5/45 そして、動き出す(エルシオ視点)
――思い出していた。何とはなしに。
睨むように視線を投げた、エディス・アッケンバーグ。
うつむき視線を合わせようとしなかった、エイシアス・アッケンバーグ。
用意されたセリフを演じようとした、マリン・アッケンバーグとエミリー・アッケンバーグ。
そして最後だけ、僕の名を呼んだギムート・アッケンバーグ伯爵。
……今、ここはシャロンによるエイヴァ君への制裁が始まり、場の中心が移った部屋の中だ。まだまだ賑やかしく、切々と盗難という犯罪行為の愚かしさについて語り、なじり、叱り、言い聞かせ、逃げることを許さないシャロンと正座で涙目のエイヴァ君、そんな二人を包囲する使用人という名の武装集団。まさしく混とんとしているが、ようやく僕はみんなからの褒め殺しという公開処刑にも近い場所から逃げ出すことに成功していた。……誰かに聞こえてしまわぬよう、僕は小さく息をつく。
自分の中での、けじめはついた。まあ、僕の心情に関係などなく、ましてや伯爵家が何を喚いたところで決定は覆らないのだけれども。
今になって思う。
「やっぱり、甘かったなあ」
とっくに吹っ切れていると思っていた。あきらめたはずだった。事実、彼らの言葉に傷ついたりはしなかった。だからあの場では冷静な顔を保てていた。けれどすべて終わって、いまさらのようにどうしようもなく歯がゆくなって。悔しくて、悲しくて、虚しくて、……涙が出た。
泣きわめいてシャロンにすがった。……愛されたかった。彼らに。家族になりたかった。彼らと。認めてほしかった。ただ僕を僕として。それだけでよかったのに。
もう叶わない。叶えようと思えない。そのかつて望んだすべては過去になってしまった。それでも。それでも、湧き上がる、どうしようもない寂寥。後悔。失望。終わったのだという、安堵。そんな自分への、嫌悪。いろんな感情でぐちゃぐちゃだった。そのすべてをシャロンはただ優しく受け止めてくれたから、余計に涙が止まらなかった。
シャロンとみんなのおかげで、今はずいぶん落ち着いた。……きっと、もう、彼らのことで、ここまで心を乱すことは、ないのだろう。
でも、もう、いい。目の前で混とんを繰り広げる彼らがいとおしいと思えるから。まあ、できればもう少し穏やかに過ごせないものかとも思うけれど……無理か。無理だろう。穏やかに一日が終わったためしがない。なぜだろう、不思議だ。思うと、つい苦笑が漏れた。――そこで。
「おや、もう立ち直りましたか」
不意に静かな、声が響いた。気配に気付かなかった僕は、わずかに瞠目して視線をあげる。すると、そこには。
「――さすが、ランスリー家の方々は精神が強靭ですね。鍛えられている」
主にシャロンが原因でしょうが、と笑う、ジルファイス殿下が立っていた。
「……殿下」
いや、シャロンは全然驚いていなかったけど、動揺仕切りの僕は殿下が屋敷にいるのにも実は驚いていた口だ。それを言葉として表現する機会に恵まれなかっただけだ。みんなの愛が一心に降り注いで大変なことになっている真っ最中だったからだ。まあエイヴァ君の登場で何となく事情を察したけれど。それでもアリィたち並みに気配を消して近づかないでほしい。驚く。
しかしくすくすと笑う殿下の視線の先に写っているのは僕ではなくシャロンであった。
「まったく、やはり、彼女は誰よりも貴族らしくなく、それでいて誰よりも貴族然としていますね」
ジルファイス殿下が嘆息とともに呟いた。呆れたような、それでいて喜んでいるような声だった。確かに、シャロンは貴族としての振る舞いにそつはない。むしろ今回のように裏で手を引き駆け引きを楽しみ、しかし優雅さと誇りを忘れない。だというのに、今目の前で繰り広げられているように最古の『魔』を正座させて説教をしてしまう。その説教の内容が道徳心についてだったりする。「自分がされて嫌なことをしてはいけません」と神妙な顔でシャロンは語っている。盗難犯罪の話からいつの間にそこにスライドしたんだろうか。まあエイヴァ君には必要な話だと思うけど。窃盗は、犯罪だ。
ともかく。シャロンは貴族らしくない人でありながら、貴族然とふるまえる公爵令嬢なのだということに否定の要素は見つからない。
「……そうですね」
肯定した僕に、殿下は視線を投げる。その紅玉の瞳が、今日初めてまっすぐに僕を見る。珍しく、その唇に笑みは佩かれていなかった。場違いだけれど、本当に、この人は美しいのだなと今更思った。
そして、
「ところで、エルシオ。貴方は――シャロンのことを、どう思っているのですか?」