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公爵令嬢は我が道を行く  作者: 月圭
第六章 世界の澱
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6/58 欠落を数えて(ソレイラ視点)

 二十年ほど前。起こった戦争と、職業柄それに参加した祖父。私はまだほんの子供でしかなかったが、最後に見た祖父の顔はよく覚えている。……当初は、祖父には出陣命令は下っていなかったのだ。家族の中では父と母のみが、出陣していた。しかし劣勢の戦況を受け、先陣を追うように祖父にも命が下った。


 その時の祖父はただ、穏やかな顔をしていた。戦場に向かうとは、それも決して状況もよくはない場所へ赴くのだとは思えないほどに、穏やかで、やさしい顔を、していた。


『大丈夫だから、そんな顔を、するのではないよ』


 そういって、私の頭を撫でた大きくて少し体温の低い手のひらを、覚えている。


 どうしてだろう。その時の私は、祖父を行かせたくなかった。そばにいてほしくてしょうがなかった。虫の知らせとか、第六感とか。簡単に言えば、嫌な予感というものを、明確に理解せずとも、その時の私は感じていたのかもしれない。どんな顔をしていたのかはわからない。泣きそうな顔でもしていたのだろうか。


『帰ってくるから、案ずるな。そうしたら、稽古の続きをしよう。鍛錬を怠るのではないよ。怠けていたら……ふふ、どうなるかはわかっているだろう?』


 冗談に聞こえない冗談を言う、いつも通りの祖父に、ようやく私も少しだけ、体のこわばりをといた。


 祖父がそういうのであれば、そうなのだろうと、安堵をした。

 それが、最後になるなんて思わなかった。


 だって、祖父はうそを吐く人ではなかった。人に厳しく、それ以上に自分に厳しく、誠実な人だった。守れない約束は、口にしない人だったのだ。


 帰ってこなかった祖父。初めて破られた、約束。だって『必ず帰る』といったのに。呆然と、消沈した父と母。事実を、幼かった私はすぐには理解できなかった。父も母も帰ってきたのに、どうしてかそこに、祖父だけがいない。稽古をつけてくれるのではなかったのか。鍛錬を怠ればその分きつい訓練内容になるから、祖母と一緒に毎日欠かさず頑張った。それなのにそれをほめてくれる人も頭を撫でてくれる大きな手もどこにもない。


 どうしてと、言葉で聞き、何日も、何週間も、帰ってこない現実に、もう会えないのだと。


 もう、大好きだった祖父はいないのだと、ようやく、気づいた。


 本当に、何も。遺体のかけらも、武具の名残も、服の切れ端さえも何も残らなかった。多くを、父も母も語りはしなかったから、私が知りえたのは成長してから調べたことではあるけれど……夜空を真っ赤に照らしつくす、巨大な『疑似太陽』とでもいうべき大規模広範囲殲滅魔術で、焼き尽くされたのだという。


 たった一人の人間に、万の騎士が、殺された。その中の一人に、祖父がいた。一瞬のことで、よける暇さえなく、……もっと早く気付いたとして、退けられたのかといえばそうではないのだろうけれど。


 それを成したのが、アドルフ・ランスリー。


 ――そもそも、魔術を得手とするメイソード王国と、剣術・槍術等近接戦闘を得手とするわがヴァルキア帝国の実力は拮抗していた。遠距離攻撃は厄介であったが、接近してしまえばこちらのものであったし、単純に人数で言えばこちらが圧していたのだ。


 けれどそんなもの関係がないといわんばかりに均衡を崩したのが『ランスリー』だった。


 戦場の『鬼』。見たら逃げなくてはいけない。知らぬ間に近づくその男を野放しにしてはいけない。その男だけは確実に仕留めなければならない。


 逃げろという声と、打ち取れという声が当時は混ざり合い、そして当初は好戦派が多数であったらしい。けれどもあまりに圧倒的な魔術と、底なしの魔力と、神出鬼没な予測不能さ。


 『紫の瞳の鬼』からは逃げろ。逃げろ。逃げろ。……逃げられなくても。


 恐怖の象徴になった男。端正な顔に無表情を張り付けて、ひとたび腕を振るえばおぞましいほどの魔術で戦況を支配する。


 戦争は終結した。ヴァルキア帝国の敗戦という形で。……まあ、同時期にメイソード王国で起こった政変や、新王に即位したアレクシオ・メイソード陛下の人柄もあり、比較的良心的な対応になったし、自治権も自国に持ったまま、今では友好国として付き合っていけるほどに復興を遂げている。


 それでも、私は忘れられない。


 私が初めて、喪失を知ったあの時。祖父は魔術もそれなりに扱えるが、やはり剣に誇りを持っている人だった。それを使う機会すら与えられずに、死んだ。


 成長し、当時のことを自力で調べて知った私は憤った。許せないと思った。一層鍛錬に励んで、怒りを、憎しみをぶつけるように剣を振った。


 強くなりたかった。誰にも負けないほどに、強くなりたかった。理不尽に殺されないように、強くなりたかった。

 大切な人を失わないように、強く、なりたかったのだ。


 それでも、頭に血が上った状態もそうは続かない。いかに、騎士の誇りがどうのとこちらが思おうとも、生きるか死ぬかの戦場で、そんなもの相手方には関係がなく、あちらからすれば『魔術師としての矜持』ですらあっただろう。得意な土俵で得意な攻撃で、自国のために、己が生きるために、己が大切なものを失わないために、ただ正しい選択をしただけで、それができる化け物じみた能力がアドルフ・ランスリーにはあった。


 ひとは死ぬ生き物だ。そして戦闘を生業とする騎士であるならばなおさらそれは身近で、家族も含めて常に覚悟を持たなければならない。それが武器を手にする者の心構えであると、私に教えたのは祖父その人だった。


 でも『仕方がない』で割り切れるほど私は人間ができてはいない。


 常識は知っている。国の方針、友好的な付き合いを望んでいることもわかっていた。だけど、『許せない』と、ひそかに憎んだっていいだろう。思うだけなら自由なはずだ。
















 でも、アドルフ・ランスリーは死んだ。病で。戦場ではなく、病床で。


 私は、どうしてか、また、何かを失った、気がした。





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