6/65 同じ深淵を、抱いている
「『愛していた』から……?」
ソレイラが返したのは、震える迷子のような声だった。私は手のひらに魔力を集めながらも答える。
「もちろん、愛は免罪符にはならないわ。でも、理由にはなるでしょう」
『愛』は免罪符にはならない。最愛の人を失って国家転覆を企てた故・クラウシオ・タロラード王弟公爵がけして認められはしないように。
それでも、『愛』は理由にはなると思う。あるいは憎しみ。あるいは妬み。あるいは悲しみ。あるいは喜び。感情の発露、個々別々の言動。その原理に『愛』があること自体はどうしようもない。理屈ではないことなんていくらでもある。だって人間だから。
もちろんソレイラが本気で私を殺そうとしてくるなり嫌がらせをしてくるなり、いつぞやのヴァルキア貴族のように嫌味を延々とぶつけてくるなりするならばもちろん私はやり返しただろう。私は私の父とソレイラの祖父の間に横たわる因縁を知っているからと言って自分に直接的な害が及んでなお許したりはしない。まさに、『免罪符にはならない』。
でも、ソレイラはまあちょっと私に冷たかったり頑なだったりでうちの使用人さんたちを刺激したりしたけど、私自身は気にするほどのものでもなかった。誰でも嫌いな人間や苦手な人間、絶望的に相性の悪い人間はいるよね。その程度で流せるものだった。
じゃあ、別に、いいじゃない。それが私の結論だ。
『愛していた祖父をシャーロット・ランスリーの父親が殺したから、ソレイラ・アキト・ジッキンガムはシャーロット・ランスリーが嫌いです』。
なるほど。としか言えない。そうだろうな。くらいは思う。フレンドリーだったら逆に怖いよね。え? なんだろう、取り入ってからの復讐フラグなのか……? とか勘繰りたくなるよね。まあどうしてなかなかこじれにこじれて、というかソレイラが一人でぐるぐるこじらせたからこその現在の関係性で、この怒鳴りあいなのだけれど。
「あなたの行動に文句をつけることはいくらでもできるけれど、あなたの心まで縛る権利は私にはないし、だれにもそんな権利はないでしょう。……だって私もそうだわ。大好きだったのよ、馬鹿なことばっかりする父も、最後には仕方なさそうに笑って許す母も」
ひゅっと、息をのんだ音が、風に乗って聞こえた気がした。
「――だから両親を殺した『あれら』を私は許さない。たとえ『それら』が死んでも。地獄に落ちても。許さないわ。許す日は来ない。永遠に。もちろん公私は分けるわ、取り繕うのは難しくない。私にとっては。でもそれと内心は別よね。いいじゃない、心の中でこの糞野郎死にさらせと思っていたって言葉にしなければ思っていないのとおんなじよ」
だからソレイラだって、憎みたいなら憎んでいればいい。許せないならそれでいい。認められないなら無理をしなくていい。ソレイラがそう思っているとして、私が損なわれるものはないのだから。だって、そこまで彼女と私は近くない。
仲良くなれれば楽しいだろうとは思う。彼女のようなまっすぐな人間は嫌いではない。でも、それはソレイラの心情を無視してまで無理やりに築くべき関係でもない。適度な距離感というやつだ。
「……」
すごく、絶句してソレイラが私を凝視している。全然違う方向から襲い来る魔物を惨殺しながらなのがあまりもシュールで笑えない。どういうことなの? 背中に目がついてるの? その正確無比な急所狙いと返り血の神回避すらも凡人の努力と身体強化のたまものなの? そんなわけないだろうソレイラはやはり凡人ではない。おかしい類の種類の人間に片足を突っ込んだチート系美女である。
ともかくも、それが私の考え方なのだ。だからソレイラを責める気も毛頭ない。……それは、これまでの私の態度である程度は察していたと思うけれど。
まあ、そんな私だったから、余計に彼女はぐるぐるこじらせてしまったのかも知れないと思えば後悔はしないが反省はしよう。どうしてそうなったのか、大体の予想はしているし。
――私は、ソレイラの本質は感情論で動く人間であると思う。そして割と強いものや力そのものに尊敬の念を抱いている。まあ、ソレイラだけではなく、脳きn……ゴホン、武の国ヴァルキア帝国の住民に多い考え方である。シルヴィナ様は蝶よ花よで大事に大事に育てられたガチ深窓の姫君なのでその傾向は薄いんだけど、基本王侯貴族から平民に至るまでその考えが根強いというか、肉体派がすごい多いというか、熱血さんが多いというか、下克上上等、だって強いものこそ正義だよね! みたいな。
まあさわやか熱血脳筋と言い切るには半面身内意識が強くて、正面攻撃できない立場の相手に対しては、以前私が『鬼の子』云々と陰口を言われたような陰湿さも兼ね備えていたりもする。陰湿な脳筋って何その矛盾。なんでそういうところだけねちっこいの。
ただし脳に筋肉が回っているのであんまり賢い手口は取ってこないというか通り一遍ストレートな嫌味を聞こえよがしに言う感じのなんか小学生みたいな集団である。それでいいのか? いいのだろう、それでも国家は成り立っている。不思議でならない。
だがしかし人は千差万別、そんな脳筋の国に生まれ、脳筋の思想を受け継いではいても、ソレイラの地頭はよかったのだろう。冷静であったともいえる。感情を理性で押さえつけることができる人間だった。しかし今回はそれが裏目に出た。
……まあ、それはあくまで私の予測の域を出ないことではある。でも、たぶん、おそらく、そうなんだろう。
たぶん。ソレイラは、根本的に『強い人間』を尊敬していて。だからまあ、うちの父……アドルフ・ランスリーのことも、『憎しみ』と並行して、おそらくは、『憧憬』に近いものを抱いていたのではないだろうか。抱いて、しまったのではないか。
『仇』を『憎い』と思うこと。
『強さ』を『すごい』と思うこと。
どちらも素直な感情で、それら単品では何も問題はない。でもこの二つが同居した場合はどうなるか? まあ、混乱するというか、どちらかの感情を受け入れられないし受け入れたくないだろう、大抵。
それでももし、ソレイラがもっと単純、というかアホだったら『仕方ないじゃん!』みたいに開き直ったかもしれないのだが、ソレイラは真面目で、若干潔癖。しかも理性的で頭がいい。だから当時生まれてすらいなかった私に感情をぶつけることがいかに理不尽かを理解している。でも割り切れない。なのに当の私は割と気にしてない。
頭がいいっていうのは別に欠点ではないんだけど、『考えすぎる』っていう現象を生み出しがちだったりもする。そしてドツボにはまって答えが行方不明になる。まさにソレイラ。
なのに本質は感情で動いちゃう人間。それがソレイラ。
感情がブレブレなのを無理やり理性で抑え込んでいるから『理不尽なのはわかっているけど認めたくない、許したくない、どうしようもなくてもやもやする!』に帰結するんだろうなあというのが、私が彼女を見ていて出した結論だ。