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青春の後悔  作者: イトユウ
12/17

12

雨が石のように車に打ち付ける中、これまでの大まかな話を終えた長嶋は、美里の反応を待った。


美里は長嶋の話が本当なのか、もしも本当ならば、その事を今まで知り得なかった自分の力量の低さに呆然としてしまう。


「長嶋さんが言っていることが事実ならば、私は長い間夫婦として生活を共にしておいて、旦那の会社が犯罪に手を染めているどころか、汚い言葉で申し訳ないですが、腐っていることに気づかなかったということですね」


「残念ながらそういうことになります。まだ旦那さんがどの程度の位置にいるのか分かりかねていますが、少なくとも加担しているのは事実です」


「もしも、うちの旦那のお父様の時代から代々社長が指揮を執って一連の犯罪を引っ張っていたとしたら、私はもうどうしたら良いのか」


「そこのところはまだ調査中ですので、何とも申し上げられませんが、先程の話にも出てきましたが、自分の上司も確実にこの事件に加担していた事実はかなりの動揺を産んでいます」


長嶋と美里はお互いに黙ってしまった。


この空気を嫌ったのか、崎山が美里に話しかける。


「しかし、萌花ちゃんは凄いですね。萌花ちゃんがやった事は決して褒められたものではありませんが、事実を知りたいという願望とその行動力は、私達も負けてしまいそうです。刑事向きかもしれないですね」


美里は少し微笑むと「そうなんです」として続けた。


「あの子は昔からサスペンス物とか、推理物をよく好んで観たり読んだりしていまして、女性刑事に憧れていました。崎山さん、あなたのような方にね」


「いえ、私なんて長嶋さんの足を引っ張ってばかりです」


「ですが、こうやって事件の捜査に加わってらっしゃる。それだけで私にとったら凄い事です」


崎山は照れ笑いのように微笑むも、直ぐに顔を引き締め、事件の事を話し始めた。


「正直なところ、私はこの長きに渡る黒幕が同僚である警察官だという事を未だに信じられないんです。ですが、こうやって決定的な出来事が起きてしまっているこの状況に覚悟を決めています」


「それはどんな?」


「警察官を辞めます。今後捜査会議にも出るつもりはありません」


すると、車は急ブレーキがかかった。運転している長嶋も聞いていなかったようで、驚いている。


「何てこと言いだすんだ。事故るところだったぞ」


長嶋は運転を再開し続けた。


「お前が今後どうするかは俺が色々指図出来ないけど、全て真相が分かってからでも良いんじゃないか」


「本当に真相を究明出来ればの話ですよね。私にはそうは思えません」


車内は気まずい沈黙に陥っていた。車に打ち付ける雨が車内の唯一といっていい音であった。


その沈黙を破ったのは、長嶋のスマホの着信音であった。


「警部からだ」


崎山は思わず背筋を伸ばしてしまった。


『工藤だが、お前今どこにいる』


工藤の声に長嶋は苛立ち今にもスマホを投げ捨ててしまいそうである。


「それは、警部の部下にでも聞いてください」


『何を言っているんだ。お前も俺の部下だろ』


「俺じゃなくても、大勢信用できる部下がいるようですね」


電話口の工藤は数秒黙ると何かを諦めたかのようにため息混じりに話した。


『お前が何を考えているのか知らんが、菊山管理官がお前を直々にお呼びだ』


「管理官が俺に何の用ですか」


『それは、俺にも分からん。とにかくこっちへ一度戻って来い』


返事もせず、スマホを切った長嶋は管理官が末端の立場の長嶋になんの用があるのか必死に考えた。


しかし、どう考えても、管理官である菊山が長嶋に直接話す内容は想像出来なかった。


「管理官がどうかしたんですか」


崎山は長嶋の様子がおかしいと思うも、管理官という名を聞いて気になってしまい聞いた。


「管理官が俺に話があるから、今すぐに戻れとさ。俺に何の用があるのか全く想像つかんが」


その後、萌花が一時的に住んでいる崎山の家に美里を送って行き、長嶋のみ警察署に戻った。


車から降り、捜査本部が置かれている会議室に行くと、そこには見知った顔があった。


「これはこれは、先日はどうも」


「公安が何をしている。捜査本部には公安の名は無いはずだが」


「管理官に呼ばれたものでね。あなたと一緒にね」


長嶋は訳が分からず眉間にシワを寄せた。


捜査本部に召集されていない公安と末端の刑事である長嶋が管理官に呼ばれる理由が余計に分からなくなった。


唯一可能性があるとすれば、目の前にいる公安の刑事が萌花のことを内密に上に報告したことで長嶋も呼ばれたというものだが、そうであったならば長嶋の上司である工藤も呼ばれているはずだ。


「管理官を待たせるわけにはいかないから話はまた後にしよう。取り敢えず行くぞ」


「俺の上司でもないのに命令しないでいただきたい」


公安の刑事と長嶋は睨むあうと、どちらともなく視線を外し、管理官の元へ向かった。


管理官室に行くも、管理官はいなく、取調室横で別件の事件の事情聴取を見ているということであった。


「管理官が直々に見るなんて、どんな事件かね」


長嶋は呟くと、その部屋に足早に向かった。公安の刑事と共に。



部屋をノックすると管理官の声で「どうぞ」と聞こえたので部屋に入った。


するとそこにいたのは菊山管理官一人であった。


「忙しい時に悪いが、緊急な事だから呼び出した。どういう事か分かるな。長嶋」


状況が飲み込めず長嶋は黙っていると菊山が焦れて口を開いた。


「現在、捜査本部がたっている駒井運送脅迫・駒井萌華誘拐事件の犯人を知っているな。いや、犯人という言葉が適切かどうかも怪しいがな」


長嶋は思わず視線を外してしまった。それだけ菊山にはものすごい目力があった。


こんな目で事情聴取されたらどうな人間でも自白してしまうだろうと長嶋は思った。


「視線を外すということは図星だな。そして横にいる手塚も知っているな」


長嶋は思わず横にいる公安の刑事の顔を見てしまった。


てっきりこの公安の刑事が報告したものだと思っていた長嶋は更に混乱してしまった。


その公安の刑事の名前を聞いていなかったことも含めて。


「率直に聞く。駒井萌花はどこだ。長嶋がどこまで真相を掴んでいるか知らんがお前達だけで手に負えるような事件ではない」


長嶋の推理はこれで確信に変わった。


駒井運送と暴力団の関わり。


そしてその間に警察が入っていることも。


果たしてどの程度警察が関与しているのか、長嶋は未だ測りかねていたが。


「管理官はなぜ自分が駒井萌花の居所を知っていると思ったのですか」


「ファミレスなんかで店を貸し切りにすれば何かあると勘づくのは当たり前だ。そしてそのファミレスに捜査本部に名前のある刑事と、公安がいるとなれば、俺はそんな怪しい現場は逃さない」


長嶋は手塚を睨んでしまった。思わず胸ぐらを掴む勢いだ。


「まあそう睨むな。手塚も悪気があったわけではないのだろう。しかし、肝に命じておくことだな。刑事という名を使えば何をやっても良いわけではない。刑事が動けば動くほど、犯人に悟られる可能性があるということを」


長嶋と手塚は思わず下を向いてしまった。


自分達の行動を恥じているようだ。


雅也にファミレスでと言われた時はまさか、萌花を連れてくるとは思わず、自分の注意不足を嘆く結果となった。


「二人とも次からは俺以外誰にも悟られずに調査しろ。今後、長嶋は捜査会議に出る必要はない。捜査本部からは名前を外す。相方の崎山も同様にだ。これから俺の下で公安の手塚をと共に隠密に動いてもらいたい」


菊山の思わぬ言葉に長嶋は硬直してしまった。


捜査本部を外れて管理官の下で動くなど前例があったであろうか。


これは、長嶋にとって警部である工藤がこの事件に何かしら関与していると確信するに値する何よりの指示であった。


しかし、工藤を飛び越して管理官と事件の事を直に話しているこの状況も異例だが、管理官から直接命令が出るなど、異例中の異例であった。


「先程から聞いていますと、自分がここに呼ばれた理由がいまいち分からないのですが」


手塚は挑むような目で菊山に問うた。


「分からないか。あれを見ても分からないかな」


菊山が顎で窓を指すと、そこでは菊山が見ていた事情聴取が続いていた。


そこでは、一人の刑事と一人の容疑者と思われる男のみで、事情聴取の内容を記録する記録係の姿は無かった。


その二人を見た手塚は、思わず窓に駆け寄り今自分が見ている光景に目を疑わざるをえなかった。


「事情聴取している刑事はお前達と同様に隠密に動いてもらっている刑事だが、相手が誰か手塚が一番よく知っているであろう」


長嶋が覗いてみるも二人に面識はなく、一体手塚がここまで動揺する人間とは誰なのか見当もつかなかった。


「これは、お前達二人にとってはこれから何年も続く刑事人生の中の一つの事件にすぎないかもしれない。しかし、我々日本警察にとって今後を大きく左右する事件なのは間違いない。もしも、間違えた答えが導き出されれば、警察の信頼は一気に無くなり、日本の治安は地に堕ちることになるだろう」


管理官の言葉に長嶋と手塚は背筋を伸ばした。


「お前達を半ば強引に協力者に仕立て上げたのは、少々胸が痛むがお前達の掴んでいる情報、そして長嶋と手塚という人間性を見込んで日本警察の未来を託そうと思う。やってくれるな」


長嶋と手塚は返事をするも表情はどこか冴えない。


というのも、長嶋が危惧していたことが現実に変わったのだから。


手塚も同様のようで、今事情聴取をしているこの光景を見てなのか、長嶋と同様の考えなのか定かではないが。


菊山の背中を見送った長嶋と手塚は自分の頭を整理するためか暫く動くことが出来なかった。


暫くすると手塚が口を開いた。


「勘違いされては癪だから言うが、管理官に報告したのは俺じゃないぜ。どうやら俺のことも見張っていたみたいだな」


「管理官が駒井萌花の居所を聞いた時はてっきりあんたが話したと思ったが、どうやら違うみたいですね。それで今、隣の部屋で事情聴取を受けているのは誰なんですか。そして何故記録係がいないんですか」


手塚は、この事を会って間もない公安でもない刑事に話しても良いものなのか、考えているようで、中々返答が来ない。


「黙るということはかなり危ない人物なんですね。そして、管理官が俺がいるところでわざわざこの事情聴取を見せたのは今回の事件に関与している人物だからですね」


「お前には遠慮ってものがないな。管理官の命令でお前と協力しなくてはならなくなったからには多少は情報の共有をした方が良いかもな」


「自分は何も隠してないので。隠そうとしても公安には全て筒抜けのようですから」


「ひどい言われようだな。まるで俺達が盗聴器でもお前の身の回りに仕掛けているとでも言いたいようだ」


「そこまでは言いません。実際は分かりませんけど」


「仕方ない。教えてやろう。事情聴取の刑事側は公安で俺の部下だ。問題はその相手だが、十数年前に駒井運送で金銭横領事件があっただろう。今まさにお前が捜査している誘拐事件に大きく関わってくるであろう事件だが、その黒幕と思われる人物だ」


長嶋はさすがに身を引いてしまった。


突然の事に驚きを隠せない。


今回の誘拐事件で萌花と健人が企てていた狂言誘拐の原因となっている事件、そして駒井運送にとって十数年に渡って黒い影を落とし、子供の人生にまで黒い影を落とそうとしている事件の黒幕が、今ガラス一枚隔てた向こう側で自分と同じ刑事に聴取を受けているこの事実に、長嶋は何とも言えない気持ちになっていた。


「どうした。俺がただ単にお前を尾行していたとでも思ったか。正直、狂言誘拐には度肝を抜かれたよ。最近の学生は何をしでかすか分かったものじゃない。しかし、あの黒幕が尻尾を出すきっかけにはなった」


「どういうことですか。狂言誘拐に黒幕が関わっていたとでも」


「いや、違う。聴取が終わらなければ確実なことは言えないが、どうやら大きな組織が動いているみたいだ」


「暴力団ですか」


「それとも違う。犯罪を主な目的とした組織のようだ。組織にとっては犯罪ではなく別の目的があるんだろうが、実際に行っていることは犯罪だ」


「その組織が数十年前の金銭横領事件にの黒幕だったと」


「公安はそう睨んでいる。正直驚いた。この手の集団は暴力団と相場は決まっているが、まさか犯罪組織なんてものがこの今の日本にあったとは」


長嶋はこの駒井運送を中心に起きている事件の根の深さに驚きを通り越していた。


そして駒井運送と暴力団と警察が裏で繋がっているのではないかという自分の仮説が根本から崩れてしまったことにショックを隠しきれなかった。


「お前がファミレスで話していた、駒井運送と暴力団、そして警察の関わりは間違いだったと思うだろうが、実は根っこの部分では強ち間違いではない。その犯罪組織に数人の刑事が関わっていることが分かっいて、捜査を進めているところだ。そして、その刑事の一人は、今お前が考えている人物と同一人物であろう」


「それで、自分達は今後どう協力すべきと考えていますか。公安の得意としている違法紛いの捜査でもしますか」


「まったく、その公安嫌いは何とかならんか」


長嶋は肩をすくめてみせた。


公安嫌いを治す気がないのか、そもそも公安嫌いではないのか、手塚には掴みかねていた。


「まずは駒井萌花に関する情報を手塚さんの持っている情報と照らし合わせ整理する必要がありそうですね」


「それはそうだ。やはり駒井萌花に何かありそうか」


「もちろんです。いくら自分の父親がトラブルを抱えていることが分かったとしても、狂言誘拐などと大それたことはしませんよ、普通。ましてや、他人を巻き込むなんて何か別の目的があるのか、もしくは別の誰かが企だてた可能性が」


手塚は何度か頷くと「俺も同感だ」と言い、続けた。


「後で紹介するが、俺の部下にも協力させようと思っている。管理官に許可を取った後でな。そして、そいつはその駒井萌花の周辺を洗い出している最中だ。まだ数日かかるだろうが」


「さすが、抜け目がないですね。まずはその結果待ちとういところですね」


手塚は再度頷くと再び事情聴取の様子に目を向け、何事か考えるような表情をしながら長嶋に話した。


「お前ももう若くないから言うが、この事件は数十年前よの金銭横領事件が発端なのは言わなくても分かると思うが、その前から始まっていたような気がするんだ。最悪の場合、過去に解決した事件でも今回の犯罪組織が黒幕だったなんてことが滝のように出てくるかもしれん。覚悟して捜査を進めよう」


と手塚が手を差し出した。


「覚悟の上です」


長嶋はその手を握り、決意を新たにした。


「それと、これはお前も分かっていると思うが、今後は俺の事は名前で呼ばないでくれ。ティーと呼んでくれ。公安内ではもう少し長いコードネームがあるが、区別した方が良いだろう。管理官は別だけどな」


長嶋はまだこの手塚を信頼したわけではないがら萌花と健人の話を聞いていた時にはもう覚悟を決めていた。


警察のパンドラの箱を開けることを。


そして、今、再び覚悟を決めた。


この公安である手塚と手を組むことを。


二人は部屋を出ると、駒井萌花の周辺を洗い出しているという手塚の部下が近くにいるということなので会いに行くことになった。


「少々驚くかもしれんが、あまり騒がないでくれよ」


「おそらく、これ以上驚くことはありませんよ」


「それはどうかな」


手塚は意味深な表情を残し、先を急いだ。


警察署を出てからは車で移動することになった。


「目的地ぐらいは教えてもらっても良いのではないですか」


「お前達が密談していたあのファミレスだよ」


長嶋は思わず眉間にシワを寄せてしまった。


この事件の中心である駒井運送の近くで、再び公安に会うことになるとは、長嶋の疑問は深まるばかりである。


「もしかして、数年前から公安は駒井運送に潜入していたんじゃ…」


「やはり、お前は頭が冴えるんだな。正解だよ。さっきから言っている俺の部下は駒井運送での潜入捜査の最中だ」


「何故今まで放置していたんですか。潜入していたなら、今回の狂言誘拐は防げたんじゃないですか」


「確かに防げたかもしれんが、例の犯罪組織が絡んでないとなると、変に動くと潜入していることを察知される恐れがある」


「それはそうですが、駒井萌花の気持ちを考えたら…」


「何を青臭いことを言っているんだ。そんな綺麗事で例の犯罪組織の影をも見失ったら元も子もない。最悪の場合、死者も出てくるぞ」


長嶋は顔を歪めていた。


手塚の言っていることは刑事として最もな事であるが、一人の人間として駒井萌花の気持ちを無下には出来ない。


「しかし、お前のそういうところを評価して管理官は俺と組ませたんだろう。俺達公安はどうしても容疑者を人間と思ってないんじゃないかと思われているようだしな」


運転をしている長嶋は前に目線を向けながらも手塚の言葉を反芻した。


公安が数十年前から駒井運送に潜入していた事実は、長嶋に驚きと共に一つの疑惑を持たせていた。


──犯罪組織と数人の刑事が繋がっているという状況で、なぜ公安は数十年も泳がしていたのか。


手塚に問い詰めたくても、これを聞いたところで長嶋が納得する答えは返ってこない気がして聞くのを躊躇った。


長嶋が運転している車は以前長嶋が来た駒井運送近くのファミレスの駐車場に入っていた。


時間は夕飯時にも関わらず、駐車場内は妙な空席が多く長嶋は嫌な予感がした。


「もしかして、今回も公安が店を貸し切ってるのですか」


「よく分かったな。まあこの時間帯に空席だらけの駐車場を見れば一目瞭然だがな」


二人は車から出るとファミレスの入り口に向かった。


入り口には臨時休業の張り紙が貼られていた。


前回来た時はこういったものが貼られていた記憶は無いが、長嶋達がファミレスに入った後に貼ったのであろう。


帰りは色々と考え事をしていて入り口のドアに目がいかなかった。


ファミレスに入ると、以前長嶋達が話をしていた席に一人の人物が入り口に背を向け座っていた。


一目見ただけでその人物が誰なのか長嶋には分かった。


数日前にその席でその人物と話をしていたのだから。


長嶋は手塚に「どういうことですか」と詰め寄ると、手塚は「そういう事だ」と何食わぬ顔め席に向かった。


長嶋は驚きのあまり席に向かう一歩目がなかなか出なかった。


手塚が振り向くと「早くしろ」と長嶋を促しようやく我に返り席に向かった。


二人が近づくと席の人物は立ち上がり、対面の席に促した。


「驚いただろ」


第一声は長嶋に向けられたものであった。


正面から見るとやはりその人物は紛れもなく、数日前にここて狂言誘拐の真実を聞いた雅也であった。


「驚いたさ。俺も刑事としてお前の経歴を調べるべきだったよ」


「長嶋が調べたところでデタラメな経歴しか出てこないさ。公安で本当の経歴が残っている奴はいないよ」


長嶋は苦虫を潰したような顔をしながら席に着いた。


「それで、どこからどこまでが本当の話なんだ。学生の頃の例の女子生徒が引き金となり今も引きずっているという話も作ったものなのか」


雅也は少し俯いてみせると「それは本当の話だ」と言い続けた。


「実は高校を卒業した俺はその女子生徒のことを忘れられずに警察官を目指した。まだまだ子供だったんだ。警察官になれば女子生徒のことを自由に調べられると思ったんだ。だけどそんなことあるわけもなく、ただ時間だけが過ぎていった。出来ることといえば合間を見つけてビラ配りをすることくらいだ。そして、一昨年、公安が俺に接触してきた。驚いたことにその女子生徒のことだったんだ」


長嶋は険しい顔を見せ続きを促した。


「俺としては願ったり叶ったりだったから、出来る限りの協力はした。もちろん公安が持っている情報も教えてもらおうと交渉しながらな。そして何ヶ月も話し合い、女子生徒の事が分かれば分かるほど、俺の親父を、自殺に追い込んだ駒井運送金銭横領事件の関係者の親族だという考えが出てきたんだ」


「当時から何年も経っている現在、女子生徒の名前くらいは分かったんじゃないのか」


「分かっている。そしてその女子生徒の親の現在の居所も、金銭横領事件時の役割もな」


長嶋は考えた。名前を聞いてしまって良いものなのか。


目の前にいる雅也の精神状態はなんら変化がなく名前を言ったところでどうということはないだろう。


ましてや公安に所属している事が分かった手前、ある程度は覚悟が出来ているであろう。


しかし、長嶋自身の方は平常心でいられる自信がなかった。


それはある程度、名前の予測がたっていたためである。


その女子生徒が誰であるかを、そして、今回の駒井萌花狂言誘拐事件の元凶ともいうべき事件である金銭横領事件の真実を。


その女子生徒の親は長嶋の刑事人生に少なからず影響を及ぼしていた人物である。


しかし、ここで引き下がれば更なる被害者が出るかも分からない。


現にまだ成人にもなっていない学生である萌花と健人が狂言誘拐という大それた事を計画してしまった。


それは二人にとってどれだけの重荷となってこれこらの人生の足枷となるか。


もう時間は残されていない。


そして、管理官から公安の手塚と組むようにと命令を受けている。


これは暗に例の女子生徒のまわりで起きている事件の真相究明のゴーサインが出たという事だ。


ーー今しかない


長嶋は意を決して雅也に問うた。


「名前を教えてくれ。真相究明の鍵になる、その名前を」

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