩人(かりゅうど)なのだ」

「わたしはあなたとは違う!」

「同じだ」

「わたしは楽しみで命を奪ったりしない。そんなことをすれば自分が破滅する!」

「破滅などせん」

「仲間は……親友のミソカやタナバタは破滅した!」

「あ(やつ)らの心は弱かったのだ」

「違う。一族の(おきて)を破って悪に染まったからよ。彼らは最後にそれ気付いた!」

「愚かな(おきて)だな。まるで人間のようだ。汚らわしいこと、この上もない。さぁ、早く目を覚ますのだ」

「いやよ!」

「我が子孫よ」

「絶対に、いや!」

 議論は終わりだといわんばかりに、それから長い沈黙がその場を支配した。始祖(ごせんぞ)は力が入りきらないナナクサの身体を床の上にそっと横たえた。そして粘度を増して固まりかけた戦士の血を二本の指でバターのようにたっぷりすくい取るとその匂いを()いだ。そして微笑むと、その指を横たわったナナクサの口に持っていった。ナナクサは固まりかけた血から(いま)だに漂う(かす)かな刺激臭に顔をしかめた。そして目の前にある指先の血と始祖(ごせんぞ)の顔を交互に見渡した。しかしその目にはある決意があった。

「さあ」と始祖(ごせんぞ)

「あなたは……」ナナクサは始祖(ごせんぞ)の手首を力の限りぎゅっと握った。「あなたは……」ともう一度同じ言葉を繰り返した。「私たちが人間たちと闘ったことをどうして知ってるの?」

「何をしている」始祖(ごせんぞ)の声に少なからぬ動揺と怒りが入り混じった「手を放して早くこの血を」

「なぜ、あの時のわたしたちの気持ちまで。それに死んだ仲間の心が折れたことまで知ってるの?」

「お前たちの心の内など容易に推測できる」

「いいえ違うわ」

 身体が回復しつつあるナナクサは人間なら骨が砕けるほどの力を手に込めた。指からは怒りで鋭く尖った爪が伸びて始祖(ごせんぞ)の手首に深く食い込んだ。どす黒い血が(つか)まれた手首から()みだした。ナナクサの瞳の中に火が(またた)いた。薬師(くすし)として生きてきた論理に()む英知の火だ。

「あなたはあそこに居たわね」ナナクサは決めつけ、始祖(ごせんぞ)の沈黙の中に肯定を読み取ると語気を強めた。「あなたは間違いなくあそこにいた。そして仲間を……仲間を(あやつ)って破滅させた」

(あやつ)ってなどおらぬ」

「そう。じゃぁ、あなたはあそこで何をしてたの?」

「手を放しなさい、いい娘だから」

「当ててみましょうか。あなたは私たちが暴走して戦士たちの命を奪うのを見て楽しんでたのよ。楽しんでたのは私たちじゃない。あなた自身よ。どう。図星でしょ」

「もし」始祖(ごせんぞ)は空いた方の手でナナクサの手首をねじると、いとも簡単に自分の手からもぎ離した。「そうだとしたら、どうだと言うのかね?」

「これからは、もうそんなことはないわ。いいえ、絶対にさせない」

「ヴァンパイアの定めを受け入れよ。我れを受け入れるのだ」

「いやよ。わたしたちはあなたとは違う(おきて)に生きるヴァンパイアだから」

 遠くの方で爆発音が轟いた。その方角に頭を巡らせた始祖(ごせんぞ)は不気味に顔を(ゆが)めると、ナナクサに向き直った。

「お前は本当に聞き分けがない。世界が完全に凍りつく前からそうだった。だが、まぁいい。お前が決めやすいように、先ずはあそこにいる仲間をことごとく、こちら側に引き入れてやろう」

 指に付けた戦士の血を素早く()めとった始祖(ごせんぞ)は、そう言うと瞬時に黒煙と化して空気に溶け込み、ナナクサの前から消え失せた。


               40

 チョウヨウとの再会を仲間たちは口に泥水を注ぎ込まれたに等しい表情で受け止めた。とりわけタンゴに至っては泥の中に混ぜ込まれたガラス片で口中を切り裂かれたような顔で復活した想い人を凝視していた。

 仲間たちとチョウヨウの視線が交錯(こうさく)した。破壊の暴風が()いだ瞬間だった。その隙をついて建物の陰に隠れ(ひそ)んでいた戦士たちの狙いすました弩弓(どきゅう)の矢があらゆる方角からチョウヨウに降り注ぎ、革鞄(かわカバン)を殴りつけるような低い音が途切れることなく何度も鳴り響いた。ファニュは固く目を閉じて顔を背けたが、再び目を開けると三十本以上の矢に刺し貫かれたチョウヨウは倒れるでもなく、その場に超然と立っていた。彼女は自分の左目から後頭部に抜けた矢を右手で(つか)むと造作(ぞうさ)もなくそれを引き抜いた。それと同時に突き立っていた三十本以上の矢が見えない力に押し戻されるように身体から勢いよく抜け落ちた。左目から後頭部にかけての傷も既に治癒(ちゆ)している。その光景を目の当たりにした戦士たちの息をのむ音があちこちから漏れ出た。

「まるで蚊が刺したほども感じないねぇ」

 チョウヨウの浮き浮きした声は、今では通り一杯に膨れ上がって自分を遠巻きにする戦士たちを無視して十字路の向こうに(たたず)むタンゴにのみ向けられていた。

「ねぇ、タンゴ。あんた知ってたかい、蚊っていう生き物を?!」

 タンゴは口を真一文字に引き結んだまま首を左右に振った。

「そうかい。でも、あたいはもう知ってるんだよ」チョウヨウの赤い目がギラリと光って自分を取り囲む戦士の輪をねめつけた。

「蚊っていうのはね。あたいたちと同じで血を吸うんだよ。何百、何千って数で勝てもしないのに大きな獲物に(むら)がりやがるんだ。ふん。チンケな生き物さ。まるでこいつら人間みたいじゃないか!」

「もうよい。牙を納めるのじゃ、チョウヨウ!」

「なに言ってんだい、チビ助」チョウヨウはジョウシに(あわ)れむような視線を向けた。「か弱い小娘一人を寄って(たか)って(なぶ)り殺そうとしてるゲスどもなんだよ、こいつらは。あんたならどうすんだい?!」

「もう充分じゃ。こ(やつ)らは(おび)えておるのだ。それゆえに武器を向けておるだけじゃ」

「へ~ぇ。そうなんだ……」

 チョウヨウが(しゃべ)り終えようとした瞬間、ヴァンパイアの視神経を焼き切るほど強い輝きがタンゴとジョウシの遮光ゴーグル一杯に広がった。二人は手をかざして固く(まぶた)を閉じたが、それでも眼球の奥まで刺し貫く激痛から目を守るのが精一杯だった。ファニュはまぶしさに目を細めつつも、チョウヨウがいた辺りに無数の太陽光が当たっているのを見た。しかし(まばゆ)い光の中には既にチョウヨウの姿はなかった。

「でもね。馬鹿な蚊どもはまだまだヤル気だよ!」

 ファニュは声が(こだま)してくる方角に(かすむ)む目を向けた。そこには広い通りに隣接する建物の壁に足場を得ながら屋上へと()ね上がり続けるチョウヨウの優雅な姿が見て取れた。屋上に着いたチョウヨウは、今度は建物を一棟抜きに屋上から屋上へと跳躍を繰り返して三ブロック先の光源までたどり着いた。するとその光が急に消えうせた。太陽光を反射する巨大な鏡。アルキメデスの熱線砲(ヒート・レイ)がチョウヨウに叩き割られたのだ。そしてくぐもった小さな地響きとともに建物群の幾つかに火の手が上がった。今まで石のように固まっていた戦士たちがそれを見て怒りの雄叫びをあげ、チョウヨウのいる建物めがけて次々と走り出した。

「チョウヨウ!」

 視神経を焼く輝きから解放されたタンゴも豆粒のように小さくなったチョウヨウの姿を求めて駆け出し、一足飛びに戦士集団を飛び越えようと彼らの頭上高く跳躍した。だが通りは既にそれを許さないほどの戦士がひしめき合っており、その真っ只中に着地してしまった彼は呆気(あっけ)にとられる戦士が反応する前に再び飛び上がった。そして空中でジョウシとファニュに頭を向けると、「君たちはナナクサを探せ!」と大声で叫んで人ごみに(まぎ)れて見えなくなった。タンゴを追い始めた集団より後ろにいた戦士集団は他にもヴァンパイアがいることを思い出し、方向を転じて今度はジョウシらに迫り始めた。

「行くぞ、ファニュ!」

 ジョウシは一声そう叫ぶと怪我人のエイブを軽々と荷台に放り投げた。そして馭者(ぎょしゃ)台に飛び乗るとファニュが乗るのを確認する間も惜しんで、雪走り烏賊(スノー・スクィード)に鞭をくれた。(そり)は雪上を滑り始めた。(そり)に追いすがる戦士に混じって、飛んでくる矢がファニュの耳元を何本も(かす)めすぎていく。ファニュも弓矢で応戦し始め、一人の戦士が彼女の矢を甲冑の隙間に受けてよろめき倒れた。(そり)の速度はジョウシの手綱(たづな)さばきで上がり始めたが、スピードが十分に出る前に今度は追いすがる戦士の一人が荷台の後部に取りついた。ファニュは至近距離から矢を放ったが兜の側面に当たって(はじ)かれた。兜の中に両刃ナイフを口に(くわ)えた狂暴そうな女戦士の顔が垣間見える。一瞬凍りついたファニュは弓を離すと接近戦に備えて腰からナイフを抜き放った。だが走っている(そり)の右側面から、いつの間にか飛び乗った準戦士に不意を()かれて武器を叩き落とされてしまった。(そり)(あやつ)馭者(ぎょしゃ)台のジョウシの助けは当てにできない。ファニュは上体を(かが)めると側面から乗り込んできた準戦士に組み打ちを仕掛けた。だが逆に(くび)と腕をがっしりと(つか)まれた。相手はファニュを絞め落そうと彼女の(くび)にどんどん力を込めてくる。両刃ナイフを(くわ)えた女戦士はそんな二人の(かたわ)らをすり抜けて荷台で半身を起こしたエイブに迫ってゆく。ファニュの意識が遠のいた。完全に失神する寸前、彼女の(くび)にかかった力が不意に抜けて戦士の身体が彼女の身体に被さるようにどっと倒れ伏した。

「おい。いったいぜんたいどうなってんだ?!」

 (おお)いかぶさった戦士の身体を脇に押しやったファニュは咳き込みながら、そのヒステリックな声の主に目をすがめた。声はイライラとした調子でエイブを攻めたて続けていた。

「あぁ、畜生。なんてことしちまったんだ。戦士を二人も()っちまったよ。どうしてくれるんだ。どうやって言い訳すりゃぁいい。何もかもお前のせいだからな」

 ファニュは(つぶ)されかけた気管にやっと空気を送り込むことに成功しはじめていた。(のど)をさすりながら状況を更によく把握しようとエイブに近づくと、一人の準戦士がエイブに(おお)い被さるように多少の自己嫌悪を含んだ文句をまだぶつけていた。ファニュは新たな脅威に対処するため、エイブの横で絶命している女戦士の身体をまたいで彼を助けるために一歩を踏み出した。そして予備の小型ナイフを抜き放ったときエイブが片手を()げてそれを制した。

「いいんだ」

 準戦士はファニュの方を振り返った。ファニュはその顔に見覚えがあった。無抵抗のナナクサを捕まえた男だ。そう認識した瞬間、カッと殺意が芽生えてナイフを握る手に思わず力がこもった。しかし男の目には敵意は微塵もなく、ただ極度の苛立(いらだ)ちと狼狽(ろうばい)があるだけだった。ファニュは()き立った殺意をひとまずぐっと飲み込んだ。

「なんで、こんなモンに乗ってるんだ!」

 準戦士は再びエイブに顔を向けると声を荒げたが、彼は「いろいろ複雑な事情があったんだ」と言うにとどめた。実際、短い時間に色々ありすぎて自分でも何から説明すればいいかわからなかったからだ。

「そんなことより、お前こそなんでこの(そり)に乗り込んできたんだ、クイン?」

「お前が荷台にほうり上げられるのを見ちまったからに決まってるだろ」クインと呼ばれた準戦士の若者はジョウシの背中に軽く(あご)をしゃくると、急に声を(ひそ)めてエイブの耳元で(ささや)いた。「さぁ、逃げるぞ。グズグズすんな」

「何だって?」

「聞こえなかったのか。降りるんだよ、この(そり)から」

「馬鹿いえ。なんで降りるんだ?」

「おい」クインはエイブの耳に顔を寄せてイライラとした口調でなおも(ささや)いた。「あの女は俺たちが会ったヴァンパイアの仲間だろ。わかってる。お前を軽々と投げ上げた力を見りゃあわかるさ。なっ、そうなんだろ?」

「あぁ」

「『あぁ』だと……なに呑気なこと言ってんだ。こんなのに乗ってたら、いい的だってこともわかるだろ。あいつらと一緒に滅ぼされたいのか。さぁ逃げるぞ」

「身体が重くて自由に動けない」

「何だと!」一瞬電気が走ったようにクインの身体がびくりと動いた。「まさか、お前。奴らに血を吸われたのか?……」

「いや違う。大怪我をしたのさ」

「本当か?」

 不安を隠そうともしないクインにエイブは簡単な質問を投げかけた。「血を吸われたんなら、俺は今ごろどうなってる?」

「……死んでるよな、きっと。でも、死んでから(よみがえ)ったのかもしれない。言い伝えでは……」

「よしてくれ」エイブは首を振った。「昼日中に(よみがえ)る馬鹿なヴァンパイアがいるかよ。言い伝えにそんなことがあったか?」

「でも、馭者(ぎょしゃ)台の奴はぴんぴんしてるぞ」

「空が曇ってるからだろ」

 エイブは太陽を(おお)い隠す分厚い雲を見上げた。

「じゃぁ、お前だって既に(やつ)らの仲間で、俺を油断させようとしてるかもしれねぇじゃねえか」

「おい、もういい加減にしてくれ。ヴァンパイアになって(よみがえ)ったんなら、こうやって産卵した後の雪走り烏賊(スノー・スクィード)みたいに、ぐったり伸びてるわけないだろ。今頃はとっくにお前の喉笛を噛み裂いてるぞ」

 クインはエイブの顔色と体にきつく巻かれた布に交互に目をやると、やがて納得したように何度も(うなず)いた。そして悟ったように肩を落とした。

「俺はここへ徴発されたときから……いや生まれた時からだな。暴れることしか頭にない人工子宮(ホーリー・カプセル)どもは吐き気がするほど大嫌いだ。そんな俺でも我慢できてたのはお前みたいに徴発された準戦士がいたからだ」

 エイブはわかっているというように「あぁ」と静かに(うなず)いた。

「その中でもお前ほど気の合う(やつ)はいなかった。信じるか?」

 エイブは再び「あぁ」と(うなず)くと言葉を()いだ。「その言い方は、ここでおさらばってことだな」

 エイブの言葉にクインは深々と溜息(ためいき)をついた。

「そうだな。この機を逃す手なはいからな。別の(そり)を盗んで、この(くそ)溜めからさっさと逃げ出すよ。本当はお前と一緒に逃げたかったんだがな……残念だ」

「気にするな」

「達者でな、エイブ。生きてたらまたどこかで会おうや」

「なぁ」エイブは今にも(そり)から飛び降りようとするクインの背中に声を掛けた。「お前のおかげでファニュも助かった。遅れたが礼を言っとくよ」

 クインは大したことはないと言わんばかりに軽く片手を上げた。このとき自分と同じ境遇の者をエイブは心から欲した。互いに安心して背中を預けられる者を。そして去りゆく者をどんな手を使ってでも引き留めたいという思いが自然と言葉になった。

「たぶん俺を助けたことで、お前もすぐにお(たず)ね者になるだろうな」

「そうだな」

「隊商の教え(いわ)く『仲間の背中に自分の目を貼りつければ、生き残る確率もぐんと上がる』」

「なんだよ。行かせない気かよ。俺は結構すばしっこいんだぜ。お前も知ってるだろ?」

「あぁ。でも(やつ)人工子宮(ホーリー・カプセル)どものネットワークだって素早いぜ」

「うまく逃げ切って見せるさ」

「あぁ。もちろんお前なら一人でも大丈夫そうだ」とエイブは肯定した。「返塞からの追手だって(けむ)()けるよ」

 クインは荷台の端に手をかけ、(そり)から飛び降りる前にエイブの顔を見やった。そしてそのまま(しばら)く動かなかった。やがて(あきら)めたように荷台から手を放すと床に腰を下ろした。

「強いのか?」

 馭者(ぎょしゃ)台にいるジョウシにクインは(あご)をしゃくった。

「あの力はもう見たろ」とエイブ。

「あぁ、見た」

「隊商には接触するなよ」エイブは心とは裏腹な言葉を投げ掛けた。「きっとそこだけじゃない。いろんなところにお(たず)ね者クインの回覧(かいらん)は回るぞ」

「俺は馬鹿じゃねぇよ、エイブ」

「そうだったな」

「なぁ」クインの顔に躊躇(ちゅうちょ)が混じるのをエイブは見逃さなかった。「お前は三バカ事件の話って覚えてるか?」

「昔の話だな。けっこう目端が利く徴発組の準戦士が示し合わせて、ここから逃げたってやつだろ」

「そうだ。でも全員とっ捕まっちまった。あんな辺境の集落で。なんでだろうな。誰かがドジったんだな、きっと」

「きっと、そんなところだろうな」と、クイン。

「一人で逃げてりゃよかったのに」

「それなら早々と野垂(のた)れ死んでたろうよ。それがわかってたから三人で逃げたんだ。だが」クインは顔をしかめた。「奴らは捕まり、足先からじわじわと()き潰されていったんだ、工場から一日がかりで運ばせたデカい歯車を使って……なぁエイブ。お前はぐっしょり濡れた紙束を床から引き剥がしたことってあるか?」

 エイブは首を横に振った。

「歯車を掃除すんのが、丁度そんな感じだったらしいぞ」

「さぞ、たいへんだったろうな」

 数瞬の沈黙の後、(あきら)めたようにクインが口を開いた。

「わかった。お前の話に乗る。お前といた方がいくらか利口な選択ってもんだ」若い準戦士は自身が置かれた状況に納得すると、成り行きを見守っているファニュに目を転じた。「確か昨日会ったな。クイン・Mだ。呼ぶときは、ただのクインでいい」

 ファニュは了解の印にナイフを(さや)に納めるとジョウシの背中に声を掛けた。

「ジョウシはいいの。二人の話は聞いてたでしょ?」

「うむ。お前の知己(ちき)の他にも、ここを知悉(ちしつ)しておる者が増えるのであればな。はなはだ、やぶさかではあるが」

「『はなはだ』……『やぶさか』?……」

 堅苦しい言い回しの意味はわからなくてもジョウシの心情が類推できたファニュは首を(かし)げる新参者に初めて口を開いた。

「彼女は『とても歓迎はしないけどね』って言ってるわ。あたしはシェ・ファニュ。あいにくと、あんたが嫌いな人工子宮(ホーリー・カプセル)生まれだけど」

 ファニュの最後の皮肉を意にも(かい)さず、クインは逃亡計画のあらましを話すようにせがんだ。しかしナナクサ捜索の目的をファニュから告げられると、途端に自殺行為だと食って掛かった。そして、「ナナクサを探し出す取り決めは揺るぎないものじゃ」というジョウシの固い意志を確認するまでそれは続いた。

「して」と、ジョウシが背中越しにクインに質問を投げ掛けた。「そなたは連れ去られた我れらが同胞の居所に心当たりはないか?」

「あぁ、黒髪で綺麗な(ねえ)ちゃんだろ」

「知っておるのか?!」

「心当たりが無いでもない」

悠長(ゆうちょう)なこと言わないで。あんたが警報のスイッチを入れたことくらい、わかってるんだからね。元はと言えば……」かっとなったファニュが思わず口を挟んだ。

「あの時はお前たちのことを知らなかったんだから仕方ないだろ」ファニュを(さえぎ)ると、クインはさも当然のように言い放った。「さて。お前たちの探してる(ねえ)ちゃんだが、どこにいるも何も闘技場の中にはいなかったから、きっとその屋上だろ。言い伝えによりゃぁ、ヴァンパイア専用の処刑場があるらしいからな」

 その瞬間、エイブは(いや)な予感が当たったように天を仰ぎ、ファニュは息を()んだ。そしてジョウシは「間違いないか!」と振り向きざまに語気強く聞き返した。

「あぁ、間違いない。だって屋上ならお天道様の光にゃ困らねぇからな。ヴァンパイアの処刑にはもってこい……」

 (こた)えを聞き終わらないうちに(そり)は無人の大きな十字路へ向けてスピードも落とさずに大きくカーブを切った。「自殺行為だ」と叫ぶ新参者の声を押し殺して方向を転換した先には城砦都市(カム・アー)の中心部にある巨大な闘技場がそびえ建っていた。


               41

 百メートル余りの距離を三秒半足らずで走り抜け、二十メートルを越える建物の壁を屋上まで素早く駆け登ることなどヴァンパイアなら五十歳に満たない子供でも遊び半分で難なくこなしてしまう。

 壁にとり付き、その建物の屋上に(またた)く間にたどり着いたタンゴは貧血を起こしたように視野が狭まり、頭がクラクラする感覚に襲われた。しかし、それは無理もないことだった。彼は生まれてこのかたヴァンパイアが人間を。いや同じ人型で知性ある生き物を襲う光景を見たことなどなかったからだ。しかも、それが大切に想っている者の蛮行ならなおさらだ。もちろん、つい最近の戦いで自身も多くの人間を死傷させた経験があったが、これは違う。身を守るための仕方のない行動とはまったく別物の、おぞましく許しがたい行為。邪悪の所業(しょぎょう)以外の何ものでもなかった。

 アルキメデスの熱線砲(ヒート・レイ)のまわりに散乱する鏡面セラミックの欠片(かけら)の中に破壊された五体の自動機械(オート・マトン)の残骸が転がっていた。チョウヨウははじめ、それらから立ちのぼる煤煙(ばいえん)(まと)ってタンゴに背中を向けて立っていたが、彼の気配を感じ取ると、左手一本で羽交い絞めにした戦士の首筋に喰らいついたまま振り向いた。彼女の足元には既に同じような戦士の死体が二体、折り重なるようにうち捨てられていた。

 タンゴは目の前の胸が悪くなる光景をこれ以上見ないように固く目を閉じた。しかしヴァンパイアの研ぎ澄まされた聴覚はストローでコップの底に残った液体を吸い上げる音にも似た下品なそれをはっきりと彼の脳に注ぎ込んだ。吐き気を(もよお)した彼は服の上から胃を力一杯に(つか)むと(かろ)うじてそれを抑え込んだ。そして意を決して目を開けて捕食者に視線を転じると、静かではあるが断固とした決意で声を投げ掛けた。

「やめろ、チョウヨウ!」

 その声が合図ででもあったかのようにチョウヨウは左腕の力を抜いた。血を吸い尽くされた戦士の死体はその場にくず折れた。チョウヨウは乾ききった人間が水を飲み干して、やっと満足を得たときのように大きく肩で息を吐くと、おもむろにタンゴを見た。十字路で再会したときの禍々(まがまが)しさの中にあっても以前の凛々(りり)しさを秘めていたチョウヨウの顔は、今では気高(けだか)妖艶(ようえん)な美しさにとって代わられていた。タンゴは、その甘美な魅力に息をのみ、同時に言い知れぬ不安も覚えた。

「チョウヨウ……」

 チョウヨウは「なぁに?」と、不思議そうに首を(かたむ)けて発言者の青年に微笑みかけた。

「チョウヨウ。もう止めてくれ……頼むから」

「なぜ?」

「悪いことだからだよ、君だってそれくらいわかってるだろ?」

「わかんないわ」

「どうして?」と、今度はタンゴが疑問をぶつけた。

「だって、あたいは悪いことだと思わないもん。こいつらは(いにしえ)からの(かたき)なんだよ」

 無邪気で、それでいてどこか、からかうようなチョウヨウの言葉にタンゴはたじろいだ。

「ねぇ、どうして止めろなんて言うの?」

「闘ったって良いことなんかないよ。人間を(たお)したって得るものなんてなかったろ」

「本当にそうなのかな?」

「とにかく、もうやめてくれ。でないと……」

「『でないと』なぁに。でないと、どうするの、ねぇ?」

 チョウヨウは面白がるように挑発を繰り返した。それに苛立(いらだ)ったタンゴは語気を荒げた。

「いい加減にしてくれ、君らしくもない。怒るぞ」

「『怒る』……怒って、あたいを(しか)るのね。ねぇ、どうやって(しか)るの。あたいをぶったりするの?」

「ふざけるな!」

「あら」チョウヨウはタンゴの背後に回ると、その大きな背中を抱きしめて顔を埋めた。タンゴが気付かぬほど一瞬の出来事だった。「ふざけてなんかないわよ」

「やめろ……」

「なぜ?」

 チョウヨウの甘い声がタンゴの背中を優しくくすぐった。

「やめてくれ、チョウヨウ……」

「どうして。あたいが嫌いなの」

「君は……君はそんなことを言う()じゃなかったろ」

「自分の心に素直になったらダメなの。ねぇ、あたいはあんたのことが好き。あんたもあたいと同じ気持ちでいてくれてると思ってた。違うの?」

 悲しげでありながら、どこか誘うようなチョウヨウの声にタンゴの心は激しく揺らいだ。

「もちろん僕も君のことが大好きだ」

「本当?」

「嘘なんかつくもんか」

「うれしいわ。その言葉だけで(よみがえ)った甲斐(かい)があったわ」

 チョウヨウの言葉の最後は魔法となってタンゴから意志の力を奪い去った。彼女はどんな形であっても彼女なのだ。自分のために(よみがえ)ってくれたのだ。タンゴは自分の四肢から力が抜けていくのを感じた。そして瓦礫(がれき)が散乱した床に両膝をつくと、自分の胸の前に回ったチョウヨウの手に自分の手を重ねて強く握ると確かな彼女の存在を味わった。チョウヨウは自分の左(ほお)をタンゴの右(ほお)にぴたりとくっつけた。ひんやりとした心地よい肌触りにタンゴは大きな安らぎと幸福感を覚えた。

「僕は……君が死んで、どうしたらいいかわからなくて……正気じゃない方が楽になるのにって思ったりしたけど、そうはならなくて……それでも心のどこかで、どうにかできるんじゃないかって思ってた。だから君を(ちり)(かえ)すのにも反対したんだ……あぁ、なに言ってんだ僕は。でも……でも君が(かえ)ってきてくれて本当に嬉しい」

「しーっ。もう何も言わないで、タンゴ」

 チョウヨウの口から漂う微かな血の刺激臭がタンゴの意識を現実に引き戻しかけた。

「あたいは(かえ)ってきたの、あんたのところへ。それだけで充分でしょ」

 タンゴは幼子(おさなご)のように、こくりと(うなず)いた。

「じゃぁ、今度はあたいのために、あんたがしてくれる番よ」

「『してくれる』って、いったい何を?……」

 タンゴとチョウヨウの背後で何かが動く気配がした。二人が振り向くと、チョウヨウに(たお)された三人の戦士が立っていた。彼らは生気を失った(うつ)ろな眼差しを二人に向け、ただその場に(たたず)んでいた。

「こいつらの上に君臨するのよ、一緒に」


               42

 ヴァンパイアによる城塞都市(カム・アー)内への初侵攻という前代未聞の異常事態に、第一指導者(ヘル・シング)が怒り狂って手が付けられなくなっているだろうと予想していたレン補佐長は(ぜい)()くした居室で全く正反対の反応を示す彼の態度を見て呆気(あっけ)にとられた。そして入室と同時に落ち着き払った言葉が朗々(ろうろう)と流れ出るいつもの口を開くことができず、護衛の戦士たちと分厚い扉を入ったところで、ただ立ち()くしていた。これはまさに異常事態だ。短気と身勝手が影を(ひそ)めた第一指導者(ヘル・シング)の姿にレン補佐長は不気味な思いを強くした。

「で、どうなっている?」

 窓外に広がる建物群の(はる)か彼方に立ちのぼった細い煤煙(ばいえん)を眺めていた第一指導者(ヘル・シング)は一声そう発するとレン補佐長を振り返った。彼は第一指導者(ヘル・シング)の顔色を素早く読み取ると慌てて左右に控えている護衛の戦士たちに目配(めくば)せをして下がらせた。

(いま)だ滅ぼすに至ってはおりません。戦力の(とぼ)しい第九街区は、もはや時間の問題かと思われます」

 補佐長は端的に事実を述べた。

「そうだろう。いや、そうでなくてはならん」

「と、おっしゃいますと第九街区は?」

「十から十二までの街区に戦力を集中するのだ」

 やはり異常事態だ。

 レン補佐長は第一指導者(ヘル・シング)の高揚を隠そうともしない表情を上目遣(うわめづか)いに盗み見てそう確信した。彼はヴァンパイアの初侵攻を楽しんでいる。それどころか辺塞の指揮階級の一人が半世紀以上も前に成しえたと噂されていた戯言(たわごと)を信じきっている。三匹のヴァンパイアを追い詰めて滅ぼしたなどと、そんな荒唐無稽(こうとうむけい)与太話(よたばなし)を信じることすら危険なことなのに、きっと自身の手でヴァンパイアを攻め滅ぼす夢想に酔い()れているのに違いない。それゆえに今も被害を出し続けているヴァンパイアは易々(やすやす)と滅ぼされてはならないのだろう。駄目だ。以前からこの第一指導者(ヘル・シング)の異常性を見抜いてはいたが、これほど危険な考えを持っていたとは……もちろん、その危険は他の人間たちにとってというより、むしろレン補佐長自身にとってのものだった。なぜなら軽んじてはならない異常性と、軽んじた考え方しかできない馬鹿の違いは天と地ほどの差があるからだ。目の前にいる異常性の塊は想像を絶するほど大きな災いを自分自身にもたらすだろう。影の実力者としての生活が根本から破壊される。これは当初の計画より早目に手を打たねばならない。レン補佐長の頭は目まぐるしく回転し始めた

「ただちに緊急解凍した(ひか)えの戦士すべてを討伐に差し向けよ。それと残りの熱線砲(ヒート・レイ)もな」

「恐れながら」レン補佐長は(こうべ)()れた。「今は厚い雲が空を(おお)っております。晴れ間が続かなければアルキメデスの熱線砲(ヒート・レイ)は、あまりお役には立たないかと存じますが」

「そうか」指導者はあっさりと補佐長の諫言(しんげん)を受け入れた。「では、我が人造強兵(ホムンクルス)を第十街区に残らず差し向けることとしよう」

「お待ちください!」

「まだ何かあるのか?」

 第一指導者(ヘル・シング)の声に苛立(いらだ)ちが混じった。

「はい。少しばかり」

 自分に最大限のメリットをもたらす解答をレン補佐長は、はじき出した。もちろん異常事態を是正するオプション。即ち今の第一指導者(ヘル・シング)を排除することも必要不可欠な条件として織り込んだ上で。

「闘いの中心に人造強兵(ホムンクルス)を送り込むことはできますが、それでは混乱も避けられません。騒ぎに乗じて……いえ、恐れをなしてヴァンパイアどもが都市中に逃げ散ることも充分に考えられます」

「なんだと?」

「ですから労働階級の者どもを五十人ほど潰してもよい御裁可をいただきたく存じます。その血を使いまして」と今回ばかりは指導者の視線に(ひる)むことなくレン補佐長は自分が考えた作戦を一気に説明した。初めは渋い表情だった指導者も作戦の概要を聞き終わると鷹揚(おうよう)(うなず)き、最後にはそれを承認した。

「ただし」第一指導者(ヘル・シング)は退出してゆく補佐長の背中に言葉を投げ掛けた。「お前の考え通り、奴らをおびき寄せて袋の鼠にできなかったときは……そのときは、わかっているな」

御意(ぎょい)。この命に()えましても」

 心の中の舌打ちを気取(けど)られないようにそう(おう)じたレン補佐長は第一指導者(ヘル・シング)の居室からそそくさと退出した。ヴァンパイアもろとも(ぎょ)(がた)くなる一方の第一指導者(ヘル・シング)を葬り去るためには手段を選んでいる場合ではない。早く仕掛けを施さねばならない。しかしそれ自体は至極簡単なことだ。問題なのは時間なのだ。レン補佐長は護衛の戦士たちに付いてくるように(うなが)すと、闘技場内に併設された戦士の待機場まで労働階級を連行させるために足早に歩き出した。

 彼はあまりにも急いでいたので、途中ですれ違った小柄(こがら)な三人の準戦士には見向きもしなかった。


               43

 ナナクサは始祖(ごせんぞ)への反発を抱きながら、(いま)だに痙攣(けいれん)を続ける両足に力を込めて屋上からの出口を目指して一歩一歩前進した。始祖(ごせんぞ)が口にした「あそこにいる仲間」とは、ここまで一緒に来たファニュに違いない。しかし始祖(ごせんぞ)は「あそこにいる、すべての仲間を」と言っていたのではなかったか……すべての仲間……まさかタンゴやジョウシがここに来たのだろうか。それともあれは私を動揺させ、心を折れやすくするための嘘だったのだろうか。きっとそうに違いない。そうでなければ朦朧(もうろう)とした意識が作りあげた幻聴だったのか……とにかくその答えはあそこにある。あの場所を目指すのだ。そしてファニュを助けねばならない。前へ進みながらもナナクサは遠くの建物群の一角に立ちのぼる細い煤煙(ばいえん)から目を離すことができなかった。

「ナナクサ。よくぞ無事で!」

 やっとの思いで声の方に頭を巡らせたナナクサの目に大きすぎる防具を(まと)った赤い髪留めの娘が駆け寄ってくる姿が飛び込んだ。

「ジョウシ?……」

 それだけ言うとナナクサはその場にくず折れた。しかし、それでも彼女の意識は(かす)かに聞こえる仲間の声を必死に脳へと送り続けた。そして遠のく視界の中にファニュと見知らぬ若者の姿も認めたが、その途端、目の前が真っ暗になった。体力の限界だった。

「血を失っておるようじゃ」

 遮光マフラーで鼻と口を押さえたジョウシが戦士の死体の向こうに見えるひときわ大きな磔刑台(たっけいだい)の血溜まりに素早く視線を巡らせると、顔をしかめた。

「どうしよう?」

「今は一刻も早くこの場から退散するのが先決じゃ。手を貸せ、クイン・M」

 物珍しげに磔刑台(たっけいだい)を見分していたクイン・Mの遙か後方に見える建物群の屋上がキラリと輝いた。ジョウシはヴァンパイアの直感で素早く危険を察知し、幾条もの(まばゆ)い輝きから瞬間的に身を(ひるがえ)した。しかし彼女に焦点を合わせるように動くその中の二本はジョウシの右半身を()ぎ払い、()ぎ払われたところからは遮光マント越しに青白い炎と煙が噴き上がった。身体に(まと)わりついて体組織を炭化させるほど強烈な陽光。しかし遠距離から致死の攻撃を受けた驚愕(きょうがく)は屋上に突っ伏したジョウシから肉の焼ける激痛を(しば)しのあいだ遠ざけた。彼女は自身の痛覚神経が麻痺(まひ)しているこの瞬間を逃さず、今にも噴き出そうとするパニックを抑え込むと、素早く状況を把握するために頭を巡らせた。ゴーグル越しにジョウシの視力は建物群の屋上のあちこちに()えられた三メートル四方はある巨大な反射鏡(ヒート・レイ)を認めた。それらは雲間から指す致死の陽光を遮蔽物の乏しい闘技場の屋上に送り届けるものだろう。それらが正確に自分たちを、いやヴァンパイアを狙い撃ちにしてくる。勝どきの声を上げる戦士たちに混じって反射鏡(ヒート・レイ)の台座に()え付けられた測距儀(サイト)(のぞ)きながら、時にこちらを指差して何やら(わめ)いている戦士の姿からもそれは明らかだ。

「ナナクサを守れ!」

 ジョウシはそう叫ぶと一部が自身の皮膚と癒着した遮光マントを、うめき声をかみ殺して一気に引き()がした。そして無防備なナナクサの頭からすっぽりとそれを被せると人間の若い男女に振り向いた。火傷の痛みは既に耐えがたいまでの激痛へと変化している。

「ジョウシ!」

 喉から顔の左半分にかけて重度の火傷を負ったジョウシを見てファニュが悲鳴を上げた。

「お前たちの羽織(はお)り物もナナクサに。早くするのじゃ!」

 ジョウシは雲の流れに注意した。どんよりと低く()れ込める雲に素早い視線を走らせた彼女はその流れから次の切れ間が顔を(のぞ)かせるのが、もう間もなくであると判断した。

「お前たちは出口へ急げ!」

「あなたは?!」

「後で会おうぞ!」

 それだけ言うとジョウシは出口とは反対方向に駆けはじめ、時折、空中高く派手に飛び跳ねた。

 分厚い雲が切れた。

 息を吹き返した何枚もの反射鏡(ヒート・レイ)は再び陽光を(とら)えると、その反射光が目標を選定しはじめた。その狙点は徐々に目障(めざわ)りで目立つ目標に集束されていった。屋上の端に辿(たど)り着き、ちょうど飛び上がった瞬間、ジョウシの身体がパッと輝き、青白い炎に包まれた。彼女は悲鳴を上げる間もなく火中に飛び込んだ()のように屋根から(はる)か下方に広がる闘技場の表広場に落下していった。戦果に満足した反射鏡(ヒート・レイ)の群は次の標的を探して闘技場の屋上に何本もの陽光を躍らせたが、そこには既に誰もいなかった。


               *

 血の刺激臭がナナクサに意識を取り戻させた。顔をしかめながらも吸い込んだ血の微粒子が彼女の身体の回復を劇的に(うなが)した。目を開けたナナクサの眼前には狭い廊下にひしめき合う弩弓(どきゅう)を引き(しぼ)った戦士の一群がいた。血の微粒子に混じって彼らの興奮した汗の臭いが鼻をつくほどの距離だ

「抵抗はやめよ」

 一群の真ん中にいる表情に(とぼ)しい小男。確かレン補佐長と名乗った男が警告を発した。ナナクサの左腕と腰にかかって彼女を支えていた力が(ゆる)んだ。ナナクサは膝から床に沈みこんだ。見上げると緊張に顔を引きつらせたファニュがいた。そしてチラリと視線を右に転じた先には二の腕からの出血を一方の手で押さえた若者の姿があった。彼は城門のところで会った二人の人間のうちの一人だとナナクサにはわかった。若者の腕から発する血の微粒子が再びナナクサの鼻腔(びくう)をくすぐると彼女に活力を注ぎ込んだ。身体に活力が注ぎ込まれるにつれて、ふつふつと怒りが込み上げてくる。疑問を解き、謎を解決するため訪問したのに、ろくに話も聞いてもくれずに拷問され、あまつさえ磔刑(たっけい)にまで処されるとは。ナナクサは、まだふらつく両脚に力を入れると拳を固めた。

「最後の警告だ」声に震えが混じりながらも毅然(きぜん)とした態度を崩さずにレン補佐長は言葉を()いだ。「抵抗するなら、ここで滅ぼさざるをえない。大人しく捕縛されるのだ。この薄汚いヴァンパイアめ」

 ナナクサは警告を無視して自分を助けに来たファニュを(かば)うように半歩前に進み出た。しかし長年さまざまな人間を観察してきたレン補佐長は仲間の人間を助けようとしたナナクサの動作を決して見逃さなかった。間違いない。愚かにも目の前の人間とヴァンパイアは対等の関係だ。

「戦士ども。ヴァンパイアではなく、その(かたわ)らにいる人間を狙え」

 レン補佐長の真意を(はか)りかねた戦士たちに少なからぬ動揺が走ったが、補佐長はそれを無視して更に声を張り上げ、ファニュとクインを交互に指し示した。

「人間を狙うのだ。この裏切り者どもだ。早くしろ」

 弩弓(どきゅう)の弦が限界まで引き(しぼ)られる音を耳にしたナナクサは、その狙点が人間の仲間たちに向けられるのを感じ取った。数にして前後から少なくとも二十本以上の矢に狙われている。自分とジョウシで五本は受け持つとして、敵の矢はまだ有り余るほど飛んでくる。二人がかりでも防ぎきれないだろう。しかもファニュを守りながらなど不可能に近い。でもジョウシなら何か策があるのではないか。ナナクサは素早く左右に視線を巡らすと小柄な仲間の姿がこの場にないことにはじめて気づいた。彼女はどこにいったのだろう。まさか自分が気を失っている間に捕まってしまったのではないか。だとすると一人だけではファニュを助けるどころか、自分の身すら守れないだろう。ナナクサは拳を(ゆる)めると肩を落とした。

 ジョウシが(たお)れたことを知らないナナクサは再び(とら)われの身となった。


               *

 レン補佐長はナナクサ、ファニュ、クインの三名を戦士たちに闘技場まで連行させた。もちろん反撃に備えて女ヴァンパイアは銀の手鎖をした上で、逆らえば二人の人間を即座に処刑できるように戦士たちに警戒させた。これで完璧だ。レン補佐長は内心ほくそ笑んだ。不思議なことに薄汚いヴァンパイアにも連帯というものが存在することを垣間見(かいまみ)ただけでなく、即座にそれを利用し得た満足感があったからだ。だが、これで第九街区で暴れている別のヴァンパイアをおびき寄せることが更に容易になった。奴らの人間と同じ部分を最大限に利用すればよいだけだ。人間と同じ部分。

「連帯を」

 目の前を引き立てられていく三つの背中を見ながら補佐長は知らず知らずに、そう口にしていた自分に気づいて慌てて口をつぐんだ。そしてその言葉に反応して怪訝(けげん)な表情を向けた戦士に冷たい一瞥(いちべつ)をくれた。戦士はすぐに前を向くと虜囚(りょしゅう)たちの背中に警戒の視線を戻した。彼は予備の罠を設置すべく巨大な地下倉庫(カタコンベ)へ向けて歩みを進めた。


               44

 チョウヨウに血を吸い尽くされて絶命した三人の戦士は第二の生を得た代わりに自身が()み嫌っていた化け物となった。そして血を(すす)り、それを味わうこと以外に存在意義を見出しえない自分に気づいて身もだえした。しかし数瞬後には、そんな理性の欠片(かけら)も吹き飛び、吸血の抑えがたい衝動に身を任せた。吸血奴隷(バイター)と化した彼らは人間離れした跳躍力で屋上に殺到してきた後続の戦士に獣のように襲い掛かると自らがされたのと同じように獲物の喉笛に喰らいついた。不意を突かれた戦士たちは、すぐさま武器を向けようとしたが、吸血奴隷(バイター)に転生した戦士のスピードはそれを凌駕(りょうが)した。三人が六人、六人が十二人、十二人が二十四人と、チョウヨウを頂点とする血に渇いた吸血奴隷軍団(バイターズ)は瞬く間にその数を膨らませていった。もちろん戦士側の反撃も激しく、剣と弩弓(どきゅう)の応酬で第二の生をすぐさま終える吸血奴隷(バイター)も多かった。しかし死をまったく恐れない吸血奴隷軍団(バイターズ)の攻勢はそれ以上にすさまじく、時を経ずして屋上を完全に制圧すると今度は階下に殺到しはじめた。戦士たちは吸血奴隷軍団(バイターズ)を押し返そうと目覚しい抵抗戦を展開したが、階段や踊り場など、武器を振るいにくい場所は彼らに不利に働き、やがて、そこも鋭い牙と爪による単なる屠殺場(とさつじょう)と化していった。

 乱戦の中、タンゴは顔を(おお)った遮光マフラーから侵入した微量な血煙を吸い込んで我れを忘れそうになる自分と必死に戦っていた。彼は頭を激しく一振りすると、意を決したように剣を抜き放って自らの左太腿を深く刺し貫いた。脚から背中に走った痛みが頭の中の(もや)を消し去った。剣を太腿から引き抜いたタンゴは吸血奴隷(バイター)の激流に翻弄(ほんろう)されながらもチョウヨウの姿を捜し求めた。そして彼は見た。胸の前で腕を組み、威風堂々(いふうどうどう)と事の成り行きを見守っている想い人の神々(こうごう)しいまでの姿を。

「まったく、どこに行ってたんだい。いいところを見逃しちゃうよ」

「これはなんだ?」

 タンゴは次々と自身の身体にぶつかっては跳ね返される吸血奴隷(バイター)の流れを無視してチョウヨウの前までやってくると彼女に対峙(たいじ)した。

「二人で君臨するって言ったじゃない」チョウヨウは物わかりの悪い子を(さと)すように困った顔をしてみせた。「人間は食料だけじゃなく、あたいらの奴隷として、こき使うこともできるんだ。見てみなよ、タンゴ。こいつら、とことん便利にできてるだろ」

「それって公平じゃないよね」

 タンゴは頭を振った。

「何でさ。こいつら、ただの人間なんだよ。あたいらヴァンパイアより(はる)かに(おと)る生き物なんだ」

「ファニュもそうかい?」

 タンゴの問いかけにチョウヨウの顔から笑顔が消えた。

「彼女も僕らより(おと)ってるって思うのかい?」

「ファニュ?……」

「あぁ、ファニュさ」

「あいつは……あいつは……仲間だ……」

 チョウヨウの心の葛藤(かっとう)を見たタンゴは、それに賭けることにした。

「そう、仲間だよ。でも彼女は人間だ」

「人間?……」

「そうだよ。君がただの食糧って言ってる人間だ。(おと)ってる奴隷だって言ってる人間だ。早く目を覚ましてくれよ」

 チョウヨウの眉間(みけん)に皺が寄り、頭が前に()れた。

「そうだった……あいつは人間だった……」

 タンゴは根気強くチョウヨウの言葉に黙って(うなず)いた。だが頭を上げた彼女の顔は狂気に(ゆが)んでいた。「そうだよ。あの娘もヴァンパイアにしてやればいいのさ、あたいたちの力で」

「絶対に駄目だ!」

 反射的に拒絶の言葉を放ったタンゴをチョウヨウが真っ赤な瞳で(にら)みつけた。

「あの娘もその方がよっぽど幸せさ。あんたはそう思わないのかい。ヴァンパイアになれば爪先を見て歩く人生から夜空を見上げて暮らす人生に変わるんだ。もう(しいた)げられなくていいんだよ。これからはその逆になるんだ。そして武器を振り回してあたり構わず傷つけることしかできない馬鹿な人間どもに教えてやるんだ。誰が主人で、自分たちが何者なのかを。自分たちがどれほど愚かで取るに足りない存在なのかも。あぁ……なんで今まで気づかなかったんだろ。初めから、あの娘を我が一族の端くれに加えてやってれば良かったんだ。そうしてれば、すべてはもっと簡単に運んだんだ」

 好意を寄せた娘から()み出た違和感をタンゴは感じとった。それは彼女が言葉を()ぐにつれて大きく膨らみ、やがてある確信へとたどり着いた。

「『そうしてれば』って、ファニュのことかい。それとも君の野望?」

「もちろん、我が盟友ファニュのことよ。そしてあたいたち二人の……」

 言い終わらないうちにタンゴの左の拳がチョウヨウのみぞおちに鋭く食い込んだ。チョウヨウは身体を折ると、その口から刺激臭がする血の飛沫(ひまつ)を吐き出した。

「なにをする?!」

「『我が盟友』か」

 タンゴの右手がチョウヨウの(くび)を容赦なく絞め上げた。

「それに『あの娘』なんて言い方は絶対にしないよ、チョウヨウは。お前はいったい誰なんだ?」

 チョウヨウは自分の(くび)にかけたタンゴの左腕を両手で(つか)んだ。

「チョウヨウよ……あんたの想い人のチョウヨウだよ」

「違う」

「なんで信じてくんないの、タンゴ。あたいはチョウヨウだってば」

「違う。お前は……」

「きっと人間どもの血でおかしくなっちゃったんだよ……あたいは本当は弱い女なんだ。あんたの前でだけなんだ。それが許されると思ったから……だから……だから我がままに振る舞っちゃったんだよ。だから言っちゃいけないことまで口にしちゃったんだ。あたい(ひど)いこと言っちゃったよ」

 チョウヨウの弱音はタンゴの確信をぐらつかせたが、(くび)にかかった力は一向に弱めることはなかった。

「今のあたいにはそれがわかる。ごめんよ、タンゴ。信じてもらえないかもしんないけど、これだけは本当だよ」

「チョウヨ……」

 どすっと鈍い音が今度はタンゴの身体の(しん)に鈍く響いた。

「それゆえ、この娘の求めに(おう)じたのだ。そして()ちた身体に再び力を与えてやったのだ。たとえそれが無意識の求めであったとしてもな」

 タンゴの腹から血まみれの腕を引き抜いたチョウヨウの声は、もはやハスキーで溌剌(はつらつ)とした以前の声ではなかった。低く邪悪に満ちた、しわがれた声。タンゴはその禍々(まがまが)しい声を聞きながら、その場にくず折れた。そして痛みでぼやけた視線の先に想い人の背後に(もや)のような黒い染みを認めた。決して幻などではない。チョウヨウに重なるように(うごめ)く黒い染み。その染みこそが信念を持って生きてきた彼女を()じ曲げてしまったのに違いない。ヴァンパイアの青年は純真無垢(じゅんしんむく)な恋人を陵辱(りょうじょく)されたように感じた。タンゴは心の底から今まで感じたこともないほどの激しい怒りにかられた。彼は腹部の激痛を忘れて立ち上がるとチョウヨウに(つか)みかかった。だがすぐに足元をすくわれて、その場に倒された。

「お前の軟弱な性根(しょうね)には失望したぞ」チョウヨウの声を借りてそれは言った。「ともに久方(ひさかた)ぶりの饗宴(きょうえん)を楽しめると思ったのだがな」

「出ていけ、チョウヨウから!」

始祖(ごせんぞ)に対する畏怖(いふ)の念すら忘れさったのか?」

「何が始祖(ごせんぞ)だ。そんなことはどうだっていい。出て行け!」

 幼子(おさなご)が力で叶わない相手に軽く一蹴(いっしゅう)されても果敢(かかん)にむしゃぶりついていくように、タンゴは殴り倒されてもそのつど、すぐに立ち上がるとチョウヨウに組み付いていった。

「無礼だぞ」

「だからどうだっていいって言ってんだ、そんなこと!」

「しつこい。我が子孫といえど限度がある!」

 強烈な蹴りを受けたタンゴの巨体は屋上の端にある機械調整室まで石ころのように飛ばされ、その分厚い壁に大穴を開けた。始祖(ごせんぞ)は青年に止めを刺そうと、支配している身体を一歩、また一歩と機械室に向けてゆっくりと歩ませた。そうすることで好意を持った青年が死にゆく様を身体の持ち主である娘の魂にじっくりと見せつけ、その絶望と嘆きを存分に味わうことができるからだ。

 強大すぎる力を持ったものにとって、すべては退屈しのぎの遊びだった。遊びを邪魔する者は敵でしかない。まして遊びの誘いを断るなど言語道断の所業(しょぎょう)。それだけで許すことができない悪なのだ。悪は必ず罰せねばならない。たとえそれが子孫であっても。そして罰し方は(おのれ)のサディスティックな嗜好(しこう)を満たすやり方だ。

 チョウヨウの身体を支配する始祖(ごせんぞ)は大穴をまたぎ越すと、さして広くもない機械室に横たわるタンゴを見下ろした。そして腹部の傷を力一杯に踏みつけた。タンゴの悲鳴が機械室の空気を振るわせた。

「想い人の手に掛かって滅びるのだ。感涙にむせび泣くがいい」

 激しく抵抗するチョウヨウの魂を押さえつけた始祖(ごせんぞ)が、彼女に刀を抜かせたときそれは起こった。闘技場の屋上にいたジョウシを襲ったものより何倍も明るい輝きが屋上にひしめく吸血鬼軍団(バイターズ)()ぎ払ったのだ。吸血奴隷(バイター)たちは、たちまち青白い爆炎を吹き上げ、その炎は、のたうつ大蛇のように屋上をところ狭しと激しく暴れまわった。これは吸血奴隷(バイター)に成りたての戦士たちの身体が集光された陽光の下では、脱皮したての昆虫よりも弱くて(もろ)い存在だからこそ起こった現象だった。そしてこの爆発的な大規模燃焼は彼らを一瞬にして熱エネルギーと一握りの(ちり)に変えてしまうのに充分な一撃だった。屋上では高熱で急激に膨張拡散した爆風が機械室の中を目茶苦茶に破壊した。そしてぽっかりと開いた真空を埋め戻そうと、今度は()き散らされた空気が瓦礫(がれき)とともに、そこに逆流した。

 静寂。

 吸血奴隷(バイター)の塵がちらちらと降り注ぐ中、チョウヨウは機械室の大穴から熱で黒く変色した広い屋上に視線を()わせた。彼女は身体中に瓦礫(がれき)の洗礼を受けて満身創痍(まんしんそうい)だった。しかしその表情からは肉体的な痛みはうかがえず、そこにあるのは彼女の中に巣食ったもモノが(いだ)(いきどお)りだった。()しくもチョウヨウの身体が盾となって急激な爆発的燃焼の余波を免れたタンゴは彼女が機械室の外へ出て陽光の源を(にら)みつけて(つぶや)くのを見た。

「細菌に等しい下劣な生命体ごときが、この我れを滅ぼせるなどと思い上がりも(はなは)だしい。挑んでみよ。何度でもくるがいい」

 第二の光の矢が再び放たれた。タンゴはヴァンパイアの直観で危険を察知すると遮光ゴーグルで目を(おお)うと殺人光線が通り過ぎるのを待った。タンゴの視界が(かす)んだ。集光された陽光は壁からの乱反射ですら彼の視神経を(さいな)んだ。だが光の直撃だけは機械室の壁が防いでくれる。ここなら安全だ。少なからず安堵(あんど)を覚えたタンゴは大切なことを忘れている自分に気がついた。チョウヨウはどうしたんだ。外にいたはずだ。タンゴは恐怖で身体中に鳥肌が立った。

「チョウヨウ……」

 想い人の名を口にしたタンゴの全身に激痛が駆け巡った。あまりの痛みに息すら止まった。細胞の一片一片を刃物で(えぐ)られるのに等しい苦痛。タンゴは四十歳になったばかりの子供時代に今回より遙かに小さいながらも同じ痛みを受けた経験があった。その日、朝更かしをして家から抜け出し、雪潜り(スノー・ダイブ)をして友達と遊んだ。そしてあやまって陽光を素手に浴びてしまったのだ。慌てて雪の中に潜り込んだが、あまりの痛さに涙が止まらなかった。両親に知られるとひどく叱られるので、その日はズキズキ痛む両手と泣き腫らした目を見られないように注意して過ごした。陽光の傷はヴァンパイアの治癒力でも完治するまで、まる半日を要した。結局は同じ怪我をしたナナクサが親の薬苔(くすりごけ)を無断で拝借(はいしゃく)したことから事故が表沙汰(おもてざた)になり、二人は親と村長(むらおさ)からこっぴどく叱られ、四ヵ月も外で遊ぶことを禁止された。そう。あの頃は自分もナナクサも、やんちゃ盛りで怖いもの知らずだった。ナナクサ……そうだ。いま彼女はどこにいるんだろう。ナナクサ……いや違う。チョウヨウだ。彼女はどこだ。彼女は……。

 タンゴは大きく息をついた。激痛に呼吸を忘れ、数瞬間ではあるが気を失っていたのだ。彼は自分の両手が幼い日に負った火傷のように赤く腫れあがっているのを見ると、矢も立てもたまらず、機械室から抜け出して屋上にチョウヨウの姿を捜し求めた。陽光に直接(さら)されていないのに火傷を負った理由も全くわからなかった。しかし、それよりも今はチョウヨウだ。彼女はどこにいったのだ。

 彼女はすぐに見つかった。見つかったというより屋上の真ん中に一人きりで仁王立ちになり、まるで強圧的な何かに対峙(たいじ)するかのように一点を凝視していた。

「もう終わりか、人間ども!」

 その声が(はる)か彼方の建物群に(こだま)するのに呼応して、十枚あまりの反射鏡(ヒート・レイ)から放たれた陽光がチョウヨウただ一人に降り注いだ。真正面からまともにそれを浴びたヴァンパイアの娘は(まばゆ)い光を乱反射させながら身体全体から青白い炎を噴き出した。その瞬間、タンゴは再び苦痛の声を上げてその場にくず折れた。体中が(しび)れて動かないあいだ、彼の耳は階下に逃げのびた吸血奴隷(バイター)も自分と同じように苦痛と怒りの咆哮(ほうこう)をあげて、のた打ち回っているのを感じた。やがて分厚い雲が空にかかって陽光を遮断するとチョウヨウを包み込む炎も収まった。炎が収まるにつれてタンゴの激痛は嘘のように激減され、息をつくまでに落ち着いた。階下では再び怒号と悲鳴が起きはじめた。吸血奴隷(バイター)が戦士に対する攻撃行動を再開したのだ。

「痛い……」

 (つぶや)くと同時に身体の大部分を焼き焦がしたチョウヨウが両膝を屈して、その場にへたり込んだ。タンゴは警戒を解かず、はじめはすぐに飛び退けるようにと距離をとっていたが、すぐに思い直して彼女の側に片膝をついた。若者はまた攻撃されるかもしれないとの考えを完全に(ぬぐ)いさることはできなかったが、自分の勘が外れていたとしても、もうどうでもよかった。

(ひど)い怪我だからね」

「あぁ」チョウヨウはおもむろに声のする方を振り向いた。「タンゴ」

「大丈夫かい?」

 (こた)える代わりにチョウヨウは苦痛に顔を(ゆが)めて胸を押さえた。指の間から血が(にじ)み、押さえた手がたちまち血でぐっしょり濡れた。ここに来る前、戦士の集団との闘いで(くい)を打ち込まれた傷だ。タンゴはチョウヨウを後ろから抱きかかえると、自身の腹の傷を無視して彼女の傷を大きな手で強く押さえた。

「お帰り」タンゴは優しく(ささや)いた。

「なに言ってんだい?……」

 苦しい息の中からそう言うと、チョウヨウは()き込んで血の塊を吐き出した。彼女の血には既に刺激臭はなく、妖艶(ようえん)な表情も影を潜めていた。あるのは気丈(きじょう)に振る舞おうと努める彼が見知った想い人の顔だった。

「あたいね、夢を見てたんだよ。すごく嫌な夢なんだ……」

(しゃべ)っちゃ駄目だって」タンゴの目が(うる)んで視界がぼやけた。「今は駄目だ」

「嫌な夢だったんだよ。だから(しゃべ)るんだ。そうすれば正夢にならないから。あんたもこの言い伝えは知ってるだろ?」

「知ってるよ」

「あたいね。黒い(もや)みたいなのにそそのかされて、あんたを傷つけちゃうんだ。殺してもいいと思ってやっちゃうんだよ……」

「そんなの夢だ」

「夢っていっても最低だろ。だから話すんだよ……」

 抱きしめた腕に、チョウヨウの身体から発する弱りゆく波動を感じ取ったタンゴは内心のうろたえを悟られまいと視線を外した。そして彼女が助かる方法を求めて必死に頭を巡らせた。だが方法は一つしかなかった。人間の血を使うのだ。人間の血で自分も(よみがえ)れたのだから大丈夫だ。一度目は始祖(ごせんぞ)が邪魔したから失敗したけど、今回はきっと大丈夫だと根拠のないことを自分に言い聞かせた。もう時間がない。では誰の血を。戦士の血か。あれは駄目だ。でも急ぐから今は誰のでもいい。このさい(あや)めても仕方がないじゃないか。そもそも最初に攻撃してきたのは人間たちだ。だから今はいいんだ。そう結論に達すると、タンゴは焼け焦げて人影が絶えた屋上を見渡した。

「ここには誰もいない」考えが口をついた。

 タンゴはチョウヨウを抱き上げると屋上の端まで急いで移動した。そして大通りを見下ろした。血に飢えた吸血奴隷(バイター)と武力に勝る戦士の軍団がところ狭しとひしめきあい、いつまでも終わらない乱戦をいたるところで()り広げていた。あそこへ行くんだ。そして彼女のために戦士の血を手に入れるんだ。

「さぁ、行こう」

 自分を抱きかかえたまま遙か下の大通りに飛び降りたタンゴの背後に黒い(もや)が揺らめくのをチョウヨウは見た。彼女はその正体を嫌というほど知っていた。

「あぁ、なんてこと。夢じゃなかった……」

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