6/22 多分その日、彼女はつかんだ
「……」
「……」
「……なんていうか……あれね。多分、あれは、優しさね」
二階、渡り廊下の真ん中。庭園で巻き起こった一部始終を見ていた私たちは立ち尽くしていた。何とか私は言葉をひねり出す。うん。多分、あれは、優しさだ。素直ではないだけだ。
「いろいろとこじらせていそうな、嵐じみた優しさでしたね」
そうため息をついたのはジル。
「わかる人にはわかるけど、伝わらない人には伝わらない、優しさだよね」
……まだ困惑してるよ、彼。
庭園を見下ろしてそう指摘したのはエルだった。
「……そうね」
同意せざるを、得なかった。だって、男爵令息は、皇女たちが去っていったほうを見て、手の中の本の山を見て、自分の周囲を見渡して、もう一度皇女の去っていったほうを見て、うなだれた。純然たる途方に暮れた人間の姿だった。なんてかわいそうなんだろう。
いつか、エイヴァとの会話をせざるを得なくなって「そうですね」しか言えない呪いをかけられたとしか思えない様相となってしまったあの時と同じぐらい憔悴しているようだ。彼はなんていうか……ちょっと運が悪いのかもしれない。
彼を襲った災難の一端は私たちが原因であることなどこの場ではどうでもいいことだろう。私はただただかの温厚な少年に同情した。
「私たち以外との交流について、どのように接するべきか考えあぐねて挙動不審だったのは知っていましたが……いつも『ああ』だったのですか?」
ジルが私とエルに尋ねる。いつまでも渡り廊下に立ち尽くしているわけにもいかないので、だれからともなく王太子殿下とイリーナ様に押し付けてきたエイヴァを回収に向かおうと動き出した、その時の問いであった。
「いえ……どちらかというと、第一声に迷いに迷って結局沈黙を選んでしまうというか……。お互いに遠慮が消えないからか、無言で見つめあっては目をそらしあう感じでした」
エルが眉を下げて答えを返す。しかし彼はだいぶ柔らかい言い方をしている。実際は何か見えない危険生物でも間に挟んでいるのかというくらいに一定の距離を保ってじりじりと円を描きながら動き、タイミングを計っているのか威嚇をしているのが実に微妙なラインで無言の攻防を繰り広げているのである。
はたから見ている私とエルには実に奇々怪々であるとしか感想を持てない。そんな中で無表情を貫き皇女に従うソレイラ殿は誠に胆力があると思う。それでも私たちが口を挟まないのは、ひとたびそれをしてしまえば結局は私たちとしか話さないということが目に見えているし、私たちが間に入らなければちょっとした言葉も交わせないのでは意味がないからである。
まあわがクラスには全然空気を読まないエイヴァが在籍しているので、奇々怪々な光景はたいていエイヴァによって終息を迎えるまでがワンセットである。だがしかしエイヴァの発言は油断がならない。彼は純粋ゆえに人の意表を突くのである。
「あれは何の訓練をしているのだ? 変顔合戦か?」
などとごく真面目な顔と声で私に聞いて来た時は噴き出すかと思った。幸い私たちがいたのは教室の端、少々離れた場所であったのでこちらの様子は渦中の皇女たちには聞かれなかった。皇女たちは大変真面目に話し出すタイミングを計りあっているというのにそれを変顔合戦とはなんという暴言であろうか。確かに緊張高まる彼ら彼女らは貴族子女の遺伝子に恵まれた端正な顔を絶妙にゆがめていた。だが断じて彼らは遊んではいない。真剣なのだ。そこのところはきちんと言い聞かせておいた次第である。
ともかく。
「あまり私たちが手を出しすぎても周囲と打ち解けられませんし……シルヴィナ様もご自身で頑張りたいとおっしゃってくださいましたから、見守るだけにとどめていたのですけれど……」
ふう、と私も息を吐く。もう少し、周囲との橋渡しをすべきだろうか。だが小さい子供でもあるまいし……もうすぐ十四になる淑女なのだ。過干渉は本人の成長にもよくないだろう。なので、
「まあ、もう少し見守って、目に余るようであればそれとなく注意を促すしか、今のところはできないでしょうね」
ジルの言葉がそのまま結論となって、その日は終わったのである。……その日は。もちろん、シルヴィナ皇女の積み上げた本日に至るまでの言動は、穏やかなだけでは終わらなかったのである。