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公爵令嬢は我が道を行く  作者: 月圭
第五章 大人の天秤
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5/31 近くて遠い永遠、だったもの(エディス視点)


 ――だから俺は、『あれ』から打診があり、伯爵家王都別邸にて向き合うことになった、今。『あれ』から肯定以外の言葉が返ってくることなど、予想もしていなかったのだ。


「……なんだと? もう一度言ってみろ」


 怒りに声を震わせるのは父、ギムート・アッケンバーグ。この場には伯爵家当主たる父と、その後継たる兄、エイシアス・アッケンバーグ。そして俺、エディス・アッケンバーグ。アッケンバーグ家の主たる三名がそろっていた。……母と姉は『あれ』とのかかわりを忌避し、この場にはいない。


 対し、訪れたのは『あれ』と、ランスリーの令嬢。控える侍女や侍従もいるが、使用人などは数に入らないだろう。そうして眼前に並ぶ『義姉弟』はなるほど、容姿だけなら、人形のようだと認めよう。しかしその令嬢は挨拶以降笑うだけ、会話の一切を『あれ』に任せて何も考えていないような能天気さだ。


 そして、その『あれ』――エルシオが俺たちに告げたのは、俺たちの誰もが予想しえなかった言葉。


「……ですから、あなた方の要求は、お話になりません。お断りいたします」


 あいつの脅えた、鋭い目線で、怒りに口元を震わせる、俺と父。兄は困惑のほうが強いようだが。


 けれども目の前の『それ』は、以前の怯えなどなかったかのように俺たちを真っ直ぐに見据えてきた。静かに、微笑さえ浮かべて、……その瞳に俺の嫌いな光を湛えて。


「これは覆ることはありません。そして……」


 異物をさらに異物たらしめる、整った面が、薄く薄く佩いた笑みを、ふと消した。


「ランスリー公爵家からアッケンバーグ伯爵家への援助の一切を打ち切ることが決定していることも、覆ることはありません」


 断定。明確な拒否。要求の棄却、それ以上の、いっそ、排除。


 なんだ、それは。それは、『答え』ではない。そんな『求められていない言葉』を吐いていい権利など、『これ』にはない!


「……ふざけるな」


 顔を赤くし、言葉も出ない父に代わるように、唸り声に近い言葉を俺は漏らす。なぜなら、もはや我慢も限界だ。なんだ、それは。なんだというのだ、その言葉、その顔。落ちこぼれの捨て駒が、まさか反抗のつもりなのか。そんなことは許されもしない。生意気にもほどがある。


「お前は、従うべきだ、そうだろう」


 漏れる魔力、殺気にも近い威圧。低く父は恫喝する。そうだ。父は正しい。なぜなら目の前の『これ』は、売ったといえどもまぎれもなく父の息子であるのだから。父の言うことを、家族の言うことを、聞くのが当たり前。それがきまり。それが、貴族の家の正しい在り方。そういう風に、俺たちはできている。そういうものだ。これまでも。これからも。


 そのはずだ。なのに、


「いいえ。これは、当家の総意。そも、僕にあなた方に一から十まで従う義務も理由もありません」


 それが返してくる言葉は淡々としている。幼さの抜けない声だ。以前とさして、変りはしない。しかし、『これ』は以前とはまるで違う表情で俺たちを見据える。恐怖も畏怖も、そこには見えない。なんて、


 ――なんて、恩知らずな厚顔さだろうか!


「つけあがるな。お前がどれほどのものだという。育てられた恩を忘れたのか」


 激高寸前。父が手を上げないのは飾りといえどもランスリーの令嬢と使用人がいるからだ。親家族への礼儀も知らぬ愚か者といえど、ここで手を出すのはさすがにまずいと考えるだけの理性は残している。……が、


 くすり、笑った声に、一気に怒りが上昇し、


「……恩?」


 その声には色がなかった。上がった怒りに開きかけた口が固まるほど、背筋が冷えた。



「あなた方は、僕を家族と思っていらしたのですか」



 ぽとりと落とされたのは怒りも困惑もない事実を告げるようなもの。静けさの中に嘲弄の色はなかった。それでも。


「なっ……」


 侮辱されたと思った。けれどこちら側のだれ一人、言い返せなかったのは、我が家の使用人さえ目を背けたのは。……確かにそれが真実であったから。


 ――『これ』を家族と思ったことなどない。『弟』と思ったこともない。見た目にすら血のつながりを感じられない。異物だ。異端な落ちこぼれ。才すらない厄介者。その在り方に反吐が出る。


 『これ』は、俺たちの誰より下の存在なのだ。愚かで愚かで価値のない、ものだ。


 そうだった。ずっと。これからも、そうであると確信していた。たとえ望外の幸運に恵まれようと、その価値が変わることなどない。そうであるはずなのに。


 どうして『それ』が、対等のような顔をして俺たちを見ているのだ!?


「落ちこぼれの、役立たずがっ……! おまえはただ、言われたことだけやればいいんだ。それ以外の価値もないくせに――!」


 俺は頭に血が上って、どうしようもなかった。理性も吹き飛び、つかみかかる。体格でも腕力でも、もともとの身体能力でも俺が上。剣の稽古をつける時には決まって非力に無様に倒れて泣きじゃくっていた、『これ』。痛めつけ屈服させるなどたやすかった。俺の動きに、本人はおろか令嬢も動けず、背後に控える使用人も間に合いはしない。そう――思っていた。


 だが、結果は。


「ぐっ」


 まるで目の前の『それ』はあたかも童子をいなすかのようにするりと逃げて、俺は逆に体勢を崩された。それに動揺したのは父と兄、我が家の使用人。令嬢はわらうだけ、ランスリーの使用人は微動だにせず。……動けなかったのではなく、必要がなかったから動かなかったのだと、無言で語っていた。


「エディス・アッケンバーグ殿」


 『それ』が呆ける俺の名を呼ぶ声は冷静だった。


「申し上げたはずです。これは決定したことであると。僕だけの意見ではなく、ランスリー家の判断であると」


 ――勘違いをしていませんか?


 静かな静かな声だった。体勢を立て直したけれども、声に含まれるその威圧。兄も、父さえも、息をのむような。――どうして、この俺があれごときに気圧されている?


「あなたの目の前にいるのは、伯爵家の三男ではありません」


 ゆる、と小首をかしげ、『それ』は笑った。


「僕はエルシオ・ランスリー。ランスリー公爵家の、後継です」


 無知な他人に諭すような柔らかでいて事実を述べる冷静さ。……目の前が、真っ白になるような気がした。










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