5/39 例えば喜劇の役者なら
エルが淡々と事実を告げ、伯爵が見苦しい言い訳を繰り返す。けれど証拠はすでに挙がっている。目の前で行われた不敬罪は揺るがないし証人は多すぎる。
――カタン、と。
顔面蒼白になってうつむいている伯爵たち、それに相対する私たち。痛いほど張り詰めた空気の中に割って入ったのは扉を開ける乾いた音だった。現れた二人の人物。私とエルはかすかに眉を上げ、アッケンバーグ伯爵家の三人は瞠目した。
私はほんの少し、嫌な予感がした。
そこに立っていたのは……、
「――……マリン、エミリー」
呼んだのはアッケンバーグ伯爵。呼ばれ、肩を揺らしながらもそこに立つのは二人の女性。マリン・アッケンバーグ伯爵夫人と、エミリー・アッケンバーグ伯爵令嬢だった。
よく似た母娘だと思う。どちらもややくすんだ金髪の巻き毛に、ブラウンの瞳。美人、というよりは繊細な小動物をほうふつとさせる愛嬌のある顔立ち。……今はその白い肌をさらに白くさせて硬い表情を浮かべ、愛らしさも半減しているけれど。エミリー嬢が成長すればそのままマリン夫人になるだろうというくらいには似ている。
なんだろう、この家族。息子は父に生き写し。娘は母に生き写し。やだ、知ってはいたけど実物ってすごい。クローンでも製造しているのですかってくらいそっくりなんだけど。息子には母の、娘には父の遺伝子が感じられない。その中にあって、はかなげ超絶美少年なエルがぷっかぷかに浮く。海水に浮かぶゴムボートのようである。いや、正しく言うならエルの色味は両親どちらからも受け継いでいるし、やや甘めの目元は母方の血筋なのだろう。顔の輪郭や口元は父方の血を感じる。なんていうか、姉も兄たちもよくぞここまで偏った似方をしたものだといった顔なのに対し、エルは両親のいいところを寄せ集めて全力でイイ感じに整えてみましたって感じだ。
いや、別に伯爵や伯爵夫人が不細工だなんて言っていない。伯爵はキツネ目でタヌキ腹だが顔立ち自体はメリハリがあってくっきりした紳士って感じである。ちょっと小物臭が漂ってやまないだけだ。夫人も小動物の中でもそう、仔リスを思わせるようなかわいい系なのだ。眉のあたりにかたくなさがにじみ出ているだけだ。眉間にしわができるのでやめたほうがいいとアドバイスをする使用人はいなかったのだろうか。そしてそんな両親に生き写しな子供たちも顔面の評価はそれぞれに右に同じである。
強いて言うなら長男のほう……エイシアス・アッケンバーグ伯爵令息のほうは若干、たぶん、気持ち、母の血も出ているのか目元のあたりがキツネというよりも丸くて柔和さを感じる。顔面形成遺伝子が喧嘩をせずにそれぞれ役割を全うした結果がこちらですという印象である。すごい。服装をそろえて遠めに見たら一瞬違いが分からないかもしれない。身長も似たようなものだし。
まあ、私も母とは色違いクローンなんだけど。年を重ねてますます似てきましたわって古参の使用人さんたちがとっても嬉しそうに遠い目をしながら言ってた。なんで遠い目をしたのだろう。うん、まあ、『あの』母だからね。仕方ないね。
ともかく。
話がそれたが、この重たい空気の中に静かに乱入してきたのはアッケンバーグ家の残り二人、女性陣たる母と娘だったわけである。
アッケンバーグ伯爵は男尊女卑のこびりついた人間である。だから私がこの場にいることにいい顔をしなかったし、簡単に挑発されたし、私のことを重要視していなかった。同様に妻と娘のことも、こと政治の場においてはその意見など歯牙にもかけない様な男である。それはこの場に先ほどまでちらりとも夫人と令嬢の名前すらでなかったことからも明らかだし、社交界でも彼女たちは目立たない存在だ。女性の戦いの場はなかなかの情報戦が繰り広げられているというのに、おそらく伯爵は彼女たちの情報を重視していないし期待もしていない。だから彼女たちはそもそも家から出ることがほぼほぼない。まあエミリー嬢のほうは現在学院六回生なので通学はしているんだけど。
その彼女たちが、今、この場に、この瞬間、現れた。
うん、作為しか感じないし、何気にさっきしれっと出ていった――つもりなのだろうけれど私たちランスリー公爵家側にはバレバレだった――侍女が呼んだのだろうことはわかりやすい。指示したのはアッケンバーグ伯爵だろう。この流れ、侍女の行動から察するに、何らかの事情で交渉が進まなかったときのためにあらかじめ指示しておいたとみえる。まあ伯爵としては金銭の金額とか私が『余計な事』を言った時とかを想定していたのだろうけど。
しかし現状はこれである。とんでもない場面で侍女が伯爵の指示を思い出してしまって、夫人を呼びに行ったっていうように見える。だって呼び出された夫人と令嬢は顔面蒼白だし。いや、確かに交渉は全く伯爵の意には沿っていない形で驀進しているというかすでに交渉ですらないのだけれども、たぶんこの部屋の空気に耐え切れなかった侍女さんの現実逃避としてその指示を遂行してしまったのだろう。なお、部屋に戻ってこなかった侍女さんは華麗にエスケープを決めたようである。
そして身代わりと言わんばかりに渦中に放り込まれた夫人と令嬢。なんという忠誠心のかけらもない所業であろうか。夫人たちとしてはあくまでも伯爵が優位に立っている中で何らかの後押し的役割を果たすことを指示されていたんだろうけど、とんでもない想定外の修羅場に降り立ってしまいましたという風情である。
「……」
「……」
沈黙が下りる。部屋の全員が、マリン夫人とエミリー嬢を注視している。夫人と令嬢は肩を寄せ合って、……言葉を発したのは、夫人のほうだった。
「……お話し中、申し訳ございません。わたくし、アッケンバーグ伯爵の妻、マリンと申します。こちらは娘のエミリー。公爵家の皆様におかれてはご足労いただきまして……」
曲がりなりにも貴族である。動揺を押し隠すように定型句を述べる。それは白々しくしか響きはしないけれど。
そして夫人は一通り非礼をわび、挨拶を終えて、顔を上げた。その視線はただ一つにまっすぐ向けられている。
「……先ほどまでの話、聞きました。エルシオ、母の願いです……」
ねえ、それはいったい、何の茶番なんだ?