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公爵令嬢は我が道を行く  作者: 月圭
第五章 大人の天秤
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5/42 あなたはとても愛されている


 しばらく。泣いて、泣き叫んで、エルの声は少し枯れていた。けれど今は目元を赤くしながらも落ち着いたようで、目じりの涙をハンカチでふき取って恥ずかしげに笑う。


「坊ちゃま、どうぞ」


 そっと、ぬれタオルと冷たい紅茶を用意し、手際よく差し出したのはアリィだった。久方ぶりにその気配を察せなかったエルが盛大に肩をはねさせていた。いつから、いた……? 羞恥と動揺にあわあわと私を見て、アリィを見て、私を見たエル。


 安心してほしい。アリィはエルが泣きやんでから入ってきた。ただあまり安心できないのはこの素晴らしいタイミングの良さだ。もしかしたら聞き耳を立てていた疑惑が浮上する。まあちょっとおかしいハイスペック侍従となり果てているアリィさんなのですべて勘であるという説も捨てきれない。私たちの使用人さんたちは愛が深くて重くて突き抜けていらっしゃるのである。狂気を感じる。だが大好きだ。とりあえずエルには天使のように微笑んでおいた。なぜか不安をあおられたかのような引きつり顔をされた。解せない、なぜだ。


 ともかく。


「お坊ちゃま……こんなにお目目を腫らして……」


 目じりにそっとぬれタオルを当てて冷やしながらアリィが眉を下げる。その背後では手際よくメリィが私とエルに紅茶の給仕をしている。のどをからしたエルには冷たい紅茶、私には温かい紅茶。お茶請けには色とりどりの飴とチョコレート。できる侍女と侍従である。そして気づけばしがみつき、しがみつかれして多少崩れた私たちの身なりもささっと整えられている。ふれられた違和感すら感じさせない、プロの仕事だった。


 しかし彼らは一仕事を終えても心配そうにエルをうかがっている。それもそうだろう。エルは我慢強い子供だ。泣くなど数えるほどしかない。というか生理的涙以外なら大体私がいろいろと、えっと、うん、まああれやこれやして泣かしている気がするが決して悲しませたわけではない。怒らせたことはあるけど。


 つまりエルの涙はそれほどに珍しいのである。だからこそ、アリィたちの心配もひとしおだろう。聞き耳を立てていたのかいなかったのかは置いておくとして、エルが落ち着くまで入室してこなかったのは相当忍耐を強いられたはずだ。アッケンバーグ伯爵邸に出向く前、悩みすぎて家の中を徘徊していたエルを、心配のあまり追いかけまわしながら仕事をこなしつつ見守るという所業を平然とこなしていたのが彼らだ。我が家の使用人さんたちはハイスペックな仕事人でありながら愛にあふれるストーカー気質なのである。


 なお、今も部屋の入り口と窓と天井と、いたるところから我が家の使用人さんたちの視線を感じる。メリィたちが入室してきた瞬間から徐々に徐々に、じわじわと増え始め、今や全員集合状態だ。エルが愛されていてほっこりするべきなのか、それだけの視線と気配を感じているのに姿が見えないことに背筋を凍らせるべきなのか。もしかしてそろそろ危機感を覚えなければならないのかもしれなかった。エルは今は余裕がないので視線は感じているけれどまさか全員集合とは思っていないようだしあまり気にしてもいないようだ。


 が。


「ご安心を、エル坊ちゃま。シャロンお嬢様」


 紅茶を飲んで一息ついた私とエルの前で、メリィとアリィの双子は、先ほどまでの心配げな下がり眉の表情を引き締めて、キリリと告げた。私とエルは同じ方向にことり、と小首をかしげる。


「……なあに?」

「どうしたのかしら?」


 そんな私たちにどこからともなく「くっ、愛らしすぎて鼻血が!」「そのままワタクシを踏んでほしい!」「映像班!」「てぬかりなく!」などと妄言が聞こえた気もしたが、空耳だろう。


 とにかく私とエルは、視線をメリィとアリィに固定をしていた。先ほどまでの有能な侍女と侍従っぷりに安心感を抱いていたともいえる。しかしその安心は手ひどく裏切られた。


「しばしお待ちいただければ、かの家、跡形もなかったことにしておきますわ」

「一時間もかかりません。お坊ちゃまとお嬢様はこちらでご歓談いただければと」


 ぎらぎらとした瞳の彼らはとっくにアップを終わらせて殺る気だった。満ち溢れていた。ビキリとエルと二人で固まれば、部屋を包囲する――そう、これはもはや包囲である――使用人さんたちの気配が濃厚さを増し、みんながみんなそれまで押し込めていたのであろう殺意を表明し始めていた。始末した後の活用方法まで小声で議論している。気が早い。エルを見ればぶんぶんと首を左右に振っている。いや、私もできれば彼らの首級を上げたいところではある。上げたいところではあるが、王家との兼ね合いもあるのだ。


「いえ、ランスリー家の行動は決まっているし、何よりあの家は今後国王陛下が沙汰を……」

「御心配には及びません。王家にも手をまわす準備は完了しております。すべて滞りございません」

「なぜかいつの間にか一つ伯爵家が消えていたという結果だけが残ります。人の記憶は移ろうもの。すぐに忘れ去られましょう」


 仕事が早い。さすが『影』の双璧。冷静にぶちぎれて今後の予定もばっちりだ。


「ちょ、ま、」

「問題ありません、普段の仕事は終わらせてあります。エル坊ちゃまとシャロンお嬢様はお疲れでございましょう、今日明日に決裁が必要な仕事は領地の領主代理様にお任せしておりますよ。執事長とわが部下たちが目を光らせております、万に一つもございません」


 なんというとばっちり。知らない間に私たちの仕事が減って領主代理の仕事が増えていた。かわいそうに、便利に使われている。私とエルは哀れみに顔を見合わせた。


 ではなくて。


「いや、ちょ、だから、おまちなさい!」


 ……このあと、みんなの暴走を収めるのに二時間かかった。






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