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公爵令嬢は我が道を行く  作者: 月圭
第五章 大人の天秤
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5/23 そこにあるのは痛みだった(エルシオ視点)


 ゆっくりと、でも確実に瞳の強さを増して、不敵な笑みを浮かべていたエリザベス様。ランスリー家に見事からめとられたようだ。


 アザレア商会でもこれまで表立って交渉などをしてきたのはシャロン……『シャルル・ラング』だった。大人の中に入って、一歩も引かないどころか相手を引かせて辣腕を振るう姿を何度見たことか。この人は、敵に回しては、いけない。キラキラしすぎる笑顔を見るたびに思った。なので今回、エリザベス様との交渉が僕の初陣だったともいえる。何とか微笑みを保っていたけれど、内心全然余裕なんてなかった。話の運び方に説明、商品の見せ方、研究についてかみ砕いて説明して……。


 エリザベス様とアーノルド殿は初対面だし、混乱もあっただろうから多分気づいていない。でも、シャロンはきっと、ううん。確実に、気づいている。僕が表面を取り繕うので精いっぱいだったこと。


 ああ、本当にとりつくろえるだけのそれが冷静さなのか、逃避なのかと言われたら、……逃避なんだけど。


 自分の余裕のなさに嫌気がさす。でもシャロンは、あの人はそんな僕にも、気づいてるんだろう。殿下じゃないけど、本当に『そういうたぐいの妖怪』かと思うくらいにシャロンはそういう機微には聡すぎるほどに聡い。とても怖い。何があったのかを知っているかどうかは、分らないけれど。多分知っているんだろう。『影』の人たちは見ていたはずだし……見ていなかったとしても、どうしてか看破されていそうだ。とても怖い。……それでも、何にも聞かないでいてくれるけれど。


 シャロンは、そういう人だ。思えば、最初から……そうだった。ぐいぐい来るのに、これでもかと主張もしてくるのに、僕が本当に嫌がる一線だけは見極めて、絶対にそこには触れない。越えない。だからドン引きしたことは多々あるけど、嫌悪したことは、ない。……なお、あの『荒療治』という名の衝撃の裏切りモドキは別だ。


 ああそう、もうあれから一年以上もたつんだ。


 ……それとも、まだ(・・)一年半しかたっていないと、そう言うべきなのだろうか。だってことごとく体験が濃い。一年半しかたっていないとか信じられない。何がどうして王族を罵倒できるほど懇意になって伝説上恐れられた『魔』を教育するという立場に収まってしまっているんだろう。意味が分からない。大体シャロンのせいだし。シャロンは僕のことも『イイ性格』っていうけど。え、シャロンに言われたくない……。僕は、あなたの、足元にも及ばないよ……。


 だって、僕は、……思い知ってしまった。あの時――今日、エイヴァ君との買い物を終えて喫茶店で休んでいた時のこと。少しだけシャロンもエイヴァ君も殿下もみんなが僕のそばを離れた時間があった。大した長さじゃなかった。エイヴァ君たちはちゃんとケーキを選べたみたいだから、十分以内の出来事。そのはず、だけど。


 それでもそのすきを狙ったように、出会ってしまったのはなぜだったんだろう。その時、テラス席に座る僕の目の前を通った馬車。それは少し僕を通り過ぎてから何気なく停車して、そうしてそこから降りてきた人物。そこに、刻まれた家紋。『桔梗と鷲』。それを背負う青年。


 ――エディス・アッケンバーグ。


 三つ年上で、ヴェルザンティア魔術学院四回生。……エリザベス様と同学年の、僕の、兄。二人いるうちの一人。下の実兄。


 黄土の髪に僕より薄い茶の瞳は細い釣り目だ。実父であるギムート・アッケンバーグ伯爵に、よく似た面差し。兄弟の中で、一番彼が父に似ていて、僕は誰にも似ていなかった。


 唇をゆがめて僕を睥睨する、彼を見た瞬間、僕は頭の中が、真っ白になった。


 ああ、僕はまだ覚えてる。あの目が、いつも、僕をどんなふうに見ていたのか。どんな言葉を紡いだのか。覚えてる。覚えてるよ。どうしようもなく、忘れることはできない。たった一年半前なんだ。それに怯えてかくれて、泣いていた、何もできなかった僕がいたのは、たった一年半前。


 どうして。なぜ、貴方が、ここにいるの。なぜ、僕に話しかけようとしているの。


 ランスリー邸よりはるかに小さくて、けれど伯爵を名乗るには十分だろう屋敷の中。かろうじて与えられていた狭い自室の中。たった一人の食事。話しかけても応えがあることはなかった。賢くなれば、剣術ができればと打ち込んでも、ほめられることはなかった。まれに会話が成立したとして、そこに僕の意思を組む意図があった人はいないだろう。


 痛みを覚えている。それを痛みだったのだと自覚した。


 一年半前と今の僕は、同じではない。同じではないと、わかっていた。それでも声が出なくなるくらいには、驚いていた。


 白く染まる思考とうろたえるほどに何も紡ぎだせない言葉。そんな僕に、あの人は、エディス兄上は、嗤った。


 それからのことは、友好的とすらいえない会話だった。あの人の嘲笑うような目は記憶と同じで、ああ、変わらないのかと思った。変わらないのだ、この人は。


 あの人は要求をしてきた。僕がランスリー家の養子になったことでランスリー家はアッケンバーグ伯爵家の後ろ盾になっている。何かあれば支えあう。アッケンバーグ家が他家に圧力をかけられるようなことがあればランスリー家が黙ってはいない。そんな関係だ。貿易関係も多少の融通が利くようになっている。


 けれど実兄が要求してきたのはそれ以上の技術と金の融通だった。


 いや、学院で見かけるようになってから、視線は強く感じていたし、僕あてに届いた私信にも似たようなことが遠回しに書かれてはいたけれど。ここまで直接的に言ってくるなんて。ぐらぐらと歪むような視界の中、あの人の声がこだまする。


 世の中なんて、確かにお金で回っているのかもしれないけれど。


 エリザベス様との間交わされたのは一億という大金がかかった話だ。それでも彼女たちの目はあんなにも楽しそうに輝いていたのに。


 ――どうして、あの時のあの人の目は、あんなに濁っていたのだろう。










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