6/9 平凡で平穏な私でも(セルバート視点)
……お人好しで優しいあいつが、夫人を亡くして、心の穴を埋めるように散財に走って。私も何度もいさめたが、私にも仕事があるし、あいつは領地もちの中堅貴族。宮廷貴族でのちにはランスリー公爵領領主代理となった私がそう頻繁に伯爵領まで足を運んで見張るわけにもいかなかった。……まあ膨れに膨れた借金を目の当たりにしてブチぎれたあいつの愛娘……エリザベス嬢に顔面の形が変わるほどにこぶしで語られてようやく目が覚めたようではあったのだが。何をやっているんだあいつは。
だが、だからと言って膨れ上がった阿呆みたいな金額の借金は、消えない。本当に何をやっているんだあいつは。だからあれほど言ったのに。私に怒られるからって隠しやがって。どうしてそういうことだけは必死になるんだ。もっと必死になるべきところがあっただろうが。結局娘にボコされているし。しかし「娘が妻に似てきたよ……!」と喜んでもいた。まああいつの奥方はルイーズ世代だったからな……あの辺りはルイーズの口癖「魔術がだめなら、殴ればいいのよ」との発言とともに拳でいろいろ語ってくる……。強い。
……ごほん。……いかんせん、レリオン――リオ――は現状維持をして安定的な治世を敷くには向いた性格だったが、革命的に成功して借金を帳消しにするような事業を新たに起こすことができるような発想力は、ない。はっきり言うが、あの家系には珍しく、そういった方面の才能が、ないのだ。あいつはお人好しで優しいが、私と同じで平凡な男なのである。
対してそのブチ切れた愛娘・エリザベス嬢には天賦の商才があったようで、身を粉にして詐欺ぎりぎりで金を工面し怒涛の勢いで借金を返済していったようだ。手伝おうとしては邪魔しかできないどころか騙されて借金を増やしてくる始末のリオはもはや手出しを禁じられたようで、そばで娘を応援していた。その行為が激しく癇に障ったらしいエリザベス嬢にこれでもかと足蹴にされていたが。自業自得だと思う。馬鹿かあいつは。
それでも頑張ってだいぶと借金を減らしていたらしい。私は既にランスリー公爵家の領主代理の任についていたため、時折リオとの手紙のやり取りをするくらいしか現状を知るすべはなかったが。
けれど、短い期間で借金を返済するには、犯罪ではないにしろかなりぎりぎりの綱渡り状態であったようで、フィマード伯爵家……特にエリザベス嬢を取り巻く空気が不穏であることは察していた。しかし現在の私の立場で、どうすれば彼らを守れるのか……妙案もなく手を出しあぐねていたころ。
――現れた救世主が、シャーロット嬢とエルシオ殿だったのだ。
アザレア商会、そして魔道研究所。
アザレア商会がランスリー公爵家のものだと私は知らなかったし、その代表取締役と補佐がランスリーの義姉弟だなどとは想定もしなかった。ランスリー公爵領出身の人材が多く、懇意な商会であるという認識だった。けれど、リオの家がシャーロット嬢とエルシオ殿によって借金問題をどうにかすることができたのだと手紙で知った私は感謝の念のまま彼ら義姉弟に今後も尽くすことを誓い……いったい何がどうよかったのか、私にはわからないが彼らの信用を勝ち取ることに成功したようだった。手紙を読んで事実をかみしめ、そのままシャーロット嬢の執務室に駆け込んだから……勢いはあった。それは自覚している。少し暑苦しかったかもしれない。しかしいったい何が琴線に触れたのだろう……わからない。
まあともかく。そうして私は芋づる式にシャーロット嬢とエルシオ殿のおかしさだったりアザレア商会の実態であったりおかしい人脈だったり使用人の実態だったり、果ては何かちょっといろいろ予想外の方向に突き抜けた性格の人外との遭遇という衝撃の体験をこなした。リオの件の私からの感謝がついでになったくらいだ。あの義姉弟は……なんだ? 特に人外……『魔』たるもの・エイヴァ殿との邂逅は肝を冷やした。
だってその白髪の少年は、もろもろの衝撃の事実を知る直前、この屋敷内で見かけたことがある。あまりに堂々と歩いているし、すでに夏季休暇で領地に戻っていたシャーロット嬢が話しかけていたので友人なのだろうと思っていた。私に連絡などもなかったが……第二王子・ジルファイス殿下が何の前触れもなくやってくるのがランスリー公爵邸だ。執事長も侍女長も特段何も言わないので問題はないのだと判断していた。間違いだった。だって友人だったが、人外だった。お前人外だったのか。
「これは外見年齢詐欺の『魔』です。問題ございませんわ、オイタをしたら叱ります。陛下もご存じですので、……まあ、気にしないほうがいいですわね」
無理である。そして知っていて黙っていたのか国王陛下。そういえば二年ほど前に『ランスリー公爵家の者たちの動きを報告せよ』という指示を拝命した時もこのようなことを言っていた。
「うん。私の部下の中では、お前が最も精神力が強く、若い。大丈夫だろう」
あの時は信頼の表れだと思った。なので直命に奮起した。でも今は絶対に違うと断言する。私の失敗を前提にその後に動くであろうランスリー家の、その動きそのものが陛下の目的であったのだろう。いつから陛下はランスリー公爵家の異常さをご存じだったのだろうか。
……案の定、さりげなく動いていたはずがいつの間にか執事長の柔和な微笑みに追い詰められて私はひたすら仕事をしていた。執事長は柔らかな物腰の好々爺然とした年配の男性なのだが……逆らってはいけないと思った。
ともかく。
そのような経緯を経て、私はようやくランスリー家の実態を知り、こんにち仕事に励んでいるわけだ。
リオのことがなければ、おそらくは打ち解けられずに、何も知らずに終わっていた。正直、いろいろと知ったことで、仕事は増えた。心労も増えた。ものすごく、増えた。けれど、知らないほうがよかったとは、思わない。あのとき、リオの家を救ってくれたことだけではない。私自身がこの数年、ずっと見ていた、この家を、信じているし、信じてほしかったのだ。――疎外感は感じていたのだから。
リオという友人の妻、さらにその友人夫婦がランスリー公爵夫妻だったというくらいのつながりしかない。私自身と公爵夫妻は友人といえるほどに近くはなかった。けれど、まだ私たちが皆若かったころ。互いの友人を通して出会い、『アドルフ』『ルイーズ』そして『セルバート』と、名で呼び合う程度には交流があった過去は、確かなのだ。
まあ、つまり、何が言いたいのかというと。
そんな彼らの忘れ形見、先ほど元気に『神祭り』に出かけて行ったこの家の美しくとんでもない子供たちのうち、少女のほうはちらりと言っていたから。
「なんだか、今日は予想外なことが、ある気がしますわね……気のせいかしら」
きっと、またしてもあの令嬢たちは、嵐を連れて帰ってくるので、私も振り回されるんだろうと。春の日差しの中かけていく子供たちを見つつそう思った。そういうことだ。