運命の示す場所
31
十三名の敗残者たちを前にした第一指導者は激しい怒りを隠そうともしなかった。近隣一帯の辺塞からも掻き集めた戦士の打撃部隊は合計五百六名。人類史上空前の大部隊だった。だが、いま彼の身体を支配している怒りはその大集団が当初の目的を果たさぬ間にきれいさっぱりと地上から消え去ったことではなく、また数名のヴァンパイアに惨敗したという注目すべき事実でもなかった。むしろ怒りの矛先は屈強とされる戦士階級が尻尾を巻いておめおめと逃げ帰ってきたことに向けられていた。そして、その惨めな姿を労働階級どもだけでなく他の戦士にも晒してしまったことにあったのだ。戦士の務めは戦いに勝って雄々しく死ぬか、負けて骸を戦場に横たえるかの二つに一つしか存在しない。いや。断じて存在してはならないのだ。その意味において彼の怒りは至極、真っ当なものではあった。但し人間的にという要件を無視すればではあったが。
「なぜ黙っている?!」
雷鳴にも似た第一指導者の声が巨大な闘技場に響き渡った。その声に要塞に残った戦士や準戦士たちは自分たちのことのように身をすくませた。
「言葉を忘れ去ったか、この愚か者どもが!」
罵倒された戦士たちは第一指導者の前に跪き、口を真一文字に引き結んだまま暴風が過ぎ去るのを、ただひたすらに耐え偲んでいた。もし彼らに少しでも気のきいた言い訳を考えるくらいの知恵があれば、同じように撤退した二人の卒長に倣って身体一つでさっさと逃げ出し、盗賊にでもなる道を選んでいたことだろう。その意味において彼らは甚だ不幸であった。飢えた巨獣の餌食になるとわかっていても、骨の髄まで刷り込まれた絶対服従の教育に左右されるしかなかったのだから。
「黙っているなら死人と同じだ。ずっと黙っているがいい!」
第一指導者は、その灰色熊のような巨腕で一人の戦士を遠くまで弾き飛ばし、驚いて立ち上がった二人の戦士の首を、それぞれ左右の手でがっちり掴むと渾身の力を込めて、頸骨もろとも喉を握り潰した。闘技場内にどよめきが走ったが、その一瞬に第一指導者が見せた恍惚とした表情を視界に捉えた者はいなかった。第一指導者の暴力を好む性癖は、彼らが逃げ帰った腹立たしさ以上に目の前の破壊からもたらされる喜びを抑えきれなかったのだ。
「さぁ、勇気ある真の戦士たち」指導者は内面の興奮を押さえ込むと、上気した顔を聴衆に振り向けた。「目の前の臆病者どもを平らげて、戦いに生きる者の空席を埋めるのだ!」
闘技場は既に指導者の巨大な劇場と化していた。そして一人芝居の役者に闘技場のすべての視線が集中した。
「そして生き残りどもよ。もし最後までそこに立っていられたら……再び戦士の勇気を示せたなら。その時は寛大な措置を約束しようではないか」
役者の台詞が終わった直後の静寂。一瞬後、拍手の代わりに極限まで張り詰めた戦士たちの感情が風船のように弾けた。怒号と雄叫びが広い闘技場を満たし、やがて肉体がぶつかり合って、悲鳴の中に骨が砕ける鈍い音が何度も谺した。
素手での殺し合いの最中、その狂気の渦から身をもぎ離した一人の若い準戦士がいた。隊商から五ヶ月前に挑発されたエイブ・Hだった。彼は第一指導者の血にまみれた満足げな顔に視線をくれると、その後方に控える無表情なレン補佐長を苦々しく睨みつけた。人工子宮の培養戦士ではないエイブは隊商で培った鋭い観察眼で目の前の惨劇がレン補佐長の演出であることを看破していた。おそらく補佐長は戦士たちの闘争心を鼓舞するため、生き残りを彼らの練習台として有効利用するように第一指導者を誘導したに違いない。そうでなければ、逃げ帰った戦士は、この闘技場に入るはるか以前の段階で、第一指導者の手に掛かって雪の上の赤黒い染みになっていた筈だからだ。
エイブは血祭りの輪の外で大きな溜息をついた。最近やって来た隊商が持ち運んだ証拠で、いま未曾有のヴァンパイア危機であることは十分に理解している。だが、そうかといって人間同士が。しかも守りの要である戦士階級同士が殺し合っている場合ではないはずだ。その上、つい先だって強行された労働者階級の都市外待機命令―――実質の追放―――の意図もわからない。彼ら年老いた者たちが闘いの足手まといになるというなら、この城塞都市内に閉じ込めておけばいい。その場所なら有り余るほどある。敢えて追い出す理由を探すなら、ヴァンパイア用の生贄に供される以外に考えられない。「彼らを差し出す代わりに城塞都市に手を出さないでくれ」ということだろうか。それなら目の前で繰り広げられている戦士階級の無益な戦力の消耗も納得がいく。だがもしその通りなら、とても正気の沙汰であるとも思えない。隊商では問題が起こったときには仲の良い悪いに関係なく人間同士が協力し合うのが常識だったからだ。それはこの城塞都市でも同じではないのか。暮らしや社会は人間あってのものなのだ。階級はどうあれ、生き残るためにはここに住む多くの人々が協力しあってこそ、今回のヴァンパイア危機にも対処できるのではないのだろうか。たとえそれで甚大な被害を受け、多くの者が命を落とすことがあろうとも、それは自分たちで考えた末の結果なのだ。人間として心残りはないはずだ。しかし目の前の惨状はどうだろう。人間の結束という長所を弱体化させているのは明白だ。レン補佐長はそんなこともわからないのだろうか。それとも補佐長にはエイブには思いもよらない考えでもあるのだろうか。若いエイブにはレン補佐長がヴァンパイア以上に不可解で恐ろしい存在に思えてならなかった。
32
ナナクサはファニュが城塞都市を望遠鏡という道具で確認する遥か以前から威圧を与え続けるその存在を感じていた。千七百年以上前に始まったブラム氷期は大海を凍てつかせ、地球規模での海退を招来させた。その結果、海の上に横たわっていた島々はその底に隠れていた広大な土台をあらわし、今ではどこもが両膝立ちした巨人のような威容を誇るまでになっていた。その島々の中の一つ。その広大な頂上の一角にそれはあった。今は豆粒よりも小さく見える城塞都市は白一色にメイキャップされた世界の中にあって、唯一重い灰色でくすみ、ナナクサの心に言い知れぬ不安をかきたてた。
ナナクサとファニュは島の裾野に着くとジグザグに曲がりくねった登坂路を進み続けた。行程は順調だったが徒歩での移動のため、頂上付近に二人が到達するまで一日半の時間を要した。そして城塞都市に到着したときには、すっかり日が暮れていた。
「城塞都市よ」
中天から三日月の細い光が差す中、城塞都市のシルエットに一瞥をくれたファニュは吐き捨てるように言った。二度と戻らないと固く誓った故郷に足を踏み入れざるを得ない現実を目の当たりにした当然の反応だった。そんなファニュの隣でナナクサは彼女が示してくれた先にその威容を確認した。まだ相当な距離があるにも関わらず、高い壁で周囲を守られた城塞都市からは以前目にした政府の六胴飛行船など及びもつかないほど遥かに重厚な雰囲気が漂いでていた。そしてその巨大な城門に彫り込まれた見紛うことなき政府の刻印。それは底の見えない懐疑に姿を変えてナナクサの全身を包み込んだ。
どれほど都市に目を奪われながら佇んでいたのだろう。
「なに、あれ?」と、城塞都市を望遠鏡で探っていたファニュが突然声を上げた。我れに返ったナナクサは何事かと慌てて彼女が指し示す方へ視線を向けた。視線の先にある大きな岩場の陰に小さな明かりがチラチラと瞬いていた。それは城塞都市の威容に圧倒されて星の光よりも弱かったが確かにそこに存在した。
「誰かが火を焚いてるわ」
月明かりを頼りにファニュが望遠鏡で凝視していると、それは大岩の狭間で小さな火を囲む幾人もの人影であることが確認できた。
「彼らはいったい何をしているの?」
ナナクサの問い掛けには応えず、ファニュはなおもその様子を凝視し続けた。隊商でもない限り、陽が落ちてから人間が城門の外にいることなどおよそ考えられないからだ。しかも彼らがいるのは城門から離れているとはいえ、その玄関口といってもいい場所だ。理解しがたい現実に直面したファニュは妙な胸騒ぎを覚えた。
「わからない。あんなの初めて見た」望遠鏡から目を離すと、ファニュは困惑した顔で振り向いた。
「わからないんじゃ、どうしようもないわよ。ファニュ」
「あたし、行ってみる」
ファニュは深く考えたわけではなかった。彼女はそれだけ言うとナナクサが口を開く前に歩き出した。とにかく答えを得るために城門の外にいる彼らと接触しなければならないと判断したからだ。ファニュは前方の岩場の狭間で瞬く小さな火に向かって細い月明かりを頼りに慎重に歩いた。数歩遅れてナナクサもその後ろに続いた。
*
二人の気配に気づいたのだろうか。ファニュとナナクサが近づくにつれ、火は消され、岩場の辺りはあっという間に闇に転じた。
「そことここ。それにあそことむこうにも四ヶ所のグループ。それぞれに人がかたまってる」
夜目の効くナナクサがファニュに囁いた。
「信じられない。そんなことって、ありえないよ……」
ファニュの呟きを無視するようにナナクサは目に見える状況をそのまま伝え続けた。
「岩の間に隠れてるわ。男も女も皆ひどく怯えてる。それにしてもすごい数の人たちよ」
「そんなにいるの?」
「えぇ。とにかく灯りを点つけましょう。ファニュ、あなたも直接見た方がいいわ」
ナナクサの提案に「城塞都市から誰か見てたらどうするの」という言葉を飲み込んだファニュは代わりにコクリと頷いた。どのみち誰に見咎められようが関係ない。火の光に導かれてヴァンパイアが来ることもないし、来たとしても人間の血を間違って口にしない限りはナナクサたちのように理性的で親切。古来からの言い伝えとは正反対。人間の敵どころか隣人になり得る存在だ。それにさっきの人々だって微かながらも火を焚いているのだし、自分はというと中にいる嫌な人間たちと対決するために決心して戻ってきたのだ。だから見咎めるのなら、それはそれで好都合。何が起こっているのか先ずそいつに問いただしてやる。ファニュは鞄の中から魚の油で作った小さな松明を取り出し、慣れた手付きで一緒に取り出した金属棒と石を擦り合わせて明かりを灯した。灯りの届く範囲はオレンジ色に照らされてはいたが、決して広くはなかったし明るくもなかった。ファニュの目は明かりの中で多くのシルエットが闇を求めて波打つのを捉えた。それは、ナナクサの言うように人間だった。しかも夥しい数の人々。彼らはみな灰色の労働者用の防寒着を着ており、一様に怯えて惨めに縮こまって肩を寄せあっていた。労働者たちはファニュが嫌いな人間たちではなかったが、そうかといって特段の好意を寄せる仲間でもなかった。なぜなら物心がついてからの彼女は城塞都市での単純労働に適さないという烙印を押され、早々に隊商へと下げ渡された身だったからだ。
ファニュは労働者たちをもっとよく見ようと明かりを左右に振った。明かりを向けられた彼らはそこから逃れようと暗がりを求めて蠢いた。だが、明かりが届かない所からはナナクサとファニュを監視しながらも密かに彼女らを値踏みするような息づかいと視線がひしひしと伝わってくる。ファニュは怒りを感じた。彼らが戦士階級に媚び、規格外品のレッテルを貼られた者に対して目を背ける事なかれ主義者だったことを思い出させてくれたからだ。「だが」と短期間に様々な経験をしたファニュは自分の考えを省みた。力のない彼らは、そもそもそんな生き方しか選べなかったのではなかったか。自分も隊商に下げ渡されなければ、彼らと同じ経験値で物事を計り、その結果いまの彼らと同じ態度を採るしかなかったのではなかっただろうかと。それは紛れもない、力のない者の生きる知恵。脅威への仕方ない対処術なのかもしれない。なぜなら、いま自分とナナクサに対して彼らが採っている態度は、間違いなくファニュが大嫌いな戦士階級に採られるのと同じものだ思い至ったからだ。そう考えるとファニュの心から、目の前の労働者階級に対する怒りが徐々に消えていった。
「ねぇ、怖がらないで」
ファニュは労働者たちに呼び掛けた。思ったとおり、誰も応えなかった。彼女は明かりをそこかしこと動かしてなおも怯える人々に優しく問い掛けた。
「こんな所で皆なにをしてるの。どうして外にいるの?」
それでも人々は、なおも沈黙を守り続けた。
「ねぇ。なぜ黙ってるの。人間は日暮れには宿舎の中にいなきゃならないって昔から決められてるでしょ。罰せられるわよ。みな第一指導者の掟を忘れたの。どうして内に入らないの?」
「どうやら化け物ではないようじゃ」影の中から年老いた女の声が漏れ出た。
「あたしたちはヴァンパイアじゃないわ」
化け物という言葉にファニュは咄嗟にそう反論した。だが彼らの話を聞く方が先決だと考えを改めた。ナナクサも話を複雑にしないように口は挟まず、彼女に先を促すよう黙って頷いた。しかし暗がりにいる人間たちはファニュを無視して自分たちの世界から出てこようとはしなかった。それどころか勝手な憶測ばかりをしはじめた。
「こいつら本当にヴァンパイアではないのだろうな?」
「化け物ではないのか。それは確かか?」
「いや、信用させておいて襲うつもりかもしれん」
「それなら、わざわざ声を掛けてはこないだろう」
「でも襲ってきたら最後よ」
「では、やはりヴァンパイアなのか」
ひそひそ話に業を煮やしたファニュは思い切った質問を暗がりにぶつけた。
「さっきからヴァンパイアのことばかりね。それとも城塞都市がヴァンパイアに襲われたから外に逃げてきたとでもいうの、あなたたち?」
「城塞都市は何事もない」
しわがれた老女の声が怒りを伴ってそれを否定した。ファニュは声の方へ、すぐさま明かりを向けたが発言者はわからなかった。
「儂らは城塞都市追われたのだ」
「なぜ。どうして追われたの。こんなにもたくさんの人が追われるなんてありえないわ」
「ただ追われたのよ、私たち」
今度は疲れ切った女の声。どうやらナナクサとファニュに危険はないとやっと判断したらしい。その声は続けた。
「突然に集められ、城門の外へ行くように命じられたの。住む所を追われたのよ」
今度は、夜目の効くナナクサが女に視線を向けた。
「追われたのなら、何か理由があるでしょ?」
「ただただ追われたのよ」女の声は絶望に震えていた。
「では」とナナクサは再び質問した。「なぜ、まだここにいるのかしら。私の村でも追放者はその土地の周辺には居られないものよ」
「追放者だと」さきほどとは違う男の声が苛立たしそうに応じた。「俺たちは咎人などではない!」
「そうよ、私たち何もしてないわ!」
「そうじゃ。何も悪いことなんぞしとらん!」
「なぜだか、私たちの方が理由を知りたいくらいよ!」
「何もしてないのに住処を追われる気持ちがわかってたまるか!」
猜疑心が薄れた人々は先ほどとは、うって変わって次々とナナクサに食ってかかった。話を先に進められなくなった彼女はお手上げだと言わんばかりにファニュを見た。
「わかったわ!」とファニュが声を張った。「追われた理由はあなたたちにもわからない。もちろん、あたしたちにもわからない。それはそれでいいわ。でも追われたのなら、こんな所に長居してちゃ駄目よ。新しく住める所を探さなきゃ。野垂れ死にする前に凍え死んじゃうでしょ」
「どこかへ行こうにも、儂らにはその方法がない。ただの労働者なんだぞ」
「それに、どこへ行けっていうの?」
女の悲痛な叫びに賛同する男女の怒声が重なった。
言われてみれば確かにそうかもしれない。隊商に入って色々と学ぶ前に彼らのような目に遭ったら、自分も同じように感じるだろう。
「静かにして。あたしは隊商の人間よ。何か良い方法を考えるわ」
「助けてくれるのか。しかし隊商と言っても橇は無いようだし、たった二人だけじゃないか。どうやって助けてくれるんだ?」
自信はなかったが、ファニュは人々を安心させようと手を広げた。
「少し時間はかかるかもしれないけど、一番近い村を探して、あたしが橇を借りてくる。交代で使えばかなりの距離を移動できるわ。それに村まで行けば、ゆっくり休めるかもしれない」
「上手くいくのかい?」
先ほどの疲れ切った声の女が藁にもすがるように声を上げた。
「わからないけどやってみる。今はそれしか約束できない」
村を探すだけでも大変なのに見ず知らずの人間がそこから橇を借りるなど恐らく不可能だろう。もし仮に村を見つけられたとして、そんな無茶な要求を口にしたら村人たちからの私刑は免れない。ではどうすれば。答えの見つからない迷宮でファニュは立ち往生した。
「ところで食べ物は……食べ物はどうなるんだい、お嬢ちゃん?」
「えっ?」
「食べ物よ。私たちは満足に食べ物すら持ってないんだよ。あんたたちは持ってないのかい?」
確かに食糧は自分が旅をする分しか持ってはいない。とてもではないがここにいる人々すべてに分け与えるのは無理だ。そんな簡単なことに思いが及ばなかったファニュは再び言葉を失い、人々は口々に不安を漏らすと死人のように再び押し黙った。
分厚い雲が三日月の細い光から人々を覆い隠した。
「なら」と、疲れた男の声が沈黙を破った。「ここに居よう。朝になれば、また第一指導者が食べ物をくれるから」
「食べ物を、あの第一指導者が?」
「働かない者に」という言葉を辛うじて飲み込んだファニュは自分の耳を疑った。
「あぁ、だから飢えることだけはない。寒さだけに耐えられれば、ここで何とか生きられる」
「でも、わからないわ」ファニュと同じことを考えたナナクサが割って入った。「わけもなく追い出されたあなたたちに食べ物を分け与えるなんて。その第一指導者とかいう人間は何を考えてるのかしら?」
「彼の考えはわからん」と、先ほどの疲れた声の男。「追い出した儂らに後ろめたさを感じておるのか……いや、そんなことは決してなかろうな。どんな考えがあるのやら、さっぱりわからん。ただはっきりしとるのは一つだけ。儂らはここから一歩も動けんということだ」
「でも飢えることがなくても、そんなことを続けていれば、あなたたちはいずれ力尽きてここで凍え死ぬのよ」
「だが、儂らにはそれしかない。それしかないのだ……」
微かな希望を託した娘たちが成すすべもないのを知った女が嗚咽の中で自問自答をしはじめた。
「なぜなんだい。私たちが何か第一指導者の気に障ることでもしたのかい。戦士どもに小突かれながらも文句ひとつ言わずに仕事をしてきただけなのに。戦士どもが帰ってこなかったのが、私たちのせいだとでも言うのかい?」
「それも仕方ないさ、今は未曾有の危機だから…」
「『未曾有の危機』って?」と、ナナクサは男に先を促した。
「ヴァンパイア危機だ」
男は口にするのも抵抗があるかのように、ぼそりとそう応えた。
*
ナナクサとファニュは追放者たちから全滅した隊商の屍体を、別の隊商が城塞都市に持ち込んだ話を聞いた。ミソカとタナバタが起こしたあの惨劇だ。その直後に大量の追放が行われたということは目の前にいる追放者たちは、やはりヴァンパイアに対する生贄なのだろうか。接触した彼女らをすぐに化け物と恐れた彼らの様子もそれで納得がいく。だが、そんなものは全く必要がないということをナナクサは知っていた。城塞都市にいる人間たちに説明しよう。もちろん目の前で怯えている人たちにも。理解さえしてくれれば追放された人たちが城門内に戻れるだけでなく、人間たちのヴァンパイアに対する憎悪や敵愾心も薄まる可能性だってある。多くの戦士を失い、人々が心細く思っている今が絶好のチャンスだ。ヴァンパイアと人間の間に偏見がなくなれば、政府と城塞都市の謎も追求しやすくなるに違いない。だがファニュはナナクサのそんな考えに一定の理解を示しながらも、第一指導者に関することにだけには頷かなかった。
「第一指導者は……上に立つ者たちは賢明でも慈悲深くもないわ。誰よりも戦いを好む野蛮人よ」
ファニュは以前に見た部隊長の顔を記憶の墓場から掘り返した。あらゆるものを自分の前に跪かせずにはいられない残忍な顔を。
「第一指導者は追放者たちを生贄なんかじゃなく、あなたたちをおびき寄せる単なる餌だと思っているかもしれない」
「わたしたちは古代にいたという凶暴な猛獣なんかじゃないわよ」
「それに」ファニュは声を低めた。「多くの戦士を失って、不安になるどころかきっと怒り狂ってるわ。頭の中はヴァンパイアを殺すことしかないと思う。だから話ができるなんて期待しない方がいい」
城門から、そう遠くないところでナナクサとファニュは朝を迎えた。彼女らは追放者たちから離れた所に深々と棺桶穴を掘って、その中に横たわった。だがファニュは追放者たちとのやり取りが気になって一睡もできなかった。ナナクサも朝だというのに目が冴えて仮眠をとることすらできなかった。二人の若者の心を捉えた不安は解消するどころか増すばかりだった。
*
城塞都市は、どんよりとした朝を迎えた。凍てついた空気の中、今朝の当番が自分と同じ徴用者の若者であることにエイブ・Hは内心ほっと胸を撫で下ろした。労働者階級の大量追放の日からどんな噂が流れたかは知らないが、戦士たちの間ではあからさまに彼を敵視する者が多くなったからだ。二日前には練習とはいえ闘技場で危うく殺されそうになった。もちろん事故ではなく故意であることは明白だ。相手は練習用の剣をわざと折り、組み打ちの際に、折れたギザギザの断面で彼の喉を切り裂こうとしたのだ。しかも試合終了の銅鑼が鳴って油断した瞬間を狙って。それ以来、エイブは宿舎に帰ってから背中にも目玉を付けるようになった。だから人工子宮生まれの戦士や準戦士ではなく、彼と同じ徴用者と仕事を組まされると心底ほっとするのだ。
「今朝は格別に冷えやがる」
「本当にそうだな」と徴用の準戦士に相槌を打ちながらエイブは橇に結わえ付けられたロープを引っ張った。第一指導者は、ここ三週間というもの百人からの追放者用食糧を積んだ橇を鍛錬のためと称して雪走り烏賊ではなく、二人の準戦士に当番制で引かせていた。食糧の重さは大したことはなかったが、それを載せた橇は大岩のように重かった。橇から伸びる引き綱はエイブの肩に食い込み身体を軋ませた。それでも仕事を怠った時の懲罰の苛烈さを考えると、彼とその連れは身体に鞭打って一歩一歩着実に橇を引き続けた。
建物の間を亀のように、のろのろと進むエイブと連れは夜の見回り番を終えて宿舎へ帰る準戦士たちと引率の卒長とすれ違った。すれ違いざまに準戦士たちから口汚い罵声と石を埋め込んだ雪玉が二人の背中に投げつけられた。
「お前、労働者階級並みに好かれてるようだな」
「人当たりが良いもんでね」とエイブは興味がなさそうに応じた。
「生き方が下手なだけだろ」
「隊商では人間は助け合って生きてくもんだって習ったけどな」
他愛もない連れの嫌味に皮肉で応酬したエイブは黙々と引き綱を引っ張っり続けた。連れが揶揄したように人工子宮から生まれた戦士階級の者はどういうわけか労働者階級を蔑む傾向にあった。誰に教えられるともなく、まるで本能ででもあるかのように彼らを徹底的に虐め抜く。そしてそれは労働者たちに手を差し伸べた者にも等しく適応される。それがわかっていながらエイブは追放される労働者の一人を助けた。助けたといっても大したことはなく、小突かれて転倒しかけた労働者の身体を掴んで、真っ直ぐ立たせてやっただけだったのだが後の祭りだった。今さら悔いても始まらない。その事実を噛み締める能力があるだけにエイブは人工子宮生まれの戦士や準戦士とは、それ以来、極力関わらないように生活をしてきた。もちろん不意打ちにも細心の注意を払いながら。
「そういやぁ、冷凍待機されてた戦士が今日にも大量解凍されるんだってよ。ヴァンパイア危機だからって、むさ苦しい奴らがどれだけ増えやがるんだろうな。吐きそうだぜ、まったく」
「そうかい」エイブは顔をしかめた。「朝から良いニュースをありがと」
「どういたしまして」
それからエイブと連れは建物が点在する広い道路を黙々と二時間も移動し、ようやく城門前に到着した。そして城門横の小さな詰所に入ると、奥に据え付けられている三十センチ四方の黒い認証版に顔を近づけた。暫くすると、それは目の動き。顔色。呼吸。汗に脈拍とあらゆる観点から彼が人間であることを認識し、その証しとして真ん中に微かな緑色の光点を浮かび上がらせた。失われた太古の高度な機械遺産だ。エイブは機械の許可を確認すると、その横に据え付けられた大振りの開閉レバーを手前に倒した。するとレバーからの信号が動力を呼び覚まし、それが巨大なギアに伝わって崖のようにそびえ立つ城門をゆっくりと左右に開き始めた。夜中に城門の表面に付着していた雪と氷が滝となって地上に降り注いだ。
詰所から出たエイブは欠伸をかみ殺すと、昨日と同様に橇に群がろうとする追放者たちから凍死者の数を聞き取ろうとおもむろに目を向けた。しかし目の前には予想に反して、たった二人の人間が立っているだけだった。いや、正確には二人の人間と遠くの岩陰から固唾を呑んで彼らを見守っている追放者たちの豆粒のようなシルエットだけだった。エイブとその連れは昨日とは違った光景に面食らって何度も目を瞬いた。そして城門の前の光景に心を奪われていたエイブの目は二人のうちの小さい方の人間のそばかすが浮いた顔に引き寄せられた。見間違いではないかと思い、目を細めていま一度その顔を凝視した。
「お前は……」エイブは、やっと口を開いた。「ファニュ…シェ・ファニュか?……」
33
ナナクサとファニュが城塞都市の城門前で夜明けを迎えた頃、ジョウシとタンゴを乗せた橇は早くも城塞都市のある海退山の麓まで到達していた。異例の早さだった。それは一週間というもの休息もほとんど取らずに雪走り烏賊の体力限界まで急いだ結果でもあった。そして引き返すと決断してから彼らの間に無駄な会話はなくなっていた。だがそれは彼らの亀裂が埋まらなかったからではなく、むしろ引き返す前に抱いていたわだかまりが解消し、互いを気遣う仲間としての絆がより一層強くなった証拠でもあった。会話がなくても彼らは相手の心の機微が以前にも増してよくわかるようになっていた。もしかすると仲間以上に関係が発展しかけた者を喪った二人の喪失感が無意識のうちに今まで以上の連帯を求めたためだったかもしれない。二人の若いヴァンパイアはこれ以上、大切な者を喪うわけにはいかなかった。それにもまして故郷を失う可能性を見過ごすわけにはいかなかった。遅まきながらそれに気付いたのだ。
橇を止めるとタンゴは絵地図を鞄にしまいこみ、馭者台の横に座る小柄なジョウシに視線を向けた。
「あと少しだ」
「うむ。そうじゃな」
「じゃぁ、あとひと頑張りするか」
そう言って、雪走り烏賊に鞭をくれようとしたタンゴをジョウシが片手で制した。
「どうしたんだい?」
疑問を口にしたタンゴを尻目にジョウシは自分の荷物をごそごそやりだして中から食事容器を取り出すと、タンゴにも自分のそれを出すように促した。
「食事なら、三日前にしたはずだよ」
「『腹が減っては、喧嘩は出来ぬ』と亡き父上がよう言うておった。我れも経験上、そうであると痛感しておる」
「でも」と遮光ゴーグルの中から山の頂を見やるタンゴにジョウシは食器容器を掲げてみせた。
「強がんなよ。本当は腹が減ってんだろ、兄さん?」
チョウヨウの口調を大袈裟に真似たジョウシの顔を見つめていたタンゴの顔はやがてニヤリと崩れた。彼は右手で顎を掻くと大きく伸びをした。
「そうだな。そいじゃぁ、俺もちょっくら食っとくとするかぁ」と彼もまた少しおどけたようにジンジツの口調を真似てみせた。
遠い雲の切れ目から数本の太陽光線が刺す空の下で二人の若いヴァンパイアは黙々と食事の用意を終えると寒さを感じてでもいるかのように仲良く肩を寄せ合って精進水の食事を摂った。ゆっくりと時間をかけた食事だった。さっきの冗談口調とはうって変わった静かで、それでいてどこかもの寂しい食事だった。
*
食事を終えたジョウシが食事容器からふと中空に視線を転じた。雪を詰めて既に食事容器を片付けはじめていたタンゴも手を止めて彼女が目をやった何もない一点を凝視していた。
「何であろうか?」
「確かに何か変な感じだな。いや、変な感じというより……」
「不快じゃな。何となく我れはそう感ずる」ジョウシは、その感覚を言葉にした。
「そうだ。不快で嫌な感じ。でも、おかしいな。もう感じない」
「うむ」
「気のせいだったのかな?」
「そうであってほしいがな」
「じゃぁ何だったと思う、今の?」
「わからぬな……」
二人は先ほどまで不快さを醸し出していた中空の一点を暫く凝視していたが、あきらめて食事容器の片付けを再開すると出発の準備に取り掛かった。
*
空気分子の間に薄く溶け広がった黒煙は曇り空とはいえ朝目が効かない子孫が自分の存在を察知した事実に驚きを禁じ得なかった。決して注意を怠ったわけではない。だが子孫どもは黒煙の気配をはっきりとはわからないまでも敏感に察知したのだ。恐らく旅の中でヴァンパイアの感覚が数段に成長したためだろう。そう考えると、これはもっと慎重に事を運ばねばならないなと黒煙は自分を戒めた。
そう。いずれ手にするであろう得難い報酬のために。
34
久しぶりの再会は二人の年若い人間の男女を大いに戸惑わせた。二人とも外見が劇的に変化したわけでは決してなかった。しかしエイブは幼さがすっかり抜け落ちたファニュから老練さの萌芽を嗅ぎ取り、彼女もまたエイブからは以前にも増して研ぎ澄まされた抜け目のなさと、以前には見られなかった精悍さの発露を感じ取った。半年という歳月は過酷な世界ではそれだけの変化を二人にもたらせ、互いの変化を感じ取れるまでに成長させていた。それはまた二人が違った境遇で並々ならぬ苦労を強いられた証でもあった。だからこそ二人は抱き合って再会を無邪気に喜び合うような子供じみたことはしなかった。
「エイブ、お久しぶり。ここに居ることは知ってたけど、まさか、こんなすぐに再会できるなんて」
「こっちこそ」エイブは懐かしさを抑えて警戒の色をあらわにした。「お前は元気そうだな、ファニュ」
「うん」
「ところで、ファニュ」と再びエイブ。「今までどこにいた。というより何をしてたんだ?」
「旅をしてたの。色んなことを勉強したわ」ファニュは正直に答えた。
「なぁ、ファニュ」エイブは呼吸を整えた。「俺たちがいた隊商のことだけど……」
「全滅したわ」
事もなげにそう応えたファニュの言葉にエイブだけでなく、連れの準戦士も少なからぬ緊張を走らせた。
「知ってたのか」
「うん」ファニュはエイブの精悍な目を見つめて言葉を継いだ。「彼らはヴァンパイアに遭遇したのよ」
「で、君は助かったのか。君だけが運良く?」
「そう。あたしは全滅する前に隊商とはぐれたの。だから死なずにすんだ」
「そうだったのか。でも、はぐれてたのに隊商が全滅したことが、よくわかったな」
「この世界で生き抜くには情報が命よ」
「確かにな」
エイブは緊張をほんの少しだけ解いた。だが準戦士としての半年間の鍛錬は彼から完全に警戒心を解くことを容易に許さなかった。彼は遮光マントとマフラー、それにゴーグルで顔と全身を覆ったナナクサに視線を転じた。
「そっちは何者だ?」
「ナナクサよ」
マフラー越しに声をくぐもらせたナナクサは礼儀正しく胸に右手を添えて頭を垂れた。
「ナナクサか?」エイブは訝しげに顔の見えない相手に質問を続けた。「お前はどこから来たんだ。ファニュとはどんな関係だ?」
「出身はキサラ村」
「聞いたこともない名だな」
「おそらく、そうでしょうね」
これ以上、隠しおおせるわけにもいかないし、目の前には賢く信頼に足る隊商仲間だった青年の顔がある。真摯に説明をすれば、絶対にわかってくれるはずだ。ファニュはナナクサが口を開く前に思い切って事実を打ち明けた。
「あたしが隊商とはぐれて死にかけてたとき、彼女と仲間が助けてくれたの。エイブ、よく聞いて。彼女はヴァンパイアよ」
その単語を耳にしたエイブと連れはその場に一瞬凍りつくと、反射的に剣を引き抜いて油断なく身構えた。殺気立ったその様子は緊迫感を呼び、緊迫感はすぐさま戦いに巻き込まれる恐怖へと直結する。それは離れた所にいる追放者たちの間を瞬く間に駆け抜けた。我れ先に逃げ出そうとする追放者たちは互いにぶつかりあってパニックを起こしはじめた。
「待って。待ってったら、みんな。あたしの話を聞いて。お願いだから聞いて!」
ファニュはパニックに陥った人々に振り向くと声を限りに叫んだ。
「静まれ。静まるんだ。騒いでたら懲罰隊が出てくるぞ!」
追放者たちがエイブの警告にやっと従いはじめたころには既にその数は五十人ばかりに減っていた。
「糞だ、エイブ。お前の知り合いは、まったく糞だな。選りにもよって、ヴァンパイアだと。冗談にもほどがあるぜ!」
連れの準戦士は、どさくさに紛れて城塞内に戻ろうとする追放者を牽制しながら、そう怒鳴った。エイブも連れの言葉に首肯しながらファニュを睨みつけた。
「たちの悪い冗談を言うなよ、ファニュ!」
「違うわ。冗談なんかじゃない!」
「まだ言うのか!」エイブは語気を強めた。
「だって本当のことよ。でもみんな誤解してる。ヴァンパイアは人を襲わない。人間の喉に喰らいついて血を飲んだり、殺したりなんかしない。彼らは戦士みたいに争いを好まないし、他人に親切でやさしいわ!」
「俺たちの隊商はそのヴァンパイアにやられて全滅したんだぞ」
「一月前に進発した戦士の大部隊がみんな殺られちまったことも忘れてるぞ!」
「黙れ!」
エイブは口を挟んだ連れを思わず制した。五百名からの屈強な戦士たちがヴァンパイアに全滅させられたことは城塞内の戦士階級なら誰でも知っているが、ここには追放した労働階級がいる。それに戦士が軽々しく口にすべきことでもない。ましてヴァンパイアに関する不要な噂を流布する言動にエイブは敏感にならざるを得なかった。
「あれは…あれはね……」
ファニュは言葉を濁した。
「『あれは、あれは』って、いったい何が言いたいんだ?!」エイブが声を荒らげた。
「事故よ」ナナクサが応じた。「不幸な事故よ。二度とあってはならないわ」
「事故だと……事故なもんか。ヴァンパイア危機なんだよ!」
ナナクサの声が応え終わらないうちにエイブは彼女に走り寄って剣の切先をその喉元に突き付けた。しかしナナクサは臆さずに話し続けた。
「隊商が不幸に巻きこまれたことすら私たちは知らなかった。もし間に合っていれば、もちろん全力で止めたわ。でも残念なことにそうではなかった。その結果あなたの言うように多くの人が死んだ。この事実は変えられない」
話しながらナナクサは、必ずしも戦士たちとの戦いはそうじゃなかったけどという事実は口にしなかった。彼女とて、それを話すことで事態を複雑にして良いか悪いかの判断はついたからだ。たとえそれが正当防衛であったとしても。
「でも、わたしは薬師よ。病と戦う者を手助けするのが仕事。いい。人間と争うのが仕事じゃない。ファニュが言ったように誤解が解ければ、これからは死ななくていい者が命を落とすこともなくなるわ」
「死ななくていい者だと。それは人間だけだ」
「違うわ。生きている者はすべていつかは死ぬ。でも、それはヴァンパイアであっても人間であっても、他の者が左右していい問題じゃない。誤解から互いに命を奪い合うなんて愚かよ。私とファニュを見て。ねぇ、しっかり見て。私たちは、ここまで上手くやってきたわ、ヴァンパイアと人間なのに」
「何がヴァンパイアと人間だ。馬鹿かこの女」と、エイブの連れが鼻を鳴らした。ナナクサは構わず言葉を続けた。
「相手のことがわかってさえいれば共存ができなくても、併存はできるわ。それぞれの領域で異なる風習を守って生きてゆく。二つの種族は平和に過ごしてゆけるのよ」
「朝に訪問することを決めたのはナナクサよ、皆に安心してもらうために」
ファニュの言葉に、ナナクサの喉に突きつけられたエイブの切先が少し下がった。
「理解してくれたようね」
「お前……いや、あんたの主義主張だけはな」
「ありがとう。じゃぁ、あなたも手伝ってくれるかしら。私は、ここへは謎を解きに来たの」
「何の謎だ?」
「私たちの政府がここにあるはずなの、ヴァンパイアの政府が。それと接触して、ヴァンパイアのことをもっと理解したいの。そして人間のことを。そうすれば……」
「『ヴァンパイアの政府』ねぇ」連れの準戦士が再び口を挟んだ。「それがここにあるってか。ここは人間の砦だぞ。この馬鹿女、何を言いだすかと思えば……」
「よかろう。手伝うのは無理だがあんたの好きにしろ。その政府とやらを探すがいい。但し絶対に招待はしないぞ」
エイブはそう宣言すると剣を収め、すたすたと城門内に引き返しはじめた。彼の態度に納得しきれない連れがその跡を追った。
「おい」連れはエイブに追いつくと彼の肩を掴んで振り向かせた。「いったい、どういうこった?」
「言った通りだ。あの頭のイカれた女の好きにさせるさ」
「でも、あの馬鹿女の言うことが本当だったらどうする。もしヴァンパイアだったら?」
「信じるのか?」
「いや。でも、本当だったら……」
「それはない」
「なぜだ?」
「あの女の話は理路整然としてるが、どこかおかしい。自分の作り話に酔ってるんだ。そして心底それを信じこんでる。さっきも言ったが、きっと頭がどうかしてるんだ。ヴァンパイアの政府とやらが、ここにあったとして、そんなもの見たことがあるか。それともお前は今の話を信じるのか、あんな荒唐無稽なホラ話を?」
「いいや、信じない」と首を横に振る連れにエイブはナナクサの方に顎をしゃくった。
「ほら、やっぱりだ」
首を横に振る連れにエイブは自信あり気にニヤリと笑いかけた。
「だから大丈夫だ」
城門をくぐろうとするナナクサにファニュは遅れまいと付き従った。
「お前は大事なことを忘れてるぞ。『ヴァンパイアは招かれない限り、その地に足を踏み入れることはできない』俺は『招待しない』と、はっきり、あの女に言ったんだぜ」
「なるほど。ということは……」
「そういうことさ。あの女はヴァンパイアなんかじゃない」
エイブとその連れが見守る中、城門内に足を踏み入れたナナクサは城塞内にそびえ立つ建物群の威容に圧倒された。それは雪と氷に閉ざされた村落しか知らない彼女の目には人智を超えた力で打ち建てられた禍々しい山々のように感じられた。さて、ここのどこに政府が存在するのだろう。ここの全てが政府であるようにも思えるし、こんなものが政府であるわけがないとも思える。そして彼らは人間とどんな関係を持っているのだろうか。途方に暮れるナナクサが考えを巡らせていると、右の二の腕が突如、がっしりと掴まれた。そして回れ右をさせられると城門の外に彼女の身体は引っ張って行かれた。厄介な人物を連れてきたと他の戦士たちから、これ以上、目を付けられたくないと考えたエイブの行動だった。
「さぁ、そろそろお引き取り願おうか、痛い目をみないうちに」
「何をするの。あなたは、わかってくれたはずじゃぁ……」
「黙れ!」
「待って、エイブ!」
ファニュはナナクサを引き立てるエイブに気づくと彼に詰め寄った。
「何度も言うけど、あたしたち間違ったことは言ってないわ。あたしたちの言ってることは本当よ!」
「ファニュ!」エイブはファニュに噛みついた。「いい加減に目を覚ませ。この女に何を吹き込まれたかしれないがイカれた考えは捨てろ。でないとお前でも懲罰隊に引き渡さなきゃならなくなる。俺にそんなことをさせるな!」
エイブは城門の外に出るとナナクサを乱暴に突き放した。そしてナナクサに駆け寄るファニュを無視すると自分だけ踵を返して城門内に戻りはじめた。城門の内側では両手を腰に当てた連れの準戦士がにやけながら彼を待っている。その時エイブの目の端を何かがちらっと掠めた。途端に彼は一陣の風に身体を撫でられて雪の上に大きく尻餅をついた。見ると城門の内側にいる連れも彼と同じ目に遭っていた。彼らは狐につままれたように声も出せずに離れた場所から互いの顔を見つめるばかりだった。やがてエイブの前に2本の剣が投げ落とされた。それはエイブと連れの剣だった。
「わけがわからない」というエイブの耳を「これで信じてくれたかしら」というナナクサの声が撫でた。そして魔法のように連れの準戦士の横に姿を現した。
「面白い奇術だな」ややあって口を開いたエイブの声は怒りを含んでいたが微かに震えてもいた。「どこで憶えたんだか俺にはわからないが……さぁ、もう引き取ってくれないか。俺たちにはまだ仕事がある」
エイブは喋りながらズボンに付いた雪を心を落ち着けようと必要以上に丹念に払い落とした。そして作業を終えると自分の剣を鞘に収め、何事もなかったかのように再び連れとナナクサのいる城門内に戻りはじめた、速足と言っても過言ではない速度で。
「待って」
大きな溜息をついたナナクサはおもむろにフードをめくり、ゴーグルと顔に巻かれたマスクを取りはじめた。それを見たファニュが驚きの声を上げた。
「大丈夫よ、ファニュ。今朝は分厚い雲があるから」
フードの中から薄墨色の髪を持った細っそりとした若い女の顔が現れた。優しげな顔の中にある憂いを含んだ漆黒の瞳が印象的だった。エイブと連れの準戦士は魅入られたようにナナクサの顔を凝視した。
「何度も言うけど間違いなく、わたしはヴァンパイアよ」
ナナクサはそう言うと、目にも留まらぬ速さで残った剣を拾い上げると準戦士の眼前に現れてそれを彼に手渡した。そして彼に二本の犬歯を伸ばしてみせた。
*
今まで誰も聞いたことがない大きな警報が城塞都市の隅々にまで轟き渡り、谺となったそれは壁面にこびり付いた氷と雪を削り落とした。内蔵された巨大なギアが回って大きな城門が徐々に閉じ始めた。ナナクサをヴァンパイアと認めたエイブの連れが今まで誰も押したことがない詰所の警報スイッチを入れたからだ。警報に被って女の声が「警報赤。警報赤。各員、防備を固めよ。防備を固めよ」と繰り返し注意を促し続けた。警報に心を奪われたナナクサの頭がその出どころを探してゆっくりと左右を見回すのがファニュの目に入った。
だがファニュは動けなかった。ナナクサに合流するどころか叫びかけることすら叶わずに城門のすぐ外で城門内から流れ出る女の声に混乱し続けていた。
*
閉ざされた城門の前に膝を屈したファニュは混乱から脱すると、ようやくヴァンパイアの若者たちと初めて出会った時のことを思い出していた。あの時ナナクサの声をどこかで聞いたことのある懐かしい声だと感じたが、それが今わかったのだ。なぜ今まで忘れていたんだろう。ナナクサの声は城塞都市で生活をしていた時によく耳にした情報伝達音声そのもの。隊商に下げ渡されるその日まで身近に慣れ親しんだ声そのものだったのだ。それがナナクサに対して警報を発して戦士がひしめく城塞内に彼女を飲み込んだのだ。
我れに返ったファニュは立ち上がると城門に近づき、その表面に両の手のひらをついた。防寒手袋越しにでも氷のような冷たさと何物をも寄せつけない強固さが感じられた。彼女は力一杯城門を叩きはじめた。手が腫れて叩けなくなるまでナナクサの名を叫びながら叩き続けた。暫くして背後から力強い手が伸びて彼女の腕を掴むと、その行為を止めさせた。
ファニュと共に城門の外に取り残されたエイブも、やっと事実を飲み込み始めていた。
35
「クイン・M」
「はい、補佐長様」と床に跪いた準戦士の若者が恭しく応えたことに気を良くしたレン補佐長は言葉を継いだ。
「お前が今朝、たった一人でヴァンパイアの捕獲に成功した功績は大きい」
「はい」
「非常に大きい」
「はい」
「しかし、それゆえに問題も生じておる」
ほら来た。たぶん人工子宮どもの嫉妬だろ。それならわかるとクインは床を見つめたまま顔を歪めた。でも畏怖だけは絶対に御免だ。嫉妬だけならまだしも畏怖などここで生き抜くために邪魔になりこそすれ決してプラスになどならないからだ。人工子宮どもの中には、そんな一文にもならないことを追い求めて血道を上げる馬鹿もいるが、この城塞内でそれを許されるのはただの一人きりだ。その聖域を侵したと、そいつから言い掛かりをつけられようものならどんなことになるか。どう考えても悲惨な末路以外は想像できない。
クインはヴァンパイアが抵抗することなく捕まった当初は調子に乗って手柄を吹聴していたものの、こうしてレン補佐長に謁見の間まで呼びつけられ、彼の苦虫を噛み潰したような表情に接すると事の重大さに身がすくんで自分がどうしようもない泥沼に足を突っ込んでしまったのではないかという思いにかられて仕方がなかった。こんなことなら、あの時エイブと一緒に自分も城門外に出ていればよかったのかもしれない。
「ヴァンパイアが、なぜ抵抗もせずに捕縛されたか本当のところ私にはよくわかりません」
クインはレン補佐長が再び口を開くよりも先に、パンパイアの捕獲に占める自分の功績がいかに小さなものだったかと印象づけることに腐心した。
「そうか」
「はい。まったくもって運が良かったとしか申せません」
「しかし、お前があの化け物を見つけて警報を発したのは間違いあるまい。そして抵抗は無駄だと感じた化け物は捕獲された。これを大きな功績と言わずして何と言う」
「はぁ……」
「問題は、なぜ奴らが忌み嫌う明け方にのこのこと現れたのか。目的は何なのか。必ず裏があるはずだ」
「理由と目的でございますか?」
「そう。理由と目的だ、クイン・M」
クインは、この場を切り抜けるために知っていることを洗いざらいぶちまけることにした。女ヴァンパイアは実は人間の娘と一緒に来たこと。その娘は城門外に取り残された準戦士エイブと隊商にいた時からの知り合いだったということ。そして手柄を吹聴した自分は愚かで欲のない小心者であるということまで。
「補佐長様、あの女ヴァンパイアは人間を安心させるため、朝に来たのだと申しておりました」
「『安心させるため』だと。なんと小賢しい」
「はい」
「確かか?」
「間違いございません」
「『油断させるため』の間違いではないのか」
恐縮して口をつぐんだクインにレン補佐長は鷹揚に手を振ると話の先を促した。
「女ヴァンパイアは政府だとかいうものを探すのが、ここにやって来た目的だと申しておりました」
「『政府』とな?」
「はい。何でもヴァンパイアの政府だとか何とか……私のように無学な者には何のことだかさっぱり。考えてみますと人間のように陽の中を歩き、政府とかいうわけのわからないものを探すなど、もしや、あの女ヴァンパイアは狂っているのでしょうか?」
クインは自分の意見がレン補佐長の沈黙で報いられたことで、この場を切り抜けるどころか、拙いことでも仕出かしたのではないかと息をのんだ。そして恐る恐る視線を上げると補佐長の動静を伺った。補佐長は彼を冷たく見下ろしていた。
「クイン・M」
「はい」
「もう下がってよい」
「はっ……あの」
「まだ何かあるのか?」
「あの女ヴァンパイアには連れの娘、先ほども申し上げましたが人間の娘が……」
「おそらく、どこかで拐かされたのだろう。化け物と引き離された今は正気に戻っておろう。他にも何かあるのか。お前にはどう見えておるかわからんが、私は忙しい身なのだ」
「あっ……いえ……あのぅ。何もございません」
「お前は単なる準戦士だ。お前が為すべき仕事を為すがよい」
「かしこまりました、補佐長様」
クインは少なくとも自分が畏怖に足る人間でないことを補佐長にだけは知らしめることができたと胸を撫で下ろした。
*
何度目かの激痛がナナクサの身体の奥深くを嵐のように駆けぬけ、そのたびに彼女の四肢は別の生き物のように小刻みに痙攣した。戦士たちから時おり与えられる顔面や腹部への殴打は初めは痛みこそあったが、慣れてしまえば、それを待つ間の苦痛と比べれば何でもなくなった。それより性質が悪いのは剥き出しにされたナナクサの手足に絡みついた幾重もの銀のワイヤーだった。それは彼女の肌にきつく食い込んで皮膚を破るだけでなく、毒素が周囲の細胞組織をどんどん壊死させていた。この仕打ちは間違いなく若い彼女の命の緒を糸で粘土を削ぐように少しずつ削り取っていった。銀からもたらされる激痛にナナクサの口から絶えず嗚咽が漏れた。身を捩るたびに傷口から染み出す血は今では彼女の足元にスープ皿をひっくり返したような血溜りを作っている。
「意外に小さいな。しかも弱々しい。拍子抜けもいいところだ」
朦朧とする意識の中に耳障りな大声が響いた。だが彼女は衰弱しきっていたので、その大声に顔を向けるどころか目を向けることすらできなかった。第一指導者は、糸が絡まったまま放置された操り人形のようなナナクサを見下ろしていたが、やおらその細い顎を掴んで上を向かせると、口の中の小さな犬歯をしげしげと眺めた。
「こんな者どもに戦士の大部隊が壊滅させられたなど到底信じられん」
「しかし間違いなくこれはヴァンパイア。我れらの憎むべき敵でございます」
円形闘技場の屋上に造りつけられた楼閣のまで指導者に同道したレン補佐長はそう応えると斜めに指し込む陽の光を小さな手鏡で巧みに反射させた。眩いばかりの反射光はナナクサの剥き出しにされた左脚をさっと薙いだ。陽が当たった表面からぱっと青い炎が立ちのぼると、耳をろうするばかりの悲鳴が彼女の口から発せられた。
「太陽の下。今はこうして銀で縛り付けてございますが、いつ何時、悪鬼のような力を発揮するかわかったものではございません」
「こいつがそのような力を発揮するなら、ぜひ見てみたいものだ」
「ですが……」反駁の兆しに第一指導者はレン補佐長を即座に睨みつけた。「俺がこいつらを恐れているとでも言うのか?」
「いえ」レン補佐長は、いつものように慇懃無礼に頭を垂れた。「決してそのようなことはございません。閣下の御力をもってすれば、ヴァンパイアどもがいくら抗おうと雑作もなく退治ができることでしょう。しかし万が一にも逃げ出されて城砦内で様々な破壊行為に及ばれますと……」
「ふん。自動機械どもが心配か?」
「御意にございます」
第一指導者は人であれ、雪走り烏賊であれ、すべてのものが自分の足元に平伏して這いつくばる姿を見るのが何よりも好きだった。しかし、自動機械のそれだけは昔からどうにも好きになれなかった。彼らは半永久的に床や壁を虫のようにところ構わず動き回っては、大昔の技術で城砦内のあらゆる保守点検を行っていた。だが命を持たないがゆえの恐怖心の欠如が、たとえ這いつくばる動作を見せようとも第一指導者の心を妙に苛立たせるのだった。彼は以前から感情の爆発に任せて彼らに鉄槌を下して破壊することがあったが、例外なく別の自動機械が破壊された仲間に駆け寄り、真っ先にそれを修理して何事もなかったかのように仕事に戻ってゆく姿を何度も眼にした。それが空しくて、さすがの彼も自動機械だけを意識の外に締め出す術をとうとう身に付けたのだった。
第一指導者はナナクサの顎から手を離すと思ったことを口にした。
「自動機械などいくら壊れても、すぐに元通りになるだろう。それどころか俺なら些細な被害すら出さずにヴァンパイアをひねり殺せるとは思わんのか?」
「御力を微塵も疑ってはおりません。しかし閣下の双肩に掛かった第一指導者の重責は、ほんの些細なことすら無視し得ないかと愚考してのことにございますれば、何卒ご容赦を」
「ふん。まぁよい」
「では、情報を引き出し次第、早急にこやつの処刑を」
「仔細はお前に任せる。だが……」
「はい」第一指導者の思いを瞬時に理解したレン補佐長は恭しく応じた。「処刑の様子は他の辺塞でも楽しめるように取り計らいます」
「うむ。せいぜい劇的にな」
開催されるイベントの様子を思い描いた彼の顔は喜びに醜く歪んでいた。
36
ナナクサの安否が知れない以上、下手に騒ぎ立てるのは得策ではない。ここは隠密裏に行動すべきだとのジョウシの言葉は、タンゴにとってもはや意見や提案ではなく単なる事実の確認であった。あとは、ただ囚われた仲間を、目の前の城砦都市からどうやって探し出して救助するかという方法のみが問題だった。
「もっと早く着いてれば、きっと……」
「きっと、事が荒立っておったろうな」とすぐにジョウシがタンゴの言葉を引き取った。
「でも」
「もうそれは言うまいぞ。謎解きも後回しじゃ」
タンゴの幾度目かの自責のつぶやきを、人気が消えた岩の上に胡坐をかいたジョウシがたしなめた。
「わかっちゃいるけど、どうすればいい。こう予想外のことばかりじゃ良い考えなんて思い浮かばないよ」
「そうじゃな。さて、どうしたものか……」
両腕を組んで自問するジョウシの目が先ほどから太陽を隠す分厚い雲に。次に何か言いたげに佇むファニュの視線を捉えた。彼女の傍らには若い人間の戦士が油断なく二人のヴァンパイアを監視していた。
「ファニュ、そなたには何か妙案でもあるのか?」
「あるわ」
空かさず応えたファニュの肘を若い人間の戦士が掴んだ。
「やめてよ、エイブ」
「駄目だ」
小声ながらも、一瞬たりとも二人のヴァンパイアから眼を離さないエイブの一言がファニュの耳朶を打った。
「考えがあるの」
「だから、駄目だ」
「なぜよ」
「危険だからに決まってるだろ」
「あたしがやろうとしてることが、あんたにわかるの?」
「わからない。でも無謀なことをしようとしてるのだけはわかるぞ」
「人生に危険はつきものよ。もしあんたが案内してくれるんなら、そんなに危険じゃないわ」
「やっぱりか!」エイブは思わず声を荒げた。「お前は昔からそうだ。いつも初めから人を当てにする。自分の面倒も見れないくせに」
「エイブ!」そう叫ぶとファニュは大きく息を吸い、自身を落ち着かせようとするかのように言葉のトーンを落とした。「確かに当てにしてるわよ。だって小さい時の記憶しかないあたしより、あなたの方がここの内情には詳しいだろうから。でもね。あたしはもう立派な大人よ。あたしの身を案じてくれてるなら、それだけは心配いらない。自分のことは自分で守れるわ」
「いいや。守れないね」
「いいえ出来るわ。馬鹿にしないで」
「してない」
「してるじゃない!」
「馬鹿にしてるとすれば、行き当たりばったりだと想像できるお前の考えをだ。そうなんだろ!」
「そうなのかい、ファニュ?」
図星を指されたファニュは口をつぐみ、口を挟んだタンゴから目をそらせた。
「そんなんで、よく自分を守れるなんて言えたもんだな。しかもだ」
エイブは油断なく二人のヴァンパイアの若者をちらりと目で示した。
「なに。彼らがどうかしたの。もしかして、あんたは彼らが危険だって思ってる?」
「あぁ、そうだ」
「さっきも紹介したじゃない。彼らはあたしの仲間。友達なんだって。タンゴなんかは行き倒れてた、あたしを救ってくれたのよ」
「タンゴだけが、お前を助けたのではないがな」
間違いを正したジョウシをエイブは指差した。
「特に今しゃべった女だ、危険なのは」
「ジョウシが?」
「お前はヴァンプ……いや、奴らは『争いを好まないし、他人に親切でやさしい』と言ったな。じゃぁ、あの女は何だ。これでもかってほどあの女から溢れ出てるじゃないか。どう割り引いたって普通じゃない戦士階級の臭いが」
「ジョウシから『戦士階級の臭い』?」
「あぁそうだ。それも指導的立場の戦士階級独特のやつだ」その言葉に目を剥いたタンゴには目もくれずにエイブは続けた。「俺だって今じゃ戦士の端くれだ。あの落ち着き。油断ならない目付き。それに自然と人を従わせちまう物ごし。どれをとっても隠しきれるもんじゃない。そいつは戦士階級のもんだ。なのに『争いは好まないし、やさしい』なんて。お前はよく言えたもんだな」
「さっきから褒められておるのかな、我れは?」
うんざりした気持ちを声に乗せたジョウシはエイブに視線を向けた。エイブの身体に緊張が走った。
「お前らは危険だ。城塞都市内に入れるわけにはいかない」
「ならば、一人でここに居ればよかろう。我れらは行く。止めだてするな」
「止めはしないさ。だが残念なことにファニュは隊商に下げ渡された時点でここの人間じゃないんだ。上手く騙して手先にしたようだが、彼女はお前らを、この城塞都市内に招き入れる資格そのものがない」
「そうか」ジョウシが歯牙にもかけない様子で応じた。
「だからって俺に『招き入れろ』と脅そうったって無駄だ」エイブは剣の柄を握った。「認証板に嘘は通じない。あれは生きた人間の全てを見通すからな。拷問して従わせようとしても感知。操られてたって即座に感知だ。過去にもお前らのように城門の守りを破ろうとしたヴァンパイアがいたらしいが、すべて失敗したんだ。何度やっても同じだ。諦めろ。そしてさっさと帰れ……」
ジョウシはエイブの言うことを最後まで聞くことなく、その頭上を軽く飛び越えると四肢で城門に取り付いた。そして呆気に取られるエイブが見守るうち、蜘蛛のように手足を動かすと瞬く間に城門の上にたどり着いた。
「絶景かな」
見たこともない巨大な都市を眺め渡したジョウシは思わず嘆息した。そしてその姿が城壁内に消えたと同時に、今度はタンゴが口を開いた。彼は既に城門の表面に片手を掛けていた。
「エイブとか言ったね。すまないが、僕らが帰るまで橇を見ててくれないか、大切な人が乗ってるんだ。さぁ、ファニュ。背中にしっかりつかまって」
「な……なんで入れた?」
エイブがやっとのことで、そう言葉を発した頃にはタンゴもその背に負ぶさったファニュも遥か城門の上方に達しようとしていた。
「案内を頼めないんなら、あとはお願いねエイブ!」
ファニュの声が大きく谺したかと思う間もなく二人の姿は城門内に消え去った。エイブに残されたのは音も動きもない銀世界と橇が一台だけ。しかもその荷台には丁度、人間の大きさに包まれたキャンバスが一つきり横たえられていた。エイブはヴァンパイアの大男が言っていたことを思い出すと、ぶるっと身震いした。そして彼は自分が城門前に取り残された、たった一人の人間であることを思い知らされた。城門前に残った追放者たちは二人のヴァンパイアが乗ってきた部隊長の橇が近づいてきたのを見てとうの昔に逃げ去っていたからだ。
「確か『大切な人が乗ってる』って言ってたよなぁ、あいつ。でも、どう見たってあれって死体だよな……間違いないよな。じゃぁ、どっちの死体なんだよ。人間か……それとも……」
今朝、開門したばかりなので来週まで当番が城門を開けることはない。それまで食いつなごうにも手持ちの食糧すらない。それに、こんな寒々しい場所に得体の知れない死体といるくらいなら、知り合いのファニュと一緒にいた方ずっといいに決まっている。たとえヴァンパイアと一緒だとしても。
エイブは橇から視線を引き剥がすと城門横に設置された小さな詰所に駆け込んだ。分厚い壁を挟んだ反対側にも、先ほど自分が使ったのと同じ詰所がある。彼はその中に唯一造り付けられている三十センチ四方の黒い認証版に顔を近づけると、吐く息で表面が曇るのも無視して急いで眼紋と顔の毛細血管チェックを行った。そして認証版の真ん中に認証が問題なかった時に現れる微かな緑の光が浮かび上がるのを待つことなく、城門まで急いで取って返した。そして城門に一つだけ造りつけられている小さな覗き窓から力一杯、娘の名前を叫んだ。
「気が変わったの、エイブ?」
まるで彼を待ち構えていたかのように、すぐさま覗き窓の向こう側にファニュの瞳が現れた。
「待っててくれたのか?」
「そうじゃないけど、あたしが知ってんのはせいぜい工場区画だけだし、もし案内してくれたら助かるなぁって、あなたに声をかけようとしてたとこだったから」
「そうか」
「さっきは、ごめんね」
「こっちこそ」
「じゃぁ、案内してくれるの。仲間が捕まっていそうなところに?」
「それは……」エイブは躊躇した。「俺は、ただこんな所で凍えるよりも、早く内へ入りたかっただけだ」
「わかったわ」エイブの下手な言い訳ににやついたファニュが頷いた。「じゃぁ、城門の開け方を教えて。橇もあれば便利だし」
「待て!」
射抜くようなエイブの視線がファニュのそれを捉えた。
「一つだけ質問だ」
「なに?」
「あのヴァンパイアどもは本当に安全なのか?」
「もちろんよ!」
「騙されてないか?」
「それはない」ファニュはきっぱりと応えた。「もし騙されてたんなら、今ごろ彼らは大暴れしてるでしょ。あたしもきっと死んでる」
エイブの逡巡は、そう長くは続かなかった。
「わかった。お前を信じる。あいつらじゃなくお前を。いいか、横の詰所に行って認証板……黒い板に顔を近づけろ。少し待って緑色の光が見えたら横にあるレバーを手前に倒せ。一本しかないからすぐにわかる」
ファニュが言うとおりにすると、雪と氷の大地を振動させながら城門が再び開き始めた。巨大な城門が開ききると、そこにエイブの姿がぽつんと現れた。さながら白砂糖の大瓶の中で迷った蟻のように。
「さすがエイブだ」
そう言って笑顔を見せたファニュに続いて「よろしく」と片手を挙げたタンゴにエイブは小さく頷くと、慎重に彼ら三人に近づいた。その警戒を緩めない視線は彼らの中でも特にジョウシに注がれていた。そんなジョウシから毒舌がジャブのように繰り出された。
「さて、反対に招き入れられた気持ちはどうじゃ?」
「ここは俺が住んでる所だ。招かれなくても入る」
「ほうそうか。じゃが住んではおっても我れらに入れてもろうた事実は揺るぎあるまい。お前は礼の一つも言えぬのか?」
「なんだと?!」
「無礼な上に喧嘩まで売りおるか?」
「売ってんのはそっちの方だろ!」
「争わないで。あたしたち仲間なんだから」
「仲間じゃない!」とヴァンパイアの娘と人間の青年から異口同音に否定の声が飛び出した。
「まぁまぁ」割って入ったタンゴが二人をたしなめた。「いがみ合っててもお腹が空くだけだよ。二人とももっとリラックスしてさ。お互いに礼儀正しくしないかい?」口を開きかけた二人を制してタンゴは粘り強く話し続けた。
「先ず共通点を見つけようよ。共通点があればお互い理解もしやすいし、礼儀正しくもできるだろ?」
タンゴはファニュに目配せした。ナナクサとの会話を思い出したファニュが、まず口を開いた。
「みんな若い」
「そう」とタンゴの声。「若いから、いがみ合うことだって時にはある。今の僕らみたいにね。でも、ここにいるのはみな善人ばかりだ。これも共通だろ?」眉を寄せる二人を見て、タンゴはなおも話の着地点を探る努力を惜しまなかった。「しかもだ。僕ら一人一人は小さくて弱い。だからお互いに協力し合って問題を乗り越えてく。それしか方法がないからだ。そのために大切なのは悪いと思ったことは素直に謝るってこと。間違いや、行き違いなんて誰にだってあることなんだから。これも正しいよね?」
「では」ジョウシがタンゴを見上げた。「お前の説得に応ずるとして、我れは如何すれば良いのじゃ、妥協をすれば良いということか?」
「妥協じゃないよ。相互理解さ」
「言葉は使いようじゃな」
タンゴは、ここまで来る間に培われたジョウシとの新たな絆が綻びたのではないかと少し心配になった。
「お前らに謝るのは性に合わない」エイブはしぶしぶ口を開いた。「でも城門を開けてもらったのは事実だ。それについては礼を言う」
エイブの謝意にタンゴは右手を左胸に軽く当てて頭を垂れると少しほっとした表情を見せた。彼は隣にいるジョウシの肩に手を置いて次に彼女を促した。その手にはジョウシの毒舌を前もって制するように少し力が入れられていた。ジョウシは子供扱いするなと言わんばかりにタンゴを上目遣いで睨んだ。しかし彼女の言葉はタンゴの心配とは無縁のものだった。
「無断でお前の住処に入ったは大人気なき所業であった。我れも謝罪しよう」
「あたしも」慌ててファニュが続き、タンゴも「僕もだ」と続いた。
「まぁ、お互い様だな」
エイブが少し砕けた物言いをしたので釣られるように他の三人の口も滑らかになった。
「これで少しは距離が縮まったみたいだ」
「さっき、タンゴが言ってた相互理解の第一歩ってとこだね」
タンゴの言葉をファニュが嬉しそうに引き取った。
「しかし、礼儀を重んずる我れらとしては無断で他人の在所に入りこむなど、あまり気分が良いものではなかったがな」
「確かにそうだ」と、タンゴ。
「だったら入ればいい……って言っても、もう入ってるか」
きょとんとした表情を見せた三人にエイブは言葉を継いだ。
「だから、入ればいいんだよ。歓迎するとまでは言わないけど、招待するよ、あんたらヴァンパイアを」
*
二組の若い男女は何が起こったのかわからなかった。突然の疾風が彼ら全員をその場に薙ぎ倒し、あまつさえ一人の人間の背中を断ち割ったのだ。雪上が鮮血に染まっていくのを見てファニュが。次にタンゴとジョウシが血溜まりの中のエイブに駆け寄った。
「エイブ……」
ファニュは横たわるエイブに恐る恐る声をかけた。エイブの甲冑には大きな裂け目が開いており、今もそこから血が流れ続けていた。
「くそ痛ぇな……」
エイブは痛みに顔を歪めた。分厚い甲冑がなければ即死していたところだが手当てが必要な重傷であることに違いはなかった。
「あまり喋っちゃいけない」
タンゴはそう言うと、血の微粒子を吸い込まないように気をつけながら慎重に甲冑を外しにかかった。ジョウシも息を止めて自らの遮光マントの裾を数本も裂いたものを一本に結び直すと、タンゴと二人で怪我人の背中と胴をぐるぐる巻きにし、固く結んで応急処置を行った。
「やっぱ、お前らと関わるのを止めときゃよかった」エイブは息を喘がせた。「何が『ヴァンパイアは争いを好まないし、他人に親切でやさしい』だ」
「我れらは何もしてはおらぬぞよ」
「じゃぁ何がエイブを?……」
「考えるのは後でいいよ。とにかくこのままじゃ駄目だ。傷を何とかしなきゃ!」
タンゴの一言が当惑した二人の娘を正気づかせた。
「よし」ジョウシの決断は早かった。「建物の中へ運び込むぞ」
「建物の中?……」
「ここでは何もできまい」
「わかったわ。でも、いったいどの建物?!」
「何処でも良い。ここはお前たちの方が詳しかろう」
「そうだ。あたしが住んでた工場区画の休息棟がいいわ。あそこなら縫う道具だってあるし」
「道行は案内できるか?」
「できるけど、ここから遠いわ」
「橇があるじゃないか」
タンゴは橇が置かれた城門の外に走っていった。しかし橇に辿り着いたタンゴはそれを見て凍りついた。催促するジョウシとファニュの怒号を何度となく背中に受けても何も聞こえないかのように。
「いったい……どうなってるんだ?……」
橇の荷台に安置されていたはずのチョウヨウの遺体が、彼女が包まれていたキャンバスだけを残して跡形もなく消え去っていた。




