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公爵令嬢は我が道を行く  作者: 月圭
第五章 大人の天秤
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5/33 壊れた歪は直せない(エルシオ視点)


 恩知らずだろう。親不孝だろう。判っている。判っていても。どれだけ罵られても、傷つかなくなった自分が、少し悲しい。それだけなんだ。それだけになってしまった。……家族でありたかった。家族に、なりたかったのだ。愛されたかった。愛していたかった。


 想いの全ては過去になってしまったけれど。


 息をのみ、言葉も出ない『家族だった』彼らを見る。放心したように動かない、何の音もしない。焦点の合わない眼はいったい何を見ているのだろう。――結局最後まで、彼らの目に、僕が映ることはなかったのだろう。彼が、かつての家族が、何を見て、何を考えて、そんなの心が読めるわけもないからわからない。


 けれどもわからないことが、苦痛でなくなってしまった僕は、決別してしまったのだ、決定的に。それは少し悲しくて、苦く、やるせないけれど。


 後悔はないのだ。たとえ、


「……ふざ、けるな。ふざけるなふざけるなふざけるな! そんなことはあり得ない! お前は、『落ちこぼれ』は、俺たちに従っていればいいんだよッ」


 錯乱したように、エディス・アッケンバーグが叫んだとして、父がぎらぎらと憎しみこもる眼で僕を睥睨したとして、もう一人の兄、エイシアス・アッケンバーグが顔色悪くうつむいていたとして。それらは僕の心の根幹を揺らすことは、なかったのだ。


 はっきり言って前途の展望を見失った彼らは追い詰められたネズミのようだった。血の気の多いエディスなどはすでに腕力に訴えようといきり立っている。……溜息しか、出ない。


 ――しゃら、パチン。


 その時、軽やかな音で、その場の空気を割ったのはとっても笑顔のシャロンだった。背筋が凍り付きそうな黒いものが僕には背後にみえた。我が家の麗しき戦女神が果てしなくイラついていらっしゃった。あ、まずい。直感的に思った。この後僕としてはもう少しなだめすかしてから言おうと思っていた『あのこと』を、シャロンさんは今この瞬間畳みかけて完膚なきまでに叩き潰すおつもりだと悟った。まあ後か先かだけの話なんだけど、確実に心を折りに行く所業がすごくシャロンだと思わざるを得ない。


 そして僕にふんわり笑いかけてから告げる彼女の声は、いつも通りひどく凛として。


「……見苦しいですわね。立場はわかっていらっしゃるのかしら」


 立ち上がっていたエディスはぎり、と歯を食いしばって、ぎろりとシャロンを見下ろした。あたかも今その存在を思い出しましたという感じがしたけれど、先ほどからとんでもなくお怒りでいらっしゃるシャロンの存在を忘れることができるなんでいっそ大物なのかもしれない。でも戦場では真っ先に命を落とすタイプだとも思う。だって危機管理がひどすぎる。シャロンとエディスでは随分と身長に差があるというのになぜだろう、シャロンの方がひどく、大きく見える。それほどの格の違いがある。しかし彼らは気づかないのだ。


「あなたに……っなにがわかる……! 経営に携わってもいないくせに……!」


 引き絞るような声がする。僕に言うのと同じような調子で。


 ――ああ、頭にきっと血が上っているのだ、彼は。目の前にいるのがいったいだれか、分っていない。殿下いわく、彼女は『美女の形をした鬼畜』である。


「……お分かりになっていらっしゃらないのはどちらなのかしら」


 歌い上げるような声。最後通牒のように。


「何、だと……?」


 本当に、彼は、見えていないのだろうか……? ここは政治の場。ここにいるのはランスリー家の最重要人物。彼らはシャロンが領地経営に関係していないと装っていることをうのみにしているようだけれど、それが真実であってもなくても関係ない。


「あなた方が軽んじた『私の弟』が『ランスリー』であるように、私も『ランスリー』の名を持っていますのよ」


 懇切丁寧に言うのは、シャロンなりの慈悲なのか、それともからかっているだけなのか。


 アッケンバーグ『伯爵家』。ランスリー『公爵家』。――その名は飾りではない。飾りにしてはならない。


「権力を笠に着る気か、女のくせに――!」


 エディスは叫ぶけれど。


「赤子の駄々をこねないでくださる? 貴族社会(ここ)はそういう場所ですわ。陛下の御名において与えられたこの身分。わきまえなさい。行使する権利に付随する義務も果たせないのだから」


 威圧。それは、父のそれなど比べ物にならない。


「……っそれでも、これ(・・)は顔だけの落ちこぼれだろうに、なぜ俺が――!」


 まだ、言えるそれは度胸か、やけになっているのか。でもやめて。シャロンがすごくすごく笑顔だからやめて。


「――ねえ、何か勘違いしていらっしゃるようですけれど、愚物を庇護するほど、我が家は甘くありませんことよ」


 綺麗できれいで、凍てついた声。背後のアリィとメリィはすがすがしい顔をしているけど、伯爵家使用人は一様に土気色の顔でガタガタ震えて今にも崩れ落ちそうだ。そしてそれを正面から受けた彼らは、ここにきてようやく真っ青になっている。すごく、鈍いと思う。


 ……もう、


「もう、戻れないわ」


 ――ねえ、エル。と、シャロンは言う。







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