6/1 その終わりが、たとえ、
様々な映像が、流れてゆく。右から左へ、絶え間なく、次々と、滞りなく。
それは例えば、青い服を着た少女。白い貫頭衣に身を包んだ女。鎧をまとい先陣を切る。ドレスをまとって笑う。修道女の衣装を身に着け祈る。男装して駆け回る。
そしてそれらの人物の周囲の状況も変化は絶えない。
たとえば、人に取り囲まれている。驚愕を露わにする人々。喜びに泣く人々。悲しみに打ちひしがれる人々。あるいは荒野で、ただ一人で立ち尽くしている。墓場にうずくまっている。戦場で頽れている。
様々に、とりどりに、景色は変わり、目まぐるしく駆け巡ってゆくのだ。
ただ共通するのは、その様々に変わる少女が、女性が、一人残らず黒髪を持っているという事。
何度も、何度も、途切れることもあれば何らかの衝撃的場面が抜き出されることもある。繰り返し、繰り返し、繰り返し、しつこいほどに幾度繰り返したのだろう、それでも。
何度も、何度も、何度も……時にはとりとめもないそれは、けれど終わりはいつも同じ、歩道橋から落ちていく、黒髪の女が、笑う。
――だから、私はそれらの最後にいつでも問うのだ。
私は誰だと。
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目が覚めた。
おはようございます、シャーロット・ランスリーです。今日も今日とて夢を見ました。
なんかこんなことが前にもあった気がするっていうか最近こういうことが多い。すんごい多い。すごく面倒くさい。
常識的な感性で考えてみよう。前世の死に際を繰り返し夢に見る。何その拷問。心が弱かったら鬱必至。私の神経がとっても健全なのはひとえに強度が鋼だからだ。時代はメンタル強い系女子なのである。
つまり何度繰り返し死にざまを見せられようと、私はすごく面倒くさいだけだ。問題点といえばこの夢を見ると頭痛がすることくらいか。割とデメリットである。私はすっきりさっぱり目覚めさわやかに朝を迎えて学業とお仕事に打ち込みたい。勤労学生だから。
まあ私の意志に反して見てしまうものは仕方ないと割り切ったのは早かった。切り替えが早いのは私の数ある自慢の一つである。『変わり身が早すぎるわ。それ、お家芸なの?』と痛烈に皮肉ってくださったのは前世親友だった。芸ではない、芸では。
いや、確かにこの私にだって、前世の死に際などというものを見せつけられたら気分が悪い、そう思っていた時期もありました。
だが慣れた。慣れって素晴らしい。人間は繰り返される事象に対して感覚と思考を放棄することができるのである。
ともかく今は私をわりと毎朝くらいの勢いで悩ませるしつこい夢の話である。
ぶっちゃけ、最後の歩道橋落下はさておき、それ以外の色んな少女・女性は私の前世の記憶ではない。断言する。『あれら』は私の前世ではない。『刈宮鮮花』ではありえない。
だって顔も違えば年齢も合わず、垣間見える世界感すらも違っている。それでも『刈宮鮮花』だったらむしろ『刈宮鮮花』に何があったのでしょうかという話だ。戦場の記憶があったし修道院の記憶もあったし墓場の記憶もあったんだけど。『刈宮鮮花』はまあ、たぶん、少々能力は高かったが、日本で生まれ日本で育ち、日本で就職したOLだし二十五歳くらいで天に召されたかと思いきやこんなところで『シャーロット・ランスリー』として生まれ変わっているだけの人間である。
ともかくも、あれらは刈宮鮮花ではない。もちろん、シャーロット・ランスリーでもない。
それでも、あれらは『私』だ。
つまりだ。前世の前世の前世とかいうものである可能性が濃厚である。何代あるか知らん。いっぱい出てきて流れ去っていったそれをいちいち数えてはいない。だがまあ覚えてる限り十回以上の人生で死んだり生きたりしているのは確かだ。一体どういう事なのでしょうか自称神。なんなの喧嘩を売っていらっしゃるのでしょうか自称神。私に余計な記憶を残して一体どうしようというのでしょうか自称神。どのような記憶を持っていようとも私は私のためにしか動かないというのがまだわからないのか自称神。
これでただのミスだったとか言い出したらちょっとお話ししようか自称神。覚悟はいいだろうか自称神。とりあえず末代まで禿げろ。
まあいい。
けれど、こんだけいろいろと夢を見て、私には前世どころかその前もその前もその前も輪廻転生をこれでもかと繰り返し、それらの記憶が魂にこびりついたままこそげ落ちていないということになる。
さすがの執念深さである。前世悪友も言ってた。『あなた、あっさりしているかと思いきや、自分が狙った獲物は逃がさないわよね。執拗に追い詰めて殺るのよね。その執念、気持ち悪いわ』。本気で引いていたことに傷ついたのを覚えている。
話がそれた。
ともかくも、私は何度も転生を繰り返しているのだ。……それ以外は確定的なことはほぼわからないのが現状だけど。
まあ、多少は分っていることもあるにはあるのが一歩前進か。
だって、いつも、いつでも、最後に見るのは前世のことなのだ。『刈宮鮮花』。――彼女の記憶が途切れるのは歩道橋。転落してお陀仏。たいへん間抜けな死にざまである。それは変わらない。
――けれど、彼女は笑っていた。その死に際に。
それどんなマゾという質問は受け付けていない。なぜなら私は正真正銘サドである。そんな虐げられて喜ぶ類いの性癖は持ち合わせていない。虐げられたらやり返す、苦しんでもがいて死にたくなっても死ぬな。これが常識だ。倍返し? 生ぬるい、相手がこれが地獄かと後悔してもなおやり返すのが私である。
……けど、笑っていた、私。
そして、そう、思い返せばあの時、死ぬ直前に私はひどい、頭痛に襲われてもいたのだ。……だから、ほぼ確信をもって、私は思う。
刈宮鮮花、貴方は、
――あの時、全てを思い出して、死んだのね。