5/25 あるいは夢なら単純に(エルシオ視点)
迷う。迷っている。――あれからすでに数日が立っていた。フィマード伯爵家からは今日、色よい返事か返ってきてとんでもなく笑顔のシャロンととんでもなく笑顔のエリザベス様と僕はがっちりと握手を交わした。メリィとアリィは「なんと麗しい光景」って微笑んでいたけれどエリザベス様に従っていたアーノルド殿は死んだ魚みたいな目をしていたのでたぶんメリィとアリィの評価は正しくない。そのあと「ふふふ、お嬢様VS旦那様の口喧嘩はお嬢様の圧勝でしたネ」ってアーノルド殿はこぼしていたらしい。フィマード伯爵家で何があったのだろうか。
ともかく。
フィマード伯爵家との交渉がさらに前進したところで、僕の実家の問題は解決していない。どうすればいいのか。ランスリー家のために。アッケンバーグ伯爵家のために。そこに住まう領民たちのために。……頭の痛い問題なのだ。ただ僕が拒否して終わり、と行く話じゃない。
ふらふらと。
気が付いたら、邸の中を意味もなくうろついてしまう。――ああ、まただ。ここ数日で、こんなことが何度あっただろうかと、自嘲のため息を浅くつく。
あの日から、何度も、何度も、頭の中で、エディス兄上の言葉が繰り返される。あの目がじっと、今も僕を見ている様な気がした。……そんなはずがないことは、分っているけれど。どうしようもなく、いやな目なのだ。
ため息をついて、踵を返して、自室に戻って、でも結局僕はまた考えるうちに歩き出している。とっても夢遊病じみていてとてもいやだ。でもじっとしていると落ち着かない。そしてそんな中でも勉強や稽古や執務は怠っていない自分に驚いている。いつの間に僕はシャロンに染まったのだろうか。徐々にだろうか。侵食してくるランスリーの影響力が留まるところを知らない。
まあ、あの人たちの要求を通す気は、ない。そもそもあの人の要求を通すにはシャロンに話すしかない。その時点でそんな要求通るわけがない。そして彼らの要求は全く筋も通っていなければ礼儀もなっていない。くだらないし愚かすぎる。貴族社会の力関係をなめているとしか思えない。
判っては、いる。判っていて、迷っているのは、僕の弱さだろう。思考も行動も、堂々巡り。何一つ進んでいない。それでも僕には責任がある。彼らの血縁として、ランスリー公爵家次期当主として。
『ランスリー筆頭公爵家』という看板は、大きい。とくに魔術が重視される、学院では。それでなくても、シャロンが目立つ。変態を極めた師匠たちのせいでさらに目立つ。だからその隣にいる僕だって、それなりに注目されないわけがない。それに殿下たちやイリーナ様、エイヴァ君が加わればなおさらだ。どこに目立たない要素があるだろうか。「顔面偏差値がカンストしているわね」と意味の分からないことをシャロンがしみじみとつぶやいていた。
僕とアッケンバーグ伯爵家の公的なやり取りはないに等しい。シャロンも多分あんまり相手にしたくないのか、主に領主代理様が応対をしているようだ。あちらも、僕に会いたいというそぶりはないらしいし。
まあそれでも、これだけ目立つ要素しかない集団の一員であれば僕のことが彼らの耳に目に、入らないわけがないだろう。それは仕方がないのだ。あきらめた。「人間あきらめが肝心よ。あきらめると楽になるわ。いっそ楽しみなさい」とすがすがしく言い切ってとても楽しそうだったシャロンの神経は鋼だと思う。メリィに聞いた『覚醒前』のシャロンは人見知りが過ぎて小鹿のようだったらしいのに、何がどうしてここまで反対側に振り切れたんだろうか。意味が分からない。
まあ、なんであれ。
ぐ、と拳を握り締めて思うのだ。こんなにもこんなにも、僕は弱くて、自信がない。かつて諦めて、逃げて、封じ込めたつもりの過去。変われたはずの自分。けれどまだ、たぶん、受け入れることができていないのだ。だからこんなにも、戸惑って、迷っている。
……どうしよう。どうすればいいかな。僕は――
「うむ? エルシオではないか」
その時だった。立ち尽くしていた人気のない廊下の向こう側、聞きなれた声が僕を呼ぶ。僕はびくりと、肩を揺らし……『彼』をみて頬を引くつかせた。
「エイヴァ君」
何でここにいるんだい。ここはランスリー公爵家王都別邸の中なのだけれど。さっきまでの重い気分が雲散霧消して胡乱な視線を向けてしまう。ある意味すごい。エイヴァ君すごい。
そう、廊下の向こう側にたって僕をきょとんとした顔で見つめてきたのは『魔』たるエイヴァ君だった。なんで僕がここにいることに心底疑問を呈した顔をエイヴァ君がしているのだろう。部外者はエイヴァ君であって僕はここの当主一族なんだけど。
「うむ、辛気臭い顔をしておるな! どうした? このラズベリーチョコパフェでも食うか? 少しだぞ? 少しなら分けてやろうではないか!」
ふふん、とエイヴァ君は胸を張った。手には美しく、宝石のような輝きで飾り付けられたパフェを持っていた。なんて悩みのなさそうな顔なんだと思った。シャロンばりの美しい人形のような顔の口元はチョコレートで非常にはしたない感じになっていた。
「……いや、もう夕食前だし、遠慮しておくよ……」
「そうか? うまいぞ? この甘酸っぱさが何とも言えんな! 口の中でとろけるぞ! むふふふふふん!」
「……そう」
なぜ、どうして、僕よりも堂々と、彼は甘味を堪能しているのだろうか……。
とりあえず、歩きながら食べるのは行儀が悪いと注意をした。