6/21 おそらくは、優しいので
あれはいつだったか。膠着状態が始まって一週間は経っていなかったと思う。私はその時、六年生の教室にてまたしても暴走した筋肉だるまを燃やして黙らせてきた帰りだった。そしてちょうど、五年生の実習にて興奮状態マックスになったという魔術狂を二人掛かりでなぐって黙らせて来たエルとジルにばったりと会ったところだった。
なお、この時エイヴァは甘味をたかりにラルファイス殿下とイリーナ様のお茶会に襲撃をかけていた。五、六年の授業のほうが実習が多く、授業が長引くことが多いため、私たちの学年は既に放課後となっていたのである。イリーナ様はエイヴァが最古の『魔』であるとはご存じないが、王太子殿下はご存じだし、まああの二人なら大丈夫だろうと押し付けてきた次第である。明らかにデートを邪魔された王太子殿下は引きつった顔をしていたが、イリーナ様は「あらあらまあまあ、エイヴァ様はいっぱい食べるんですねえ」と楽しそうだったので問題はないだろう。
それはともかく。
そうしてばったり出会った私とエルとジル。しかし私たちの視線はお互いではなく、そこ――二階の渡り廊下――から一望できる庭園の一つに吸い寄せられていた。
そこにいたのは、シルヴィナ皇女ともちろん護衛騎士・ソレイラ殿。そして、かつて惨敗を喫したかの『エイヴァと貴族子女との会話練習』の相手・温厚な男爵令息がいたのである。
「……」
「……」
「……」
私たちは、なんとなく。だれからともなく息をひそめ、彼女たちに注目していた。その日の外は少し強い風が時折吹いていた。シルヴィナ様は折を見て校内を散策しては教室の位置などを覚えていたようだからその途中だったのだろう。そして男爵令息は、シルヴィナ様たちの向こうから庭園の小道を歩いてきており、……おそらくは図書館の帰り道なのだろう、その手にはかなりの冊数の図書が積みあがって若干ふらついていた。
だんだんと二人の距離は縮まっていき……そしてついにすれ違う、その時。ひときわ強い風が吹いた。花弁が舞い上がり、シルヴィナ様のツインテールも舞い上がった。
そして舞い上がったツインテールはかけらの狂いもなく、男爵令息の顔面を襲った。
「ふぎゃ!?」
「えっ!?」
上がった悲鳴、ふらついた男爵令息、腕の中の本の塔は崩れ、しかしそれでも何とか踏みとどまろうとした、その瞬間。男爵令息の声に反応したシルヴィナ様が振り返り、男爵令息の後頭部をツインテールがまたしても直撃した。立て直しきれなかった不安定な姿勢に、思わぬ追撃を受けた男爵令息は、倒れた……。本を庭園の小道にぶちまけて……。
「……」
「……」
「……」
あまりに見事に決まったコンボに、二階渡り廊下の私たちも無言だったが、当事者な庭園の三人も、しばし沈黙していた。「あのツインテールには、攻撃力があるのですね。知りませんでした」とジルがぼそりといった気がしたが、聞き流した。
そしてそのころ庭園では、べしゃりとつぶれた男爵令息が起き上がり、ソレイラ殿が慌てて手を貸そうとしてそれを固辞しているようだった。下がり眉で困ったように笑いながら、頭にはっぱをのっけて男爵令息は首を振っている。二階ではその声は聞こえなかったが、大方謝罪とケガの確認をしたソレイラ殿に大丈夫だとこたえているのだろう。温厚な笑顔であった。
――が、その時。
「な、な、な、こんなところで何をそんなにたくさんの本を持って歩いていますの!? まったく! お気をつけあそばせ!」
突如響いたのはシルヴィナ様の声だった。二階まで届く声だった。その二階渡り廊下で私たちは顔を見合わせた。……これは、と少し、双方を案じた。……が。
「もう、こんなに葉っぱと花びらまみれではないの!」
そしてぱっぱとハンカチで男爵令息の頭の葉っぱを払う、皇女。男爵令息は何か慌てているようだが、その声はここまで聞こえない。皇女の声量と肺活量はなかなかである。
「本もこんなにぶちまけて……なんて不注意なの? もう! で、でも、まあ、わたくしもちょっと、ちょっとだけ、悪かったかもしれないわ。風のいたずらですけれど! だから、まあ、ケガとか本に傷とか、あって、何か言われるならわたくしにも言いなさい! わかったわね!」
「……!」
よくとおる皇女の声。それに慌てたように何か……たぶん、固辞をしようとしている、男爵令息。その間にソレイラ殿はさっさと本を集めている。
「もう! べべべ、別にあなたのためではなくってよ!? あ、あとで私のせいだって言われるのが面倒くさいだけなんだから! 今のところ大丈夫なようですけれど! ともかく、ケガはなさっていないのね!? それならいいのよ! 行きますわよ、ソレイラ!」
「……!」
男爵令息は皇女を呼び止めようとするが、足早に去ってしまう。ソレイラ殿は困惑仕切りの男爵令息に拾い集めた本を渡し、丁寧に一礼して皇女の後を颯爽と追う。庭園には風が吹き抜け、男爵令息だけが残された。
「……」
「……」
「……」
二階にいる私たちは、沈黙する。ちなみに、叫ぶシルヴィナ様は、耳まで真っ赤だった。