5/9 待ち人は、(エリザベス視点)
……どうしてこのようなことになったのでしょうか。
ランスリー公爵邸に訳も分からずつれてこられた……いえ、助けていただいたわたくしが現在何をしているか、と申しますと。
たいへん優雅に、まったりと、お茶をいただいておりますわ。
何でしょう、この空気、それはもう、危機感も緊張感も素敵にさっぱり欠片もございません。……いえいえ、さすがはランスリー筆頭公爵邸、使用人の動きも洗練されて、いただいてるお茶も御茶菓子も最高級のもの。あまりの美味と現実逃避がてら、これならいくらで売れますでしょうかと頭の片隅で考えているわたくしはそろそろ末期かもしれませんわね。
それはともかく。
わたくしの目の前で同じく優雅にお茶をしつつ微笑んでいる美少年――もとい、ランスリー公爵後継、エルシオ・ランスリー様と、一切会話がないこの状態の方が今は大問題ですわ。
いえ、空気はまったりしておりますのよ? 緊張感が漂っているわけではございませんのよ?
でも、あれですわ。気まずいですわ。沈黙が。
けれども気まずいのはわたくしだけなのでしょう、先ほどからエルシオ様は微笑むだけで何もおっしゃってはくれません。いえ、わたくしの体調を気遣い、身形を整えるために侍女までつけてくださって、人心地ついてからの今なのですけれども。そしてまったりさっぱり穏やかな空気を醸し出しているのも間違いなくエルシオ様ですので、本当に気にされていないのでしょうれども。
それはともかく。では、何がそんなに気まずいかと申しますと……
押されに押されて、いっそ気おされて、わたくしまだ、自己紹介もしていないのですわ。エルシオ様はわたくしを招き入れた後、流れるように自然に名乗ってくださったというのに、わたくしったら混乱しすぎて……。
淑女失格。自己嫌悪ですわ。
あまりに失礼な状況ですけれど、今更ここで申しあげられるような空気でもありませんわ……。身なりを整え、案内されてこの応接間にくれば、既にくつろいでいらっしゃったエルシオ様は本当に、どこまでも、何を気にするでもなくにこにことお茶の追加用意を使用人にお頼みになって、そしてこの穏やかな沈黙。いくらもたたずにお茶が運ばれてきて、現在に至ります。
なんなんですの? その落ち着きは何なんですの? わたくしがここへ連れてこられた経緯はそれほど日常的で穏やかな理由ではなかったと自覚しておりますわよ? なぜ事情を問いただすことすらされませんの? いえ、積極的に話したい内容ではございませんわ、我が家の経済事情があれだなどと言いふらすものですもの。ですが、でも、ええ、……。
でもあれですわね? わたくしが何も言わなければ何も進みませんわ。エルシオ様は恐らくわたくしの内情を気遣って、待ってくださっているのでしょう。
つまり、ですわ。やはり、決めるしか、ございませんのね。
この沈黙を破る覚悟を。
「……あの、助けていただきまして、本当に感謝しておりますわ。ご迷惑をおかけして、申し訳ありません。―――わたくしはエリザベス・フィマード。フィマード伯爵の娘でございます。名乗りが遅くなり申し訳ありません。……このお礼は必ず、」
躊躇いながら、口を開きました。
けれど、
「ああ、――まってください、」
そんな、困ったようなエルシオ様のお顔と御声に、わたくしの言葉はさえぎられてしまいました。
「すみません、遮ってしまって。けれどもうすぐ、あの人が帰ってきます。『すぐに終わる』といっていましたから。あと少しだけ、待っていただけないですか? ……この状況では混乱するのも無理はありません。落ち着かれる時間が必要かと思って……不安にさせてしまいましたね。こちらこそ、申し訳ありませんでした」
「そんな、お気遣いを…………『あのひと』?」
恐縮しつつも聞き返せば、ふうわりと、それはそれはお優しそうな笑顔で笑うエルシオ様。なぜでしょうか。お優しそうな笑顔なのに、その瞳はとてもとても遠いところを見ていらっしゃるようでしたわ。
『すぐに終わる』、その発言はあの路地に残った、侍女? の少女の言葉ではなかったでしょうか。あの少女はとても恐ろしく美しかったですが……恐怖は現実になるのでしょうか。
思わず内心引き攣ってしまいますわ。
まあ内心で終わりませんでしたけれど。だって、
「はい。おそらくそろそろ戻ってきますから。二度お話していただくのもなんです……」
し、と。
それをエルシオ様が最後まで言われることはありませんでしたもの。なぜって、それは。
ふいにふわりと香った花の香。目の前に広がった色彩は先ほども見た黄土色。唐突に、けれどひどく優雅なしぐさの、『彼女』。
そう、先ほどとてもいい笑顔で荒くれ者どもと『お喋り』なさってくるといっていた、彼女は。
「お待たせいたしました、エリザベス・フィマード伯爵令嬢」