5/16 アザレアが咲いている
「ああ、申し訳ございません、シャーロット様、エルシオ様。重ね重ね醜態をさらしてしまいました。此度は、誠にありがとうございます。この御恩は必ず」
エリザベス嬢は礼儀正しく頭を下げ、その横でアーノルドさんも腰を九十度に追って謝意を表していた。うん、ここまで落ち着くのに十分くらいかかったけど、見事な切り替えである。
いい性格で礼儀があって金の扱いに長けている。何と理想のお姉さまだろうか。しかしそのお姉さまの言質を取ったとほくそ笑む十二歳児は私である。
『この御恩は必ず』と、私は聞いた。エルも聞いていた。メリィが――ぐっと親指を押し上げてサムズアップしている。絶妙にエリザベス嬢たちから死角になる位置である。私の侍女、出来る。
――さあ、『恩』を返してもらいましょう。
「ふふ、かまいませんわ。――私、エリザベス様のような方を探していたのですもの」
まずは先手、無邪気にスマイル。まあ、言質がなくても断られるような内容ではない。これは双方に利益がある――正当な取引だ。
「わたくしのような、ですの?」
小首をかしげるエリザベス嬢。私はそれに首肯する。
「ええ。だって、」
ええ、いろいろと存じております。チョウとデンから聞いた以外にもね。
「エリザベス様はフィマード伯爵家を支え、商いに精通してらっしゃるとうかがっておりますわ」
うん、……いろいろと。すると、言った途端。
「……え、」
エリザベス嬢は思いきり顔をひきつらせた。いや、褒めてるよ。超褒めてる。貴族の令嬢が商いなんてとか強引な手段がどうだとかそんなことで責めようとか見下そうだとか馬鹿にしたりだとか全然ない。なぜならそれはとってもブーメランだからであるがそんなことはまだ言わない。
というか、本当に十六歳の少女とは思えぬ手腕なのだ、エリザベス嬢。莫大な借金の法外な利子を、金貸しを宥めすかして平均額でもぎ取ったとか、返済期限をその口先三寸でどこまでも延期しているとか、迷える子羊を上手にだまくらかしてお金を巻き上げてるとか。やだ、なんて素敵なお姉さま。ちなみに全部合法。華麗なやり口である。なんて素敵な荒稼ぎだろうか。
――だから、私は、笑う。
「いいえ、実は私――、こういうものですので」
す、と私は懐から小さな紙切れを取りだした。エリザベス嬢が反射的に受け取って、のぞき込む。紙切れ、まあ名詞だ。この世界ではあまり流通していないが、商人の間ではここ最近急速に広まっている。勿論広めたのは私である。
今更なんで名刺なのかって、あれには「シャーロット・ランスリー」なんて一言も書いていないからだ。書いてあるのは、一つの役職、そして別の名前。
「アザレア商会代表取締役……シャルル・ラング?」
きょとん、とするエリザベス嬢とアーノルドさん。その瞳が、みるみる驚愕に見開かれていく。
「は、え、『ラング』、え、『アザレア商会』……って、……っ」
急成長を遂げた王都、有数の大商会――?
引き攣り切った顔で、こちらをうかがう二人。マジかよ、そんな言葉が顔に描いてあった。まあ、今を時めく大商会『アザレア商会』。それがランスリー家のものであると知るのは実はごく一部なのだ。……いや、王家は知っている。ジルをはじめとしてうちのお得意様である。しかし従業員も管理職クラス以上しかはっきりとは認識していないだろう。世間的にも暴露していないのだ。それは利権やパワーバランスの話になるのだが……まあいったんおいておこう。
その情報がばれなかったのは、『アザレア商会』の代表は、別にその正体は謎でも何でもないから、というのが大きい。むしろ世間に対して何度もその姿を表している。そうしてそれは、決して『シャーロット・ランスリー』ではなかったし、『エルシオ・ランスリー』でもなかったのだ。――『世間的には』。
おそらく、風の噂にでもエリザベス嬢とアーノルドさんはアザレア商会代表者の姿を聞き知っているのだろう。『シャルル・ラング』、その名も知っている様子だし。懐疑の視線が二人から向けられる。私は笑った。懐疑が深まる。エルがつぶやいた。
「エリザベス様、アーノルド殿。シャロンはあんまり普通ではありませんので、常識は捨ててくださいね」
「え? シャーロット様が規格外にお強いことは存じていますが……」
「それは、何か、覚悟をせよ、と……?」
困惑の主従、乾いた微笑みのエル。
私はゆるりと立ち上がる。ふわりと笑って、戸惑いを浮かべたエリザベス嬢たちを制す。エルは静かに静かに、ただ見ていた。それは先ほど髪と目の色を戻した時と同じように、すっと目を閉じて、ふわりと、微風が起こる。
――刹那。黒髪黒目の公爵令嬢・シャーロット・ランスリーは消え失せた。
そしてそこに立っていたのは、長身を優雅に折って一礼をする、茶髪に藍の瞳を持つ壮年の男。その姿こそが、世間的に知られる商会の代表者。
「――――――――――!??????!!!????」
見たことがなくても、誰もが知っている。それぐらいに有名であると、うぬぼれでなく私自身が理解している。とくに、どのような形でも財政を回すものであるならば。エリザベス嬢も、フィマード伯爵家の財政を一手に担う女傑なのだから。
――『シャルル・ラング』。
それは私が商会を持つうえで作り出した私の仮の姿の一つだ。