5/41 その憧憬に別れを告げる
今度こそ、全員が沈黙に沈んだアッケンバーグ伯爵邸を、私たちは辞した。告げるべきことはすべて告げ、長居する理由はない。
ただ、最後に。ぽつり、ギムート・アッケンバーグがつぶやいた問い。
「……エルシオ。お前は、私たちを、……『家族』と、思っていたのか?」
すでに扉の前まで来ていたエルは少しだけ振り向いて返した。
「……ずっと、『家族』になりたいと、思っていました」
エルの言葉に、アッケンバーグ伯爵家の人々からの返答はなかった。
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公爵邸へ帰宅する馬車の中。私たちの間にはいまだ沈黙が支配している。空気が重い。――それも仕方がないけれど。エルは今までわきに置いていた『実家』と向き合ったのだ。そして想像以上にあの家の人々はエルのことも私のことも舐め腐っていた上に無神経だった。なんていうか……ある意味エルのイイ性格のルーツはここなのだろうと思わせるずぶとさも感じたけれど、致命的に厚顔無恥だった。
それでも、エルにとっては血族だ。心の中で割り切っていることと、目の前で決別を告げ引導を渡すことは違う。精神的な負担は想像するに有り余る。あのいい歳した国王陛下だって、弟に処断を告げるには覚悟が必要だったのだ。だから私は同乗するメリィ達に目配せだけをして、そっとエルの手を握った。
「……シャロン?」
「エル。『跳ぶ』わよ」
二コリ、告げるのは決定事項。「え、」とエルの声は聞こえなかったことにしてそのまま間髪入れずに強制転移を敢行。「「行ってらっしゃいませ」」とメリィとアリィの二重唱が律義に私たちを送り出した。
そして、たどり着いたのは王都内ランスリー公爵家別邸、エルの部屋。道程を前面カットして一足飛びに帰宅したのである。
「え、……え?」
ぽすんとそのまま部屋のソファに腰を下ろした私たち。エルはまだ戸惑っている。
「しゃ、シャロン? せめて心の準備をする時間が欲しかったよ?」
困ったように眉を下げ、エルは言う。しかし理由もなくこんなことは私もしない。つまり、エルはいつも通りのエルのようでいて、いつも通りではなかった。だって、
「だって、エル。……あなた、泣いているんだもの」
「――――え?」
エルの美しい深いブラウンの瞳は見開かれ、するりとまた一粒、しずくがこぼれた。
「え? ……あれ?」
なんで、どうして。泣いている自覚もなかったエルは、自分の頬を伝うそれに戸惑い、拭っては指を濡らすけれど、一向に止まる気配はない。
「ぼく、しゃろん、ぼくは、おかしいな、なんで、とまらなっ」
何度も何度も、目をこすって止めようとするから、そっと手をつないで止める。
「赤くなってしまうわ、エル」
握った手に、ぎゅうっと力がこもる。つないでいないほうの手でその柔らかな黄土の髪をなでた。ぼろぼろ、大粒の涙がこぼれ続けて、エルの服を濡らしていく。
「どして、ぼく、おわらせた、のに。ぜんぶ、ちゃんと、かんがえて、それでっ」
「うん」
「あのひと、たちが、ああいうひとたちだって、わかってて、わかってたから、」
「……ええ、頑張ったわね」
「もう、こわく、ないのに、みんなが、いるのに、」
「私たちはここにいるわ」
「しゃろん……っ」
「うん。大丈夫よ。大丈夫」
「うぇ、ふぇ……」
すがるように私の肩に額を押し付け、痛いほどにつないだ手を握りしめ、エルは嗚咽する。
「エル」
呼び、頭をなでていた手を抱きしめるようにエルの背に回す。まだ細い、少年の背中。けれどこの一年半で、随分たくましくなった。背丈だって少し前までは私よりも少し小さかったはずなのに、今はエルのほうが少しだけ大きい。
きっと、これからもっと、大きくなっていく。
「エル。……エル。あなたはやり切ったわ。ランスリー家の跡取りとして、エルシオ・ランスリーとして」
「ちゃんと、できた……?」
「ええ。立派だったわ。さすが私の弟ね」
微笑めば、すり、と額を肩に擦り付けてくる。猫のようだ、なんて言えば口をとがらせるだろうか。
「だから、さあ。ちゃんと泣いてしまいなさい。……ため込んだら、あなた、とんでもない爆発をするんだから。泣けるときには、泣きなさい」
「っ、しゃろんが、それ、いう?」
「あら、ダメかしら?」
「ふふ、しゃろんには、かなわないなあ……っ。っふぅ……うぅ、っく、うぇ、うわぁあああああああああああああああぁぁあぁぁあああ」
部屋の中。慟哭が、響いた。