6/42 理解したってどうしようもない理由を、それでも
と、私は連鎖的に鍛錬場の修繕費について思考を巡らせていた。もはや現実逃避であったかもしれない。だっていろいろと面倒くさい。本当に。これは執務室を急襲してサプライズ八つ当たりを国王に敢行すべきだろうか? それともエイヴァを拉致して、不毛の大地にてストレス発散にいそしむべきだろうか? どんどん思考が横にずれていたが、その時である。横にいたジルがそっと声をかけてきた。
「いいのですか、あれは」
すごく楽しそうだった。美しく微笑んでいらっしゃった。これは……どっちだ? 大暴走にも、愉快な傍観者にも、どっちにも振り切れそうな輝く笑顔である。こいつ、今回すごく空気だったくせになんて振り切れる感情が両極端なんだ……。私は思わず半眼になった。しかしここにきてもジルは鉄壁笑顔である。本日の王子様の顔面は実に堅牢である。
「いいのですよ、あれは。むしろ、声に出せるようになっただけ、前に進んだのではないかしら」
息を吐いていえば、「なるほど?」と片眉をくいと上げるジル。そしてこのやり取りで、私とジルは、互いに互いが、『ソレイラ殿の態度の理由を知っていること』を知る。
「彼女に対しては、あなたは本当に、動かないのですね」
「そうですわね。基本的に、害がありませんし。ただ、彼女が割り切れていないだけ」
「あなたの方が譲れば、多少は変わるのでは?」
「私が動いたところでこじれるだけですわ」
「――それは、『譲れない』から?」
「『譲るべきではない』から。……お判りでしょう?」
「まあ、『当事者』ではない分、見えるものもありますから」
「彼女が自分で気づいて、自分で進むことが、彼女のためにもなるでしょう……って、なんですの」
ぽんぽんと軽快に言葉を交わしていた私たちだが、突然ジルが黙ったのでついその顔をうかがった。するとそこには何とも言えない微妙な表情が浮かんでいた。なんだその顔は。何の文句があるんだ。
じっと見返せば、ふうっとジルは息を深く吐いて眉を下げる。
「あなた、常々思ってはいましたが、本当に十三歳なのですか?」
鋭い王子である。私の精神年齢がもはやいくつになるのかは私でも知らない今日この頃。しかしそんなカミングアウトはさすがにしようとは思わないので、にっこり笑って私は返す。
「十三歳以外の、なんだといいますの?」
「十三歳の少女の皮をかぶった老賢者のようですね」
にっこり笑って返された。
しばくぞこの糞王子。
しばらく私たちはお互いににこにこしていたが、所在なさげにたたずむ王家の馬車の御者がそわそわしていたというか、私たちを取り巻く空気の威圧感におろおろしていたし、うちの御者に至ってはいつの間にか『影』さんたちと一緒になって何か物騒な計画をたて始めているようであったので、仕方なく解散した。ジルはこの後、シルヴィナ様にせいぜい振り回されてぐったりすればいいと思う。まあ私も私で、本日も荒ぶる使用人さんたちに振り回される予感がひしひしとしている。愛が重い。重いのは構わない。でも、抹殺、ダメ、絶対。
『ばれなければいい』とか言っているところが本当に私の使用人さんたちで笑えて来る。彼らはヤル気で、本気だ。躊躇いなんてなさそうだ。やり切った後の後始末の計画までばっちりである。そんな有能さはこんなところで発揮しなくていいから。いつか使いどころを見つけるから今はないないしなさい。君たち能ある鷹でしょ、めっ!
ソレイラ殿自体が私に及ぼす害はないが、ソレイラ殿の発言が巡り巡って私に牙をむいてくる。ジルにはああいったが、これはやはり早急に対処しなければならないのだろうか。
馬車に揺られながら考え込む。それから、……でもなあ、と音にはせずに呟いた。
だって、今、ソレイラ殿に必要なのは、『時間』だと思うのだ。突如決まった、シルヴィナ様の留学。ゆえに、ソレイラ殿にだって、心の内を整理する時間がなかったのだろう。
なぜなら、これは感情論だ。理屈ではない。
ランスリー家の名前に反応した、ソレイラ殿。魔術の大家である、わが公爵家。……ヴァルキア帝国を訪問した時、私を指して『鬼の子』と揶揄する者たちがいたけれど。
彼女は、あの時の脳筋貴族とは決定的に、違う。ソレイラ殿は『鬼』を『鬼』だと知り、『鬼の子』を正しく『鬼の子』であると考えている。
彼女の家系は騎士爵。男女問わず全員が騎士として働く、ヴァルキア帝国でも異色の家。もちろん、彼女の両親、さかのぼって両祖父母も、騎士だった。
騎士であるからには戦場を舞台に駆けることもある。十数年前まで戦争をしていた国であれば、なおさら。
――彼女の祖父は没している。亡くなったのは十数年前。戦死だった。遺体は返ってこなかったという。何故なら、大規模殲滅魔術でかけらも残らず焼き尽くされたから。
争った国はヴァルキア帝国とメイソード王国。
殺したのはアドルフ・ランスリー。戦勝国の英雄。紫の瞳の鬼。
……私の父だ。