5/10 黒薔薇の少女(エリザベス視点)
さらりとわたくしの名を口にして。それはそれはとろけるように幻想的なほどに美しい笑みを、浮かべた――――
「!!!!!!? ???!!???!」
大混乱です。
え? は? なんですの? 何が起こりましたの? え、この絶世の美少女が微笑みかけているのはわたくしですのよね? なぜいきなり部屋のど真ん中に現れますの? とっても優雅でしたけれども! 大抵貴族の邸には転移防止の結界が張られているはずですわ。高名な魔術師の家系、ランスリー公爵邸でそれがされていないはずがありませんわよ? しかもなぜわたくしの名を知っていますの? というか先ほどはなかったはずのこの圧倒的すぎる存在感と微笑みからにじみ出る壮絶な艶が増しているのはなぜなんですのッ!?
「ああ、固まっちゃってる……。駄目だよ、いきなり。まだ何の話もしてないのに」
「あら。先に話しててくれてもよかったのよ?」
「だってどうせ話してる途中で帰ってくるでしょう。シャロンにびっくりさせられるんだろうし、その上で二回も話してもらうなんて……」
「それもそうね。そして私へのそれは信頼なのかしら……解せないわ。……まあいいけれど。なら『私』のことも、まだ説明してさしあげていないのね?」
「今ね、しようと思ったんだけど……」
びしりと固まってしまったわたくしの目の前で繰り広げられる会話。これは、あれですわね。この美少女は、やはり侍女やメイドなどではありませんわね。だってエルシオ様とあんなに気安く話されているのですもの。気安く、きや……
……。………。…………『しゃろん』?
えっ?
仮にもランスリー公爵後継であるエルシオ様にこれほど気安い、どう見てもエルシオ様と同年代の少女。しょうじょ……。そんなことができるのは、同格の貴族か、王族。そして現在、この国に王女殿下はおられませんわ。
ラルファイス王太子殿下の婚約者であられるイリーナ・ロメルンテ公爵令嬢は確かエルシオ様とはひとつ違い、交流もおありになるという噂は聞くけれど……。イリーナ様と言えば茶の髪に緑の瞳。『新緑の佳人』と噂される、たおやかな美少女。そもそも、わたくしもお目にかかったことがありますけれども、あのお方とこの少女ではまるで違います。
イリーナ様はまるで春の日差しのようなお方。柔らかく咲き誇る花のようなお方ですわ。というか……ふわっと。ふわっとしているつかみどころのないお方です。
けれども、この少女は――完璧なまでの美貌。先ほどはなかった凛とした気高さ。闇夜の月のような、燃え盛る炎のような。一輪の花のような、氷の結晶のような。……言い表しがたいけれど惹きつけられる。ああそう、この世のものとは思えない、そんな、少女。
そんな少女で、あてはまるのは、
――いえ。あの方だとしたら髪も目も御色が違いますわ。そう、遠目ではありますけれどもわたくしも何度か目にしたことがありますもの。あのお方は……
ですけれど。
「失礼いたしましたわ、フィマード伯爵令嬢。驚かせてばかりで申し訳ありません。私は――」
少女は美麗に微笑んで、ぱちりと指を鳴らしました。その奥では困ったように苦笑するエルシオ様がいらっしゃいましたけれど、わたくしは彼女から目を離すことなどできなくて。
ふわりと。
少女の黄土の髪が揺れ。そのこげ茶の瞳が閉じられて。ああ、睫毛が驚くほどに長い、だなどと、どうでもよいことばかりが私の頭を巡った頃。
「――――――!!!!!!!!!!!!!」
再び、絶句いたしてしまいました。はしたなくもぽかんと口を開けて。なぜって、だって。
目の前の少女の纏う色彩は――
漆黒に濡れる艶やかな射干玉の髪。宝石のような神秘に煌めくアメジストの瞳。それは、そのお姿は。
「――ランスリー公爵家が一女。シャーロットと申します」
言い表しがたいその美貌。人を惹きつけてやまない魅力。黒と紫のコントラスト。ご挨拶に、わたくしは頭を下げることすらできず。
それほどの、驚愕。
――ああ、本当に。先ほどの黄土も彼女の美しさを損なってなどはいなかったけれど、それでもこうしてみると、何よりもこの少女には「黒」が似合うのだと思い知らされます。
「『黒薔薇の、君』……」
学院内でささやかれる、彼女の通り名の一つを、わたくしは呆然と呟くことしか、出来ませんでした。