6/8 『英雄』と『聖女』(セルバート視点)
『羊の英雄』と『血まみれ聖女』。
鮮烈な異名である。初めて聞いたときは耳を疑った。しかし何度聞いても『羊の英雄』と『血まみれ聖女』だった。……それが呼ばれるようになったのは彼らの学生時代だ。
きっかけは……そう。アドルフとルイーズがヴェルザンティア王立魔術学院に入学したその年、ルイーズの実家――現在では、約八年前の魔物大量発生によって後継を失い、新たな領主に封じられているが――である辺境伯家を蛮族呼ばわりした無知な男子学生十数人をルイーズが血祭りにあげたことだった。
真っ赤に染まる拳とほほにべったり浴びた返り血、鼻血の海に沈む男子学生数十人。惨劇の中心でただ一人立ち尽くし微笑みを浮かべる絶世の美少女。さながらその光景は地獄のようだったという。
――そしてその誰もが、教師までもが固まり動けずにいた中、ただ一人困ったように笑いながら話しかけた少年がいた。
「もう、またやっちゃったんだね? 仕方ないなあ。……そんな君も好きだよ、僕の聖女様」
それがアドルフだった。惨劇を生み出した女を、その惨劇の場で、口説く男。それがのちの戦争の英雄『紫の瞳の鬼』アドルフ・ランスリーだったのである。
彼とルイーズとは幼いころからの許嫁。圧倒的な美貌のルイーズの隣に並んでも見劣りしない端麗な容姿と、神童と言わしめる魔力と紫色の瞳を持つ少年。彼が彼女に話しかけた瞬間、ルイーズは恐怖のほほえみから可憐な少女のほほえみへとその表情を一変させた。……返り血はそのままだったけれど。
しかしそんな彼女にためらいなく近づいたアドルフは、ハンカチを取り出して「ほら、こんなに血がついてるよ? もう」などと困ったように眉を下げながらそのほほについた血をぬぐっていたという……。
これに周囲は心を一つにした。「アドルフは羊だ」と。満場一致だったと、のちに私はその場に居合わせた不幸な傍観者である友人から聞いたものだ。
そしてこの事件をきっかけに、アドルフの家柄も相まって、彼らは『羊の英雄』と『血まみれ聖女』と周囲に呼ばれるようになったのである。
まあ戦場以外では天然を発揮し、小動物が好きで、捨てられているものは動物だろうが人間だろうが片端から拾ってきてしてしまうというアドルフの逸話や、夫婦喧嘩では常に圧勝であり「魔術がだめなら、殴ればいいのよ」とのさわやかな笑顔でのセリフで同世代の女性――王妃はじめフィマード伯爵家などの貴族家夫人――の間で一世を風靡したルイーズの逸話をはじめ、ほかにもさまざまなものがあるし、彼と彼女の通名はほかにもたくさんある。
まあ、ともかく。
そんな幼少期から強烈な両親をほうふつとさせる少女がシャーロット・ランスリーなのである。
その美貌とアメジストを思わせる大きな瞳は確かに両親からそれぞれに受け継いだものであろうことはすぐにわかる。しかし、それ以外も、しっかりと両親の血を受けついでいたのだ。
あの夏の日まで、私は彼女は父親の魔術の才や母親の身体能力こそ受け継いだが、性格的な面では礼儀正しく、明るく優しい、家族思いの娘であると思っていたのけれど。……いや、その礼儀正しさも、明るく優しいところも、家族思いであるところも、彼女の一面ではあるのだろう。決して間違いではないし、嘘ではない。ただ、それ『だけ』ではなかっただけだ。ちょっと、あの、なんていうか。……豪傑だった。さすが彼らの娘である。血筋って恐ろしい。本当に。恐ろしい。
為せば成る、ではなく、成って当然を持論に突き進む少女だった。意味が分からない。どうしてそれで問題なくうまく物事が運ぶのだろうか。さっぱりわからない。
まあ、さっぱりわからないのに、今も文句を言わずに領主代理を務めているのは、結論から言えば、それでも彼女を好ましいと思うからなのだが。
だって、その規格外も非常識も、強さも。ついていきたくなった。意味が分からないと思い、恐怖さえ抱いたが、今は。執事長と侍女長がかじ取りをしていると思っていたのが、実はすべてこの少女と、その義弟の手のひらの上だったという、その事実すらも驚愕ではあったが不愉快とは思わなかったくらいに――魅せられていた。教えられたすべてに、知ったすべてに。
……あの夏の日。私は、私の親友が救われたことを、遅まきながら知ったのだ。お人好しが過ぎて、他人の責任まで背負い込んで、趣味に突っ走ってしまう癖があって、それをいさめてくれる妻と子供たちにぞっこんで。……その妻を失って、趣味への散財が止まらなくなって、娘に鉄拳を受けているような、私の親友。
レリオン・フィマード。フィマード伯爵家の現当主。
救いたかった。……私には救えなかった。私の大切な友を、ランスリー家の子供たちは、救い上げた。それが、偶然であったとしても。