6/16 騒めく春には、
ふう、と私とエルはしみじみとハーブティを片手にくつろいでいた。
――あの後。公爵邸に皇女たちを案内しようとしたが、もともと予定にない訪問、王都での王族との会食やその他転入の準備など時間が押していると固辞され、皇女と護衛騎士とジルは嵐のように帰っていった。
せっかくの神祭りだがあまり動いていないのも関わらず、エルはもちろん私でさえ精神的な疲労を覚えたのでどちらからともなく帰宅し、そして現在英気を養っている最中である。
だってやることが増えた。皇女転入に伴って、早急にエイヴァも話をしなければならないし、変態師匠連を教育し直さなければなるまい。特に変態どもは火急だ。だってエイヴァと違って常に私たちがそばにいるわけではないのだから。
国王の影響かアリス様の影響か、物理的に殴って相手を黙らせるのも得意なジルやラルファイス殿下、ふわりと笑って天然ですべてをイイ感じに受け流してしまうイリーナ・ロメルンテ公爵令嬢、並びに一年をかけて慣らされたその他生徒と違って、繊細な皇女様だ。いくらヴァルキア帝国出身といえども、深窓の姫君。脳筋は見たことがあっても変態に耐性はないだろう。ジルにも帰り際に耳打ちされたくらいだ。
「学院の『彼ら』、言い聞かせておくようにと……陛下が仰せでしたよ」と。
……時間が欲しい。でも時間は増えない。すでに春期休暇は折り返し地点を過ぎているのだ。頭の痛い話である。
ちなみに、なぜ文通もしていた私がシルヴィナ様から留学について一切聞かされていなかったのか、というと、この疑問は別れる前に回答をもらっていた。曰く、
「だって、予想外の出会いってどきどきするわ! ロマンチックですのよ! 感動の再会、運命ですわぁ!」
笑顔で受け流したけれどもこの皇女様は思っていたよりもかなり夢見がちなようであった。なお、ジルや国王などメイソード王国側から私に事前の情報共有がなかったのも。この皇女の発言によってストップがかかった結果らしい。乙女の意志の力がすごい。どれだけ熱烈に『ロマンチックな再会』について熱弁すればあの国王が折れるのだろうか。いや、少し前に所用で王城・国王執務室を突撃訪問した際、
「女って、強いよな……」
とこぼしていた。もしかしてそれが皇女の件だったのだろうか。てっきりまた国王が脱走でもして宰相の胃を痛め、アリス様を怒らせてシバかれたのかと思っていた。実際にその事件が起こったことも知っていた。身なりを変え街に繰り出し民に混ざって酒を酌み交わしながらゲームに興じていたところ、負けが込んで身ぐるみはがされた時点で護衛に捕獲され、アリス様と宰相の前に引きずり出されたらしい。本人は取り調べに対し、春なので遊びたかった。仕事が多かったので息抜きをしようとしていて……出来心だった。などと供述していたようだ。アリス様の華麗な腹パンが決まって悶絶していた国王がいたとかいなかったとか。もちろん宰相様にはアザレア商会印の胃薬をお届けした。
話がそれた。
とにかく、そんなロマンを求める夢見る乙女が皇女様である。隣国皇女と公爵令嬢の再会にロマンが必要なのかという疑問はいまだに昇華されていない。ちなみに帰るまでジルは空気みたいな扱いだった。かつてかの美貌のきらきら系王子に恋をしていたいじらしい少女の面影はどこにもなかった。その一方、エルは私の義弟ということで多少興味を持たれていたようだ。
「うふふ! お姉さまの弟様なら、わたくしの弟でもありますわね! でも、お姉さまはわたくしのよ! とったらだめなんですのよ!」
はかなげな美貌に柔らかい表情を浮かべているのがデフォルトなエルの顔がそれはもう盛大にひきつって、何か言いたそうに口を開いては沈黙を繰り返していた。残念ながら皇女の言はだいぶ理論が破綻しているし、根拠もないし、そして私はエルのお姉さまである。シルヴィナ様に『お姉さま』と呼ばれ、その呼び方を許容してはいるし、かわいいとも思う。しかし、エルは私の義弟であるからして私はエルのお義姉さまなのである。エルとシルヴィナ様が結婚すれば私は正式に彼女の『お姉さま』になるだろうが……情勢から言っても、二人の相性から言ってもそういう未来は来ないだろう。
きつめの顔立ちの皇女と甘めの顔立ちのエルは対照的で、見ていてかわいいし、どちらも年齢に比して少々幼げで庇護欲をそそるところは似てはいるが、たぶん、この二人は相性が悪い。そんな気がする。すでにエルはかなりシルヴィナ様に対して引き気味である。いっそドン引きしているといってもいい。
……ドン引きしているからこそ、部屋の空気に気づく冷静さもあったのだろうけれど。エルが自己紹介をした時。そして、公爵邸へ案内を申し出た時。そもそも私が彼らを見つけ、問答無用でいざなった時。三回。瞬きにも満たない時間。ほんの少しだけ。気のせいと流せるような程度に、でもどこか、変わった、空気。私も、エルも、ジルも。気づいた。気づいたことに気づかれるようなへまはしていないけれど。
――そして最後、部屋を出る前。護衛騎士のソレイラ殿に結界について聞かれたのだ。
「見事な魔術ですね。さすがメイソードの……」
「ええ、防音と、人よけを。用心に越したことはありませんからね」
にこやかに答えたのは私ではなくジルだった。ジルが答えた、その意味。問われたその瞬間にめぐらされた、探るような視線。……すぐにそれは消えたけれど。考える。答えはいくつか、頭をめぐる。どれであってもおかしくなく、どれであっても厄介だ。
面倒くさいなあ、と私はため息を飲み込んでカップに口をつけた。