表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
デイ・ウォーク  作者: たかや もとひこ
3/8

新たな仲間と分裂と

               21

 意志ある黒煙は、心を押してやった娘の身体が炎を上げて消滅すると同時に自らもそこから吹き散らされ、ひとかたまりになるまで空気の微粒子の間にゆったり(たたず)んでいた。子孫の若者たちの目は人間どもと比べものにならないくらい非常に良く見える。だが、空中に薄く溶け広がった存在に気付く者は誰もいなかった。たとえ気づいたとしても、はっきりと認識することなど出来はしないのだ。なぜなら、陽の照りつける中で朝目が()くヴァンパイアなど、自分以外に、この世のどこにも存在しないからだ。

 しかし、なぜだ?……。

 大気の中を漂う黒煙は泥水が()き寄せられるように集まると、空中に伸ばしきった身体を優雅に波打たせながら、しきりに自問自答を繰り返していた。今回はパーティの中で二人も“自らが進むべき道”を選択したというのに、なぜ他の者は選択しなかったのか。本来自分たちのあるべき姿を目の当たりにした彼らを導けなかった己の力不足など思いもよらないことだった。では、目の前の若者たちに別の理由を求めるしかないではないか。この子孫たちに力と自由への(あらが)いがたい誘惑を断ち切りらせる要因があったとでもいうのだろうか。狩人(かりゅうど)の本質の変異。弱まった本能。何かしらの疫病(えやみ)磔刑(たっけい)に処せられ、かつては救世主と(あが)められたあの者の呪い。それとも……。

 黒煙は出口の見えない思索の迷宮をさ迷い続けた。そして、ふと一人の若いヴァンパイアに意識をやると、その遮光マントの奥から覗く一対の瞳をじっと注視した。

「やはり、そういうことか。合点(がてん)がいった。ならば少しずつ削り落としてやろう。そうすれば、退屈という名の煉獄(れんごく)も招待客で(あふ)れかえる舞踏会のように華やぐに違いない」

 黒煙はそう呟くと遠く離れた場所で食事を楽しんでいるはずの本体へと帰路を急いだ。


               22

 肌を刺し貫く陽の光が中天(ちゅうてん)に差し掛かろうとする頃、遮光マントが取り払われたタナバタの(むくろ)荼毘(だび)の青白い炎に包まれた。ジョウシが、ミソカとの(あかつき)の戦いの終盤で幼馴染(おさななじ)じみの動かぬ身体を、取り戻した遮光マントで自身の身体もろともくるみ込んでいたのだ。

「自分がどうなるか(さと)ったタナバタは死ぬ間際に毒を(いく)つも噛み砕いてた。彼の中に息づいた始祖(ごせんぞ)の力を封じるために。その血をミソカは残らず飲んだのよ」

 それは単なる報告でもなく、また下手(へた)弔辞(ちょうじ)ですらなかった。ナナクサは自分に言い聞かせるようにそう言い終えると、右手を左胸に()え、炎に包まれる(むくろ)に深い謝意を表し、彼に抱いたほのかな想いにも別れを告げようと懸命に下唇を噛み締めた。

 彼女の周りには四人の若いヴァンパイアと一人の人間の少女がいた。一番小柄(こがら)なヴァンパイアが思い出したように口を開いた。

綺麗(きれい)な手をしておったな、こ(やつ)は。幼き時より、そうであった……」

石工(いしく)見習いのあたいとは違って、頭脳派だったからね」

 ジョウシの言葉を受けてチョウヨウが、短い付き合いの中で感じた亡き友への感想を口にして小さく(うなず)いた。

「君から」と、次にタンゴが口を開いた。「色々と教わった。ためになったよ。僕は何一つ教えてあげられなかったけど……」

 肩を落とすタンゴの大きな手をチョウヨウがそっと握った。分厚い手袋越しでも思いやりが伝わる優しい握り方だった。

「そんなことはねぇさ。タナバタはあんたやあたいたちからも色々学んだんだよ」

「そうじゃ。チョウヨウの申す通りじゃ」悲しみを振り払うようにジョウシが顔を上げた。「こ(やつ)も、このデイ・ウォークで色々と学んだに相違(そうい)ない。同じ薬師(くすし)の仲間からもな……」

 ジョウシを除く全員がナナクサにちらっと視線を投げかけた。ナナクサは何を言えばいいかわからず目を伏せた。しばしの黙祷(もくとう)のあとジョウシが荼毘(だび)の炎に一歩近づいた。

「我れも学ばせてもろうたぞ、タナバタ」ジョウシは小さくなりつつある炎に決然と語り掛けた。「幼き頃より、よう世話になった。じゃが、最期は、このジョウシがそなたの面倒を見たのじゃ。いつの日か黄泉(よみ)の国で出会うたとき、我れに礼を述べるがよいぞ」

 幼馴染(おさななじ)みの弔辞(ちょうじ)の締めに、炎は苦笑するかのように一瞬大きく揺らめき、そしてふっとかき消えた。残された一握りの(ちり)は風にすぐさま吹き散らされ、タナバタは仲間の前から去った。

 デイ・ウォークが始まって半分の旅程も消化しないうちに、三人の若者がパーティから消えた。


               *

 葬儀の後。夕闇が迫る頃になって誰もが話題にしない、むしろ避けてでもいたことをナナクサは口にした。それはミソカが語った自分たち一族の出自(しゅつじ)や失われた仲間たちのことではなく、このデイ・ウオークをどうするのかということだった。続けるのか、放棄するのか。旅程からして、誰もがいま答えを出さねばならないことだった。しかし誰も口を開こうとはしなかった。

 半ばそれを予期していたナナクサは、言い出した手前もあり、車座(くるまざ)に座った皆に向けて最初に口を開いた。

「私は皆の決定に従うわ」

 雲が流れる満天の星空に沈黙が続いた。

「卑怯な言い方だな」

 チョウヨウが苦々しさを声に(にじ)ませた。

「そうじゃな」

 溜息(ためいき)混じりの賛同がジョウシからも上がった。

「そうね」と、ナナクサは大きく息を吸い込んだ。「確かに卑怯な言い方よね。謝るわ。でも皆の考えは、もう決まってるんでしょ」

 ナナクサが一同の顔を眺めわたして再び口を開こうとしたとき、突如、タンゴが割っては入った。

「ボクは政府(チャーチ)を探すよ」

 誰かが最初に口にするとはいえ、陽気な大男の直線的な決意は皆に小さく息をのませた。ナナクサはチョウヨウに視線を向けた。彼女のデイ・ウォークに懸ける思いとタンゴに対する好意を知っているだけに心が傷んだ。

「我れの気持ちも決しておる」と、ジョウシがタンゴに続いた。「仇討(あだう)ちじゃ」

「どういうこと?」

 ナナクサはジョウシの言葉の意味するところがわからず、思わず聞き返した。

「すべての元凶は、あの御力水(おちからみず)ではないか。あんな危険極まりないモノを。あれはタナバタを狂わせ、ジンジツまで(あや)めたのじゃ」

「それにミソカもな」

 ジョウシはタンゴの一言に少し顔を(ゆが)めただけだった。

「それゆえ、あんなモノを用いる政府(チャーチ)など、到底、許し置くわけにはいかぬ」

 ジョウシはファニュを指さした。

政府(チャーチ)御力水(おちからみず)が、こ(やつ)ら人間」そう言ってから、ジョウシは、しまったという顔をして少し言葉を詰まらせた。「人間の血を使っておるかどうか、(まこと)のことはわからぬ。じゃが、あれは我れらを狂わす魔薬(まやく)ぞ。それを作りし責は誰であろうと絶対に問われねばならぬ」

「ジョウシ、あんた」公然とした政府(チャーチ)批判を黙って聞いていたチョウヨウもさすがに口を(はさ)んだ。「政府(チャーチ)は絶対だ。批判は……」

「そうだ!」と、タンゴが反論を断ち切って一気にまくし立てた。「その通りだ。絶対にこのままにしてちゃいけないんだよ。(いにしえ)からの(かたき)だと教えられてたファニュたち人間と僕たちの関係だって気になる。ミソカは彼女らが……その……」

「食糧ね」

 言い(よど)んだタンゴの代わりにファニュがぼそりと(つぶや)いた。

「ごめんよ。そんなつもりじゃ」

「いいよ。気にしてない。あたしたちも、あなたたちヴァンパイアは血も涙もない恐ろしい化け物だって教わってきたから」

「ヴァンパイアか」

 今まで人間という呼称を使ってきた自分たちを、古くからあったといわれる新たな呼称で呼ばれることに、チョウヨウは戸惑いを隠せず、思わずそう口にした。

「えぇ。ヴァンパイア」と、再びファニュ。

「そうだよ。ヴァンパイアについてだって、僕らは今まで何も知らなかったんだ。自分たちのことなんだったら、知るべきだよ」

「さっきも言ったけど」と、チョウヨウがタンゴに顔を向けた。「相手は政府(チャーチ)だ。神聖不可侵の政府(チャーチ)なんだぞ。運良く押しかけれたとして、その後、どんな目に()わされるか。それに場所だって、船乗りでなきゃ……」

 そこまで言ってから、はっと気づいたようにチョウヨウはファニュに視線を転じた。

「そうだよ」と、タンゴもチョウヨウの考えを直感的に理解した。「ファニュが持ってた地図にあった印。きっと、そこだよ。目指してみよう。船乗りでなくても行き着けるはずさ。ファニュ、君もいろいろ知りたいだろ?」

 答えに(きゅう)する人間の少女を尻目(しりめ)にジョウシが立ち上がった。

「我れも思案した上での結論じゃ。()しき秘め事を暴こうぞ。それを月光の下に(さら)すことが、亡き友への供養(たむけ)になる。我れは、そう思うのじゃ。そなたはどうじゃ、チョウヨウ?」

 水を向けられたチョウヨウは坐禅(ざぜん)を組むように微動だにせず、半ば視線を目の前の雪に落とすような格好でその場に座り込んでいた。彼女が深く迷っていることは誰の目にも明らかだった。

「私の意見を言うわ」仲間のやり取りを聞いていたナナクサが、おもむろに口を開いた。「このデイ・ウォークをやり()げることが亡くなった仲間たちへの供養になることも確かよ。だから私は」ナナクサは決然と言い放った。「そっちを選ぶ。私は、このままデイ・ウォークを続けるわ」

 目を上げたチョウヨウは自分を見やるナナクサの視線を(とら)えた。ナナクサはタンゴとジョウシの問いかけるような視線を無視して続けた。

「あなたの姉さん。ボウシュもデイ・ウォークの成功を望んでいるはずよ」

「姉さんが……」

「えぇ」

 それだけ言うと、ジンジツやタナバタ。ミソカだって。と、ナナクサは心の中で(つぶや)いた。

「わかった。ありがとうよ、ナナクサ」

 ナナクサの意見に同調を示したチョウヨウに、タンゴは小さな落胆の溜息(ためいき)を漏らした。

「二対二か。これじゃ決まらないな」

「いえ、同数じゃないわ」と、ナナクサ。

「確かに、そうじゃな」

 気乗りしない口調を隠そうともせずにジョウシが(おう)じた。

「ねぇ、ファニュ」と、ナナクサは、今度は人間の少女に問いかけた。「あなたはどうなの?」

 その言葉に思わず反論しかけたタンゴをジョウシが制した。

「あ、あたし?……」

「そうよ。あなたもわたしたちの一員よ、これだけ深く関わったんだもの。だから、あなたの意見も聞きたいの」

 ナナクサは()えて「一緒に行くのか」とは聞かなかった。人間の少女には同じ人間の仲間を一人きりで探して合流するという選択肢も(わず)かながらも残されていたからだ。彼女が、それを選ぶのなら、それはそれでいい。

 (しばら)くしてファニュは重い口を開いた。

「わたしは行きたくない。でも一人ぼっちもイヤ」

 その回答は二つの落胆と二つの安堵(あんど)に迎えられた。

「わかったわ、ファニュ。じゃぁ、あなたは政府(チャーチ)探しへは同行せず、当面は私たちと……」

「あなたたちは何もわかってない!」叩きつけるようにナナクサの言葉を(さえぎ)ったファニュは(せき)を切ったように(しゃべ)り出した。「あの地図の印は、あなたたちの政府(チャーチ)とかじゃない。あたしたち人間の指導者がいるところよ!」

 唖然(あぜん)とするヴァンパイアの若者たちに数瞬が過ぎ去った。だが、少女の言葉がどうしても理解できなかったジョウシがオウム返しに(たず)ねた。

「『人間の指導者が()るところ』じゃと?」

「そうよ。第一指導者(ヘル・シング)がいるところ」

第一指導者(ヘル・シング)……はて、それは村長(むらおさ)のようなものか?」

 考えを巡らせるジョウシにファニュは苦々しく首を振った。

「違うわ。城塞都市(カム・アー)の中で人々の上に立ってる。暴力で人間を支配してる。辺塞(へんさい)を通じて各地に点在するすべての村々も」

 城塞都市(カム・アー)という言葉を初めて聞いたヴァンパイアたちは、その言葉から何か得体の知れない巨大な魔物のような禍々(まがまが)しさを感じると同時に、その統治者に対する畏怖(いふ)にも(とら)われた。

「そして第一指導者(ヘル・シング)は、とても横暴で残虐(ざんぎゃく)

「それほど多くの民を(たば)ねねばならぬ立場なら」ジョウシがおもむろに口を開いた。「(おきて)も多かろう。時に横暴と見えることもせねばならぬのではあるまいか?」

「あなたの村では、(おさ)が自分の楽しみのために人々を死ぬまで戦わせたり、役に立たないからって売り払ったりするの?」

 ジョウシは息をのんだ。

左様(さよう)なことは論外じゃ」

「だから、わたしは行きたくないの。たとえ、生まれ故郷であっても。あんな第一指導者(ヘル・シング)のいるところへ戻るくらいなら、死んだ方がましよ」

「故郷?」

 意外なその言葉にタンゴは思わず声を上げ、ファニュは小さく(うなず)いた。

「なぜだい。親や兄弟だっているんだろ。その城塞都市(カム・アー)とやらに?」

 首を横に振る少女に若いヴァンパイアたちの同情が集まった。肉親を失うということは、この過酷な世界で生き抜くことを、よりいっそう困難にする。それはヴァンパイアにも理解できることだからだ。しかもファニュの説明が真実なら、家族はその第一指導者(ヘル・シング)の手に掛かって死んだとも考えられる。だが少女は彼らの考えを否定した。

「たぶん、あなたたちはあたしの親や兄弟が死んだか、殺されでもしたかと思ってるんでしょ。違うわ。親から生まれて兄弟がいる人間もいる。でも、あたしは違う。規格に合わなかったから、まだ幼い頃に隊商に下げ渡された。わたしには初めから親も兄弟もいない。あったのは人口子宮(ホーリー・カプセル)っていう機械。あたしはそこから生まれたけど、規格外品(でき損ない)。規格に合わない子供たちは、役たたずの烙印(らくいん)を押されて、動けなくなるまで(つら)い使役労働が待ってる。でも、あたしは、まだマシな方。たまたま(みつ)ぎ物を持ってきた隊商に下げ渡されたから」

「すまないけど、君の言ってることが、僕にはさっぱりわからないんだけど」と、タンゴがおずおずと(たず)ねた。

「言った通りよ」

「僕らの政府(チャーチ)が、人間の……その……横暴で残虐な第一指導者(ヘル・シング)がいるところで……君は人間なのに、機械(からくり)から生まれた?……」

機械(からくり)から人が生まるるなど、聞いたことがないが」

 ジョウシも腕を組んで考え込む(かたわ)らで、チョウヨウがファニュに声を掛けた。

「つまりは、もの凄く(つら)い生活を意に反して味あわされたってことだな。それは間違いないな?」

 黙って(うなず)くファニュは今にも泣き出しそうだった。

「だから行きたくないんだな?」

 更なる問いかけに、ファニュの(ほお)を透明な涙が伝った。そして(かか)え込んだ(ひざ)に顔を埋めた。

「だったら行こう」

 チョウヨウの(りん)とした声が響いた。その決断に三人の若いヴァンパイアから次々と疑問の声が上がった。そんな旅仲間を無視して、チョウヨウは少女を力づけるように、その肩に両手を置いた。

(つら)い思いをさせられたんなら、やり返してやりな。でないと、この先、自分の靴のつま先ばかり(なが)めて歩き続けなきゃならない一生だぞ。お前はそれでもいいのか?」

「でも……」と、顔を上げたファニュの声は(かす)れていた。

「いいのか、それで?」チョウヨウは、なおも言葉を()いだ。「あたいも姉ちゃんが変わり者だったお陰で村の中じゃ随分と(いじ)められたよ。でも姉ちゃんを嫌いになったり、自分が可哀想なんてこれっぽっちも思わなかった。悪いのは、あたいや姉ちゃんじゃない。あたいらの前に不当に立ち(ふさ)がった(やつ)らなんだ。だから、お前も自分の前に立ち(ふさ)がる(やつ)なんぞぶっ飛ばしてやれ。過去と対決しろ。皆、そうして生きてくんだ。ヴァンパイアだろうが、人間だろうが関係ない。そうしないと本当に後悔するぞ。その第一指導者(ヘル・シング)とかいうフザけた奴の顔を思いっ切り踏んづけてやれ。そうすりゃ、もっと上を向いて生きられる。あたいらも手を貸してやる。そうだろ、みんな」

「チョウヨウ……」

 呆気(あっけ)にとられる仲間たちの中で、ファニュが大柄(おおがら)な女ヴァンパイアの名前を初めて口にした瞬間だった。

「これで決したのぅ」と、ジョウシがフッと息を吐きだした。

 ナナクサはチョウヨウの心変わりを彼女らしいと感じて苦笑した。そしてその決断を(いさぎよ)く受け止め、小さく(うなず)いてみせた。それが合図でもあったかのようにタンゴは「さすがチョウヨウ。そうこなくっちゃ」と大声を上げると、彼女の背を大きな手でどんと叩いた。

「ただし!」と、背中を叩かれたヴァンパイアが皆の注目を集めた。

「今度は何じゃ?」

 場の盛り上がりを制したチョウヨウに小柄(こがら)なヴァンパイアが応じた。

「デイ・ウォークの記念品を、まず手にしてからだ」

「何だって……正気かい?!」と、タンゴが声を上げた。

「あぁ、正気だよ。それから皆で政府(チャーチ)喧嘩(けんか)だ。たとえ、それでどんな結果になってもな。これがあたいの条件だ」

 その提案に、最初ぽかんと口を開けていたジョウシはパーティの代表であるかのように重々しく(うなず)いた。

「亡き友に代わり、改めて礼を言うぞ、チョウヨウ」

「勘違いすんじゃないよ、チビ助」と、いつものようにチョウヨウが(おう)じた。「あたいは自分自身のために行くんだ。自分が納得するために。皆もそうだろ。それに、こう謎が多いと夜の寝覚めも悪いしな」

「確かに」と、ナナクサも同意した。「それに記念品を手にした大人として政府(チャーチ)と話をする方が軽く見られないだろうしね」

「デイ・ウォークをやり()げてから政府(チャーチ)との喧嘩(けんか)か。それにしても欲張りすぎやしないかい?」と、タンゴ。

「あたいは欲張りなんだよ」

 チョウヨウは亡き姉の口癖でタンゴに(おう)じるとナナクサに片目をつぶってみせた。そんなチョウヨウに理解を示すように、ナナクサも微笑み返した。

「でも、そうは言っても二つのことを同時にこなすとなると、肝心なのは旅の期限だなぁ……」

 考え込むタンゴの一言に皆が黙り込んだとき、人間の少女が恐る恐る口を開いた。

「それには力を貸せるかもしれない」

 ファニュは、その場に立ち上がると皆を後ろに向かせた。

 そこには(あるじ)を失った隊商の(そり)の横で雪走り烏賊(スノー・スクィード)たちが、のんびりと体を丸めていた。


               23

 厳しい徒歩の旅路を経験してきたヴァンパイアの一行にとって(そり)での行程は、この上なく快適なものだった。なぜなら彼らが荷台に張られた分厚い(ほろ)の中で眠っている昼間も(そり)は雪を蹴って進み続けたからだ。

 少女は昼間に雪走り烏賊(スノー・スクィード)(ぎょ)しては休ませ、また走らせては休息させることを繰り返し、夜はヴァンパイアの若者たちが交代で慣れない手綱(たづな)を慎重にさばいた。そんな中、人間とヴァンパイアは生活サイクルの違いで語り合う時間こそ多くはなかったものの、少ない時間を有効に使って互いを深く理解しようと努めた。特にヴァンパイアの若者たちを一様(いちよう)に感心させたのはファニュの手綱(たづな)さばきだった。元来、家畜を含めて、一切の生物を使役する文化を持たない彼らにとって、生物を自在に操る少女の能力は驚嘆に値した。その反面。少女は新たな仲間たちの人間離れした身体能力に目を見張った。実際、彼らは人間の大人十人以上の力を要するであろう、ひっくり返った隊商の大橇を僅か二人で元通りにしただけでなく、休憩時間に逃げ出した雪走り烏賊(スノー・スクィード)の一頭を疾風(しっぷう)よりも速く走って押さえ込んだり、十メートル以上の高さを持つ巨大な氷塊の天辺に、ひとっ飛びで着地をすると、(はる)か数キロ先の様子まで観察してくれたりしたのだ。

 互いに危険な敵だと教え込まれていたヴァンパイアと人間の奇妙な旅は、早くも二週間目を迎えようとしていた。


               *

 夕暮れの中、時々(いなな)いては雪を蹴上げる四頭の雪走り烏賊(スノー・スクィード)の走りは力強いものだった。大きな荷台の後部にはナナクサとジョウシが座り込み、(はる)か彼方の氷原に沈みゆく太陽を遮光ゴーグル越しに眺めやっていた。タンゴとチョウヨウは雪走り烏賊(スノー・スクィード)を操る更なるテクニックと、方違へ師(かたたがえし)のように星座から方位を知る(すべ)をファニュから学ぶため、彼女を(はさ)んで馭者(ぎょしゃ)台に座っていた。

 (そり)の荷台後部で、突然ジョウシがくすくすと笑い出した。「どうしたの?」というナナクサの問いかけに、なおも笑いを噛み殺しつつ、ジョウシが口を開いた。

「しかし、分からぬものじゃな。ほんの少し前まで、我れはあの人間に寝首をかかれるのではないかと、内心気が気ではなかったのじゃが」

「ファニュは仲間よ」と、ナナクサがたしなめた。

「チョウヨウなどは『小娘』と呼んでおるぞ。まぁ、我れのように『チビ助』と呼ばれるよりはマシではあろうがな」

 今度はナナクサもジョウシと共に笑った。ほんの少しづつではあるが、一人の人間の参入で、三人の仲間を失った若いヴァンパイアたちの痛みは少しずつではあるが(いや)されようとしていた。

「私は何と呼ばれてるんだろ?」

唐突(とうとつ)に何じゃ」ジョウシはが(こた)えた。「そなたはナナクサ。チョウヨウがチョウヨウと呼ばれておるように、ただただナナクサじゃ。大食いのタンゴも、そうとしか呼んではおらぬであろう」

「もう、とっくに大食いをしなくなったのにタンゴの渾名(あだな)だけは何ともならないわね」

「うむ、そうじゃな。じゃが、ファニュは相変わらず、あの大食いを『天使さん』と呼んでおるがな」

「天使さんか……初めはファニュの家族の名前か何かだと思ってたけど」

「家族はおらぬとのことじゃからのぅ。『天使さん』とは、いったい誰のことであるのやら」

「さぁ。彼女は教えてくれないわ、今でも」

「なぜであろうか?」

「わからない。でも、天使の由来を聞いたときには、いつも恥ずかしそうにしてるから」

「では、あ(やつ)の想い人か?」

「想い人……さぁ、どうかしら」

 そう(こた)えながら、ナナクサはタナバタと空を滑空した時、身体に感じた力強い彼の腕の感覚を思い出した。そしてジョウシの横顔を見て過去を(さかの)っているのが自分だけではないことに気付いた。

「ジンジツにも色々と渾名(あだな)を付けたわね、私たち」

「そうじゃな」とジョウシがどこか(さみ)しそうに(おう)じた。「身勝手で生意気であったゆえ、我れもジンジツには色々と付けたのぅ」

「例えば?」と、ナナクサ。

「“石頭”に“筋肉バカ”」

「そう言えば、“銅鑼(どら)声マッチョ”ってのもあったわね。他には?」

「一日に一つは付けておったからな。多すぎていちいち覚えてはおらぬよ」

 二人のヴァンパイアの娘たちは声を(そろ)えて、また笑い声を上げた。

「それにしても、よく喧嘩してたわね、あなたたち」

「口を開けば喧嘩じゃったな。じゃが、不思議と後には残らぬ奇妙な喧嘩じゃった。いつの頃よりか喧嘩をせぬ日は、かえってイライラとしたものじゃ。腹が立つのに気になる。そんな日々であったな……」

 ジョウシの物言いは、いつしか過去を懐かしむ年老いた村長(むらおさ)のようになっていた。

「生まれも育ちも、価値観すら違う赤の他人が、このデイ・ウォークに(つど)うた。そして互いを知れば知るほど、互いを大切に想うようになった。分からぬものじゃ……誠に分からぬものじゃ」

 ナナクサはジョウシの言葉を聞きながら、それこそが、この過酷なデイ・ウォークの真の意味ではないかと思った。そして、その思いは無意識に言葉となって口をついて出たらしい。ナナクサとジョウシの間に引き()まった身体を割り入れたチョウヨウが、どさりと腰を下ろすなり口を開いた。

「デイ・ウォークの真の意味は、真の成人にふさわしいかどうかを試す過酷なテスト。それ以上でも以下でもねぇよ。それにしても、えらく神妙に話し込んでたじゃねぇか、二人とも」

「そなたこそ。まだ交代でもあるまいに、何ゆえ戻って(まい)った?」

「あの小娘」チョウヨウは、ちらりとナナクサを盗み見て、言い直した。「ファニュが腹が減ったって、また食べ始めたんだ……うぅ、気持ち悪りぃ。思い出しただけでも吐きそうだ。人間てのは、生き物の身体をよく喰えるな。恐ろしいったらないよ、まったく。しかも喰ってんのは雪走り烏賊(スノー・スクィード)の脚を干したやつだよ。目の前で一所懸命(いっしょけんめい)に走ってくれてる(やつ)らの肉だよ。それを噛みちぎっては、くちゃくちゃと」

 チョウヨウはぶるっと身を震わせると両目を固く閉じて(ひざ)(かか)えた。

雪走り烏賊(スノー・スクィード)の脚は、切っても無限に生えてくるらしいわよ。で、タンゴは?」と、ナナクサ。

「いつもと同じ。色々と人間のことを聞いてるよ」

「研究熱心なことじゃ。探究心が高じて、あ奴が烏賊(いか)の脚を喰うようにならねばよいが」

「嫌な想像すんなよ、チビ助」

「でも、もともとは大食いだから好奇心が勝つかもよ」

「あんたまで、なんてこと言うんだい、ナナクサ。で、デイ・ウォークの話の前は何の話をしてたんだい?」

渾名(あだな)の話かな」

渾名(あだな)……何だ、そりゃ?」

 ヴァンパイアの若者たちを乗せた(そり)は、政府(チャーチ)が存在するであろう北を目指して夜の雪原を走り続けた。


               24

 新しい情報は第一指導者(ヘル・シング)の耳に入る前に必ず補佐長を経由する。そして、その情報は時には微妙に()じ曲げられ、またある時は大部分が削除されて伝えられ、あるがままの姿を(さら)すことは決してなかった。それは過去からもそうであり、未来もそうなるし、現在も変わってはいない。だが、これを歴代の補佐長の不法行為だと一刀両断にしては彼らがあまりにも浮かばれないだろう。彼らは彼らで、修正された情報をもたらすことで数少ない人類を、第一指導者(ヘル・シング)の暴走から守ってきたのだ。そう。彼らの蛮勇(ばんゆう)と言う名の災厄(さいやく)から。

 古来より、表舞台に出ないこの情報操作の証拠はいくらも存在するとされたが、(いま)だ確たる(あかし)を手にした者は、第一指導者(ヘル・シング)はおろか誰もいない。なぜなら、それらは補佐長に()く者に口伝(くでん)という形で連綿(れんめん)とバトンタッチされていく性質を持っていたからだ。例えば、化け物(ヴァンパイア)退治の名の下に無理な物資徴発を()いられた村々の連鎖暴動を、帳簿の改竄(かいざん)という手段で未発に終わらせたこともあるし、あまりにも(ひど)い戦士徴用で村々どころか、隊商の働き手まで底をつき、それでなくとも脆弱(ぜいじゃく)な人類の補給路と情報伝達網が枯死(こし)してしまう寸前、第一指導者(ヘル・シング)人口子宮(ホーリー・カプセル)の稼働率を大幅に上げさせて制動をかけたことすらあった。歴代の補佐長たちが頭を悩ませてきた、こういった操作は、まさに人類社会を維持する生命線だったのだ。だからこそ社会全体に関わる大きな危機の予兆を見逃す()だけは(おか)すことはできない。十数世代に一度の割合で、第一指導者(ヘル・シング)暴虐(ぼうぎゃく)を上回るであろう、ヴァンパイア危機(クライシス)は確実に起こると言われているのだから。


               *

 レン補佐長は城塞都市(カム・アー)の中心部にある円形闘技場内の第二執務室にいた。そして、その一角に位置する謁見(えっけん)の間の豪奢(ごうしゃ)極まりない椅子の前にかしづいた隊商の世話役からもたらされた情報に眉をしかめた。

「もう一度聞くが、その話に間違いはないのだな」

 レン補佐長は、それとわからないくらい椅子の中で身じろぎした。

「私どもの、お話を信じちゃもらえないんで」

 本当は否定して欲しかった気持ちを見透(みす)かされたような気がして、レン補佐長は苛立(いらだ)ち、目の前の男には寛容(かんよう)さよりも、より大きな威圧で対応することに決めた。

「昨今は不穏な噂を流すことで物資の交換比率をほしいままに操ろうとする(やから)がいると聞き(およ)んでいるのでな。もし、お前がそうなら罰せねばならん」

「いえ、滅相(めっそう)もございません」と、抗議の目を()まれた男は首をすくめた。「本当でございますとも。その証拠に()られた(やつ)らの死体を持参いたしました」

「なに!」と、レン補佐長は驚きも隠さず声をあげた。「お前は、この城塞都市(カム・アー)に汚染された死体を持ち込んだと言うのか。呪われた死体が(よみがえ)りでもしたらどうするつもりだ。何と無謀な!」

 (ささや)くより大きな声を出したことがないと信じられていたレン補佐長の怒声に、その場にいた警護の戦士たちは身構え、世話役はますます縮こまった。

「お前は大きな害悪を持ち込んだと言うのだな」

「い、いえ」と、今では真っ白な石の床に()いつくばった男は声を震わせた。「私どもは何もそんな……念の為に胸に鉄杭(てつくい)を打ち込んで、三日三晩、生き返らねぇか確かめた上でのことでさぁ。決して悪気があったわけじゃございません。どうか、どうかお慈悲(じひ)を」

 世話役が()った処置を聞いたレン補佐長は一応(いちおう)胸を()でおろしたものの、どうしても(じか)に死体の見聞(けんぶん)をしなければならない衝動に突き動かされた。それは人類を守るという崇高な使命感からのものではなく、多分に自分自身の安全を確認したいがための個人的なものだった。だが、それを誰も責めることなどできないだろう。それほど十数世代に一度のヴァンパイア危機(クライシス)は代々、補佐長職に()く者の心に耐え(がた)い恐怖として刻みつけられていたからだ。

「案内してもらおうか」

 レン補佐長は男を()かすと警護の戦士を(ともな)って、長い廊下を渡り、いくつもの分厚い門をくぐり抜けると滅多に出ることはない極寒の外へ足を運んだ。

 補佐長は一歩外へ出るなり、快適な温度に保たれていた執務室に逆戻りしたい誘惑にかられた。誘惑にかられながらも威厳を(たも)った無表情を維持することだけは忘れなかった。城塞都市(カム・アー)は過去の歴史に見えた近代的都市の喧騒も活気もない、ほとんど白銀に(おお)われた世界だった。それでも、そこかしこに都市―――過去に人々で賑わったであろう廃墟―――に(とど)まることを許された規格外労働者たちの姿は、ちらほらと散見(さんけん)された。補佐長が装飾が(ほどこ)された専用(ぞり)の中から、そんな光景を眺めながら最外縁の城門近くに到着すると、すでに人だかりができていた。

 規格外労働者と徴用された準戦士たちで構成された人だかりは、(そり)から降り立った滅多に見ない補佐長の絢爛(けんらん)な衣装には無頓着(むとんちゃく)だった。だが、その人々はレン補佐長よりも彼が従えた二人の戦士が自分たちに何か危害を加えるのではないかと水が引くように、その行くてを大きく開けた。

「これだな」

「へい」

 レン補佐長は(おお)いが掛けられた隊商の(そり)の荷台が膨らんでいるのに目に留めた。それに気付いた世話役が()み手をしながら補佐長に(ささや)いた。

「なにぶん、数が多かったもので」

「そうか」

 反射的にそう(おう)じたに過ぎないレン補佐長の言葉を自分に説明を要求されていると曲解(きょっかい)した世話役は語を()いだ。

「東へ移動中、うちの雪走り烏賊(スノー・スクィード)どもが急に(とま)っちまいましてね、えぇ。それも全部でさぁ。で、手綱(たづな)を引いても鞭をくれても動かないんで、周りを調べてみたら。雪の中から出てくるわ、出てくるわで、はい。驚いたの何のって」

「もう、いい」

 レン補佐長は、聴衆の注意を引くように、右手を上げ、わざと大袈裟(おおげさ)にそう言うと、同行させた世話役に死体を見せるように(うなが)した。世話役は、もったいぶった様子で頭を下げると、(そり)馭者(ぎょしゃ)台に目配(めくば)せした。馭者(ぎょしゃ)台にいた二人の商人は、荷台に降りると触るのも(はばか)られるかのように(そり)(おお)いに手を掛けて一気に払いのけた。

 集まった聴衆の間から、息をのむざわめきと押し殺した悲鳴が同時に()き起こった。それは戦士同士のいさかいや第一指導者(ヘル・シング)の気まぐれから時おり生み出される死体を見慣れているレン補佐長ですら絶句するものだった。しかし彼は口に手を当てながらも死体の数々をつぶさに見聞(けんぶん)しはじめた。もちろん、それでいてこの惨状を前に威厳を(たも)つにはどうすべきなのかを考えながら。

 死体は商人だけでなく戦士のものもあった。身体を半ばで切断されたものや折り紙のように折り(たた)まれたもの、果ては、どんな手段を使ったのか、子供くらいの大きさに縮められてミイラ化したものまで。そして全てに共通するのは。

「傷口からの出血がある者もいるが、それにしては死体があまり血で汚れておらんな」

「へい」

 世話役の返事は短いものだった。

「人間(わざ)とは思えん」

 レン補佐長の(つぶや)きにも似たその言葉に世話役はごくりと唾を飲み込んだ。

「ですから、先ほども申し上げましたが、念の為に死体全部に杭を打ち込んだんでさぁ」

「その際、血は流れ出なかったのだな、一滴たりとも?」

 レン補佐長の念押しに、世話役だけでなく、彼の周りの聴衆も息をのんだ。

「へい。干した烏賊(いか)の肉みてぇに、ただの一滴も」

 数瞬の後、レン補佐長は衣装を(ひるが)すと死体の山を凝視し続けている二人の戦士に向き直った。

「ヴァンパイア危機(クライシス)だ」

 そう断言しながら、レン補佐長は気分が地の底まで沈んでいくのを感じていた。よりにもよって自分の時代にこんな最悪が巡り合わせるとは。しかも最近行われた第一指導者(ヘル・シング)の気まぐれな大規模出征(しゅっせい)で、いま城塞内には正規の戦士が不足している。もちろん、第一指導者(ヘル・シング)からすれば、そんなことは問題にもならないのだろうが、この機に際して愚かな楽天家でいることなど真面(まとも)な思考力を持つ者にはできはしない。レン補佐長は過去の補佐長たちからの口伝(くでん)で何か助けになるものがないかと頭を目まぐるしく回転させはじめた。


               25

 城塞都市(カム・アー)から進発した屈強な戦士集団は三百名を超えていた。そろそろ他の辺塞(へんさい)からも、それに負けず劣らず優秀な戦士達が合流して、第一指導者(ヘル・シング)の命令通り、ヴァンパイアの巣を一つ残らず叩き潰す長期遠征に入ることになる。最終的には(そう)兵と弓兵、総勢五百名を超える大規模遠征部隊は史上類を見ない。そんな集団に身を置く戦士達はみな誇らしげで士気も高く、また興奮もしていた。だが、その熱病にも似た士気は見渡す限り何もない白銀の世界に徐々にではあるが確実に()ぎ落されていった。そして、それと反比例して単調な行軍だけの日々がもたらす鬱屈(うっくつ)だけは泥のように彼らの体内に(よど)みはじめていた、ヴァンパイアの若者たちがかつてそうであったように。

 そんなある日の夕暮れに事件は起こった。元来、戦うことだけを要求され、そのように調整されて人工子宮(ホーリー・カプセル)から生まれてきた戦士は多分に気が短かく粗暴(そぼう)でもあった。合流した部隊同士が些細(ささい)な言い争いから小競(こぜ)り合いを生じさせ、それを契機にまたたく間に、そこかしこで戦士同士の殺し合いに発展してしまったのだ。部隊長以下、卒長(そつちょう)たちが事を収めたときには四十七体の切り刻まれた死体が雪の上に転がっていた。十分の一近い戦力を無為(むい)に失い、怒り狂った部隊長は生き残った関係者、五人を自らの手で即刻、斬首に処すと部隊全体の行軍を停止した。そして再編のため、その地に逗留(とうりゅう)することを余儀なくされた。もちろん彼は、その期間に厳しい戦闘訓練を課したことは言うまでもない。

 それから一週間も()たない間に、周辺警戒に出していた物見(スカウト)から一台の(そり)が単独でやって来るという連絡がもたらされた。


               *

 (いくさ)は、ただの喧嘩から端を発する殺戮(さつりく)ではなく十分に統制が取れた中で行われる殺戮(さつりく)でなければならない。第一指導者(ヘル・シング)からの、そんな(いまし)めを思い出した部隊長は配下の卒長(そつちょう)を通じて、すべての部下に再度の訓示を行った。

 (そり)であれば、少なくとも商人どもが二十名は乗っているはずだ。弓兵にその足を停めさせ、(そう)兵の突撃に移る。戦い慣れはしていなくても彼らは少しくらいは反撃もしてくれるだろう。可哀想だが大事の前だ。再編した部隊がきちんと働くかどうか見てみたいし、仲間を失って意気消沈している戦士たちもいるだろう。その者たちの士気を鼓舞(こぶ)する手伝いにもなる。商人どもは(なぶ)り殺しになるがせいぜい部下たちの相手をしてやってほしいものだ。だから、すぐに死んでくれるなよと部隊長は(そり)に乗っているであろう罪もない獲物どもに身勝手な(がん)を掛けた。


               *

 夜空を切り裂く(かす)かな風切り音に、最初に気付いたのは馭者(ぎょしゃ)台にいたタンゴだった。音がする方向に視線を転じた彼の目に、遠くから大きな弧を描いて飛来する矢が、月明かりを浴びてきらきらと(またた)いた。

「あぶない。何かくるぞ!」

 今では大自然だけが脅威ではないと学習したタンゴから咄嗟(とっさ)に発せられた警告にファニュもいち早く反応した。彼女は手綱(たづな)を強く引っ張って(そり)に急制動を掛けるや(いな)や、堅固な馭者(ぎょしゃ)台の下に(もぐ)り込んだ。夜盗の襲撃に(さら)されることもあった隊商にいた頃から身に染み付いた習性だった。片や、警告を発したタンゴやヴァンパイアの娘達は、ファニュが持ち得た習性を持ってはいなかった。急制動によって崩されたバランスを立て直すと、矢が()り成す夜空の天体ショーに、ただ顔を上げ、それらが眼前に迫ってくるまで見とれていた。そして人間であれば回避しようがないところまで矢が迫ったとき、矢と死が心の中でようやく結びつき、眠っていた生存本能を目覚めさせた。

 普通の人間ならハリネズミのようになるはずの攻撃は、ヴァンパイアのスピードに今一歩(およ)ばなかった。彼らは馭者(ぎょしゃ)台の上や(ほろ)の上で人間の目には止まらぬ素早さで、空間を埋め尽くす矢を一本残らず素手で叩き落とした。しかし、叩き落としたのは、あくまでも自分たちに向かって飛んでくる矢だけであって、他を考える余裕はなかった。哀れな雪走り烏賊(スノー・スクィード)たちに向かったそれらは、温厚な動物の命を次々に奪い去った。そして第二の斉射(せいしゃ)が、またも(そり)に降り注いだ。


               *

 部隊長は、突撃の代わりにゆっくりと接近するよう、(そう)兵たちに今一度、命令を徹底した。なぜなら、興奮して射撃停止の命令が耳に届かない弓兵たちの姿を目の当たりにして、この先の無秩序な戦闘を想像したためだった。

 腐肉に群がる黒蟻のように戦士たちは(そり)に吸い寄せられていった。部隊長はそんな戦士たちに一瞥(いちべつ)をくれると、個々の戦闘指揮を卒長(そつちょう)たちに任せ、自分は指揮(ぞり)を獲物が見える小高くなった丘まで進めさせた。そして部隊長の(あかし)である双眼鏡(とおめがね)を目に当てると見渡す限りの銀世界を自分のものでもあるかのように悠然(ゆうぜん)と見渡し、次に隊商の(そり)に焦点を絞った。無数の矢を受けた獲物は綿毛を生やした芋虫のようだった。だが、その周りを固める戦士たちは、獲物を(むさぼ)る静かな興奮や達成感に酔い()れるでもなく、ただ困惑に支配された表情を浮かべていた。不審に思った部隊長は双眼鏡(とおめがね)から目を離すと、彼らを困惑させた根源を探るべく、指揮(ぞり)を丘から移動させ、並みいる戦士たちの間に割り入れた。そして荒々しく人垣を()き分けて大股で商人の(そり)まで近づくと、戦士たちの疑問を怒声に載せて自らが口にした。

「乗っていた者どもは、どこだ?!」

 無数の矢が突き立った(そり)には屍体はおろか、動くものが全く見当たらなかった。部隊長の疑問は戦士たちからの無言で報われた。回答が返ってこないのに苛立(いらだ)った彼は、再び乗っていたはずの商人たちが、どこへいったのかと大声を上げ、沈黙が答える前に自ら馭者(ぎょしゃ)台に飛び乗ると鼻息も荒く辺りを見回した。箱型の荷台の上や内部、また(そり)の下をしきりに(やり)で探っていた戦士たちは何も言わず、ただ首を横に振り、怒れる部隊長に答えを求めるかのように視線を向けるだけだった。(ごう)を煮やした部隊長は(そば)にいた(そう)兵の胸ぐらを(つか)んで更に声を荒らげた。

「これに乗っていた商人どもは、いったいどこに行ったと聞いている!」

 この(そう)兵も首を横に振るのみだった。部隊長は役に立たない部下を雪の上に蹴り落とすと、抑えきれない怒りをぶつける対象を探し回るかのように自分も地上に飛び降り、イライラとその場を歩き回った。そして弓兵が唯一、射止めることが出来た雪走り烏賊(スノー・スクィード)の屍体を(うな)り声とともに勢いよく蹴り上げた。しかし、それでも怒りが収まらない部隊長は、自分の指揮(ぞり)に戻ると、()さを晴らすかのように貴重なキャンバス製の(ほろ)を自らの大剣で何度も切り裂き、支柱から鈍い金属音と火花をほとばしらせた。そして静まり返る一団に振り返って卒長(そつちょう)たちを呼び寄せ、遠征を再開するぞと、がなり立てた。卒長(そつちょう)たちが発する命令が聞こえる中、部隊長は不完全燃焼の巨体をどさりと指揮席に沈めた。丁度そのとき、それが彼の目に入った。違和感だった。取り立てて何と言うこともないほど些細(ささい)な引っ掛かりだった。しかし、そういった感覚があったからこそ、指導者にただの戦士階級から指揮階級に抜擢(ばってき)されたという事実を彼自身は十分に認識していた。それゆえ部隊長は出発の号令を掛ける前に、しばし口をつぐむと、なおも自分に違和感をもたらせたものを、つぶさに観察した。それは彼の指揮(ぞり)を引く六頭の烏賊(いか)たちだった。

 雪走り烏賊(スノー・スクィード)は温厚な家畜だが、元々は単独生活者なので繁殖期を除いて仲間に頓着(とんちゃく)することは一切ない。二年に一度の繁殖期は今年ではない。それが仲間の屍体に向かってしきりに触椀(しょくわん)を伸ばしているのだ。特に最前列の二頭などは屍体の下に触腕(しょくわん)を差し入れて何かを探っているようにさえ見える。その動きを観察すればするほど、烏賊(いか)の屍体の下に何かあるに違いないと思われた。部隊長はゆっくりと(そり)を降りると、さっき自分が蹴り上げた烏賊(いか)の屍体のところまでやって来て、その屍体に手を掛けた。透明感のある皮膚は既に薄鼠(うすねずみ)色に(にご)りはじめていることからも、この個体が死んでいることは間違いない。近くにいた戦士たちは彼の不可解な行動を敏感に察知して、何が起こっているのかと固唾(かたず)()んで見守っている。

 部隊長は目を上げて周りの戦士たちの顔を眺め渡すと、死んだ個体の手綱(たづな)に手を掛けて一気にそれを引き上げた。ぐにゃぐにゃの巨体は、部隊長の膂力(りょりょく)で、軽々とひき上げられると同時に横ざまに投げ捨てられた。力を無くした触腕(しょくわん)は浴槽に()けられた髪のようにだらしなく、その場に伸び広がった。屍体があった窪みには何もなかった。詰めていた息を吐く音が戦士たちの間に波紋のように伝播(でんぱ)してゆく。しかし、部隊長は見逃さなかった。彼の両目は、屍体が横たわっていた窪みの下に、自分の(そり)烏賊(いか)たちが、なおも触腕(しょくわん)を長く伸ばして、しきりに雪の中を探っているのを。

 部隊長は大剣を引き抜くと、烏賊(いか)たちが触腕(しょくわん)を差し入れている辺りの雪を刺し貫いた。烏賊(いか)たちは驚き(いなない)いて触腕(しょくわん)を引っ込めた。部隊長は剣を引き抜くと、また少し違う所を刺し、もう一度、同じ動作を繰り返した。彼は何か手応(てごた)えがあるまで、それを止める気はなかった。戦士たちも再び息を詰め、指揮階級の一挙手一投足を、固唾(かたず)()んで見守った。そして六度目に剣が刺された時、剣の真横から(たま)りかねた小さな影が雪上に姿を現した。部隊長は片手でそれを(つか)むと目の前に引き上げ、得意そうに部下たちの顔を眺め渡した。どよめきが歓声に変わるのを十分に楽しんだ彼は、それが済むと、活きのいい獲物に視線を転じた。そして「お前は何者だ?」とも、「他の者はどこにいる?」とも聞かず、ただ「お前たちは何人だ?」とだけ口にした。部隊長の頭の中には、自分と部下たちの破壊本能を満足させ得る獲物の数だけが最重要事項だったのだ。

 首をがっちりと(つか)まれて()り上げられた獲物は、その手からナイフを滑り落としてしまっても部隊長の手を振り(ほど)こうと自分の両手を彼のそれに力一杯食い込ませて抵抗を試み続けた。だが岩に爪を立てるように、その巨大な手はびくともしない。のけ()った獲物の頭からフードが外れ、中から目も覚めるような赤毛と若々しいそばかすの浮いた顔が現れた。捕らえられたファニュは苦痛に顔を(ゆが)めながらも口を真一文字に結んで部隊長を(にら)みつけた。

「お前たちは何人いる?」

 ファニュは、部隊長の度重なる問い掛けを無視して、今度は空いている両足を必死にバタつかせて脚で反撃を試みようとした。しかし部隊長の身体はあまりに巨大で、つま先すらその防寒具に触れることは出来なかった。

「馬鹿な小娘だな」部隊長の顔が残酷な喜びに(ゆが)んだ。「早く言えば、すぐ楽にしてやるのに」

 万力のように()め上げられた首の骨が、みりみりと情けない音を立てるのをファニュは耳の奥に聞いた気がした。やがて、空気を求めてパクパク動く口の動きが緩慢(かんまん)になり、目が裏返って意識を失おうとした瞬間、娘は遠くの方で自分の守護天使の声を聞いた気がした。


               *

 天使は雪の中から突然現れた。白い翼こそ無いものの、自分の身体ほどもある大弓に矢をつがえた天使は、部隊長にピタリと狙いを定めて、こう言い放った。

「その娘を今すぐ放せ。さもないと、お前を許さないぞ!」と。

 部隊長との距離は数メートル。幼い頃、雪潜り遊び(スノー・ダイブ)(つちか)った技を使って雪の中から素早く(おど)り出たタンゴは部隊長と遜色ないほど大きな体躯(たいく)をしていた。それを()の当たりにした戦士たちに動揺が走った。まるで巨躯(きょく)を誇る指揮階級同士の私闘のように見えたからである。両者を中心に広がった動揺は、物理的な距離をも(ともな)った。水が引くように彼らの周りから人垣が徐々に後退し始め、両者の間には張り詰めた空気とファニュしか残らなかった。だが、部隊長は新たな状況に戸惑いはしたが、たじろぎはしなかった。なぜなら大弓でこちらに狙いをつけながらも男が臆している匂いを、その震える矢尻から敏感に嗅ぎ取ったからだ。臆している。そう。俺を恐れているのだ。指揮階級か上級戦士並みに恵まれた身体を持ちながら、こいつには決定的なものが欠けているのだ。だから戦士の決断など出来るわけはないのだ。しかし俺は戦士だ。しかも血も涙もない冷徹で抜け目のない指揮階級だ。そう思った部隊長の決断は早かった。

「放さなければ」と部隊長は()えかかった。「俺をどうするというのだ?!」

「その娘を放すんだ!」

(こば)んだら、どうすると聞いてるんだ?!」

「とにかく、その娘を自由にしろ!」

「駄目だ。この獲物は俺のものだ」

「放せと言ってるんだ。放せば何もしない!」

 雪の中から躍り出たタンゴから大幅な譲歩の言葉を聞いて部隊長の確信はますます強固なものなった。

「お前は耳が悪いのか。これは俺の獲物だ」

「放せば何もしないと言ってるんだ。いい加減に言うことを聞けばどうなんだ!」

()れるものなら、()ってみろ。身体だけはデカい根性無しの商人め!」

 タンゴは矢を放った。しかし巨大な大弓から放たれた矢は相手を倒すことはなく、わざと狙点を外されて指揮(ぞり)の分厚い鉄製フレームを突き破り、雪上に深々と突き立った。部隊長は戦士たちを鼓舞(こぶ)し、更にタンゴの優位に立とうと大声を張り上げた。

「恐れるな、戦士たち。強い武器を持とうとも使えなければ意味がない。この腰抜け商人のようにな!」

 そしてニヤリと(すご)みのある笑みを浮かべて、こう付け加えた。「それでよく今まで生き残ってこられたものだ。お前には俺を楽しませてくれた褒美(ほうび)をやろう。この娘の首の骨が砕ける音を楽しむがいい。その後で俺自らがお前を殺してやる」

 ファニュの首に最後の力を掛けようとしたまさにその時、部隊長の眼前にぱっと赤い霧が広がった。怪訝(けげん)に思いながらも腕に力を入れ直そうとして、彼は娘の重さがまったく感じられないことにやっと気づいた。そして目の前に()り下げていたはずの娘の姿がないことに首を(かし)げた。

「タンゴ。しっかりしな!」

 頭一つ分、低いところから女の怒鳴り声が轟いた。部隊長が視線を下に向けると、(たくま)しい体躯(たいく)の女戦士が片手に長剣、自分が捕まえていた娘をもう一方の小脇に抱きかかえている姿が目に映った。伸ばせばすぐに手の届く距離だった。

 はて。こんな女戦士が部隊の中にいただろうか。剣は持っているが防具を一切身に(まと)っていないとは戦士として規則違反も(はなは)だしい。こいつの卒長(そつちょう)は誰だったか。目の前の愚かな商人ともども厳罰を与えてやらねばなるまい。部隊長が更に思案をめぐらそうとしたとき、その女戦士が抱えていた娘の喉から()れ下がるモノが、どさりと雪上に滑り落ちた。部隊長自身の切り落とされた腕だった。

「さぁ!」桃色の短髪をした女戦士は左右に油断なく視線を振り向けながら、それでいて剣の切先は部隊長から微塵(みじん)も動かさず、緊張に張り詰めた声で言い放った。「命が惜しかったら、皆な、とっとと()せな!」

 寒さで萎縮していた血管が、仕事を思い出したかのように部隊長の無くなった(ひじ)の先へ血を流しはじめた。自分に何が起こったのか、ようやく理解した彼は痛みよりも屈辱を。屈辱よりも深い怒りを感じた。身体が傷付けられることなど戦士には(ほま)れでありこそすれ、けっして屈辱ではない。だが、油断から隠れ(ひそ)んでいた敵にしてやられた恥辱は容易に(そそ)ぐことはできない。たとえ女を(なぶ)り殺しても取り返すことは叶わないだろう。怒りと屈辱で心も頭も一杯になった部隊長は一言も発することができないまま、その場に立ち尽くした。

「グズグズすんなよ、人間ども。でないと皆殺しだよ。あんたらはヴァンパイアのあたいらには、到底、勝てっこないんだからね!」

 ファニュを助けたチョウヨウは、自分が腕を切り落とした部隊長が石像のように佇立(ちょうりつ)している姿を恐れからの麻痺(まひ)だと考えた。恐れは容易に伝播(でんぱ)する。それがリーダーであれば尚更(なおさら)だ。幼い頃から喧嘩に明け暮れざるを得ない生活を余儀なくされた彼女は本能的にそれを知っていた。だから彼女は眼前に広がる重武装の人間集団をやり込めるには、片腕になった命令者に精神的な追い打ちを掛けることが今一度、必要だと判断したのだ。だが、それは間違いだったことがすぐに証明された。相手は指揮階級。しかもチョウヨウは相手の心に火をつける、たった一つの言葉を口にしていたからだ。

「ヴァンパイアだと?……」

「そうさ」片腕の指揮者の(つぶや)きにチョウヨウは鋭い剣歯を伸ばしてみせた。「命が惜しかったら、こいつらを連れてとっとと退散するんだね!」

 その宣言に、チョウヨウとタンゴの周りの戦士たちが身を固くして身体の重心を落としはじめた。部隊長の腹は決まった。だが、それはチョウヨウの思惑通りの決意ではなかった。

 彼は思った。今こそ汚名を(そそ)ぐのだと。いや、それだけではない。ただの商人だと思っていた目の前の男女が宿敵のヴァンパイアなら相手にとって不足はない。しかも、奴らが有利な夜戦になるのだ。この状況で(やつ)らを(ほふ)れば、指揮階級の歴史に名を刻める。比類なき英雄として第一指導者(ヘル・シング)を上回る尊敬を集めることができる。何という幸運だろうか。功名心は彼を異常なまでの高揚感で包み込み、手柄(てがら)を早る気持ちは今までズル賢く慎重だった部分を簡単に押しのけた。

「殺せ!」

 即座に反応する戦士がいなかったことに苛立(いらだ)ちながらも、部隊長は、残った手で剣をかざして更なる大声で命令を叫んだ。

「ヴァンパイアどもを滅ぼせ。浄化するのだ。()れ。()れ。()れ!」

 一瞬の静寂の後、戦士たちは雪上にもかかわらず地響きを立て、雄叫びとともに雪崩(なだれ)を打って二人を目掛けて押し寄せた。

 チョウヨウは、呆気(あっけ)にとられながらも自分に向かってくる戦士との間合いを測った。そして相手の剣が突き出された瞬間を見計らって、その肩に飛び乗るや、彼を踏み台にして大きくジャンプすると続く二人の戦士の頭上を大きく飛び越えた。本当は戦士たちのひと山を一気に飛び越えて、再度雪の中に潜り込んで逃げ切ってやろうと考えていたのだが、ファニュを左脇に(かか)えているので、それはできなかった。彼女は着地するや(いな)や、俊敏なアメフト選手のように次々と繰り出される斬撃を紙一重で(かわ)しながら、戦士たちの間を()い、人垣の少ない場所を探して、時折、剣を(ひらめ)かせながら懸命にひた走った。

 その瞬間、もうタンゴにも迷いはなかった。彼は先頭の戦士と続く二人目を一本の矢で難なく射倒(いたお)すと、人間の限界を(はる)かに超えたスピードで二本目の矢をつがえ、それを放った。そして三本目、四本目と次々に戦士たちに致死の矢を放ち続けた。しかし五本目に至ると、さすがに間合いが詰まりすぎて戦士の剣で大弓の(つる)が断ち切られてしまった。タンゴは咄嗟(とっさ)に自分の武器を無力化した戦士と、その隣で自分に向かってきた女戦士の胸ぐらを(つか)むと、彼らを棍棒(こんぼう)代わりに振り回しはじめた。彼に向かってきた後続の戦士たちは、武器と化した仲間の身体に()ぎ倒され、血煙を上て次々に絶命していった。それは、まるで駄々(だだ)っ子が玩具(おもちゃ)を振り回して部屋の中で暴れているようにすら見えた。

 部隊長の目は所詮(しょせん)は人間のそれだった。彼の目には屈強な部下たちが次々と流れるように倒されていくというより、ボーリングのピンがストライクで一気に(はじ)き飛ばされていくように映った。それが絶え間なく繰り返されていく。ヴァンパイアの若者の動きは訓練され、調整を(ほどこ)された戦士の動体視力でも(とら)えきることができなかった。これが宿敵ヴァンパイアの力か。不味(まず)いことになった。圧倒的と思えた兵力が半ダース単位で無駄に()り減らされていくのを目の当たりにした部隊長はそう思った。だが、麻痺しかけた頭で善後策(ぜんごさく)を考える前に彼は死んでいた。その死は自分が(たお)されたことすら感じることができないほど突然で迅速(じんそく)なものだった。彼が最期に目にしたのは明るい満月をバックにした小さな人影だけだった。

 雪の中からイルカのように空高く飛び上がったジョウシは空中で素早く目標を見定めると、両刃の短剣を力一杯に投げつけた。空気を切り裂いた短剣は矢のように部隊長の喉を突き破ると、その巨体を雪上に勢いよく()い付けたのだ。ジョウシは、差し迫った危機が迫る中、仲間たちが(そり)にあった商人が残した武器を手にしていくのを尻目に、最後までそれを手にしようとはしなかった。なぜなら彼女には古くから家に伝わる純銀製のナイフという武器があったからだ。しかし、最終的には自分が扱いやすいと思った両刃の短剣を数本、手にすることにした。彼女としては家宝を人間の血ごときで汚したくなかったという意識が働いてのことだったのだろう。

 部隊長を倒したジョウシは軽やかに(そり)(ほろ)の上に着地すると、彼女と同じように最後まで武器を手にしようとしなかったナナクサの姿を戦場に探し求めた。命を助ける薬師(くすし)ゆえに命を奪うことができるかどうか。戸惑った末に自らの命を相手に差し出す()(おか)してしまうのではないか。それは彼女なりにナナクサを心配してのことだった。

 しかし、その心配をよそにナナクサも懸命に闘っていた。しかしそれは相手の命を奪うというより、自らの命を守ることを主眼にした闘い方だった。彼女はジョウシが飛び出したのと、ほぼ同時に雪の中から踊りだし、戦士たちの武器を狙って、両手に握った二本の細身の剣を舞わせていた。彼女の周りでは、時折、血煙を上げながら武器を持ったままの戦士の腕が舞うことがあったが、大部分は武器と武器がぶつかり合って生じる明るい火花に(いろど)られていた。だが、戦士たちは、最初は少し(ひる)んだものの、やはり死兵だった。闘うことと死ぬこと。そして何より命令に盲従することだけを徹底的に()り込まれた彼らは、ナナクサの思いとは裏腹に武器を(はじ)き飛ばされても新たな武器を引き抜いて向かってきた。武器を無くしても歯を()いて素手で突進してきた者さえいた。倒されても倒されても、生きている限り、何度でも起き上がった。もはやそれは蛮勇(ばんゆう)ですらなく、歩いたり、水を飲んだりすることと同じで、生活の一部だったのだ。彼らには部隊長が死んでも、彼の命令だけは生きていた。


               *

 ナナクサは腹立たしかった。命を奪いたくないのに、それをわざわざ差し出すような闘い方をする愚かな人間たちに心底腹が立った。腹立ちは頭の奥に激しい痛みとなってズキンと響き渡った。しかし痛みに(さいな)まれながらも、心は今まで感じたこともないほど高揚感に満ち満ちてもいた。そして頭の片隅では自分で自分の身体が徐々に上手くコントロールできなくなってくるもどかしさを感じてもいた。それに心なしか斬撃のスピードと致命傷を負わせる回数が増したように思われる。初めての闘い。初めての殺戮(さつりく)では誰もが今の自分と同じようになるのだろうか。でもどこか変だ。まったく変だ。雪の中で人間たちの襲撃に(さら)されていた時は恐ろしさで歯の根も合わないほどガタガタと震え続けていたのに今では闘いに喜びすら感じる。いや喜びどころか殺戮(さつりく)への欲望に恐怖ではない武者震(むしゃぶる)いが身体中を駆け巡っているのだ。さっきまで鼻の奥を刺すようだった刺激臭もいつの間にか気にならなくなっている。この感覚はいったい何なのだろう。タンゴやジョウシ、それにチョウヨウも同じように感じているのだろうか……。

「それで良いのだ」

 ナナクサは頭の中に、そう声がした気がした。

「それで良いのだ」

 まただ。何が良いものか。こんなことになるなんて望んでなんかいない。私はただ過酷な成人の儀式を終えたいだけだ。仲間たちと一緒にそれを終えたいだけだ。そう(あらが)えば(あらが)うほど、さっきの幻聴が繰り返され、痛みがズキズキと頭の中を(さいな)んで荒れ狂う。

「少しずつ(あらが)う心を(こそ)げ落としてやろう」

「うるさい!」ナナクサはその声に思わず怒鳴っていた。

「それで良い。少しずつ……少しずつ」

 それでも頭に響く幻聴を振り払おうと、ナナクサはもう一度怒声を発すると、自らの剣で左の二の腕を刺し貫いた。激痛は狙い通りに幻聴を追い払ってくれた。だが、そんな彼女の視線の先では軽やかに飛び跳ねながらナイフを振るって死の斬撃を量産し続けるジョウシがいた。丁度、二人の戦士を倒して、部隊長の(そり)の荷台に着地したジョウシと目が合った。彼女の顔は苦痛と喜びに(ゆが)み、その目は真っ赤に染まっていた。それを見た途端、ナナクサはさっきまでの刺激臭が意味することを迂闊(うかつ)にも忘れていたことに気が付いた。彼女は無性に腹が立った。さっきのとは違う自分自身の愚かさに対する怒りだった。

「ジョウシ!」

 ナナクサは仲間の名を叫ぶと、まだ身体が言うことをきく間に彼女に合流しようと戦士の間を駆け抜けて跳躍した。それでも行き着けないので、同じことを繰り返して、三度目に跳躍した時、空中にいたジョウシに抱き付き、二人して(そり)(ほろ)の上に落下した。(ほろ)は二人のヴァンパイアが落下した衝撃で裂け、その身体は荷台の硬い床に転がった。

「ジョウシ!」

 ナナクサはジョウシに馬乗りになってその両肩を押さえつけながら彼女に呼び掛け続けた。

「ジョウシ。しっかりして。ジョウシ。ジョウシ!」

 ジョウシは牙を()いて獣のようにナナクサに()え立てた。

「しっかりして。自分を取り戻すのよ!」

 ナナクサはジョウシの(ほお)を平手で思い切り張った。その見返りにジョウシは短剣を一閃させて彼女の(ほお)を深々と切り裂いた。ナナクサはジョウシの短剣を(はじ)き飛ばすと彼女を再び押さえつけた。ナナクサの(ほお)から流れる冷涼(れいりょう)な血潮がジョウシの顔にポタポタと降り注いだ。ナナクサの身体の下でジョウシは激しく(あらが)い続けた。

 永遠とも思える数瞬が過ぎ去り、ジョウシの抵抗が止んだ。

「ナ、ナナクサか?……」

「ジョウシ……」

 苦しそうな息の中、既にジョウシの瞳は澄み、小さな顔には小生意気さをまとったいつもの表情が(よみがえ)りつつあった。

「いったい我れは……そういえば闘うておる最中に……」

「もう大丈夫ね?」

 ジョウシは(いま)だに残る頭痛を振り払うように、頭を左右に振った。ナナクサの深く切り裂かれた(ほお)の傷は左腕のそれと同じようにヴァンパイアの治癒力(ちゆりょく)(ふさ)がり、今ではピンクのミミズ()れほどに回復している。彼女はジョウシの上から身体をどけた。

魔薬(まやく)よ」

魔薬(まやく)?……」

「そう。あなたの言っていた魔薬(まやく)よ。それを忘れてたなんて」

 ナナクサはジョウシに手を貸すと(ほろ)の側面の破れ目から彼女に外の様子を見せた。ナナクサとジョウシがいなくなったのにも関わらず、戦場の喧騒は一向に収まろうとはしていなかった。そこではタンゴが赤い暴風雨の中心となって荒れ狂い、チョウヨウは姿すらも見えなかった。

「あの血煙の中を動き回っただけでも、おかしくなるということか……」

 ジョウシが理解したように(あえ)いだ。

「そう。人間の血を飲まないまでも、あれを呼吸しただけで私たちおかしくなるわ」

「げに恐ろしきものじゃ……もしや!」

 ジョウシは後に続く言葉を濁らせたが、ナナクサにはそれが伝わった。

「わからない。私たちもミソカのようになってしまうのかどうかは……」

如何(いかが)すれば良い?」

 いつになく弱気なジョウシにナナクサは決然と自分の意見を述べた。

「意志の力よ」

「意志の力?」

「そう。それしかないと思うの。自分は自分以外の何者でもないという確固たる信念。それで乗り切るのよ」

「信念……かように不確かなもので乗り切れるのか?」

「少なくとも、あの時タナバタは頑張ったわ」

 自身の狂気と最後まで戦い続けた幼馴染(おさななじ)みの名に、ジョウシの表情が引き締まった。

「それに飲むより吸い込む方が(はる)かに微量で済んでいるはず」

 この時ばかりは仲間を勇気づけるためにナナクサは嘘をついた。たとえ(わず)かな量でもあの血煙の中を動き回っていれば、相当な量を摂取するのと変わりない。自分を含めて仲間がいつ後戻り出来ないほど自分でないモノに変化してしまうかわかったものではない。しかし。

「大丈夫よ。それはあなたや私が証明している。今の私たちは正気よ、間違いなく。私たちは私たち自身で他の何者でもないわ」

 念を押すようなナナクサの言葉にジョウシがこくりと(うなず)いた。

「私たちは負けないわ、人間の血なんかに」

「そうじゃ。魔薬(まやく)などには絶対に負けはせぬ」

 ナナクサとジョウシは、まずタンゴを正気に戻すため、(そり)の荷台に開いた穴から飛び出した。雪上に着地するたび、気づいて襲いかかってくる生き残りの戦士には目もくれず、蛙のように大きな跳躍を繰り返してタンゴに肉薄した。

 最後のひと飛びで二人一緒にタンゴが振り上げた腕にそれぞれが取り付くはずだった。だが成功したのはナナクサだけだった。タンゴが振り回す鞭のようにしなる戦士の屍体に(したた)かに打ち叩かれたジョウシは激しく回転しながら戦士の一団にまともに激突した。ナナクサはそれには目もくれず、身体全体でタンゴの右腕に抱きつくと四肢の全てを使ってぐいぐいとその腕を()め上げた。

「タンゴ。目を覚まして!」

 血煙()けに口と鼻を(おお)った布越しからナナクサは醜く(ゆが)んだ幼馴染(おさななじ)みの顔に呼びかけた。それでも叫びが彼に届くことはなく、ナナクサは振り落とされまいと爪を伸ばしてタンゴの太い腕に深々と突き立てた。そして(から)めていた片足をほどくと、(かかと)で彼の頭や(あご)を何度も何度も目一杯蹴りつけはじめた。野獣の咆哮(ほうこう)が彼の口からほとばしり、大地を揺るがせた。だが、それは痛みからのものではなく、ただ(わずら)わしさからくる怒りの表明だった。タンゴは(わずら)わしさの元を取り除くため、ボロ雑巾のようになった戦士たちの屍体を投げ捨てると、空いている手で自分の右腕に取り付いたナナクサの頭を鷲掴(わしづか)みにし、万力のような力で容赦なく()め付けると思い切り()じり上げた。ナナクサの食いしばった牙の間から、苦痛の声が漏れた。彼女の頭蓋骨と首の(けん)は限界まで達して情けない悲鳴が上がり始めた。頭が砕けるか首が()じ切られるか、どちらが先でもおかしくはなかった。ナナクサの手から力が抜けた。その時、タンゴの胸元にジョウシが飛び込んだ。四本の肋骨が砕け、口元を覆った遮光マフラーを自分の吐血(とけつ)で真っ赤にしながらも彼女は小さな(てのひら)をタンゴの顔面に叩き込み、泥を(つか)んだイジメっ子が相手の口に何かを突っ込もうとするように手の中のモノを力一杯、その顔面に()り付けた。

「眠気覚ましじゃ、タンゴ。いい加減これで目を覚ますのじゃ!」

 荒れ狂うタンゴは一瞬、動きを止めると地の底から響き渡るような悲鳴を上げてもんどりうって倒れた。そして両手で顔を()きむしり、苦しそうにのたうち始めた。

 雪の上に投げ出されたナナクサは、着地したジョウシが(てのひら)に雪をすり込んで何かを必死にこそげ落とそうとしている姿を目の端に(とら)えた。何であるかは鼻と口を(おお)った布越しであるにも関わらず、(かす)かに漂ってきた甘ったるい匂いで察することができた。タナバタの時にも効果があった致死の毒性を誇るニンニクだった。

(そり)にあったものじゃ」ジョウシは、そう吐き捨てると苦しそうに横腹を押さえ、荒い息の中で彼女らしくもない言い訳を口にした。「政府(チャーチ)とのいざこざでな……彼らと落し所を見い出せねば、如何(いかが)しようかと思うてな……もしもの時に役立つかと、そなたらの目を盗んで隠し持っておったのじゃ。タンゴは……あ(やつ)尋常(じんじょう)ではなかったゆえ、(いた)(かた)なかったのじゃ」

 ジョウシは了解したと(うなず)くナナクサを認めると、すぐに視線を外した。毒薬を隠し持っていたこと。取り分け、それを仲間に使ってしまった卑劣さを彼女は恥じ入っていた。だが誰も彼女の闘い方を責めることなどできるものではない。できるとすれば、それは現実を知らない無責任な部外者だけだろう。

 戦場に残った戦士たちは仔猫が巨像を倒したような光景に(しば)し闘いを忘れ、間接的に自分の命の恩人となり得た小柄(こがら)なヴァンパイアに目を奪われた。

 闘いの合間にポッカリと出現した静寂。

 生き残った戦士の中にいた二名の卒長(そつちょう)は今までの熱狂が冷めたのだろうか。その間隙(かんげき)を利用して我れ先に逃走を始めた。目先が()く先導者を目にした戦士たちは本能的に上長(じょうちょう)に付き従った。その数は僅か十名にも満たなかった。ヴァンパイアの若者たちは、四百五十名近くの重武装した凶暴な人間たちの襲撃を生き延びたのだ。

 ナナクサは頭と首の激痛に耐え、タンゴの様子を見るために立ち上がって彼の方へ近づこうとした。目の前には自分たちが作り上げたに相違ない血生臭い大量殺戮(さつりく)の現場が広がっていて心が傷んだ。しかし彼女はその修羅場(しゅらば)の一角に信じられないものを見た。そして身体中から力が抜け、(ひざ)から雪上に崩れ落ちそうになった。ナナクサの視線の(はる)か先、戦士たちの屍体が積み重なった丘の上にチョウヨウが両膝をついて(たたず)んでいた。

 彼女の胸と腹には腕ほどの太さの(くい)が二本突き立っていた。


               *

 仲間の中ではジンジツと同じくらい闘い慣れしていたはずのチョウヨウが、仲間の中で一番(ひど)い重傷を負わされているなど想像すらできないことだった。タンゴの次に暴れまわる彼女をどうやって止めようかとしか考えていなかったナナクサは何度も転びそうになりながら丘の上を目指して走った。

「チョウヨウ!」

 チョウヨウは仲間の叫び声の方向に(わず)かに頭を傾けた。そして脱力したように、両膝立ちから、その場にペタンと尻餅をついてへたり込んだ。彼女の横に滑り込んだナナクサは深手を負った彼女の身体が前のめりに倒れる寸前に抱きかかえた。

「油断……したかな……」

 苦しい息の中で、そう(ささや)いたチョウヨウは力の入らない右手で自分の足元を指差した。足元にはファニュが横たわっていた。一見したところ外傷は全く見受けられなかった。気を失っただけの少女は胸を小さく上下させて浅く呼吸をしていた。

「ファニュは生きてるだろ。守りきったよ……」

 ナナクサはチョウヨウに声もなく(うなず)いて見せた。彼女の身体を貫いた(くい)からは甘ったるい猛毒の匂いが立ち上っていた。

「おかしいんだよ。身体が言うことをきかなくてさ……」

 そこまで言うとチョウヨウは激しく咳き込み、血の塊を吐き出した。血からもニンニクの香りが(かす)かに立ち昇った。(くい)には多量のそれが塗り込められていたに違いない。何とかしなければならない。これ以上、目の前で仲間を失うのは耐えられない。ナナクサは視界を薄桃(うすもも)色の涙に曇らせながらも必死に頭を巡らせた。方法は一つしかない。決心するのだ、今すぐに。

 ナナクサが涙を拭っていると、ようやくジョウシに手を引かれたタンゴが合流した。ニンニクの影響でタンゴの目の周りは(ただ)れ、その両目は白濁(はくだく)して今はあまり見えないようだった。

「やぁ、タンゴ……」

 チョウヨウの呼び掛けに、ナナクサと代わったタンゴが「チョウヨウ」と優しく(おう)じた。目がはっきり見えずとも彼にはすぐに状況がわかったようだった。タンゴと入れ代わったナナクサは素早くジョウシに耳打ちすると二人でその場を離れた。

 タンゴはチョウヨウの顔を白濁(はくだく)した目で見つめ、その身体を、そっと、しかも力を込めて包み込んだ。

「顔をどうしたんだい?」とチョウヨウが弱々しく(つぶや)いた。

(こす)りすぎたら、こうなった」と、鼻声になりながらタンゴが下手(へた)な冗談で(こた)える。

「せっかくの顔が台無しだね」

「そうかな、そんなこと初めて言われたよ」

「でも、男は顔に傷がある方が格好良いかな……」

「君がそう言うなら、このままにしとこうか」

「でも、元のままが良いよ、やっぱり……」

「実は、僕もそう思ってた」

「いったい、どっちなのさ……」

「君こそ」

 二人は力なく笑い、タンゴはチョウヨウの血で汚れた口元を指で優しく(ぬぐ)ってやった。

 雪の上で抱き合う男女に、戻ってきた二人のヴァンパイアが声を掛けた。

「さぁ、チョウヨウ。元気になってもらうぞよ」

「その声は、チビ助か。お前は何ともなかったのか?……」

 チョウヨウは声のした方に顔を向けたが、その目がもう何も映していないことを知ったジョウシは言葉を詰まらせた。

「うむ。遺憾ながら何ともな……」

 小さくそう(こた)えたジョウシの横からナナクサが声を掛けた。表面的には薬師(くすし)に徹した静かで冷静な物言いだった。

「いま御力水(おちからみず)()んできたわ。タンゴの時みたいに、これであなたを治す」

御力水(おちからみず)だって?……」

「そうよ」

「そんなの、どこにあったんだい?……」激痛で顔を(ゆが)めながらチョウヨウは(いぶか)った。みな黙っていた。そして合点(がてん)がいったようにチョウヨウは「そうか。倒した人間たちの血か……」と言った。

「えぇ、そうよ」とナナクサ。

「あたい、さっきの闘いの時、少しおかしくなりかけたんだよ、ナナクサ。危うくファニュにも手を掛けそうになった。たぶん人間どもの血を一杯浴びたからだと思う……」

「そうね。間違いないわ」ナナクサは、正直にそう言うとチョウヨウの手を強く握った。「でも、怪我人に使うのなら万能の薬よ。それは知ってるでしょ」

「そんなのわかんねぇだろ?……」

「私は薬師(くすし)よ」

「でも……でもな……」

 チョウヨウは(あえ)いだ。(あえ)ぎながらタンゴを求めて弱音を吐いた。

「タンゴ……タンゴ……あたい、怖いんだ。怖くて(たま)んないよ。本当は痛いのも大嫌いなんだ。嫌だよ……タンゴ……あたい……」

「大丈夫だよ、チョウヨウ。大丈夫」

 タンゴに(なぐさ)められたチョウヨウは少し落ち着き、瀕死(ひんし)の重傷者とは思えない力で自分を包み込む男の腕にしがみ付いた。

「もし、あたいがミソカみたいに……」

「一緒に行くんだ。僕たち一緒にデイ・ウォークをやり切るんだ」

 タンゴはチョウヨウに不吉なことを一切口にさせず、彼女を更に強く抱きしめた。チョウヨウはそんなタンゴに甘えるように男の胸に顔を埋めて弱々しく息を吐いた。

 時間が差し迫る中、(くい)に手を掛けたジョウシがチョウヨウに心の準備を(うなが)した。

「では(まい)るぞ、チョウヨウ」

「待ってくれ……」

如何(いかが)した?」

「あんたのこと、いつもチビ助呼ばわりしてたから。痛くするんじゃないだろうね、抜くときに?……」

「心配は無用じゃ。我が心はこの白い大地より広く寛大じゃからな」

「それ聞いて安心したよ、ジョウシ……」

「そうか」

「ねぇ、(くい)を抜くのはあたいが死んでからじゃ駄目かい?……」

(らち)もない。さぁ、もう(しゃべ)るでない」ジョウシは冗談で自分を(まぎ)らそうとするチョウヨウにそう(こた)えると、皆の顔を見渡した「一、二の三で引き抜くぞ」

 ナナクサとタンゴが無言で(うなず)いた。そしてジョウシは二まで数えると、三の掛け声をかける前に二本の杭を一気に引き抜いた。気弱になったチョウヨウが痛みに対する恐怖から身を(こわ)ばらせるのを避けるための方策だった。(くい)が引き抜かれると同時にチョウヨウの口から弱々しい悲鳴が漏れた。

 (くい)が引き抜かれるや(いな)や、ナナクサは戦士の(かぶと)()めた人間の血をチョウヨウの大きく開いた傷口から内蔵に素早く塗り込み、残った血を激痛で半ば意識を失った彼女の口に(あふ)れるのも構わずに流し込んだ。

 みな瀕死(ひんし)の重傷を負ったタンゴに(ほどこ)したのと同じ処置をチョウヨウに行った。(しばら)くするとタンゴの時と同様にチョウヨウの呼吸は静かに止まった。

 若いヴァンパイアたちは、仲間が息を吹き返す瞬間を固唾(かたず)()んで待ち受けた。


               26

 シミや痘痕(あばた)を隠すように、新たな雪嵐(ブリザード)は分厚いファンデーションとなって戦士の血で赤く傷ついた大地を白く塗り込めた。その大地の肌に面皰(にきび)となって一つだけポツンと浮き出た雪だるまがあった。雪だるまは未だ動かぬ娘の身体を四日間に渡って抱きしめ続けていた。五日目の夜。自分に任せてくれと仲間に頼んだ人間の少女が、その雪を払いのけ、自身が天使と認めた青年と彼が抱き締めている娘をそこから静かに掘り起こした。娘の顔は眠っているように見え、少女は声を掛けて揺り起こしそうになるのを(かろ)うじて思い止まった。

「タンゴ」少女は顔の傷がすっかり治った青年に呼び掛けた。「ナナクサもジョウシも心配してるよ」

 タンゴから返事はなかった。ファニュは再び呼び掛けたが、反応がなかったので彼の大きな肩に手をかけると強く揺すぶった。

「やぁ、ファニュ……」ようやく顔を上げたタンゴの目は(うつ)ろだった。

「大丈夫、タンゴ?……」

「あぁ、僕は平気さ」

「そう……」ファニュは(ひざ)をついた。「でも、いくら数日に一度しか食事が必要でないヴァンパイアでも、もう食べとかないと身体がもたないよ」

「あぁ、わかってるよ。でも、もう少しなんだ」タンゴは腕の中に抱いている娘の乱れた前髪を優しく直してやった。「もう少しでチョウヨウも生き返るから、それから二人で食べるよ」

 ファニュの心はズキリと傷んだ。

「ねぇ、よく聞いて」

「なに?」タンゴはファニュに(こた)えながら、チョウヨウの顔を眺め続けていた。

「もう生き返らないよ、チョウヨウは」

 意を決して伝えたファニュの言葉をタンゴは無視した。少女は(さと)すように再び語り掛けた。

「チョウヨウは()ってしまったの。だからもう(かえ)ってこない。ねぇ、あたしの言うことが聞こえてる?」

「あぁ、聞こえてるよ」

「だったら」

「でも、僕は生き返った」タンゴは(わずら)わし気に(おう)じた。

「あなたが生き返った事は聞いたよ。でも……」

「君は人間だ。ヴァンパイアの何がわかるっていうんだ。僕らは君たちとは違う。デイ・ウォークだって続けなきゃならない。チョウヨウはきっと生き返る。だから、もうほっといてくれないか」

 ファニュはタンゴの言葉に肩を落とした。離れた所にいたナナクサとジョウシが心配して、少女の(かたわ)らに来ようとした。

「ごめんね」少女の声はかすれていた。「本当にごめんね、チョウヨウ……」

 最後の一言にタンゴが反応して目を上げた。そしてまじまじと言葉の主を凝視した。ファニュは命の恩人の安らかな顔に語り掛けた。(うつむ)いた顔からは人間特有の透明な涙の(しずく)が落ちた。

「あたしを(かば)ったために。あたしさえいなきゃ……」

「なに言ってんだい、ファニュ?」

「これから、やりたいことが一杯あったのに。あたしなんかを助けさえしなきゃ」

「もういい。黙っててくれ……」と、タンゴ。

「あたしさえいなきゃ、死なずにすんだ。あたしのせいだ」

「黙れ。黙れったら!」

 タンゴは両目を固くつぶって怒鳴った。

 ナナクサは、そんな二人に近づくと、うなだれるファニュの肩を抱いて。その場からそっと離れた。

「わかったよ」タンゴは離れゆく二人の背中に声を掛けた。「もう、わかったから。これ以上、自分を責めないでくれ。チョウヨウもそんなこと望んでないから」

 二人が十分に離れると、タンゴはチョウヨウの(むくろ)を抱き締めてむせび泣いた。それでも足りずに大きな身体を前後に揺すると子供のように声を上げて泣いた。


               *

 チョウヨウの死を境にパーティは二つに分裂した。一つはジョウシとタンゴ。もう一方はファニュとナナクサ。硬い結束で困難を乗り切ってきた彼らに(おとず)れた新たな選択の時だった。しかし、この分裂に至るまで真剣なやり取りが一昼夜に渡って熱心に繰り広げられたのも事実だった。そして誰もが不満を(いだ)きながらも、誰もが納得せざるを得ない結論がもたらされたのだ。

 事の発端はナナクサだとされていたが、実際には生き残った四人の仲間たちそれぞれに理由を求めることができた。当初、ナナクサは政府(チャーチ)と人間の関係を解き明かすことよりも、デイ・ウォークを完遂(かんすい)させることに積極的だった。だが組織化された人間の強大な暴力集団を目の当たりにして、人間の城塞都市(カム・アー)とヴァンパイア政府(チャーチ)の関係を一刻も早く究明しなければならない重大事だと位置づけた。だが、それとは反対に強烈な中毒性を持つ御力水(おちからみず)の製造責任を政府(チャーチ)に問うことに熱心だったジョウシは、人間の戦士との凄惨(せいさん)な殺し合いの結果、身も心も疲れ果て、いま同じストレスを(かか)えるならデイ・ウォークの方がましだと考えを改めた。そして始めの取り決め通り、まずは旅を終えることを優先し、その後、態勢を整えてから政府(チャーチ)と事を(かま)えるべきだと主張した。そしてタンゴはタンゴでチョウヨウを失った喪失感をどうしても埋めることができず、それでいて亡くなった彼女の代わりに人間の少女の後ろ盾となる気力そのものも()いてこない自分に悶々(もんもん)としていた。最終的に彼はチョウヨウが目指していたデイ・ウォークの成功を第一として、彼女とともにゴールを目指す―――彼女の(むくろ)荼毘(だび)に付すのはデイ・ウォークの終着点しかないとタンゴが(かたく)なに(こば)んだ―――道を選んだ。最後に残ったファニュの心境は四人の中で一層複雑だったかもしれない。彼女は後見人のようなチョウヨウがいなくなった今、嫌な故郷に戻らなくてよくなるかもしれないと考える自分に嫌気がさしながらも、それを心のどこかで歓迎もしていた。しかし反面、故郷を目指せと励ましてくれたチョウヨウが自分を守り抜いて命を落としたという重い事実も受け止めざるを得なかった。少女の心は揺れ動き続けた。これに終止符を打ったのはタンゴの存在だった。彼はチョウヨウが命を落とした責任を決してファニュに求めようとしなかっただけに、一層彼女は辛かった。チョウヨウの死後、やっと言葉を交わすようになったが、以前のように屈託(くったく)のない会話は望むべくもなかった。少女は(つい)に決心した。亡き友が背中を押してくれた過去との決別を成し()げることを。

 三人のヴァンパイアと一人の人間は、みな若者らしく悩み、悩みによって心がぶれ、心のぶれによって生じた変化を何とか補正しようと努力し、そして行動に移った。

 戦闘から八日目の夜。それぞれが出発の準備を終えた。


               *

 鹵獲(ろかく)した指揮(ぞり)に最後の荷物を運び込んだジョウシが星の海に登ったばかりの月を眺めやるナナクサの所にやって来た。

「そろそろ出発じゃ」

 ナナクサは、それに(こた)えることなく月を眺め続けた。

(そり)が無いことで難渋(なんじゅう)するやもしれぬが、大事はないか?」

「大丈夫よ」

「そなたではなくファニュじゃ。あ(やつ)は人間ゆえ、そなたよりも難儀(なんぎ)もしようぞ」

「何とか面倒をみるわ。あなたもタンゴをお願いね」

「心得ておるよ」

「ありがとう」

 数瞬の時が流れ、ジョウシは聞きたかったことを思い切って(たず)ねた。

「いま一度問いたいのじゃが、良いか?」

「えぇ」と、ナナクサは静かにジョウシを振り返った。

如何(いか)な心変わりじゃ、薬師(くすし)のナナクサよ。そなたが旅を中断するなど、理由は政府(チャーチ)と人間の本拠のことばかりではあるまい?」

「そうよ」

 以外にあっさりと別の真意が存在することを認めたナナクサにジョウシは拍子抜(ひょうしぬ)けを感じた。だが、ナナクサの思慮深い漆黒(しっこく)の瞳に「聞かせてくれぬか?」とは問い掛けず、「そうか」とだけ(おう)じて、ジョウシは最後の点検を行っているファニュに視線を移すと、軽く息を吸い込み、決意したように口を開いた。

「実は我れには大きな秘め事があってな」

「秘め事?」突然の話題転換に興味を()かれたナナクサが聞き返した。

「聞きたいかえ?」

「差しさわりがなければ」

「何を隠そう、我れは今年で百二十二歳に相成(あいな)る」

「百二十二?」

左様(さよう)。そなたたちより我れは年上じゃ」ジョウシは自分の言葉がナナクサに染み通る頃合(ころあい)を図って語を()いだ。「一見(いっけん)した通り、我れは身体も小さく体力も無かったのでな。先回のデイ・ウォークに単独で出立(しゅったつ)することを母上に強う止められ今回に持ち越すことを余儀(よぎ)なくされたのじゃ。もっとも先回も今回も体力的には変わりはなかったと思うがな。じゃが、そなたらと同道(どうどう)できて心底良かったと思うておる」

 ナナクサの瞳は「失うものが大きかったのに」と、無言で問い掛けていた。だが、ジョウシの顔にはいつものような気負いや取り澄ました表情は一切なかった。あるのはどこか(さび)しげな若い娘のそれだけだった。

「この旅では失うものが大きかったが、それ以上に得るものも多かった……などとは決して言わぬ。いや言えぬ。されど、自分を見つめ直す良いきっかけにはなった。今はそれで十分じゃ」

「『見つめ直す』ですって」ナナクサが怪訝(けげん)そうに眉を寄せた。「それは違うわ。あなたほど自分自身をよく知っている人はいないと思うわ」

「いいや、違わぬよ。買いかぶり過ぎじゃ。(おさ)の娘である窮屈(きゅうくつ)さ。体力の心配。成人年齢を超えておるにも関わらずデイ・ウォークに参加できなかった恥ずかしさ。それに負けず嫌いの可愛げの無さ。我れはそのどれ一つとて満足に克服できぬ未熟者ぞ。じゃが、ここにきて自身の限界を十二分に思い知ることができた。今は小さき自分のままで良いのではないかとさえ思える。無理に背伸びをせぬ自分自身でな」ジョウシは大きく溜息(ためいき)をついて目を伏せた。「それゆえ、今の我れではとてもではないが無理じゃ。政府(チャーチ)に迫り、その秘め事が明らかになったとて、それを(かか)え切れるのか。(かか)えきれたとて、もし再び始祖(ごせんぞ)の力が呼び覚まされて自身を見失ったとき、その恐ろしさに耐え得るのか。すまぬ。まるで逃げ口上(こうじょう)のようじゃな……」

 ジョウシは大切なものを失うことで自分の矮小(わいしょう)さを再確認できたのだ。自分を(かえり)みることができる勇気ある仲間だ。ナナクサは彼女を誇りに思った。今度は自分が彼女に話す番だ。

「あの闘いの最中、頭の中に声が聞こえたわ。誰の声だったかはわからない。幻聴……いいえ、もしかしたら私自身の内なる声だったのかも。『それで良いのだ』ってね」

 ジョウシは初めて聞くナナクサの告白に顔を上げたが何も言わず、彼女の次の言葉を待った。

「狂いそうになりながらも、声の正体を探ろうとしたけどわからなかった。心と身体の自由がだんだんと効かなくなってくるのがわかったわ。でも、それ以上に、なぜ、あの時、(かろ)うじて正気を(たも)てたのかがわからなかったの。いち早く人間の血の影響に気付いたから……いいえ、たぶん違うわ」

「意志の力。そなたが言うておった、意志の力ではないのか……」

「それだけではないように思うの」

「『それだけではない』とな?」

「だから、もっと何か別の。何か理解できないものよ。私にはわからない……」

 ジョウシは説明に(きゅう)するナナクサの瞳を見つめ、わかったと(うなず)いた。

「探求せよ。それが今のそなたの望みであれば」

 ナナクサも大人びた顔に戻った仲間に(うなず)いてみせた。

「えぇ、そうするわ」

「では、もう行くが良い。“始祖(ごせんぞ)の加護を”などとは、今さら言えぬがな」

 冗談めかしたジョウシの別れの言葉にナナクサも苦笑した。

「それは、わたしも同じよ。気を付けてね」

 二人は互いに自分の右手を左胸に()えて軽く(こうべ)()れ、一族の挨拶(サルート)を済ませると(きびす)を返した。

 馭者(ぎょしゃ)台にジョウシが乗り込み、タンゴが手綱(たづな)を打つと、(そり)を引く雪走り烏賊(スノー・スクィード)たちはゆっくりと動き出した。(たもと)を分かったナナクサとファニュに、タンゴが(さみ)しそうに片手を上げると、彼女らもそれに(なら)った。タンゴの首にはファニュから贈られた御守りが揺れていた。

 それは(いま)だ信仰心が(あつ)い人間の間に古代より伝わる、神との(きずな)(あらわ)すといわれる十字架だった。


               27

 その存在は、これで邪魔なものを(こそ)げ落とせたと満足していた。あの時、子孫と人間の闘いを眺めながら、自分もそこに乱入して思う存分暴れ回りたいという本能を抑え付けた甲斐があったのだ。彼らの分裂は良い前兆でもあった。初めは一人一人排除してゆくつもりだったが、その手間も(はぶ)けた。それが、あの子孫の娘一人を(あや)めただけで成し()げられようとは何という幸運だろうか。目覚めてからの些細(ささい)な失態などものの数ではない。その存在は子孫の若者たちを監視しながら、中空でゆらゆらとほくそ笑んだ。


               *

 その存在がひと握りの黒煙と合流して子孫たちの元に再びやって来たとき既に戦闘は始まっていた。好機だった。夜の闇に溶け込んだその存在は子孫の動きを観察した結果、たとえ戦闘用に造られ、訓練されていようとも相手が人間である以上、彼らは決してそれに遅れはとらないと確信していた。そして闘いの中での彼らの先祖返りを期待した。しかし失敗は先祖返りを()れたために、つい語り掛けてしまったことで裏目に出てしまったのだ。その存在は自分の声に抗う力が“あの子孫”に残っていようなどと微塵(みじん)も考えなかった。迂闊(うかつ)だった。だから自分の(こころ)みが挫折した瞬間、咄嗟(とっさ)に計画を振り出しに戻して、闘いのどさくさに(まぎ)れることを思いついた。そして自分とは対極に位置する心根(こころね)を持つ一人の子孫を選んだのだ。

 その闘い慣れした娘の思考は単純だった。健気(けなげ)で純粋でもあった。だからこそ、その心を黒く(おお)ってやっただけで混乱して人間どもの良い標的となった。だが、二本の毒を塗り込んだ(もり)でも即滅(そくめつ)しなかったので、御力水(おちからみず)での蘇生を邪魔してやったのだ。生命力に()む若々しい命の柱。荘厳(そうごん)さ漂う大理石のように堅固なその命を、まるでマッチ棒のようにぽきりと手折(たお)ってやることにしたのだ。

 目の前で彼らは仲間に別れを告げて離れてゆく。心を()んでバラバラになるがいい。予想以上の出来だ。あとは行動を共にする人間の生娘(きむすめ)歯牙(しが)にかけた後、あの子孫にじっくりと本懐(ほんかい)()げるとしようか……いや待て。焦りは禁物だ。最後の詰めを誤るのは二度と御免だ。その存在は頭を巡らせ、もっと面白いことを思いついた。上手(うま)く事が運べば、大地が氷河に(おお)われる前から頭を悩ませていた“あの問題”も綺麗(きれい)に片付くかもしれない。

 黒煙は玩具(オモチャ)を持った幼子(おさなご)がスキップをするように大気の中を(はず)むと闇に()き消えた。


               28

 排出……それとも排泄(はいせつ)……。ファニュが口にしたのはナナクサが初めて耳にする単語だった。ただ自然の摂理(せつり)にしては、ナナクサにはその単語とファニュの行動がひどく奇妙に思われた。短いながらも今まで一緒に旅を続けていた間、人間の少女は昼間にそれを済ませていたため、ナナクサたちヴァンパイアには人間の生理現象がわからなかったのだ。

「ごめんね、待たせて」と、ファニュ。

 離れた雪壁の陰から、そう言って出て来た少女を初めて目にした時、「いえ、いいのよ」と(おう)じたものの、ナナクサはわけも分からず気恥(きはず)かしさを感じた。種族は違っても、やはりそこは互いに女同士なのだろうか。生理現象といわれるものを追究するのも、されるのも何となくではあるが(はばか)られるように感じたのだ。しかし、それでもなお薬師(くすし)であるナナクサには食料から栄養を摂取した後、使い切れなかった栄養を体外に排出するという人間の行為が全く理解できず、それに対する興味は()きなかった。なぜならヴァンパイアには、せっかく摂取(せっしゅ)した栄養を無駄にするなどという生理現象がそもそも存在さえしなかったからだ。

「同じ女同士でも、人間とヴァンパイアは違うのね」

 ナナクサの心を見透(みす)かしたかのようにファニュの声が()じらいを見せた。

「えぇ、そうね。でも似ているところもあるわよ。頭が一つに手足が二本」

 ナナクサの下手(へた)な冗談にファニュは久しぶりに笑顔を見せた。

「目は二つに口は一つ」

「えぇ」

「それに私たち二人とも胸だってカッコよく(ふく)らんでるし」

 分厚い防寒着の上からでも、決してそうは見えないファニュの得意げな顔を見て、ナナクサは苦笑すると、再び「えぇ」と微笑(ほほえ)んで、顔を上げた。

 ヴァンパイアの方が人間よりも(はる)かに体力がある分、ナナクサは移動に際しては極力、人間のタイムスケジュールに合わせようと昼に歩くことを主張し、ここ三週間の行程の(ほとん)どを事実そのようにしてきた。ヴァンパイアであっても、さすがに体力的に限界がくるのではないか。ファニュは相棒を気遣(きづか)った。

「昼の移動は大変でしょ?」

「慣れたわ。心配はいらない。私は大丈夫よ」

「そう。よかった」静かだが、しっかりとした声にファニュは胸を()で下ろした。「ナナクサは、さっきから何を見てるの?」

「空よ」

「へぇ」

 ファニュはナナクサの視線の先を追った。

「昼の空は、どんな色をしてるの?」

 遮光ゴーグル越しに見えるものはナナクサにはモノクロにしか見えなかった。空も雲も。もちろんレンズ()しでも太陽を直視などできはしない。

「えぇっと。雲は灰色で所々、薄くなっている所は白。そして、そこから少しだけ(のぞ)いている所は青」

「そう。雲のない所は青なの」ファニュの生真面目な解説に、ナナクサは感慨(かんがい)深げにそう(こた)えた。

「夜は月や星が出てないと真っ暗だけどね」

「真っ暗……人間には夜と昼じゃ、空の色も違うのね」

「うん。夜明けと夕暮れも違うよ、やっぱり」

「いろんな見え方がするのね」

「ねぇ、ナナクサ」と、分厚い雲を見やるヴァンパイアにファニュが声を掛けた。「あなたたちにはどう見えるの、空が?」

「わたしたちに見えるのは夜の空だけよ。明るい水色一面に輝く星々が河になって(またた)いてるわ」

「水色の空いっぱいに広がった星の河か……」

「帯みたいに空に広がった星々よ」

銀河(ミルキィ・ウェイ)ね」

「ミルキィ・ウェイ……どんな意味?」

「知らない。昔からそう呼ばれてるから、あたしたちもそう呼んでる」

「なるほどね」

「ナナクサたちは」

「わたしたちは銀河(シルバー・リバー)って呼んでるわ。あまり縁起が良い名前じゃないけど」

 ファニュは陽の光。雪ニンニク。銀をヴァンパイアは()み嫌うと教えられていたことを思い出した。

「でも、綺麗(きれい)なものはやっぱり綺麗(きれい)よ」

「そうだね」と、ファニュが(うなず)く。

「月も綺麗(きれい)よ。星々を圧倒するくらい(まぶ)しく心を魅了するわ。もちろん雲が出てなければだけど」

 顔を(おお)ったフードの中からナナクサの悪戯(いたずら)っぽい声が響いた。

「何ぁんだ。あなたたちは雲だって見透(みす)かして空の向こうだって見てると思ってたのに」

「物を見透(みす)かすなんて無理よ、あなたたち人間が信じてるほど何でもできるわけじゃないわ」

「そうね。それじゃまるで神様だもんね」

 顔を上げたファニュはヴァンパイアの目に映る景色を想像してみようとした、昼のように晴れ渡った水色の空に輝く満天の星々を。そして美しい光を放つ大きな満月を。しかし昼の空に夜の星や月が(またた)く様子をうまく思い描くことはできなかった。水と油のように昼と夜は決して相容(あいい)れないのだ。でも頑張れば思い描ける日が来るかもしれない。なぜなら恐ろしい化け物だと信じていたヴァンパイアたちとさえ仲良くなれたのだから。

「夜になって雲が晴れたら、あの二人も()るのかな、星の河を」

「ええ。あの二人もきっと()るわ」

 初対面のヴァンパイア同士が他者を理解しながら大人への階梯(かいてい)を登るデイ・ウォーク。二人の旅は宿敵同士だと思われていたヴァンパイアと人間が、その溝を埋める理解の(みち)へと姿を変えていた、たとえ行き着いた先に何が待ち受けていようとも、今はそれで十分だった。ナナクサは宇宙服のように全身を(おお)った遮光マント越しとは思えない明瞭(めいりょう)な声で人間の少女に呼びかけた。

「そろそろ出発しようか、ファニュ」

「うん」少女は曇り空から漏れる一筋の陽光を見ながら元気よく(うなず)いた。

 かつては大海(オーシャン)と呼ばれた氷の大地は雪深くなければ、平坦な分、山よりも歩きやすかった。無限に続くかと思われるこの大地を、いまヴァンパイアと人間が一つの目的地に向けて黙々と歩き続けていた。


               29

 城塞都市(カム・アー)の戦士たちは、自分たちが(しいた)げているという意識もないままに年老いた労働階級の者たちを城門から嬉々(きき)として追い立てた。なぜなら人工子宮(ホーリー・カプセル)生まれの彼らにとって、人は生まれながらに全てが決定されているものだからだ。戦士は戦士。そして労働者……いや、奴隷は奴隷。上目遣(うわめづか)いに、こそこそと人の顔色を(うかが)うだけの役立たずども。戦士や食糧が不足すれば点在する町々や隊商から何度でも調達すればいいし、城塞内の保守にしても妙ちくりんな自動機械(オート・マトン)どもに任せれば問題はない。こんな連中は城塞(じょうさい)に必要がないのだ。戦士たちに限らず、徴発された若い準戦士たちですら、そう考える者が多かった。だから今回、レン補佐長から突然の追放命令がなければ、目の前の労働階級の者を、こうもあからさまに小突(こづ)き回せることは(まれ)だった。しかし同時に労働階級の大量追放は何かが始まろうとしている証拠でもあった。多くの戦士が出征(しゅっせい)しているいま、その留守を預かる戦士たちは心が沸き立つのを抑えきれずにいた。

 小さな悲鳴を上げて足を引き()る労働者の一人が倒れた。これ(さいわ)いとその女を蹴るか踏み付けるかしようと戦士が大股で近づいた。しかし彼より先に一人の小柄(こがら)で俊敏そうな準戦士が、その女労働者に手を貸して立たせると、さっさと元いた列に押し込んだ。楽しみを奪われた戦士は準戦士をきっと(にら)()えた。その準戦士は隊商からの徴用者だった。確かエイブ何とかという名の真面目くさった新入り野郎だ。戦士の心に怒りの火が沸き立った。思わず手を出そうかと思ったが、はたと思い止まった。戦士同士の私闘は厳罰に処せられるからだ。それに今は何か重大なことが起ころうとしている。そのイベントが終われば訓練中にこの小男を(なぶ)り殺しにしてやろう。それなら指導者から賞賛されこそすれ、一切罪に問われることはない。そう思うと戦士は未だ消え失せることのない怒りを、隣でとぼとぼ歩く年老いた別の労働者を小突(こづ)くことで何とか鎮火させた。


               30

 真っ青に晴れ渡った明るい月夜を二人のヴァンパイアの若者は言葉を忘れ去ったかのように、ただ黙々と(そり)を走らせていた。この二週間余り、果てしなく続く白銀の世界は大した天候の変化もなく二人を見守り続けていた。だが、それがより一層、二人の座る馭者(ぎょしゃ)台に延々と続くかと思える空虚(くうきょ)感を(かも)し出していた。ジョウシは、それほど口数が多い方ではなく、元来、静寂を(うと)ましく感じる性癖(たち)ではなかったが、それでも隣に座る陽気な大男がむっつり押し黙った態度を取り続けることに、そろそろ辟易(へきえき)し始めたところだった。

「まるで大きな岩と旅をしておるようじゃ」

 我慢の限界に達する前にジョウシはタンゴの方を見ることなく嫌味を口にした。だが大男はそれに反応する気配すらなかった。

「あの折に、我れに痛めつけられしことを(いま)だ根に持っておるわけでもあるまいに。今のお前を見たら、あ(やつ)が何と言うか……」

 ジョウシは()えて挑発的な言動をタンゴに投げ付けた。少々強引で残酷なことではあったが、彼女は大男が失ったものが何であるかを思い出させることによって彼の返事を(うなが)そうとした。たとえ、それが激しく非難されるものであってもだ。しかしタンゴはその言葉にも一瞬ぴくりと(ほお)を引き()らせただけで、ジョウシの期待に(こた)えることなく延々と(そり)を走らせ続けた。ジョウシは「いっそのこと、我れも荷台の死人のように、ずっと黙っておこうか」と、タンゴの心を更に深く刺してやろうかと考えたが、代わりに馭者(ぎょしゃ)台の制動棒を目一杯引いて(そり)を急停車させた。

「我慢の限界じゃ。用足しに行く」

 そう宣言してさっさと橇を降りたジョウシに、ようやくタンゴが声を掛けた。

「用足しは人間がするもんだよ」

「ならば小休止じゃ」

「さっき休んだろ」と、渇いた声でタンゴが(おう)じる。

「いま一度の休憩じゃ」

「置いてくぞ」

「好きにせよ」

 すたすたと(そり)から離れるジョウシをタンゴは物憂(ものう)げに見やった。そして、ふとジョウシが座っていた隣の馭者(ぎょしゃ)台の下から(のぞ)く何の変哲もない烏賊革(いかがわ)(ひも)に視線を移した。手持ち無沙汰(ぶさた)も手伝って、タンゴはおもむろに(ひも)を引っ張ってみた。(ひも)の先には金属製の箱が引っ掛かっていた。彼は興味本位でその箱を引っ張り出すと何気なく(ふた)を開いて中の物を取り出した。

「これは……」

 それを見たタンゴは、そう(つぶや)くのが精一杯だった。


               *

 小休止の後、タンゴの態度は明らかに変わっていた。ジョウシは何がどう変わったのか、はっきりとはわからなかったが、同道する大男が(から)に閉じ(こも)った(かたく)なな態度から、深刻な悩みを処理しきれないでいるように変ってしまったことだけは感じ取っていた。しかし話し掛けたとしても、この様子では先ほどと同じ沈黙しか得ることはできないだろう。ジョウシは気になりながらも、タンゴの横顔をちらちら盗み見ながら会話の端緒(たんしょ)(つか)もうと頭を巡らせた。しかし思いを巡らせたところで答えは一つしかなかった。彼女は無駄に終わるかもしれないと思いながらも、自分らしく単刀直入に切り出すべきだと結論した。

「実は……」と、ジョウシが口にした瞬間、タンゴからも同じ言葉が発せられた。バツの悪い一瞬をやり過ごして、再び口を開こうとしたジョウシはタンゴもまた同じことをしようとしていることに気付いて、相手に(ゆず)ることにした。

「見てほしいモノがある」

「何をじゃ?」

 タンゴは(そり)を再び停車させると、ジョウシが座っていた馭者(ぎょしゃ)台の下から発見された箱を差し出した。

「中を見てくれ」

 中には半透明の材質で作られた古い絵地図が入っており、そこには縦線と横線が均等に引かれ、碁盤のようになっていた。しかもその中には点々と三十ほどの赤黒い点があり、点の一つ一つに古代文字が付されていた。

「なるほど、古代文字で書かれし絵地図か。向こうが()けて見ゆるのぅ……初めて見る不可思議な材質じゃな。内容は小娘が持っておったのとさほど変わらぬ物のようじゃが……」

「もっと、よく見てくれ」

方違へ師(かたたがえし)でもない我れに何を見よと言うのじゃ」

 (ごう)を煮やしたジョウシが地図をタンゴの方へ押しやると、彼はそれを押し戻した。ジョウシはうんざりしながらもタンゴの望み通り、地図を更に検分した。

「これは……」

 ジョウシにもタンゴが言おうとしていることが、やっとわかった。三十ほどある地図上の小さな点の全てから匂い立ってくる微かな刺激臭から、それが人間の血で書かれたものであるということが。

「何と悪趣味な」

「うん」とタンゴが(うなず)いた。「その点の全てに付されてる文字は、たぶん古代の数字だ。場所の細かな位置を示すものだと思う。ほら。縦と横の線のそれぞれにも書かれてるだろ。すごく細かくできてるよ。きっと人間は、僕らみたいにあまり道には迷わないんだろうな」

 地図の秘密を読み解いたタンゴは史書師(かたりべ)として、あまり嬉しそうではなかった。次に彼は絵地図の端の方に寄り集まる三つの点を順番に指し示した。

「だとすると、これが僕のキサラ村、ミナヅ、そして……」

「我がヤヨの村……そう言いたいのか?」

 タナバタと二人でデイ・ウォークに出発する前日、村の方違へ師(かたたがえし)が簡潔に描いた略図で仲間との合流地点を教えてくれたことを思い出したジョウシは、その時の三村の配置と、いま目の前にある人間の絵地図に描かれたそれらが位置的に符合することに驚いた。

「なぜじゃ。なぜ人間が我れらの村の位置を知っておる。それに……」

 ジョウシが言おうとすることを察知したタンゴが、そうだと言わんばかりに(うなず)いた。

「残りの点はと推察すれば、これらは(いま)だ見ぬ同胞の村々……まさか」

 そこまで言うとジョウシは絶句した。

「人間たちが僕らの村々の位置を知ってるっていうのは凄く不安だ」

 タンゴの冷静さに苛立(いらだ)ちを覚えたジョウシは彼の言葉を(さえぎ)った。

「何を落ち着き払っておる。奴らは武器と際限のない闘争本能を養っておるのだぞ。何も知らぬ村々が朝討ちでも受けたら……」

「朝討ちだなんて、そんなことをして人間に何の得があるんだい?」

「損得ではない。人間にとって我れらヴァンパイアは(いにしえ)からの(かたき)でしかない。それを圧倒するには不意打ちが一番じゃ。(やつ)らが我れらと闘うたは偶然。しかるにこの地図は周到に準備されたもの。そこから察するに……」

「でも、心配はいらないだろ」頭をもたげた不安を取り去ってくれというようにタンゴが反論した。「あの戦いで人間たちも()りはずだと言ったのは君だろ。あれだけの死者を出したんだから」

左様(さよう)じゃ。しかし血で記されし禍々(まがまが)しき印は人間どもの並々ならぬ決意を示しておるとしか思えぬ」

「どういう意味?」

「より用心深くなった新手の人間どもが次々と送り込まれ……遂には」

 ジョウシは片手で喉を()る仕草をした。

「じゃぁ、人間たちは何があっても僕たちを。僕ら一族を根絶やしにするっていうのかい。そんなの理屈に合わないよ」

「奴らの恐怖心じゃろうな」

「『恐怖心』?」

 理不尽な回答を口にするジョウシにタンゴは(いきどお)りの声を上げた。

「そうじゃ。仮に我れらと死闘を演じし生き残りどもがヴァンパイアの強さを広むれば、広むるほど、より一層の恐怖が広まる」

「だったら、二度と戦いたくはなくなるだろ。違うかい?」

「そうあってくれれば万々歳(ばんばんざい)じゃが、恐怖を(いだ)きし後が問題じゃ。恐怖は不安を(あお)りたて、その不安は恐慌(パニック)を呼ぶ。恐慌(パニック)上手(うま)く育ててやれば、それは更なる大凶行へと繋がる」

「どういうことだい?」イライラとタンゴが(おう)じる。

「ファニュが指導者(ヘル・シング)なる人間の(おさ)について語っておったろう。多くの人間を支配する冷酷で残虐な者であると。そのような存在は民草の心を操るのも巧みじゃ。おそらく『自分を信じて戦う者だけが勝利し生き残る』と容易に信じ込ませ、暴走させ()るであろうな」

「指導者だろ。そんな責任のある者が、なぜ?」

(おのれ)のみが正しいと信じておるからじゃ」

「そんな馬鹿な……」

「お前は史書師(かたりべ)じゃな、タンゴ?」

 (うなず)くタンゴの目を見据(みす)えながら、ジョウシは語を()いだ。

「では聞こう。古代に(いくさ)はなぜ起こった。仲間同士でも(いさか)いが起こり()るはなぜじゃ?」

(いくさ)は自分たちが正しいと思うから。仲間の(いさか)いも同じだ。でも間違ってたら、僕は素直に謝る」

「相手も、そう思うかどうかじゃ」

「そんな……僕の周りでも」

「お前は」と、ジョウシが(さえぎ)った。「周りの者たちに恵まれておったのだ。(いさか)いが喧嘩になれば収めるのは難しくなる。まして(いさか)になれば……我れはタナバタの他には、お前ほど周りの者に恵まれてはおらなんだ。それゆえ何が起こるのかがわかるのじゃ」

「くそ……最悪だ」

「確かにな。じゃが最悪なのは、そんなことではない」

「まだ最悪なことがあるのかい?」

「あぁ、ある。残酷な指導者は(おのれ)より力ある者を決して認めぬ。徹底的に排除する。恐らくたった一人になったとしてもな」

「なんて馬鹿なんだ。大馬鹿だ。僕らヴァンパイアがそいつに何をしたっていうんだ。平和に暮らしてる僕らが何でそんな目に()わなきゃなんない?」

「そうじゃな。(たい)らかに暮らすことを考えず、他者を滅ぼすことに心をくだく者など(おさ)の風上にも置けぬな。馬鹿の中の大馬鹿じゃ」

「どうすりゃいい、ジョウシ?!」

「どうすれば良いか、お前はもう頭ではわかっておるのではあるまいか?」

 質問に対して質問で(おう)じたジョウシはタンゴの決断を待つように口をつぐんだ。

「わかった。早く引き返してナナクサたちと合流しよう」

「それで良いのか?」

「もちろん。こんなことを知ってモタモタなんてしてられないよ!」

「そうか」とジョウシは(うなず)いた。「ならば一刻も早くナナクサたちに追いつかねばな」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ