5/8 獣を背負う(エリザベス視点)
ぶつかった少女に抱き留められ、慌てて謝罪をいたしました。けれど何でもないかのように少女はわたくしを気遣ってくれました。町娘でしょうか、身長からするといくつか年下の……
いえ、でもそんなことより、路地から足音が今も近づいてきております。
「おい、あんなところに!」
「ああ、もう! 待ってっていうのに!」
怒声に、瞬間体が震えます。けれどそんな私の背には、まだ気遣うような少女の手が緩くかけられていて。
「すみません、わたくし……っ」
そして、わたくしは少女を見上げました。その時、
――なぜ、でしょう。時間が、止まった気が、致しました。
それほどに美しい、少女、でした。身なりも雰囲気もまるで町娘。黄土の髪に焦げ茶の瞳。珍しくもないその色彩。傍らに立つ少年とまったく同じそれですが、御姉弟、でしょうか。いえ、少年の方は恰好こそ質素ですが、滲み出る雰囲気は明らかに高貴なものですわね。
それにどこかで見たお顔。むしろこの美しさで、なぜ今も周囲に騒がれていないのか疑問なほどですわ。魔術の一種でしょうか……? と、すれば彼らはお忍びの貴族と、……メイド? ……侍女?
困惑している間も、荒々しい足音と怒声は近づいていたのですけれどももうどうしていいのかわたくしにはわからずに、硬直しておりました。
――その美少女が、わたくしを背に回して男たちの方に、進み出るまでは。
「まっ……」
思わず、止めようとしました。けれどもそれは、少女自身の艶やかな笑みにさえぎられます。息も止まる様な艶美さでした。
少女は笑みをそのまま、少年の方へと視線をずらして言いました。
「エル? 私ちょ~っとこれからこのお兄さんたちと楽しい楽しい『お喋り』してくるから、この方を丁重に我が家に案内してあげて?」
にっこりと。
笑う少女に、なぜでしょう、美しくも猛々しい猛獣の幻影が見えたような気が。いえ、追手の男たちも見事に固まっておりますわね。……見たのでしょうか。舌なめずりして獲物を狙う獣の幻影を。
「……今日がまだまだ終わらないね……うん、まあ……ほどほどにね?」
少年が引き攣った声を掛ければ、
「ふふふふふふふ、大丈夫よ、すぐに終わるわ?」
ひたすら美しく笑う、少女。
何が大丈夫なのでしょうか。まったくわかりませんけれどもとりあえず少年とともに頷いておきました。え? だって、怖いです。とても美しく、そして怖かったのです。わたくし、暴漢でなくて、よかったですわ……暴漢も完全に気おされておりました。
そうして、そのままわたくしは少年に手を引かれて通りを抜けました。流れるようなエスコートでしたわ。やはり貴族の御子息なのでしょう。気品にあふれております。
するとそこに、示し合わせたように何処からともなく馬車が到着いたしました。少年は何のためらいもなくそれに乗車。わたくしもつられて、乗車。
待ちましょう、……どういう事でしょうか。……連絡、されていらっしゃいましたでしょうか? いつ、連絡したのでしょうか。わたくし、手を引かれて通りを歩いたはずですのに、何も気づきませんでしたわ。なのに御者はなぜここだと判ったのでしょうか。
不可解です。
困惑も露わに少年を見ました。困ったようにふんわりとほほ笑まれました。ふんわりと。
なぜでしょう。何も聞いてはいけない気がいたしました。
ええ、考えないことに致しましょう。わたくし、直観には優れているのです。危機管理能力にたけていると、生前のお母さまにも太鼓判を押されましたわ。
それよりも。……さきほど、ちらりと、乗車前に、見えました、紋章が、今は一番気になりますわね。え、だって。
――『獅子と蔓薔薇』。それは、かの有名な、
まさか。
「あの、まさか、貴方様は、」
躊躇いながら問えば、ふわりと、少年は微笑みます。幻想のように美しく柔らかな微笑みでした。そしていつの間にか止まっていた馬車の扉を開けて、少年は告げました。
「ようこそ、ランスリー公爵邸へ」