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公爵令嬢は我が道を行く  作者: 月圭
第六章 世界の澱
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6/59 そして、叶わない夢を、(ソレイラ視点)


 剣を振るう。魔物から鮮血がほとばしって奇声を上げて倒れてゆく。そろそろ身体強化も危うくなってきたが、引きも切らない極彩色の異形の群れはまだまだ終わらない。ともに戦う少女と少年はまだまだ余力があるようで、目もくらむような閃光がまたしても地平線の端から端まで走り、大量の魔物が消滅していく。その隙に私は呼吸を整えるように集中し、また、走り出す。


 『魔術の天才』の名をほしいままにするランスリーの姉弟はその肩書に恥じない実力をこれでもかと示している。

 


 それを視界の隅にして、思い出す。


 ――故・ランスリー公を、一度だけ見かけたことがある。当時は騎士見習いであった私では直接会うことができる立場にはなく、隣国間の交流のために訪れた使節団の一員であったその人を、遠目に見ただけではあったのだが。


 背まで流した髪を一つにまとめ、柔らかに笑う男だった。美しい、という形容詞がこれ以上似合う人間はいないだろうというほどに、整った容姿の男。……ジルファイス第二王子殿下も美しい少年だが、彼が姫様曰く『目に痛い』ほどの華やかな美しさであるのに対して、アドルフ・ランスリー公は完成された芸術品のような硬質さを持つ美貌だった。――とても、かの戦争で『鬼』と呼ばれた、希代の魔術師には見えないような、細身の男。


 あれが、祖父を殺した男かと、思った。


 ……だからと言って、何かをしようとしたことはない。それをしたって今更どうにもならないし、むしろ私の命がなくなるだけだろう。その程度のことはわかるぐらいに当時の私は成長していた。


 だから、見ていた。ただ、『見て』いたのだ。


 宝石のように美しい、アメジストの瞳。


 屈強な男を想像していた。正しく『実力者』であるかのような、百戦錬磨であるかのような、威厳満ち溢れる男であるのだろうと思っていた。実際、『ランスリー公爵』と呼ばう声が風に乗って聞こえなければ、垣間見えたその瞳が世にも珍しい『紫』でなければ、私は彼を『アドルフ・ランスリー』であるとは思わなかっただろう。


 けれど、その目が。代名詞のゆえんともなった紫色のその瞳が、驕るでもなく、見下すでもなく、へつらうでもなく、泰然としていたから。圧倒的な自信に裏打ちされた自己の確立。


 強い、と思った。そう思ってしまった。


 そう思った自分を認めたくはなかった。だって、その男は祖父の仇なのだ。騎士に剣も振るわせず殲滅した『紫の瞳の鬼』。


 ……強くなりたかった。誰にも負けないほどに、強くなりたかった。理不尽に殺されないように、強くなりたかった。強くならなければならないと思った。


 『アドルフ・ランスリー』は、『仇』というだけでなく、あらゆる意味で私の『目標』になっていたと気づいたのは、彼の訃報を耳にした、後だったのだけれど。


 はやり病に倒れ、夫婦そろって帰らぬ人となり、残されたのは幼い令嬢が一人、だなんて。


 場違いなほどの喪失感を覚えている自分に気づいたときに、失望したのだ。これほどまでにあっさりと死んだ、『アドルフ・ランスリー』にも、そしてそれにひどく衝撃を受けている、自分にも。


 許せなかった。


 許せなくなった。祖父を殺したランスリーも、ただの一度も手合わせする機会もないまま彼が死んでしまったことも、それらを許せないと感じてしまう自分自身さえも。


 『シャーロット・ランスリー』は、『アドルフ・ランスリー』によく似ていた。その顔の造形は、おそらくランスリー嬢は母親似なのだろうと思わせるものであったが、その泰然とした雰囲気が、媚びない態度が、自信に裏打ちされた強さが。……何よりも、その得体が知れないと思うほどの、底の見えなさが、ランスリー公に、似ていたのだ。


 だから彼女を認められなかった。どれほどランスリー嬢が傑物であったとして、どれほど己が大人げなかったとして。


 いつだったか、少しだけエルシオ殿と話をしたことがある。あれはランスリー嬢と姫様と、エイヴァ殿の三人が何かいつものように言いあいのような掛け合いのようなことをしていた時だった。少し輪から離れたところに避難していたエルシオ殿と、一歩引いて姫様を見守っていた私。世間話、というのだろうか。遠い目をするエルシオ殿をいたわりながら相槌を打っていた。そして、その延長線上での彼の言葉。


「ソレイラ殿。シャロンが、あなたに何をしてしまったのか、あるいは何もしていないのか、僕は知りません。……でも、たぶん、シャロンは、あなたのことが嫌いじゃないんです。だから、できれば、もう少し、あの人のこと、知ってほしいと、思うんです」


 その会話がうやむやに終わったのは、その直後に姫様達の騒動にエルシオ殿も巻き込まれていったからで、だから私は彼に何の返事も返してはいない。……返せる状況だったとして、何も言えはしなかったのだろうけれど。


 エルシオ殿は、やさしいお方なのだろう。明らかに私が理不尽であっても、私に選択肢を残し、そして本当に『知らない』のかを知るすべは私にはないが、少なくとも私に追及をしなかった。……あれほど仲のいい義姉と他国の騎士との確執が、気にならないわけがないだろうに。

……正しく、私は、知るべきなのだろう。彼女は彼女の父親とは違うのだから。話すべきなのだろう。いつまでも幼子のようにいやだいやだばかりではいられないのだから。認めるべきなのだろう。彼女の存在も。その強さも。……自分の、愚かさも。


 判っていて、できていない自分が情けなくてしょうがないのだ。ぐっと、私は唇をかみしめた。私はそうして、ランスリーの姉弟の戦いを意識の端に止めて、後悔に似た感情に、いつだってさいなまれている。今も。


 ……だから。


 否、それは一瞬ではあったのだけれど――私は気づかなかったのだ。


 目の前に、迫る無数のかぎづめが、


 ――しまった、とそれだけが浮かんだ。血の気が引いた。


 戦場の真っただ中だというのに、思考にとらわれすぎた。いや、おそらくは配分を間違った。体力と気力と、魔力の。


 ……最悪の、タイミングで、身体強化が、崩れた。







 かぎづめが、迫る。

















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