6/10 一年、
『ほどほどにしてくださいね』と、そうどこか遠い言葉と共に私たちを見送ったのは領主代理殿――セルバート・アイゼン様である。とても遠く乾いた瞳をしていたが、彼は大丈夫だろうか。別に今は執務もたまっていないし、事実彼は明日、祭りの中日が休日のはずである。休暇を増やすべきだろうか……? 首をひねりながら、しかし私とエルは足を止めることなく、賑わいの中心地へと歩いていく。
――今朝。自称神となんやかんやあってから日課と仕事をこなし、現在は昼。私とエルは衣装を町になじむシンプルなそれに変えて領都へと繰り出したのである。一応お忍びという体なのだが、歩けば歩くほどに超気軽に領民の皆さんが『シャロン様、花買ってくか?』『エル様、おいしいおだんごあるよぉ!』『お嬢様』『坊ちゃん!』などと声をかけてくるあたり全く忍べていない。まあ別に忍ぶつもりもない。忍ぶことに意味はない。なぜなら祭りだの社会経験だのと町に村にと繰り出し交流し打ち解けていって今があるからだ。王都では必須な認識阻害も色彩変換も不要でこの治安の良さ。私たち、頑張った。まあ、『影』のみんなは一応護衛についてはいるけれど。
「やっぱり、『神祭り』は華やかだね……。少し、花を買って帰ろうかな」
ふわり、エルが笑う。昨年と比べてぐっと背が伸びた彼は今では完全に私よりも長身だが、まだまだその顔はあどけなさを残している。かわいい。そんなエルに「そうねえ」と応えを返しつつ、そういえば神を寿ぐという『神祭り』、その当日に私は自称神に一発入れてきたことになるんだな、といまさらのように思ったが、まあどうでもいいことだろう。神に一発入れたことでどうにかなるのであれば私が転生した時点で何かしら影響があるはずである。私の自称神への態度は一貫しているのだ。
ともかく。祭りは祭り、自称神は自称神である。
自称神がかかわらなくても変わったことなど腐るほどあるし、変わらなかったことも腐るほどある。この一年だって、そうだ。
――この一年。私たちが学院に入学してから、再び春を迎えるまでの間。エイヴァがあれだったりエルがあれだったりと前半も忙しかったが、後半もなかなかに忙しかった。
まず夏には、実はかの魔道研究所設立について協定を結んだフィマード家の家長、レリオン・フィマード伯と我が家の領主代理、セルバート様が心の友ともいうべき大親友だった事実が発覚した。セルバート様は国王側の人間なので、いろいろとごまかしていたというか、距離をとっていた部分があったというか。しかしそんなものは顔から出るすべての汁を噴出させて、なかなかにナイスガイなお顔を崩壊させて執務室に転がり込んできたセルバート様をなだめているうちに砕けて消えた。意外と、セルバート殿は、熱血だった。まあ、
「リオ……フィマード伯家のこと。本当に……ありがとうございました……!」
友人のために、あれほどに真摯に感謝し、頭を下げた。それがセルバート・アイゼンという人間だったから、私もエルも、メリィたちも、『領主代理』という存在に無意識のうちに抱いていた警戒心を解いたのだ。
そのきっかけともいうべき魔道研究所も今は着々と成果を上げ最近はとうとう装飾品への魔術付与の理論が完成した。それに伴ってフィマード伯爵家の借金も徐々に消化されつつある。エリザベス嬢……リズ様も、もはや人の顔が金にしか見えていないのではないのだろうかという必死さも消え、アーノルド殿はまあ少々胃を痛めているようであるが、二人とも生き生きと仕事に学業にと励んでいる毎日だ。
そして秋には、変態師匠連への対処方法が学院内でついに確立した。原点は、かつてまだ彼らがランスリー公爵家付であったころ、模擬戦のたびに暴走する彼らを私が頭から水をかけてなだめていた時期がある、という懐かしい話だった。時間がたつにつれて私の実力がつき、水をかけるよりは物理で殴って黙らせることのほうが増えたので忘れていたのだが……そんな頃もあった、という話を学院で何の気なしにした。そして、それを重く受け止めた学院側は、実践してみた。
結果。水か氷で、ヒートアップする前に変態たちの頭を冷やせば、興奮が収まるという事実が発覚した。彼らは鳥頭を持っているのか、あるいは変温動物の血でも混じっているのだろうか。
おかげで水の適性のある学生は重宝されるようになり、軍隊もかくやという連携で彼ら彼女らは変態どもに日々立ち向かっている。学院とはいったい何を学ぶ場であったのだろうかとこの間国王と宰相が頭を抱えていたような気もしたが、まあ私には関係がないだろう。
そして冬には、王弟、クラウシオ・タロラードが、死んだ。表向きは病死。実際は服毒刑に処され、ひっそりと息を引き取った。その前日、少しだけ話もしたが……彼は刑執行までの間に、兄である国王と少しは関係改善に至れたのであろう。実際にそのことに触れたわけではないが、そう察した。……彼を、私が、許すことはないけれど。
なお、この一年では進展しなかったこともある。例えばディーネとノーミーに任せていた二人の男の尋も……拷問。いろいろと洗いざらいはいてくれたが、やはり一人目の小男のほうは大した情報は持っておらず、トカゲのしっぽきり。二人目の男……ルフを苦戦させた手練れのほうに至っては、……違法薬物・イーゼアの重度中毒者だった。尋問の途中で禁断症状に見舞われ、理性を亡くして痙攣しながら、鋼鉄の拘束具を引きちぎるのではないかというほどの力で暴れまわったので……とりあえず物理的に黙らせた。どうも、孤児院襲撃の際の精度の低い襲撃者たちといい、この手練れといい……イーゼアの効果にはレベルがある、というか、効果を調節できるようだ。厄介極まりないが、終息にはまだまだ時間がかかりそうである。国内の販売元だったらしいあの小男は、その子飼いごとつぶせたことだけが吉報だ。
また、進展していないといえばもう一つ。エイヴァの教育である。現在の目下の課題は私たち以外の人間、主に学院の同級生との交流。私たちの目がなくとも日常会話くらいはこなしてほしいというのが切なる願いだ。しかしそうそう簡単にいかないのが現実というもの。温和な男爵令息という同級生に目をつけ、裏で手をまわしてエイヴァと彼が二人になるようにして、会話をするように仕向けたことがある。成長のためには必要な過程だったのだ。何も知らなかった男爵令息には悪いことをしたと思っている。身の安全には最大限配慮をしたので許してほしい。
しかし、まあ、セッティングはしたものの、計画は失敗した。いや、エイヴァが暴走したわけではないのだが……会話は成立しなかった。「天気がいいですね」「そうですね」みたいな会話から始まり、気まずく思った男爵令息が頑張って話をつなごうとするも、敬語に必死だったらしいエイヴァは「そうですね」しか返せず。最終的に「そうですね」「そうですねえ」「そうですね」と、ひたすら繰り返す呪いでもかけられたのかというようなありさまだった。即撤収した。二人とも激しく安堵していたのが印象的だった。このころ、裏では違法薬物組織を追って四苦八苦していたので、なんか……なんだろう。温度差で逆に癒された。エイヴァと学生の自然な交流計画は私とエルとジルで練り直している最中である。道のりは長い。
こんな感じである。ほかにもあったが、とにかくいろいろとあった。なので今日という祭りの日くらいはそんな面倒なこともろもろを置いておいて楽しみたいと思って、エルと二人で街に繰り出したのである。だってジルとエイヴァを誘うと絶対に穏便には終わらない。終わったためしがない。そもそもエイヴァがおとなしくはしていない。よって、奴らは王都に置いてきた。きっとジルとラルファイス殿下と国王陛下がエイヴァのご機嫌をどうにかするだろう。多分。私は知らん。知らん知らん。
……うん、まあ、だからといって、平穏無事に今日が終わると思っては、いなかったけど。セルバート様にもぽろっといったしね。なんか起こる気がするって。……うん。