8/9 憧れは、
押し問答の末、私は彼女本人から名前を聞くことに成功した。『長峰小夏』――『小夏』と呼ぶことになったけれど。小夏は十二月某日の朝、模試を受けるために家を出たところで記憶が途切れているらしい。おそらくはそこで『歪み』にとらわれてしまったのだろうこともわかった。
一方でやはり、これが夢ではなく現実である、ということを理解してもらうのに一番時間がかかった。外の景色、夢ではありえない現実感、言語が違うのに理解できる現象、決定打は軽い魔術を使って部屋に光の玉をぷかぷか浮かせてみたことだろうか。その時は小夏も、徐々に顔色をなくし、最終的に真っ青になって震えていた。
……本当は、もっと時間をかけて落ち着いてからいろんな話をしたいのだが、いかんせんジルの目の前でことが起こって、すでに王城、国王にも話が通っている。彼女に危険性がないと判明した時点で私は報告を入れざるを得ないし、報告までの時間はあまり引き延ばせば疑念を生む。いや、まあ、ぶっちゃけ国王含む王族だけなら大体何とかなる程度の信頼は築いているのだが、さすがに宰相含むその他重鎮歴々までは難しいのだ。……数日以内に私と彼女は王城に召喚されるだろう。それまでに最低限の話し合いは終えておかなければならない。
休憩を兼ねて昼食をはさむ。その間にメリィたちには、『彼女に危険性はないが偶然異世界から迷い込んでしまったため混乱している。落ち着くまで時間がかかるためしばらく近づかないように』と言い含めた。やはりみんな心配と警戒をにじませていたが、我が家で保安・保全面に関して私の言葉の信ぴょう性は高い。私は時に予告なく突拍子のないことをやらかすが、愛する我が家のみんなに危害が及ぶことは許さない女なのである。王城への経過報告や情報統制等々の関係で話をした領主代理であるセルバート・アイゼン様までが「ああ、シャーロット嬢がそう言い切るのであれば疑う余地はありませんな」と返してきたあたり染まり切ったな、と思った。
そして少しは小夏の顔色が戻ってきたあたりで話を再開する。
「……さて、混乱していると思うけれど、ここまでの話は、いいかしら?」
「……えっと、ここは日本じゃなくて、異世界……で、あたしはそこに迷い込んできちゃったんですよね。シャーロットさんが見つけてくれて、保護してくれた……」
「そうよ。……ああ、これが一緒にこちらに降ってきた荷物よ。小夏のでしょう? 何かなくなっていたり、壊れていたりはしないかしら? ……ごめんなさいね、さすがに何も確認せずに家に上げることはできなかったから、一度中を見させてもらったわ。なにもとったりはしていないけれど、自分で確認した方が安心でしょう?」
「ううん……。話しを聞く限りあたし超不審者だし……。よくわからないけどシャーロットさんってすごくお金持ちみたいだし、変な人間家に上げられないでしょ」
小夏は引きつったような笑みを浮かべ、首を振りながらもかばんを受け取った。ちなみにセーラー服は寝にくいうえにしわになってしまうだろうという説得の上、現在私の部屋着を貸している。セーラー服は室内でハンガーにかけられている。周りが知らない人ばかり、わからないことだらけで自分の持ち物が一時でも見えないところに行くのはまだ不安が大きいだろうから。
その証拠に、カバンを目にした彼女は少し驚いた後、胸に抱きしめてちょっとだけほっとしたように息を吐いている。それから中身を恐る恐る確認し始めた。
「本と、参考書……スマホもあるし……よかった……」
中身を確認しつつ、見慣れた自分の持ち物に安堵をにじませる。けれどそれが逆に今自分がいる場所との差異を浮き彫りにさせたのだろう。ブックカバーのかかった本を抱きしめて、小夏はうつむいた。
「……その本、大切なものなのね」
こくん、と小夏はうなずく。ぎゅっと本を抱きしめる姿ははかなげで、伏せられた瞳が憐憫を誘う。
――が。
「小学校……えっと、もっと小さい子が通う学校なんですけど、そのころに教科書に載ってた人の、伝記なんです。そんなに昔の人じゃなくて、実はうちのお父さ、……父の勤める会社がその人に助けてもらったことがあるみたいで、女の人なのにすごいって、……すごく尊敬してて、その人みたいになりたいって思って、学校もおんなじ所に行ったんです」
よほど心酔しているのだろう。話しているうちに、小夏は寝起きの混乱状態以来の饒舌になっていた。ぎゅうと本を抱きしめる腕は変わらないのに伏せられていた瞳は上げられ、強く私を見つめる。
「そうなの、ね……?」
「そうなんです。若くして亡くなった方なんですけど、あたしだけではなく、世界中で尊敬されている人なんですよ……! たくさんの伝説もあるんです! この本も、世界中で訳されてるんです。親友だったという方が著者で!」
私はやや引き気味になったが、小夏は逆に身を乗り出してきた。話題の選択を間違った気がしなくもないが、元気になったと考えればよかったのだろうか。だがしかしここ一番、瞳が輝いているように見えるのは気のせいか。……そして、なぜだろう、何か、嫌な予感がする。
「『親友』……が、書いたのね……?」
私の引きつった声に、小夏は多分気づかなかったのだろう。
彼女は愛らしい笑みで言った。
「はい! 世界の憧れ、『刈宮鮮花』様です! 著者は杉原斗海様という方です!」




