6/15 笑う彼女は美しいけれど、(エルシオ視点)
空から女の子が降ってきたと思ったら皇女様だった。
今日は神祭り初日。領主代理のセルバート・アイゼン様に見送られ、僕とシャロンは領都の賑わいを楽しみながら歩いていた。そこかしこで花が売られ、または花弁が舞い、楽曲が流れ、屋台も出ている。華やかで心が浮き立たずにはいられない光景に、ついきょろきょろと視線を巡らせては、知り合いに声をかけられたりしていた。平和だった。
けれど突如、空からふわりふわりと女の子が降ってきた。一瞬、本当に意味が分からなかった。次には祭りの余興か、もしくはシャロンのいたずらかなとも思ったけど、周囲の人も唖然としているし、シャロンに至っては、「どうしましょう、親方がいないわ」とか「あの子がシー〇で私が〇ズーなの……?」とかよくわからないつぶやきを漏らしていたから、たぶん違う。シャロンも珍しくかなり混乱していたようだ。
そしてふわふわと舞い降りてきた女の子は、そのまま予定調和のようにシャロンの腕の中に納まり、完璧なお姫様抱っこが完成した。あたかも劇の一幕、しかもクライマックスのようだったけど、シャロンの腕の中でうっとりしている女の子以外は困惑に満ちていて感動どころではない。
その後、女の子の発言によってシャロンがまたしても少女をたぶらかしたのかと疑ったり、殿下が登場したりと紆余曲折を経て、少女がヴァルキア帝国の皇女様――シルヴィナ・アセス・ヴァルキア様であることが判明した。
正直、皇、女様……? と思ってしまった。だって彼女、……空から降ってきた。その経緯は殿下から聞いたけれど、なぜシャロンを見かけて躊躇なく飛び出してしまったのだろう。思い切りがよすぎる。
……話を聞くまでは、シャロンの影響を多大に受けたどこかの豪商のお嬢様なのかなと思っていた。平民にしては身なりも所作も洗練されていたし、風の魔術も見事に使いこなしていたし。でもメイソード王国の貴族ではないようだったから。――貴族の血が入っていて強い魔力を持って生まれた子供、という話はそれなりに聞くのだ。
でも違った。皇女様だった。皇女様って元気なんだね。ヴァルキア帝国については、教科書や伝聞でしか知らず、実際に僕が足を運んだことはない。だから、皇女様の行動が帝国で一般的なのかどうかは判断ができない。でも、メイソード王国の基準に照らし合わせると、間違いなく、奇行に分類されると思う。だって、あのシャロンが困惑していた。殿下に至っては『暴走皇女』って声に出して言っちゃうし。
まあその皇女様がまさかの同級生になるという衝撃の知らせを殿下から受けたんだけど。そして皇女様、護衛騎士の女性からのお説教が終わって、今目の前にいるけど。
「――先ほどは失礼をいたしましたわっ。わたくし、ヴァルキア帝国が第一皇女、シルヴィナですわ! ふふふっ! この春から同級生ですわね! お姉さまぁ!」
完璧なカーテシーを披露して挨拶してくださったので、もちろんこちらも名乗り返そうとしたのだけれど、そんな隙など一瞬も与えないで最初からシャロンしか見ていなかったシルヴィナ様はひたすらシャロンに話しかけ続けてこちらのことは一切眼中になかった。視線は完全に固定され、瞳の中には心なしかハートマークが乱舞している。ジルファイス殿下すらも完全に空気扱いで、当の殿下は美しいほほえみを張り付けてただただ能面のように押し黙っていた。皇女様の徹底ぶりがすごい。礼儀がどうとかよりも、もはや逆に感心した。そしてそんな皇女様を根気強くいさめる護衛騎士の女性もすごいと思う。皇女様、全く聞いていないけど。しかも、
「あ、そうでしたわ! お姉さまぁ、こちらが先日よりわたくしの専属護衛騎士となった、ソレイラですわ!」
「……ソレイラ・アキト・ジッキンガムと申します」
そんな明らかについでのごとく紹介されていた。ジッキンガム、と僕は脳裏で繰り返し、勉強した内容を思い起こす。確か、ヴァルキア帝国はメイソード王国とは貴族の階級制度が少々異なっていて……ジッキンガム家は騎士爵、だったはず。女性含め一家全員が騎士という、武の国ヴァルキア帝国でもちょっと珍しい家として学んだ覚えがある。現在は夫妻のもとに二男二女……全員が漏れなく騎士。二十代前半に見える彼女の年齢から言って、ソレイラ殿は末娘だろう。その若さで溺愛されている皇女の専属騎士……しかも留学に随行できるほどとは、相当に優秀なのだろう。でもやっぱり皇女様はその護衛騎士すら空気のごとくスルーし続けている。
エイヴァ君と違うベクトルで空気が読めない皇女様、しかもエイヴァ君と違って物理的に黙らせるという手段が取れない相手に、さすがのシャロンも会話の主導権を握れず困って――いなかった。
「シルヴィナ様?」
皇女様の楽し気な話の隙間をつくように響いたのは、すごくイイ声だった。あまりにイケメン感あふれる声だった。シャロンだった。そしてシャロンはたったその一声で、皇女様を黙らせた。皇女様はほほを染め、大きな目を潤ませ、うっとりとシャロンを見上げている。
「お話しできるのはうれしいですけれど……私の家族を、まずは紹介させていただけませんか?」
恋人つなぎにされていた手をするりとほどき、しかし手は離さずにそっと両手で包んで首をわずかにかしげ……瞬きまでもつややかに、シャロンが問う。皇女様の頬がますます真っ赤に染まっていった。鮮やかだった。そして僕は突如蚊帳の外から会話に巻き込まれたことに気づいた。隣にいる殿下が頑張れとでもいうように僕の背を押した。手ひどい裏切りにあった気分を久しぶりに味わった。
「……っまあっ! まあっ! ご家族がいらっしゃったのね! わたくしったらお姉さまに久しぶりに会ったものだから……こちらの方ね?」
皇女様が僕を振り向く。護衛騎士――ソレイラ殿の視線も僕へと移った。シャロンは皇女様達には見えないようにサムズアップをしていた。僕は顔が引きつらないようにと必死だった。とても逃げたい。でも逃げられない。僕は観念して精いっぱいの笑顔を作った。
「――申し遅れました。シャーロットの義弟となります、エルシオ・ランスリーです。春からは学院の二回生となりますので……お見知りおきいただければ幸いです」
――瞬間。ほんの瞬きの間だけ。気のせいかと思うほどにかすかだけ。空気が、変わったように思った。